第15話 新たな日課
大きなぬいぐるみをぎゅっと抱きしめるリディアは、最早ぬいぐるみを抱いているのか、ぬいぐるみに抱かれているのかわからない。だが、その様子が非常にかわいらしいと思う。
やはり、買って正解だったようだ。
要らないと言っていたが、こうして与えてみるとなかなか気に入っているようにも見える。
そして、薬が効いてきたのもあるだろうが、顔色も随分とましになった。
癒し効果も、十分に期待できるかもしれない。
「リディア、聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
リディアは未だ、ぬいぐるみを手放す様子はなく、抱いたまま首を傾げている。
手放してしまってはこの光景は見られなくなってしまうので、できる限りぬいぐるみの事には触れないようにしよう。
そう思いながら、リディアの体調も落ち着いたようだし、と俺は聞かねばならない事を切り出すことにした。
「最近眠れていないのか?」
「え?そんなことは……」
「医者がそう言っていた」
そう告げれば、リディアはうつむいた。
ぬいぐるみを抱きしめる力が、無意識に強くなっているようだ。
安らぎを求めているのかもしれない。
「眠ってはいるんです……ただ、ちょっと……」
「ちょっと、なんだ?」
「夢見が悪いといいますか……」
怖い夢を見て寝不足だなんて、恥ずかしいですね、とリディアは苦笑する。
同時にぬいぐるみを抱きしめる力が強くなり、不安そうに瞳がゆれた。
「いつも、見るのか?」
「お昼寝の時は平気なんです。訓練で疲れ切ってる所為か、夢も見なくて……」
「夜はほとんど眠れてないのか」
「眠るたびに同じ夢を見てしまって、途中起きることもあればそのまま寝ていることもあるんですが、どちらにせよあんまり眠った気もしなくて……」
眠りが浅いのだろうな、と思う。
昼寝はせいぜい1~2時間程度だろう、1日のうちまともに眠れているのがそれだけだったのなら、かなり辛いだろう。
「前の世界にいた時からか?」
「いいえ、ここ数日のことなんです。そのうちなくなるかなって思ってるんですけど……」
「どんな夢か聞いても?」
そう言うと、リディアがびくっと震えた。
無意識だろうが、ぬいぐるみが潰れそうなくらい腕に力が入っている。
「言いたくないなら、無理に言わなくていい」
ぬいぐるみごとリディアを抱きしめると、ほんの少し力が抜けたような気がする。
そのまま、あやすようにぽんぽんと背中を叩く。
「この家で、何か嫌なことがあったか?」
「違います……!」
リディアは必死に首をふっている。
気を使って嘘を言っているわけではなさそうだ。
「そうか、ならよかった。何かあれば、すぐに言うといい」
「ありがとう、ございます……」
「このまま少し、眠るといい」
俺はリディアをぬいぐるみごとベッドに横たえた。
薬には痛みを抑える作用と、眠りに誘う作用があると医者が言ってたはずだ。
痛みも治まってきているように見えるし、そろそろ眠くもなるだろう。
「まだ、眠りたくないです……」
今眠ると、悪夢を見そうだと思っているのだろうか。
リディアの瞳が不安そうに揺れている。
「すぐ眠くなるはずだ。さっきの薬には、そういう効果もある」
「でも……」
リディアは抗おうとしているが、瞼は徐々に下がってきている。
「大丈夫だ」
薬の効果もあって、きっと熟睡できるだろう。
そう期待していたのだが……
「いや……っ、いたい、たすけ……っ」
最初はすやすや眠っていると思っていた。
安心して傍を離れようとした瞬間、急にリディアが魘され始めた。
これではミアが気づかないのも無理はない。
昼寝の間はほぼ付き添っていただろうが、熟睡していたようだし。
夜はリディアが眠れば、あとは起こしてしまわないようすぐに部屋を離れていたはずだ。
起こしてやるべきか、寝不足ならこの状態でも寝かせてやるべきなのか。
いや、だが結局眠ったような気がしないと言っていたのだから、このままではよくないだろう。
やっぱり起こしてやるべきだ、そう思った時、リディアのペンダントが光った。
『プリンセス、また……』
水の精霊、フィーネが心配そうにリディアを見ている。
本当にリディアが大切なのだろうと思う一方で、あいかわらず俺には敵対心が強いように思う。
俺だけではなく、正確にはリディア以外の人間全て、かもしれないが。
「いつもこうなのか?」
問いかければ、やはりというか睨みつけられる。
それでも頷いて答えてはくれた。
『夜はずっとこう。たぶん、いつも向こうの世界の夢』
「どんな?」
『それは言えない、プリンセスに聞いて』
こいつが話すと思うか?と言おうとしてやめた。
リディアが言わない事を、勝手に聞き出すのもよくないだろう。
『あなたも魔力があるならわかるでしょう?魔力がある一定量を下回って回復しない状態だと、身体がとってもつらいの』
「ああ」
その一定量、は本人の魔力量によるところがあるが。
あまり使いすぎると、ある程度回復するまではかなりしんどい思いをすることも多い。
『プリンセスは今その状態がずっと続いてる、だからとても疲れやすいし、体調も崩しやすい』
その言葉にハッとした。
元々の魔力量を知らないから、そこまで意識はしていなかったが。
数年、数十年の単位で魔法が使いにくいだけでなく、体調が辛い状態まで続くのか。
『だからせめて、睡眠はちゃんととってほしいんだけど』
ただでさえ、常に不調な状態で睡眠もしっかりとれない状態か。
そりゃあ元気もなくなるし、倒れもするだろう。
よく今まで笑って生活できていたものだ。
「以前、魔力は回復させるな、と言ったな」
『絶対ダメ!!!』
「やらないから、安心しろ」
『治療する魔法もダメ。痛みや熱を魔法で取ったりするのもダメ。回復させることと同じだから』
「それもやらない」
というか、俺にはそんな魔法は使えない。
いや、熱を出している人間から、一時的に熱を奪うことはできるか。
とはいえ、病気を治したわけではないので、放っておくとまた発熱はするのだが。
あれでも回復させた事になってしまうのか……
「眠らせるのはどうだ?」
『え?』
「夢も見ないほど、深く眠らせる魔法だ。本来は敵に気づかれないようにするために、敵を眠らせるために使う魔法だが」
多少派手に行動をしても、相手に気づかれないようにかなり深く眠らせることができる。
眠れない人に熟睡を促すための魔法ではないけれど、魘されてしっかりと睡眠が取れないよりはまだいいだろう。
『それなら大丈夫だけど、そんなことできるの?』
「ああ、そういう魔法なら得意だ」
使っても問題ないんだな、と再度念を押すと頷きが返ってくる。
俺はそれを確認して、リディアの額に触れ、魔法を詠唱した。
さっきまで魘されていたリディアが、大人しくなる。
成功したようだ、これでしばらくは目覚めないだろう。
『よかった……』
よほど心配していたようだ。
こんな風にほっとしたフィーネの表情は、はじめて見るかもしれない。
「リディアが魘されたら呼びに来い、また眠らせる」
『無理、ここから動けない』
聞けば、精霊石の付近にしか姿を現わせられないそうだ。
なんともめんどくさい。
「わかった、これからは毎晩眠った頃に様子を見に来る」
『あ……』
「なんだ、まだなんかあるのか?」
『あり、がとう……』
フィーネはそれだけ言うと、すごい勢いで精霊石の中へ戻った。
その様子に、笑いが込み上げてくる。
「くくっ、珍しいこともあるもんだ」
あの敵対心むき出しの精霊に、お礼を言われる日が来ようとは。
それだけ、リディアのことを心配していたのだろう。
「ゆっくり休めよ」
フィーネも俺も、邸の使用人たちも、皆心配しているのだから。
未だにぬいぐるみを抱えたまま眠っているリディアの頭を撫で、今度こそ部屋を離れた。
そしてこの日から、毎晩魔法でリディアを眠らせるのが、俺の日課となった。
***
真っ白な部屋の夢、今日も見たはずだったのに。
いつの間にか黒く塗りつぶされて、何も覚えていない。
起きて真っ先に感じたのは、侯爵様の魔力だった。
優しくて、あたたかくて、すごく落ち着く……
「しばらく剣術は休みだな」
いつものように、朝食に出してもらった焼きたてのふわふわのパンにかぶりついていると、急に侯爵様がそう言った。
私はちょうど食べている最中だったので、喋れなくて、あわてて口の中のパンを飲み込んだ。
ちょっと苦しくて、野菜ジュースも一緒に流し込む。
「落ち着いて食べろ」
あまりに慌ただしすぎたのか、呆れたような声で言われてしまう。
「すみません……」
またお休みになってしまうのは寂しい。
でも、心配かけたのも事実だし、わがまま言ってはいけないだろうか。
もう大丈夫だからやらせて欲しいと言おうと思っていたのだけれど、パンを飲み込んでいるわずかな時間にいろいろ考えが変わって、結局言わずに終わった。
「そう落ち込むな、少しの間だけだ」
わかっている、昨日の今日で、私も今日はちょっとしんどいかもしれないという気持ちもゼロではなかったし。
でも、剣術の訓練がないと、それだけ1日暇な時間も増えてしまう気がして、それなら少しくらい無理しても、とも思ってしまうのだ。
「だが、部屋に引きこもってばかりでも不健康だろう。よければ後で散歩でもしないか?」
「え?」
「庭園を案内してやる」
やった!と飛び上がりたくなるような衝動を、私はなんとか抑え込んだ。
お邸の中は、必要に応じて、侯爵様やルイスさん、ミアさんに案内してもらったことがある。
けれどお庭は騎士団の訓練場へ移動するまでの道中で見たりしているくらいで、ちゃんと案内してもらったことはない。
私が知っているのは広いお庭のほんの一部分だけで、気にはなっていたのだ。
それを侯爵様自ら案内していただけるのはとても嬉しいし、そのご提案に飛びつきたい気持ちはすごくある。
だけど、昨日お時間を割いてお出かけに連れて行ってもらったばかりだ。
そんなに頻繁に、私のわがままに付き合わせてしまっては、ご迷惑がかかってしまう。
「あの、お忙しいのではないでしょうか?」
「おまえはいつも、最初にそれを聞くんだな」
「え……?」
「忙しくて無理なことなら、最初から言ったりはしない。そんなことは気にしなくていい」
「あ……」
それも、そうかもしれない。
そもそも、侯爵様が私なんかのために、お忙しい中わざわざ時間を作ったりはしないか。
自意識、過剰、だったのかも……
「じゃあ、行きたいです、お散歩」
「わかった、後で迎えに行く」
「はい」
何はともあれ、楽しみなことには変わりない。
私はわくわくする気持ちをなんとか抑えながら、スープに手をつけた。
お散歩するのに、手を繋いでいる必要はあるのだろうか。
嫌なわけではない、ないのだけど、お出かけの時とは違う緊張感がある。
あの時は、はぐれたらどうしようという気持ちも強くあって、少し緊張するけれど手を引いてもらえる事への安心感が強かったのだろうと思う。
でも今は、ただただドキドキして、心臓がおかしくなりそう。
「うわぁ……」
童話の絵本の世界のようだ。
色とりどりのお花が咲いていて、どこを切り取って見ても絶景だった。
お花のアーチをくぐったの、はじめてかも。
今はお花でできた迷路を通っているような気分。
こんな世界、本当に存在するんだなぁ……
私はいつしか緊張なんてすっかり忘れ、ただただお庭の風景に見惚れていた。
遠くからぼんやり眺めるのと、こうして近くで見るとでは全然違う。
お花も、見覚えのあるものから、見たことのないものまで、種類はさまざま。
「わぁ、噴水まである……!」
こっちの奥の方は来たことなくて、噴水の存在は知らなかった。
私は侯爵様と手を繋いでいたのも忘れて、駆け出していた。
その勢いで、私と侯爵様の手は自然と離れた。
「花より、噴水がいいのか」
「はい!流れる水を眺めていると、気分が落ち着くんです」
「そういや、水魔法が得意なんだったな」
「それが関係あるのかは、わからないんですが……」
「まぁ、ちょうどいい。それならそこで、噴水を眺めながら茶でも飲むか」
そこ、と侯爵様が指差した先にはちょうどお茶できそうなテーブルと椅子。
すごい、お庭でお茶までできるなんて……!
その辺の公園よりもよっぽど豪華で広いお庭が、個人の持ち物だなんて、貴族ってすごい。
侯爵様が近くにいた使用人の方を呼んで指示をすると、あっという間にお茶とお菓子がテーブルに並ぶ。
皆さんの手際のよさにも、びっくりだ。
「ほら、突っ立ってないで座れ」
「はい!」
食べるのがもったいないような、かわいいお菓子がいっぱい。
色とりどりのお花に囲まれて、噴水も見えて。
ティーカップに注がれたお茶を飲むと、昨日教えてもらった侯爵様のお好きな紅茶の味がして。
私は、とっても贅沢な時間を過ごすことができた。
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