第14話 頭痛とチョコとぬいぐるみ


「思ったよりお早いお帰りでございましたね」

「ああ、いろいろあってな」


 そんなルイスさんと侯爵様の声で、私は目を覚ました。


「すまない、起こしたか」

「いえ、大丈夫です」


 馬車に乗った、くらいまではなんとなく記憶があるけれど。

 その後はさっぱりだ。

 馬車の中ですっかり眠り込んでいたらしい。

 おかげで、ちょっとすっきりしている。

 先に馬車を降りた侯爵様に続いて降りようとすると、侯爵様にひょいっと持ち上げられて地面に降ろされた。


「あ、ありがとうございます」

「歩けそうか?」

「はい、さっきよりは随分ましになりましたので」

「ならよかった」


 侯爵様はそう言うと、私の手を引いてくれる。


「ルイス、念のため医者の手配を頼む」

「はい、かしこまりました」

「あの、私でしたらもう……」

「念のため、診てもらっておけ」


 こうして倒れるのも何回目だ、と言われると最早返す言葉もない。

 簡単な魔法を使う時くらい、もう少し楽できるといいのだけれど。

 フィーネに言えば、そもそも数年は魔法を使うなと言われそう。

 異世界に馴染むのって本当に大変だ。


 お部屋に戻ると、注文したお洋服はもうすでに届いていたらしく、ミアさんがお部屋に運び込んでいた。

 見覚えのあるお洋服たちに混じって、見覚えのない靴がちらほら見える。

 あれはいったい……と思わず侯爵様を見ると、自分で選ばないようだから適当に選んでおいたと言われてしまう。

 選ばなかったのではなく、必要ないと伝えたつもりだったのに。


「気に入らなかったら、使わなくていい」


 いや、そんなもったいない……

 そう思いながら、順番に広げては片づけていくミアさんの様子を呆然と眺める。

 これだけの量の服や靴が増えると、整理も大変だ。

 申し訳なくて手伝おうとも思ったけれど、それはミアさんの仕事だから、と侯爵様にもミアさんにも止められる。

 せめてもの救いは、整理しているミアさんがとっても楽しそうなことくらいである。


「とりあえず、休んでおけ」


 すぐにお医者様が来るだろうから、とベッドに座らされた。

 ちょうど整理が終わったらしいミアさんに、私を着替えさせるように言って侯爵様は部屋を出て行ってしまった。


「お嬢様、お出かけはいかがでしたか?」

「楽しかったです!ケーキはおいしかったですし、それから……」


 着替えさせてもらいながら、私は街で見たもの、経験したことをミアさんに話した。

 ミアさんは、にこにこしながら、楽しそうにそれを聞いてくれる。


「はい、これで終わりです。では、お医者様がいらっしゃるまで、横になっておやすみください」


 ミアさんはそう言うと私をベッドに寝かせ、しっかりとお布団をかけてくれる。

 眠くは、ないのだけれど……

 眠れる気がしない私を、ミアさんは眠らせる気満々なようだ。

 どうしようかな、と思ってるとお部屋をノックする音が聞こえて、ミアさんが応対してくれる。

 お医者様がいらしたのかな、と思っていると、旦那様、と呼ぶミアさんの声が聞こえた。

 さっき出て行ったばかりなのにまた来るなんて珍しいな、と思いつつ、私は慌てて起き上がった。


「侯爵様、どうされ……」


 私はベッドから飛び出して、侯爵様の元へ行こうとした。

 でも、数歩歩いたところで、強烈な頭痛に襲われる。

 ぐらり、と視界がゆれて、平衡感覚が失われていくのを感じた。




 ***


 リディアの部屋へ入ると、俺の姿を見たリディアがベッドから飛び出しこちらへ向かってくるのが見えた。

 大人しく寝ていればいいものを、と思いつつその姿を見ていると、突然その身体が傾く。

 近くにあったテーブルに身体がぶつかり、ガシャンと大きな音が鳴った。


「リディア!!」


 そのまま床へと吸い込まれていきそうな身体を、すんでのところで受け止めた。


「う……っ」


 リディアは痛みに耐えるように、顔を歪めている。

 右手が頭を押さえていて、顔色は真っ青だ。

 さきほどぶつけたか、とも思ったが、思い返してみても頭はどこにぶつかっていなかったはずだ。


「お嬢様っ!?大丈夫ですか?」

「リディア、どこか痛むのか?」


 リディアを抱き起こすと、驚いて少し固まっていたミアも駆け寄ってきた。

 だが、リディアは何か言おうとして、上手くいってないようだ。

 ひゅっという空気音だけが響いて終わった。

 そして、痛みに耐えるように、ぎゅっと目を閉じている。


「どこが痛むんだ、頭か?」


 あいかわらず、右手は頭を押さえている。

 おそらく、痛みはここだろう。


「……っ、な、でも……」


 かすかに聞こえた声。

 リディアの表情はさらに苦痛に歪むのに、聞こえたのはおそらく……


「なんでもないわけないだろう!!」


 自分でもびっくりするほど大きな声が出た。

 隣にいるミアまでも驚いている。

 相手は弱っている人間だ、不必要に怯えさせる気はさすがにない。

 俺はまず自身を落ち着かせようと、ゆっくり息を吐いた。


「ひぅ……っ、うぅ……っ」


 リディアは未だ苦しそうな声をあげながら、痛みと必死に戦っているようだ。

 痛みのせいか、リディアの瞳からすーっと涙が流れていく。


「ごめ……っ」

「謝ってほしいわけじゃない。ただ、我慢しなくていい」


 努めて穏やかな口調で、リディアに伝える。

 これほど苦しんでいるのに、なんでもないと、大丈夫なのだと言う必要はない、そう伝わるように。

 頭を押さえているリディアの手に触れれば、堅く力が入っているのがわかる。


「ここが痛むのか?」


 再度問いかける。

 今度はやや間があった後、頷きが返って来た。


「そうか、つらいな……」


 少しでも楽にしてやりたい、そう思って俺はリディアを抱えなおす。


「少し、動くぞ」


 返答はなかったけれど、そのまま抱き上げてリディアをベッドの上へと寝かせた。

 すると、リディアは横向きになり頭を抱え込むように少しだけ丸まった。

 この体勢が、多少なりとも今のリディアにとって楽なのかもしれない。

 すると、ミアが氷水とタオルを持ってきた。

 そういえば、いつの間にかいなかったな、と思う。

 リディアが苦しんでいる理由が頭痛だとわかり、すぐに用意しに行ったのだろう。


「お嬢様、大丈夫ですよ。すぐにお医者様がいらっしゃいますから」


 ミアはそう声をかけなかがら、冷たいタオルでリディアが押さえていた辺りを冷やしてやっている。

 ほんの少しだが、リディアの表情が和らいだように見えた。

 だが、限界が来たのか、リディアの身体からふっと力が抜け、そのまま気を失ってしまった。




 その後駆け付けた医者の診断によると、頭痛は睡眠不足によるものだろう、とのこと。

 昼寝までしていることを考えるとにわかに信じがたい話ではあるが、夜あまり眠れていない可能性が高いらしい。

 ミアも信じられない様子ではあったものの、最近元気がなかったのはその所為かもしれないと言っていた。

 今までも何度か頭痛に悩まされていた可能性もあるそうだ。

 そして、今回魔法を使った事による急激な疲労によって、痛みがより強く出たのだろう、というのが医者の見解だった。

 とりあえず気がついたら飲ませるようにと薬を置いて、医者は帰っていった。


「旦那様、お嬢様が起きられたら、薬は私が責任を持って飲ませておきますので……」

「いや、いい。俺がやるからおまえは下がっていろ。何かあれば呼ぶ」

「かしこまりました」


 ミアの提案を断り、ミアを下がらせてリディアの傍に残った。

 今は、傍を離れる気にはなれなかった。




「旦那様、こちらが届きましたよ」


 ミアと入れ替わるようにして、ルイスが入ってきた。

 その手に抱えているものを見て、自然と笑みが浮かぶ。

 リディアと離れている間に買ったものの1つだ。


「もう、届いたか」


 買ったものはもう1つあり、そっちはすでに俺が持っている。

 そもそもこれを渡すためにこの部屋に戻ってきたのだが、残念ながらそれどころではなくなってしまった。


「旦那様がこんなものを購入なさるとは思いませんでした。お嬢様に頼まれたのですか?」

「いや、リディアは物を強請るような事はなかったさ」


 唯一欲しがったのは、ロープくらいか。

 だが、あれもこちらが何度も問いただしてようやくだった。

 お嬢様らしいですね、とルイスが笑っている。


「これがあると、お嬢様もよく眠れるかもしれませんね」


 そういうと、ルイスはわざわざそれをベッドに横たわるリディアのそば置いた。

 並べて見ると、なかなかに悪くない光景だ。

 これを見た時のリディアの反応が、非常に楽しみだと、そう思った。






 ***


「気がついたか?」

「へっ!?」


 目をあけると、まず侯爵様の声が聞こえてきた。

 近くに侯爵様がいるのだろう、そう思ったのだけれど。

 ぼんやりとした視界が徐々にクリアになって私が最初に見たのは、茶色くてふわふわのたくさんの毛……


「ええっ!?…………ったぁっ」


 びっくりして飛び起きて、強烈な頭痛に襲われて頭を押さえた。

 目が覚めた瞬間は平気だったから、治まったのだと思っていたのに。


「急に起き上がるからだ」


 そう言うと侯爵様がささえてくれる。

 起き上がって、ようやく茶色いものの全体像がはっきりと見える。


「これっ、あのときの……っ」


 またびっくりして、大声を出して、痛みに襲われる。

 だから大人しくしていろ、と侯爵様に言われるが、これは私のせいではないはずだ。

 だって、目の前には……


「なんで、あのくまさんのぬいぐるみが、ここに……?」


 私が足を止めてしまった、街で見かけたくまのぬいぐるみ。

 それを全く同じものが私の目の前にあるのだ。


「話はあとだ、先に薬を飲め」


 見覚えのある薬の入った瓶。

 また、苦い薬なんだろうか……


「これを飲めば、頭の痛みが治まるはずだ」


 そう言われて侯爵様から薬を受け取った。

 確かに今も痛みが酷い。

 このまま痛みが続いていると、侯爵様にも心配をかけ続けてしまう。

 私は意を決して、一気に薬を飲み干した。


「うぅぅっ……やっぱり苦い……」

「ほら、口をあけろ」

「へ?」


 侯爵様に促されるままに、口をあけた。

 すると、口の中になにかが放り込まれる。

 苦味でいっぱいだった口の中に、ほんのりと甘味が広がっていく。


「チョコレート……?」

「ああ、急に思いついて、カフェに戻って買ったんだ」


 あのカフェのチョコレートだったのか。

 聞けば、あそこはカフェを運営しながら、お菓子も売っているそうで。

 チョコレートケーキをおいしそうに食べていたから、きっとチョコレートも気に入るだろうと思って買ってくださったのだとか。

 口の中でころころと転がせば、薬による苦味は徐々に消えていって、甘く幸せな味が残った。


「ありがとうございます」

「気に入ったか」

「はい、とてもおいしいです!」

「そうか。たくさん買ってある、食べたくなったらミアに言うといい」


 たくさん買ってもらった事に非常に申し訳ない気持ちもあったけれど、私のことを考えてわざわざ戻ってまで買ってくださった気持ちは本当に本当に嬉しくて。

 私は再度、ありがとうございます、とお礼を伝えた。


「それで、こっちはいったい……」

「カフェの行き帰りで、2回ほどそれが目に入ってな」


 それはそうだろう。

 このぬいぐるみは、カフェから噴水に行くまでの道中にあるお店に飾ってあったのだから。


「見れば見るほど気になってな、この部屋に置いてみるのも悪くないだろうと思って買ったんだ」

「はい?」

「この部屋はあまり物がなく、殺風景だしな。1つくらい、ぬいぐるみがあってもいいだろう」


 こんなかわいくて素敵なお部屋なのに、なんてことを言うんだ。

 ふかふかのベッドも、お姫様が使うような素敵な装飾で。

 それにあわせて選ばれたと思われる、ふかふかのソファにローテーブル。

 さらにテーブルや椅子、鏡台やチェストに至るまでちゃんと装飾や色合いがあわせて選ばれている。

 どこをとっても本当に素敵でかわいい女の子のお部屋だ、私にはもったいないほどの。


「このお部屋が殺風景だなんて……」

「必要最低限のものしか置いてないだろう」


 ソファなんて必要最低限、に果たして含まれるのだろうか。

 元の世界の事を、思い返してみる。

 机と椅子、そしてベッドがあれば立派な1人部屋だった。

 兄弟姉妹がいる家庭では、そもそも1人に一室与えられる事も稀だっただろう。

 この世界の必要最低限はとっても贅沢なようだ。


「ほら、なかなか手触りもよさそうだぞ」


 そう言ってぬいぐるみを押し付けられ、思わずだっこしてしまう。

 ふにふにとやわらかく、たしかに触り心地もよくてとても落ち着く……

 いや、でも、やっぱり、この歳でこんなぬいぐるみをだっこしているのは、さすがにまずいのではないだろうか。

 侯爵様はどう思っているのだろう、そう思って侯爵様を見ると、ふわりと笑顔を向けられて、顔が赤くなるのを感じた。

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