第16話 社交界の双子花
フィーネの言葉がひっかかり、リディアが回復しても、俺は毎日剣術の訓練をさせる気にはなれなかった。
ただでさえ疲れやすい身体なのだ、毎日やらせているとそれだけでも体調を崩してしまうのではないかと不安になったのだ。
結局、3日1回だけに変更し、それ以外の日は変わりに散歩をすることでリディアを納得させた。
リディアは最初こそ残念そうにしていたが、今は散歩も楽しいと笑っている。
あの花は元の世界に同じものがあっただとか、この花は知らないから名前を教えてほしいだとか、花を見ながらころころと表情を変えていく。
その様子を見ながらともに散歩をするのは、俺にとっても楽しい時間だった。
とはいえ、花の名前に詳しいわけでもなかったので、知らない花は庭師を呼んで説明をさせたりもした。
そうこうしているうちに、リディアは庭師とも親しくなり、時折気に入った花を少し分けてもらって部屋に飾ったりもしている。
雨の日であっても、雨足さえ強くなければ傘をさして散歩をし、晴れていればそのまま外でお茶もする。
最初こそチョコレートにしか興味を示さなかったリディアも、今では様々な菓子を楽しむようになった。
今も目の前で、おいしそうにスコーンを頬張っている。
おかげで間食も増え、ほんの少しではあるが食事量も増えたように思う。
とはいえ、まだまだ細すぎるし、小さすぎるのは変わらないが。
「スコーンを食べる時は、この紅茶がいいって、ルイスさんがおすすめしてくれたんです。侯爵様もスコーンとどうですか?」
今日出されている紅茶は、いつも俺が飲む馴染みの茶葉ではなく、スコーンを食べるリディアのために用意された茶葉だ。
とはいえ、茶葉にこだわりがあるわけではないので、特に気にはしていないが。
いつものように、菓子に手を出さず茶だけ飲む俺に、時折リディアはこうして菓子を薦めてくる。
「このローズジャムをつけて食べると、本当においしいですよ?」
リディアがそう言ってジャムを塗ったスコーンを、手に持って差し出してくる。
俺がそれをパクりと食べると、リディアの顔がりんごのように赤く染まった。
「こここ、侯爵様!?」
おそらく、食べないか、もしくは手で受け取ると思っていたのだろう。
悪戯が成功したかのような気分で、つい笑ってしまう。
「なんだ?おまえが食べろと言ったんだろ」
「そ、それはそうなんですが……」
顔を赤くして俯くリディアをもう少し困らせてみたいような気にもなったが、残念ながらそれは叶わなかった。
「旦那様、申し訳ございません、お客様が……」
「客?」
突如ルイスが割り込んできて、来客を告げる。
今日、来客の予定はなかったはずだ。
突然訪問してくるような人間で真っ先に浮かんだのは、皇太子であるアレクだったが。
あいつなら、ルイスは客とは言わず、最初から皇太子が来たと告げるはずだ。
「誰だ?」
「ラルセン伯爵令嬢です」
「面識はないはずだが」
ラルセン伯爵令嬢といえば、社交界の双子花として有名だ。
美しく、常に社交会で最も注目を浴びる双子、と言われているが実際のところは少し違う。
貴族令息たちがこぞってダンスを申し込むのも、令嬢たちが美しいと見惚れるのも、実は妹の方だけである。
だがそれに納得がいかず暴れると手がつけられない姉と、常に姉を気遣い一歩引いて姉をたてようとするおしとやかな妹を慮った結果、双子花としていかにも二人とも注目を浴びているかのように呼ばれている。
「どっちだ?」
「姉の方です」
思わずため息が出た。
いや、別に妹の方にも訪問を望んではいないが。
いかに社交界で人気のある令嬢だろうと、俺は全く興味がない。
ため息をつく俺を心配そうに見るリディアと、目があう。
「すまない、来客があって先に戻る」
「あ、はい、私のことはお気になさらないでください」
これ、食べ終えたら私も戻りますから、とリディアは笑った。
突然の訪問にも苛立ちを覚えるが、こうして貴重な時間を中断させられることにも苛立ちを覚える。
何の用かは知らないが、とっととすませて追い出してしまおう、そう思いながら俺は邸に戻った。
「はじめまして。わたくし、ラルセン伯爵家長女、ユリア・イーリス・ラルセンと申します」
フルネームか……
舌打ちしそうになるのをなんとか耐える。
いかにも貴族令嬢らしい、スカートの裾をつまんだ優雅なお辞儀。
これがリディアであれば、ぺこぺこと頭を下げるのだろうな……
小さな頭が何度も揺れる様が浮かび、今度は笑いだしそうになるのを耐えた。
「すでに知っているだろうが、ジークベルト・シュヴァルツだ」
ラルセン伯爵令嬢の表情が歪む。
フルネームを名乗り返さなかったことが、不満なようだ。
リディアとはまた違うが、こいつも表情がわかりやすい。
この国ではフルネームを名乗るのは、特別な時だけだ。
その特別な時、は人それぞれだが、この伯爵令嬢はおそらく……
思い至った結果に、うんざりとする。
それでも立たせているままではよくないので、一応座るよう指示し、茶を啜った。
リディアと飲む方が、美味かったなと思う。
最後までともに茶を飲むことができなかったのが、残念でならない。
「それで、用件はなんだ?暇ではない、手短に頼む」
予想はついてしまったが、あえてこちらから言ってやるつもりもない。
さっさと言わせて、断って、それで終わりにしよう。
「はい、ジーク様」
「そのような呼び方を、許可した覚えはない」
いきなり愛称で呼んでくるとは……
馴れ馴れしい態度に、不快感が募る。
俺は一応侯爵で、相手は爵位の序列では下になる伯爵家の令嬢だ。
初対面で相手の許可もなく、気軽に呼ぶ名ではないだろう。
しかし、伯爵令嬢は俺の態度が不満らしい。
これくらいは、許されてしかるべきだと思っていそうな表情だ。
「では、ジークベルト様」
「名を呼ぶ許可も、与えてはいない」
「……っ」
悔しそうに、伯爵令嬢の顔が歪む。
ふと、『侯爵様』と呼ぶリディアを思い出した。
貴族社会に不慣れそうだったが、意外と最初からすんなりとそう呼んだ。
だが、彼女なら、もし最初から名を呼んだとしても、受け入れていたかもしれない。
使用人たちのことは、名前で呼んでいるようだし、もしも自分も名前で呼ばれたならば……
そこまで考えて、一旦考えを頭から追いやる。
今はまず、目の前の伯爵令嬢に早々に帰すことが最優先だ。
「早く用件を言え」
「わたくしを、妻にしてくださいませ」
意を決したように言われた一言に、やっぱりな、と思う。
婚約や結婚の申し込みをする際、互いにフルネームを名乗り合うこともある。
もちろん、フルネームを使うのは、必ずしもそういう場だけではないが。
それくらい、めったには名乗らない、特別なものだ。
「断る。話がこれだけなら、失礼する」
「お、お待ちください!!」
はぁ……と深いため息が出た。
立ち上がりかけたが、再度ソファに身を沈める。
いや、このまま立ち去ってもよかったのかもしれない。
「どうしてですか?わたくし、きっと立派に侯爵夫人を務めてみせますわ」
その自信はいったいどこから来るのか……
そう言えば、妹の方が最近婚約したという噂があったな。
社交界で注目の花がいよいよ婚約の運びとなり、落ち込んだ貴族令息もいたようだ。
お相手は同じく伯爵家の令息、こちらも社交界ではかなり人気の高い令息で、ラルセン伯爵家の双子とは幼馴染だとか。
姉の方が追いまわしているようだが、令息は一途に妹を想い、妹は姉の手前、令息の想いを受け入れられずにいるとかなんとか。
噂好きの社交界で、おもしろおかしく広まっていた。
俺はさして興味もなかったが、あろうことか皇太子であるアレクが興味津々と言った感じでよく話していたので覚えている。
「根拠は?」
「わたくしは、妹と違い、魔力が強いのです!きっとシュヴァルツ侯爵家でお役に立てます!」
たいした魔力量でもないがな。
これでは、魔法もほとんど使えないのではないだろうか。
妹と違って、とわざわざ伝えてくるのは、妹より自分の方が上だとアピールしたいからだろう。
妹の婚約者が誰もが羨む人気の高い伯爵令息、ならば自分の相手はそれ以上でなければならないといったところか。
爵位は侯爵以上で、未婚のものに絞ってでも探したのだろう。
そういえば現在の侯爵家、もしくは公爵家の当主で、未婚なのは俺だけだったかもしれない。
なるほど、これから爵位を継ぐ予定の、あくまで後継ぎでしかない令息たちよりも、すでに爵位を継いだ俺の方がよいと判断したということか。
だが、まるでアクセサリーのように、彼女の引き立て役にさせられるのはごめんだ。
「うちは別に、魔力の強さを重視して伴侶を選んでいるわけではない」
母上は魔力は少しあったものの、魔法を使えなかったしな。
「それに、初対面の令嬢を妻に迎えなければならないほど、困窮してもいない」
「わ、わたくしは、社交界の双子花の片割れですのよ!?」
「悪いが俺はどちらにも興味がない」
人気の自分を手に入れなくてどうするのだ、とでも言いたそうだ。
だが、社交界でこの女が取りあわれているようなことさえ、ないんだがな。
「侯爵様も、もうよいご年齢ではないですか。お傍でささえる女性が、必要なはずですわ!」
「そなたにそれを心配してもらわずともよい」
自分が適任だ、と言わんばかりの表情。
「何を言われようと受ける気はない。話がそれだけなら、帰ってくれ」
そう言えば、悔しそうに表情を歪め、スカートを握りしめる。
断られるなんて、微塵も思っていなかったのだろうな。
泣くか?と思ったが、恨めしそうにこちらを睨んできた。
「わたくしを拒んだこと、きっと後悔なさりますわよ!あとから泣きついたって、知りませんから!!」
ありえないな、と思いながら立ち上がる。
さあ、出て行け、と促すように扉をあければ、伯爵令嬢はまるで怒りを振り撒くかのように、退室していく。
俺は見送りする気にはならず、近くにいた使用人に任せ、ふっと息を吐いた。
ああ、まずいな、と目の前の光景を見て思ったのに。
俺は動くのが遅れてしまった。
リディアはどうしているか気になり、玄関の方へと向かった時だった。
最初に見えたのは、ラルセン伯爵令嬢だった。
まだ帰ってなかったのか、と呆れていると、その前方には、花を両手で握りしめたリディアがいた。
花は帰り際に庭師に貰ったのだろう、大事そうに抱えている。
まさか鉢合わせていたとは……
なんとなく嫌な予感がして慌てて駆け寄ろうとした時、パシンと大きな音が響き、リディアの持っていた花が舞った。
「リディア!」
駆け寄るとリディアは何が起こったかわからない、といったようにしばし呆然としていた。
傍にいた使用人たちも、ざわついている。
「大丈夫か?」
「あ、ごめんなさい、お花……」
驚いて手放してしまったらしく、せっかく貰ったのに、と申し訳なさそうにしている。
だが、今重要なのはそこではない。
「花はいい、それより……」
見れば左側の頬が赤く腫れあがっている。
そっと触れると、リディアがびくっと反応した。
「痛むか?」
「い、いえ、大丈夫です」
頬に触れた瞬間の反応は、絶対に痛かった反応だった。
とりあえず何か冷やすものを、と指示しようと思ったがミアがタオルに氷を包んで戻ってきていた。
あいかわらず対応が早いようで助かる。
「お嬢様、こちらで冷やしてください」
「あ……」
リディアはなぜか受け取らない。
戸惑ったように差し出されたタオルを見つめ、なぜか一歩後ずさる。
俺はミアからタオルを奪うように掴み、リディアの頬にあてる。
「ちゃんと冷やしておけ」
そう言えば、ようやくリディアはタオルを受け取った。
というか、ずっと俺に持たせてはおけないと思って、受け取らざるを得なかったのだろう。
「ラルセン伯爵令嬢、これはいったいどういうことだ?」
怒りを隠しもせず、睨みつければ、伯爵令嬢ははじめて怯えた表情を見せた。
***
お客様がいらした、と先にお邸の中に戻ってしまった侯爵様を見送って、私は飲みかけのティーカップに手を伸ばす。
見れば侯爵様のティーカップは飲みかけのままだった。
せっかくスコーンにあうおいしい紅茶だったのに、最後まで飲んでから戻ることができなかったなんて残念だ。
スコーンもこんなにおいしいのに、とスコーンに手を伸ばそうとして、先ほどの侯爵様が私の手から直接食べた様子を思い出してしまって、顔が熱くなる。
手渡しのつもりだったのに、まさかあんなことをなさるとは……
「お嬢様、どうかなさいました?」
「う、ううん、なんでも、なんでもないんです……!!」
私はごまかすように、スコーンを食べた。
その後、1人ぼっちになった私を気づかってか、庭師の方が小さなお花の花束を作って持って来てくれた。
とってもかわいくて、早くお部屋に飾りたくて、私はミアさんとともにお邸の中に戻ることにした。
「まぁお嬢様、とてもかわいいお花ですね」
「でしょう?さっきもらったんです!」
お邸に戻ると、ちょうど玄関あたりに数名メイドさんがいらして。
さっき貰ったお花を見せていた。
みんな、素敵ですね、よかったですね、と声をかけてくださって嬉しい。
ミアさん以外のメイドさんとも、最近話す機会がすごく増えた。
その方が現れたのは、そんな最中のことだった。
「あなた、ここで何をしていますの?」
お嬢様、というのは本来こういう人を言うのだろう、背筋がピンと伸びて堂々としている。
でも、どこかイライラしているような印象を受けた。
「使用人、ではなさそうですけれど」
「あ、あの、私は……」
「この家にご令嬢はいらっしゃらないはずですわ」
「えっと、その……」
そっか、私だけ皆さんのような制服を着ていないから、無駄に目立ってしまったようだ。
今、目の前にいるお嬢様のお洋服に比べたら、地味でおとなしめな格好だとは思うのだけれど……
「こちらは当家の遠縁にあたるお嬢様でございます」
ミアさんが、ちゃんと答えられない私の変わりに答えてくれた。
けれど、ちゃんと自分で答えられなかったからか、より不機嫌にさせてしまったようである。
「あら、そのようなご令嬢がいらっしゃるだなんて聞いたことがありませんでしたわ。ご実家の爵位は?」
「えっと、その……」
どうしよう、本当は侯爵様の遠縁でもなんでもない。
当然貴族なんかではないのだから、爵位なんてあるわけない。
けれど、この場にそれを知る人はいない。
「お名前は?」
「リ、リディア、です……」
「あら、家名はおっしゃることはできないのかしら?わたくしはラルセン伯爵家の長女ですのよ」
「お嬢様はまだ幼く……」
「あら、おいくつかは存じ上げませんけれど、私がこのくらいの頃には自分の家名くらい名乗れましてよ」
ミアさんはもちろん、私の年齢をご存知だ。
けれども、見た目の幼さを利用して、上手く助け船を出そうとしてくれたのだろう。
しかしながら、それは通用しなかった。
もしかするとメイドさんたちも、私が家名も親の爵位も答えられないことを不審がっているかもしれない。
そう思うと、ここに立っていることがとても不安になる。
「爵位も家名も答えられないなんて、訳アリなお家ですの?どちらの没落貴族かしら?それとも実は平民だったりして」
「………」
どうしよう、なんて言えばいいのかわからない。
「でしたら、こんなところでお嬢様気取りでいらっしゃらず、使用人として働いてはいかが?」
このお嬢様の、おっしゃる通りだ。
私はやっぱり働くべきなのだ。
侯爵様やお邸のみなさんが優しいから、甘えすぎてしまっていた。
お嬢様、なんて呼ばれることにもすっかり慣れてしまっていたけれど、私はやっぱりお嬢様ではないのだ。
「お嬢様、お気になさらずともよいのですよ」
「ご事情があって、ご実家については詳しく話せない、と我々は旦那様からちゃんとお聞きしておりますから」
何も言えなくなって落ち込んだ私を、メイドさんたちが慰めてくれる。
侯爵様がそんな風に話してくださっていたことを、私は今はじめて知った。
だから名前しか言わない私を、このお邸の中では誰も何も言わないでいてくれたのだ。
でも、優しく慰めてもらえばもらうほど、嘘をついて騙しているようで申し訳なくなる。
だからといって私が異世界から来た、なんて話を不必要に広めてしまっても、誰かに迷惑をかけてしまうかもしれないとルイスさんが言っていた。
だから、簡単に明かしてはいけないのだ、と。
「ジークベルト様ったら、侯爵だというのに情けないですわ。きっと、騙されていらっしゃるのね。こんな小娘なんかを置いているから……」
「侯爵様を、悪く言わないでください!!」
ジークベルト様、周りにそんな風に侯爵様をお呼びになる方がいなかったから、一瞬誰のことか気づくのに遅れてしまった。
私が一方的にご迷惑をかけて甘えている状況で、侯爵様が悪く言われてしまうことだけは避けたかった。
けれど、私の言葉はお嬢様の怒りに火をつけてしまったようだ。
「家名も名乗れないような小娘が、なんて生意気なの!!」
耳元で大きな音がして、左頬にピリッとした痛みを感じて、私ははじめて頬を叩かれたのだと気づいた。
びっくりして、せっかく貰った大事なお花を床にばらまいてしまった。
侯爵様の声が聞こえる、またご迷惑をかけてしまったようだ。
申し訳なくて、情けなくて、泣きたくなった。
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