第12話 甘くて幸せな時間


 リディアが菓子類に手を出さないのは、単にあまり好みではないのだろうと思っていた。

 カットされた新鮮なフルーツの方をいつも嬉しそうに食べているので、そちらの方が好ましいのだろう、と。

 だが、甘い菓子に手をつけない理由は、かなり予想なものだった。

 実はしょっぱいものなら大丈夫だったらしいが、見た目の幼さもあいまってか、シェフたちがリディアを喜ばせようと用意した菓子は、残念ながら甘いものばかりだった。

 リディアが制御力が不安定になる、と話した時、真っ先に浮かんだのは、かつてリディア自身が俺に話した制御力の話だった。


 ――制御力は皆一様に年齢に比例する


 リディアがいつ頃菓子を口にしてダメだったかはわからないが、今なら大丈夫な可能性は十分に考えられるのではないか。

 試してみる価値はあるはずだ。

 それでもリディアは、おそらくそれを試してみることすら叶わなかったのだろう。

 もしもの時のことを恐れる人が、あまりにも多すぎるがゆえに。

 魔力が強すぎるがゆえのそういった苦労は、俺も少しは理解しているつもりだ。

 だからこそ、ここでは叶えてやりたいと思った。




「よかった、男性もいる……」


 店内に入るや否や、リディアが最初に言ったのはそんな言葉だった。


「男性がいる方がいいのか?」

「いえ、あの、かわいいお店だったので、女性ばっかりかもしれないと思って。だったら、侯爵様はお嫌かな、と……」


 なるほど、俺が入りにくい店舗かどうかを気にしていたのか。


「ここは確かに女性に人気の店だ。だからこそ、ここにいる男どもは皆、同じ理由だろう」

「へ?」

「男だけで来ているやつはほぼいないだろう、だいたい女性の付き添いだ」


 女性に人気な店だからこそ、そういう男が一定数いるものだ。

 意中の女性を喜ばせようとこういう場所に誘うやつらが。

 何にせよ、入ると決めたのは俺なのだからそんなことを気にしなくてよいものを。


「そっか、では侯爵様も同じですね。私のために入ってくださったので」


 同じような方がたくさんいらして安心しました、なんてリディアは笑っているが。

 正直女の気を引こうとしているやつらと同列に扱われるのは、気に入らない。

 だが、それでリディアが安心するのならと、ぐっと堪えることにした。


「何でも好きなものを注文するといい」


 話を変えるようにメニューを差し出す。

 すると、おそるおそるメニューを受け取って、ペラペラとめくりはじめたのだが。

 その顔におもいっきり困っています、と書いているようで俺は笑いそうになるのを耐える。


「な、なにが、いいんでしょうか……?」


 まぁ、食べたことがないのだから選ぶのは難しいかもしれない。

 とはいえ、俺も甘いものをよく食べるわけではないから、薦められるようなものも思いつかない。


「気になったものでいいんじゃないか?1つに絞れなければいくつか注文してみても……」

「そんなに食べれません!」


 まぁ、そうだろうな。

 もし魔力暴走でも起きれば当然そこで終わりとなるだろうし、そうでなくても普段のリディアの食事量を考えると1つが限界だろう。


「好きな果物が乗っているのはどうだ?もしくは見た目で気に入ったものとか?」

「うーん……たくさんありすぎて……」


 確かにこの店はケーキの種類が豊富だ。

 フルーツを使ったものといっても、1種類だけを使ったものから複数組み合わせたものまで。

 数の多さが店の魅力の1つなのだが、今のリディアにはかえって仇になったようだ。


「そういえば、1度は食べたことあるんだろう?その時は何を食べたんだ?」

「食べたってほどではないんですが、チョコレートを」

「食べた時のことを覚えているか?」

「はい!お母様が作っていたんです!年に1回、お母様がお父様にチョコを作ってあげる日があって!」


 食べた時の味の感想を聞こうとしただけだったのだが、リディアは当時のことを詳細に話しはじめた。


「それを、おまえももらって食べたのか」

「いえ、チョコを溶かしてる時にちょっとなめてみただけなんです。甘くておいしかったんですけど、その後はそれどころじゃなかったですね……」


 危うく魔法が暴走するところで、家族で大慌てだったんですよ、なんてリディアは笑っている。

 ほんの少し舐めただけでもダメだったとは驚きだが……


「嫌いではなかったんだな」


 甘くておいしかった、という感想ならば大丈夫だろう。


「なら、これはどうだ?」


 俺はメニューをめくって、チョコレートケーキを見せる。

 リディアの目がぱぁぁっと輝くのがわかった。


「素敵です、とても!」

「ケーキはそれにするとして、紅茶は何か希望があるか?」


 そうして、メニューをめくって紅茶のページを見せると、リディアはまた困った顔をする。

 俺は、再び笑いだしそうになるのを必死に耐えることになる。


「侯爵様は何を飲まれるんでしょう……?」

「ああ、俺も茶葉はそこまで詳しくないから、いつもよく飲んでいるものにしようかと」


 そういって、馴染みの茶葉の紅茶を指さしてやる。


「じゃあ、私も同じもので!」

「いいのか?そのケーキにあうかはわからないぞ」


 リディアにはケーキを頼ませたものの、俺自身はケーキを頼むつもりはなかった。

 そもそもこの紅茶は気に入ってよく飲んでいるものの、菓子にあわせて飲んでいるわけでもない。


「はい、侯爵様と同じがいいです!」

「……っ、そうか」


 瞳をきらきらさせてまっすぐな視線を向けられて、なぜだか俺の方が直視できずに視線をそらしてしまった。




 注文したケーキがようやく運ばれて来た。

 だが、リディアは動くことなくじっとそれを見つめている。


「食べないのか?」

「なんだか緊張してしまって……」


 ケーキは別に逃げないから、かまわないが。

 待っていると、お茶の方は覚めてしまいそうだな……

 とはいえ、ケーキを食べるくらいで緊張するような奴を見るのもはじめてなので、俺も正直かけるべき言葉が見つからない。

 大丈夫だとでも言えばいいのか?

 いや、ケーキを食べてみるくらい、大丈夫に決まっているだろう。


「食べさせてやろうか?」

「へ!?だ、大丈夫です……っ」


 考えに考え抜いているうちに、ふと口をついて出た言葉だった。

 だが、その言葉にリディアは慌てふためき、ようやくフォークを手にした。


「えいっ!」


 まるで勢いをつけるかのようにそう言うと、リディアはパクりと一口食べる。

 だが、どうやら味は悪くなかったらしい。

 すぐにふわりと笑みが浮かんだ。


「おいしい……!」

「それは何よりだ。で、魔力はどうだ?」


 俺から見る限り、落ち着いて見える。

 リディアは手を開いたり閉じたりしながら、見つめている。


「なんとも、ないですね……」

「よかったじゃないか」


 魔力が少ないからでしょうか、なんて言いながらリディアは不思議そうにしている。

 理由はわからないが、食べて問題がないのなら何よりである。

 これからは、おやつに積極的にケーキや焼き菓子を準備させよう。

 きっと今後は喜んで食べるだろうし、間食を増やすことで食事量も増えるかもしれない。

 にこにことしながら2口目を食べるリディアを、俺はじっと見つめていた。




 ***


 落ち着かない……

 ケーキがおいしく食べれたのは、とても嬉しいことだった。

 この世界に来たからなのか、現在魔力がとっても少ない状態だからなのかはわからないけれど。

 それでも、今のところ甘いお菓子を食べているのになんともない。

 チョコの甘さがふわっと広がるふわふわなケーキは、口にいれるたびに幸せな気分にしてくれる。

 だけれど、じっと見つめてくる侯爵様の視線がとっても気になってしまう。


「あの、侯爵様?」

「なんだ?」

「えっと、その……」


 見ないでください、はおかしいかな。

 たまたま目の前に私がいるだけで、見ているわけではないかもしれない。

 視界に入っているだけかもしれないし。

 でも、何か言わないと。

 ただ何も言わず、じっと見つめられ続けるこの状況は終わらない。

 何か、言うこと……


「侯爵様って、その、おいくつなんでしょう……?」


 迷いに迷って出てきたのはそんな言葉だった。

 突然年齢を聞くなんて、失礼すぎたかもしれない。

 でも、他に、何も話題を思いつけなかった。


「そういえば話したことはなかったか。22だ」


 すんなりと答えてくれたことにほっとする。

 この様子なら、失礼だとは思われていなさそう。


「22……」

「なんだ?意外だったのか?いくつに見えていたんだ?」

「い、いえ、あの……」


 確かに見た目でいえば、それくらいな気もするのだけれど。

 侯爵という爵位を継いでいて、いつも落ち着いていて威厳もある。

 そういう意味では、もう少し年齢が高そうな印象もあった。

 続く言葉が見つからなくてごまかすようにケーキを一口食べる。

 そうして顔をあげると、やっぱり侯爵様に見つめられている気がする。


「長いんでしょうか、その、侯爵になられて……」

「ん?3年くらいだな」

「3年……」


 たしか、侯爵様のお母様が亡くなられたのも……


「母上が亡くなって、父上が俺に爵位を譲って領地に引きこもってしまってな」


 それからだ、と侯爵様は言う。


「領地?」

「ああ、今暮らしている邸は首都で仕事するための家、みたいなものだな。それとは別に管理している領地があるんだ。うちの領地は首都より少し西の方にある」

「遠いんでしょうか?」

「ん?そこまで遠くはないが、頻繁に訪れるような距離でもないかもな」


 侯爵様によれば、貴族はだいたい首都に家があり、それとは別に治めている領地があるそうだ。

 領地で生活している貴族もいるものの、基本的には首都で生活し、時折視察に領地を訪れる、というスタンスの貴族の方が多いそう。

 その方が仕事をする上で、何かと便利らしい。


「寂しく、ないですか……?」

「どうだろうな、あまり考えたことはないな。さすがに親を恋しがるような歳でもない」


 そういうものなのだろうか。

 私なら、お父様が生きているのに離れて暮らすなんて、きっと寂しい。

 また、言葉を続けられなくて、ケーキを一口食べて。

 侯爵様の視線から逃れるように、たわいもない話題を探す。

 そうして、私は甘くておいしくて幸せで、だけどちょっとだけ落ち着かない、そんな時間を過ごした。






「ああいうのが、欲しいのか?」

「違います、絶対に違います!!」


 カフェでゆっくりしてから、ふたたび街を見てまわることになった。

 そこで、私はあるものが視界に入って、つい足をとめてしまった。

 ふわふわでとっても大きな、くまのぬいぐるみ。


「私の世界にも同じようなものがあったなって、思っただけで」


 ただでさえ、見た目は小さくて幼く見えるらしいのに。

 こんなものを欲しがるような子どもだなんて、思われたくない。

 これでも、中身はちゃんと15歳なのだ。


「遠慮しなくても……」

「そうじゃありません!」


 あれをねだるだなんて、恥ずかしすぎる。

 そりゃあ、過去に遡ってみれば、大きなぬいぐるみをおねだりした経験もあったりはするけども。

 侯爵様には、私がああいうのをねだるような子どもに見えてるのかもしれない。

 そう考えるだけで、気分が落ち込む。


「他のところに行きましょう!」


 私は少しでもここから侯爵様を遠ざけようと、侯爵様を引っ張った。




 しばらく歩いて、ぬいぐるみのお店から随分と遠ざかった頃、侯爵様が突然立ち止まった。


「どうかしましたか?」

「すまない、少し用を思い出して」

「どんなご用でしょう?」

「いや、たいした事ではないんだが……」


 侯爵様はそう言うと少しだけ考え込んだ。

 そして、何か思いついたらしい。


「この先に噴水のある広場がある、そこで少し待っていてくれないか?」

「それは、かまいませんが……」

「助かる。すぐ戻るから、知らない人に声をかけられてもついて行くなよ」

「そ、そこまで子どもではありません!!」

「そうか」


 侯爵様はくすっと笑って、少しだけ私の頭を撫でた。

 やっぱりとっても子ども扱いだな、と思う。

 急いで来た道を戻っていく侯爵様を見送って、私も噴水があるという方向へと向かった。


「フィーネ、噴水があるって、楽しみだね」

『この世界でも、プリンセスはきっと水に懐かれる』

「水に懐かれるって感覚は、未だによくわかんないけど」


 でも、流れる水を見るといつも心が落ち着いた。

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