第13話 小さな炎の暴走
噴水が見えてくると同時に、辺りが非常に騒がしいと感じた。
広場には人が集まっていて賑やかなのだろうか、最初はそう思っていたけれど、どうもそんな雰囲気ではない。
『プリンセス、魔力が暴走してる』
「え?」
『あれ!』
フィーネが指差す方を見ると、人混みができていて炎があがっている。
私は慌てて近くまで走った。
「何があったんですか?」
野次馬の中の1人に声をかける。
「子どもが魔法の練習中に失敗したみたいで、火が消えないらしいよ」
よく見ると、必死に火に水をかけている男の人たちが見える。
さらに泣き叫んでいる女性。
『火の中に、男の子がいる。先に魔法の暴走を止めないと』
それはまずい、非常にまずい。
通常、魔法使用者に魔法の被害が及ぶことはないはずだ。
だが魔法が暴走しているなら、話は別だ。
使用者の制御の範囲を超えているから、本人も無事ではいられなくなる可能性が高い。
それに、魔法が暴走している限り、火魔法の勢いもおさまらないだろう。
水をかけたくらいでは、消せるわけない。
近くで魔導士はいないか、とかそんな声も聞こえてくる。
魔法を使える人を手配しているようだが、この様子だとすぐに来てもらえそうにない。
「魔力の暴走を抑えられるといいんだけど……」
『今のプリンセスじゃ、魔力が足りない。たぶん、あの子の力に負けちゃう』
「どうしよう……」
ここに侯爵様がいてくれたら、と思うけれど、いつ戻ってくるかわからない。
何か方法は、と思いながら周りを見渡していると、噴水が目に入った。
「とりあえず、あの火をなんとかしてみる!」
『それも今のプリンセスじゃ……』
「あれを使えば、いけるかも!」
私はフィーネに噴水を指差して見せる。
今の私の魔法では、暴走で広がり続ける炎を消せるだけの水魔法は確かに使えない。
でも、噴水の水に私の魔力を少し流して使うことで、少量の魔力でも炎を抑え込めるかもしれないと思ったのだ。
これは、賭けでしかないけれど。
「フィーネが言ったんでしょ?私は水に懐かれてるって」
だからいざという時、水が絶対私の力になってくれるだろう。
フィーネはいつも私にそう言ってくれた。
他でもない、水の精霊の言葉だ、信憑性は高いはず。
『それでも、危険すぎる。やめた方がいい』
「このままだと、あの男の子が危険すぎる。それに炎の威力が弱まれば、本人も落ち着いて暴走も弱まるかもしれない」
本人もびっくりするような事態で混乱し、暴走してしまった可能性もある。
だから、ある程度落ち着いてさえくれれば、私の今の少ない魔力でもどうにかできるかもしれない。
私は噴水に駆け寄り、手を水につけた。
――おねがい、私に力を貸して……!
祈りを込めて、水に魔力を流す。
「いっけー!!」
私は水の塊をまずはほんの少しだけ飛ばし、炎にぶつけてみる。
とりあえず、ここから炎まで水を飛ばすのは、なんとかなりそうだ。
そして、舞い落ちる水の冷たさに、多くのギャラリーがこちらを向いた。
「そこが水の通り道になります、道をあけてください!」
私がそういうと、魔導士か?火を消せるのか?とあちこちから声があがった。
期待を寄せる眼差しと、まだ子どもだから無理なのでは、という疑いの眼差し。
それでも他に手立てはなかったからなのか、道が一気に開けた。
おかげで燃え上がる炎と、その中にいる男の子がはっきりと見える。
「お願いします、どうか息子を……!」
さっき泣き叫んでいた女性だった。
懇願するように、私を見ている。
ああ、お母さんだったんだ……
――お願い、あの子を助けたいの、もっと、力を……!
噴水の水に、もう1度祈りを込めて魔力を流す。
「お願い、届いてっ!!」
私は力いっぱい噴水の水を炎にぶつけた。
「……っく、炎の威力が、強い……」
噴水の水に私の水魔法を織り交ぜながら、確実に炎にぶつけ続けているのに。
今の私にできているのは、炎がそれ以上広がらないよう食い止めることだけだった。
魔力の暴走はおさまる気配はなく、今も魔力が供給し続けられ炎の威力を高め続けている。
「お願い、もっと、もっと……!」
水に流す魔力を増やし、水魔法の威力も上げる。
同時に身体が軋むような感覚がした。
額から汗が流れていき、両足が震えて立っているのがつらい。
フィーネが、これ以上はやめるようにと叫んでいる。
でも、ここで引くわけには……!
そう思ってさらに魔力を水に流そうとした時、あたたかな手に身体を支えられるのを感じた。
「遅くなってすまない」
「こう、しゃく、さ……」
ダメだ、上手く言葉が出なくなってきている。
侯爵様ならきっと、あの子の暴走を止められるのに。
この状況を、きちんと伝えないといけないのに。
「大丈夫だ、わかっている」
侯爵様の魔力が、男の子を包むのがわかった。
暴走していた魔力が落ち着いていく。
同時に、私がずっと飛ばし続けていた水によって、少しずつ炎の威力も弱まっていく。
「あと…少し……っ」
侯爵様も魔法で水をかけるのを手伝ってくれて。
なんとか火を全て消すことができた。
「つ、つかれ、た……」
せっかく買ってもらったばかりのワンピースが汚れてしまう、そう思いながらも私はその場にへたり込んでしまう。
前回の魔獣の時もそうだったけれど、使った魔力量はそこまで多くないはずなのに、疲労感は向こうの世界の何倍、いや何十倍にもなって襲ってくるようだ。
そもそも、ちょっとした魔法で消費する魔力量自体も多い気がするけれど。
とにかく、なんというか、この世界で使う魔法は燃費が悪すぎる。
「大丈夫か?」
侯爵様が声をかけてくれるけど、上手く返答できない。
フィーネも心配そうにこちらを見ている。
「あの、助けていただき、本当にありがとうございました」
声が聞こえた瞬間、フィーネがペンダントに戻るのを感じた。
姿を見られて困るわけではないが、この状況で説明が必要になれば面倒だと思ったのだろう。
声をかけてきたのは、さっきのお母さんだ。
一緒に魔法を使っていた男の子を連れてきている。
私はそれを見て、なんとか震える足に力をいれて立ち上がる。
くらり、と視界がぶれるような感覚がして、頭をふった。
「息子のせいで、すみません!大丈夫でしょうか……?」
「少し、疲れ、た、だけ……です、から……」
どうしても言葉が途切れるけれど、それでも少しでも安心させられるように、そう思って頑張った。
精一杯笑ってみせたつもりだけれど、上手く笑えているかは正直自信がない。
これだけで力尽きそうな私を、侯爵様が自分の方に引き寄せるようにしてそっと支えてくれた。
この母子はこれだけの騒ぎになって、かなり罪悪感を抱いていそうだった。
周囲の目も無事に炎が消えて安堵してからは、徐々に2人にきびしくなっている。
ここで、もし、私が倒れてしまったら、きっとかなり気に病むだろう。
「ほら、お姉さんに助けてもらったお礼を言って」
「ちがっ、わたしじゃ……」
助けたのは侯爵様だ。
侯爵様がいなければ、今もまだ暴走は続いていただろう。
そう言いたいのに、上手く言葉が続かない。
「俺は手伝っただけだ」
そんなことないのに。
むしろ、ほとんど侯爵様の力だ。
私は結局、あまり役に立てなかった。
そう思っていると、男の子が私と侯爵様を交互に見た。
「2人ともありがとう、それからごめんなさい」
男の子はそう言うと泣きだしてしまった。
きっといろんな感情がごちゃまぜになってしまったのだろう。
声をかけてあげたいけれどできなくて、私はそっと頭を撫でてあげた。
大丈夫だよ、と伝わるように祈って。
「いい才能を持っている。だが、いきなり大きな魔法から使おうとするんじゃない」
侯爵様が男の子と目線をあわせてそう言えば、男の子はこくこくと頷いている。
もう、間違えたりしないだろう、きっと次は暴走しないはず。
2人はもう1度私たちにお礼を言って、それから離れていった。
途中、何度もこっちを振り返りながら頭を下げつつ。
「だ、だめっ」
「なぜだ、動けないんだろう?」
侯爵様が私を抱き上げそうになって、私はあわてて侯爵様の服を掴んで止めた。
確かに現状完全に侯爵様にもたれかかっている状態で、動ける気はあまりしていない。
けれど、私の視線の先には、集まっていた人たちに順番に頭を下げてまわっている母子の姿が見える。
あの人たちの視界から、離れるまではダメだ。
「あの子……」
それだけ言うと息が切れてしまった。
上手く、呼吸が整わない。
侯爵様の舌打ちが聞こえた。
「この先に馬車を止めてある。そこまで歩けるか」
侯爵様は私の意図を理解してくれたのだ。
私はこくんと頷く。
侯爵様が私を抱えるように、そして、なるべく歩きやすいように支えなおしてくれて。
ゆっくりと手を引かれながら、私は震える足をなんとか動かした。
***
用事を済ませてリディアの元へと戻った時、最初に見えたのはまるで水に囲まれているようなリディアの姿だった。
水がキラキラと光り輝きながら幾重にも線を描くようにして、リディアが手を突き出したその先へと向かっていく。
とても美しい光景だと思ったが、呑気に眺めていられるような状況ではないのはすぐにわかった。
リディアよりももっと小さな子どもが、魔力を暴走させている。
このまま放っておけば、火はどんどん燃え広がり、子どもの方も下手をすれば無事では済まない。
だから、リディアが必死に抑え込もうとしたのだろうが、とても太刀打ちできそうにない。
俺は、今にも倒れそうな状態のリディアに慌てて駆け寄り、その身体を支えた。
事が起きた場所は運良く、馬車を止めさせている場所から近かった。
普通に歩けば、すぐにたどり着く距離のはずだ。
だが、リディアのペースにあわせていると、永遠にたどり着けないような錯覚を覚えるほど遠くに感じた。
呼吸は荒く、息は整うどころかどんどん乱れ、苦しそうな音だけが響く。
それでも、先ほどの母子を思ってか、必死に足を動かしている。
「危ない!!」
ようやく馬車の前までたどり着き、気が抜けたのだろう。
馬車の中へ倒れ込みそうになるリディアの身体を、なんとか支える。
「ごめ……」
それだけ言うと、リディアはぜいぜいと呼吸をする。
「無理して喋らなくていい」
リディアをなんとか馬車に座らせ、隣に腰掛ける。
すると身体を支えていられなかったのか、リディアが凭れ掛かってくる。
「あ……」
リディアはすぐに身体を起こそうとしたようだが、上手くいかないらしい。
「気にしなくていい、そのままにしていろ」
そう言えば、リディアの目がゆっくりと閉じられた。
とっくに限界を超えているのだろう。
気分転換をさせようと連れ出しただけだったのに、まさかこんな無茶をして1日を終えることになるとは。
こんなことがなければ、今頃まだ街を見てまわっていたはずだ。
俺が戻るのを大人しく待っていれば、こんな状態にならずに済んだだろうに。
しかし、あの火の勢いはかなりのものだった。
リディアが魔法で抑え込んでいなければ、今頃もっと燃え広がり大変なことになっていただろう。
「せっかくわざわざ出てきたのにな……」
「でも、たのし、か……っ」
呟きに対し、まさか言葉が返って来るとは思わなかった。
てっきり、もう眠ってしまったのだろうと思っていたから。
「そうか、楽しかったならいい」
今度返って来たのは、すーすーというリディアの寝息だけだった。
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