第10話 はじめてのお出かけ
生まれてはじめて、馬車というものに乗った。
馬車に乗る時も、そしてこうして今馬車から降りる瞬間も、侯爵様が手を差し出してくれる。
これがエスコートというものなのだと、ルイスさんが教えてくれた。
まるでおとぎ話のお姫様にでもなったような気分だ。
「うわぁ……」
馬車から降りると、活気があって賑やかな街が目に入る。
お店もたくさん、人もたくさん。
ここで侯爵様とはぐれたら、一生迷子になっていそうだ。
馬車から降りても侯爵様の手は、私の手を握ったまま。
このまま、手をつないでいてくれるのだろうか。
「何か気になるものはあったか?」
「いろいろありすぎて、なにがなんだか……」
私はただ呆然と見ているのが精一杯だ。
どこに何のお店があって、どんなものがあるかまで理解が追いついていかない。
「何か見たいものがあれば、案内するが」
「だ、大丈夫です。それより侯爵様は?何か御用があったのでは?」
「ああ、服を見ようとは思っているが」
「では、お洋服、見に行きましょう!!」
「そうだな」
とりあえず、侯爵様のご用事が最優先!
そう思っての提案はすんなり受け入れられ、侯爵様に手を引かれてお洋服がたくさん置いてあるお店に入った。
……までは、よかったのだけれど。
この状況はいったい、どういうことなのだろう。
「あの、侯爵様?侯爵様のお洋服を見るのではないんですか?」
「誰がいつそんな事を言った?」
言って………………なかった……
確かに、侯爵様は服を見ようと思っている、とは言ってたけど。
誰のお洋服かまでは、確かに言ってはいなかった気がする。
でも、私は侯爵様のご用事を聞いたのだから、当然侯爵様のお洋服を見ると思うだろう。
私の感覚は間違っていないはずだ。
それなのに、侯爵様はお店に入るや否や、私の採寸をするよう店員さんに頼み、ご自分はお店のソファの足を組んで優雅に座っていらっしゃる。
「あの、私はお洋服は必要ないのですが」
お部屋には、ルイスさんが準備してくださったらしいお洋服がたくさんある。
どれもこれも着心地のよい、いかにも高そうなお洋服ばかりだ、これ以上必要ない。
「俺が必要だと思っている、いいからおとなしく採寸してもらえ」
私の訴えはあっさりと却下されてしまったようだ。
採寸してもらうだけなら、さすがにお金はかからないだろうか……
お洋服を買わなければ、大丈夫だろうか……
私はぼんやりとそんなことを考えながら、店員さんにされるがままに採寸されていた。
「サイズがあいそうな服をいくつか試着させてやってくれ」
採寸が終わるや否や、侯爵様がそう言った。
試着なんかしなくていいのに、買うつもりなんてないのだから。
「お嬢様、何かご希望はありますか?」
「いえ、特には……」
「では、人気のものを中心に、いくつかお選びしてみますね」
店員さんはそう言うと、嬉しそうに服を選びに行った。
そこからは、たくさんのお洋服が差し出され、次から次へと着せ替えられていく。
「こちらはいかがでしょうか、お嬢様」
ううーん……ちょっと派手かも……
「ないな、次」
私が何かを言う前に、侯爵様が首をふった。
この調子で、全部却下されれば……と思ったのだけれど。
「では、こちらはいかがでしょう?」
あ、さっきより落ち着いていて、かわいいかも……
「悪くないな、もらおう」
「ええ!?」
「次を」
「はい!」
いらない、と断ろうとする前に、購入が決まって喜ぶ店員さんに次のお洋服に着せ替えられてしまう。
断る隙を与えてもらえない……!
「こちらはいかがですか?」
デザインは落ち着いているけど、ちょっと着心地が……
なんだか窮屈に感じる……
「なしだ、次」
「では、こちらを……」
こういうデザインは、ちょっと着る勇気ないなぁ……
「それもなし、次だ」
「では、これはいかがでしょう」
わぁ、レースがたくさんついてて、かわいい……
だけど、私が着てもちゃんとかわいく見えてるかなぁ……
「それはよさそうだな、もらおう」
「ええっ!?でも……っ」
「早く次を」
「はい、では次はこちらを……」
その後、さらに数回、こんなやり取りが続いた。
私が少しでもかわいいなぁとか、いいなぁと思うものは全て侯爵様が買うと言い、対して少しでも微妙だなと感じると侯爵様がなしと言う。
果たして、こんな偶然、ありえるのだろうか。
そして、ようやく最後の1枚となった時だった。
うわぁ、すごくかわいいデザイン!
それに今まで着た中で、一番着心地がよくて動きやすいかも。
今日着てきたものも、街に出かけることを考慮して選んでもらったワンピースだけど、それ以上かもしれない。
でも、色がちょっときつい気がする……
もう少し、淡い色があったらいいなぁ、とそう思ったのだが……
「それ、もう少し淡い色はないか?」
「えっ?」
「では、こちらのお色はいかがでしょう」
今私が着ているのは目に痛いような真っ赤なワンピース。
店員さんが全く同じデザインの、淡いピンクのものをもってきてくれた。
うん、こっちの方がかわいい。
「着替えてみろ」
「は、はいっ!」
私は慌てて店員さんに手伝ってもらって着替える。
「いかがでしょうか?」
まるで侯爵様にアピールするように、店員さんが着替え終わった私を押し出した。
「いいな、それももらおう。あと、それにあう靴も選んでくれ」
「え?え??」
「はい、ただちに」
あう靴を選ぶ、ということで私は最後のワンピースを着せられたまま。
今度は店員さんがいろんな靴を持ってくる。
「侯爵様、あの靴までは……」
「いいから履いてみろ」
異論は認められないらしい。
私はおそるおそる差し出された1足目を履いてみた。
「いかがでしょうか、お嬢様」
とってもかわいい靴だと思うけど、履いていると足が痛い。
すごく、歩きにくそう……
「なしだ、他のを」
やっぱり、これは、偶然ではないような気がする。
私の心はなんらかの方法で読まれているのではないだろうか。
そう思いながら、差し出された別の靴に履きかえる。
「こちらはどうですか?」
履き心地はすごくよいと思う。
でも、さっきの靴がすごくかわいかったせいか、あまり良く見えない。
「それもなし、他のを」
私、何も言ってないはずなんだけど、いったいどういう仕組みなのだろう。
「では、こちらは?」
あっ、これも履き心地はいいみたい。
色も今着ているワンピースと似ていて、デザインも悪くないかも。
「よし、それを貰おう」
「ありがとうございます!」
店員さんは嬉しそうだが、私は腑に落ちないことばかりである。
「今身につけているものはそのまま着ていく、元々身につけていたものと、他に購入したものを邸に送るよう手配してくれ」
「かしこまりました」
「あの、侯爵様、こんなにたくさん……」
「買うと決めたのは俺だ、おまえは気にしなくていい」
この量を気にしないなんて無理だ。
私にピッタリなサイズの服なんて、侯爵様には必要ない。
どうしよう、と思っているとさっきとは別の店員さんが侯爵様に近づいてきた。
「あの、侯爵様、オーダーメイドのお洋服はいかがでしょうか?先ほどお嬢様が試着されている間に、うちのデザイナーたちがお嬢様に似合いそうなお洋服のデザインをしておりまして……」
「ほう……」
うわぁ……
きっと侯爵様がたくさん購入するから、こういうのも買ってくれるだろうって期待してやったのだろう。
頼んでもいないのに、わざわざ……
しかし、侯爵様はそれを突き返すことなく、ぺらぺらと順番に見ている。
オーダーメイドなんて絶対高いやつなのだから、わざわざ見なくてもいいのに。
「おまえも見てみろ、どれか気に入ったデザインはあるか?」
そう言って渡されたのは5枚の紙。
見る必要はない、と思っているのに渡されるとついつい興味本位で見てしまう。
1枚目は赤いワンピース。
かわいいとは思うけど、ちょっと派手すぎる。
2枚目は茶色いワンピース。
派手さはないけれど、落ち着いた印象で素敵だと思う。
3枚目は水色のワンピース。
流れる水のようなきれいな印象を受ける洗練されたデザイン。
水魔法が得意だから、というわけではないが、こういうデザインはすごく好みだ。
4枚目はピンク色のワンピース。
これもとてもかわいらしい感じのデザインだ。
でも、同じピンク色のワンピースなら私は今着ている方がずっといい。
最後は黒いワンピース。
黒だからといって地味な印象ではなく。
フリルやレースがふんだんに使われていて、とてもかわいいと思う。
とりあえず一通りデザインを見て、どれも必要ない、と返そうとしたのだけれど。
侯爵様がその中から、茶色と水色と黒のデザイン画を取った。
「この3つを注文しよう。あとはいらない」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なんだ?他のも欲しかったのか?」
「いえ、そうではなく……」
他のも、つまりこの3つを私が欲しいと思っていると確信している……?
いや、でも、いいな、と思ったけど、欲しいと思ったわけではない。
「デザインは気に入ったのだろう?なら、せっかくだから作っておけ」
「で、ですがそんなにたくさん……」
「服はいくらあっても困らないだろう」
そう言うと、侯爵様はあっさりと3つのデザイン画を店員さんに渡してしまった。
おいくらするんだろう、考えるだけでおそろしい。
「金はいくらかかってもかまわないから、安物の生地は使うな」
「もちろんでございます!」
侯爵様の言葉にぎょっとする。
いや、むしろ生地は安物でもいいからちょっとでもお安く……という私の心の声は届くことはなく……
注文を受けた店員さんは、ご注文ありがとうございます!と嬉しそうに駆けて行ってしまった。
「あ、あの、侯爵様、ひょっとして魔法か何かで私の心の中を読んでいるんでしょうか?」
そういう魔法を使われている気配は感じないけれど。
私が気づいていないだけかもしれない。
「なんだ、自覚がなかったのか」
「はい」
「全て顔に出ているぞ」
「え?ええっ!?」
ついペタペタと自分の顔を触ってしまって、侯爵様に笑われてしまった。
少し遠くから私たちの様子を伺っている店員さんたちも、こちらを見ながら笑っているような気がする。
ただ、ちょっと疑問が残る。
気に入ったかそうでないかくらいを表情で見分けたならわかるけれど、今着ているこのお洋服の時は確か……
「あ、あの、淡い色の方がいいということまで、顔を見てわかったりするものでしょうか……?」
「さすがにそこまではっきりわかったわけではないが、当たっていたか」
「へ?」
「他の服と違って悩んでいるように見えたからな。これまで選んだ服を見た限り色がネックになったのだろう、と思っただけだ」
他の服でもああいった色合いのものは選んでいなかっただろう、と言われてびっくりした。
私がどんな服を選んでいるかまで、ちゃんと見ていてくれたのだ。
「あとは純粋に、俺がもう少し淡い色の方がおまえに似合うだろう、と思ったのもある」
そう言うと侯爵様がふわりと笑った。
「よく、似合っている」
顔が熱くなるのがわかる。
きっと今、私の顔は真っ赤だろう。
そんな素敵な笑顔で言うなんて、反則すぎる。
少しでも顔を隠したくで、私は俯いた。
「それが一番気に入ったのだろう?元々着ていた服よりも、街中を歩き回るのにも向いていそうだ」
「でも、靴まで……」
「履いてきた靴では、この服にはあわなかったからな。他の服にあう靴も買っておくか?」
「も、もう、大丈夫です!」
まだ買うつもりだなんて、考えるだけでもおそろしい。
私はこれ以上必要ないと伝わるように、必死に首を振った。
「他に欲しい服もないのか?ここにないデザインでも、言えば作ってもらえるぞ」
「はい、その通りです。ご相談しながらお好みのデザインで作成することも可能ですよ!」
いつの間に近くに来たのだろう。
侯爵様の言葉に加勢するかのように、いつの間にか店員さんが目の前まで来ていた。
「わ、私はもう、これ以上は……」
「何か着てみたいデザインとかないのか?」
「本日はワンピースばかりでしたが、ドレスでもかまいませんよ?」
ドレスなんて着る機会なんかない。
でも、着てみたいお洋服か……
そう考えて、ある服が浮かんだ。
でも、私は頭に浮かんだそれを追い出すように頭を振る。
「何か思いついたなら、言ってみろ」
「い、いえ、何も……」
「だから、全て顔に出ている」
「そ、それでも!いいんです、あれはここでは必要ないから……」
だって、あれはこの世界の服ではない。
あっちの世界の服だもの。
ここで、私が持っていたってしょうがない。
「何を思い浮かべたのか、とりあえず言ってみろ」
「……その、魔術師が着るローブです」
言うつもりはなかったけれど、侯爵様が作り出す空気に負けてしまったような気がする。
魔術師、というワードはあまり聞こえない方がいいかなと思って、聞こえるか聞こえないかわからないくらいの小さな声で言った。
でも、侯爵様にはちゃんと聞き取ってもらえた。
「ローブか。魔導士が着るようなものでよければ、作ってもらえると思うぞ」
「いえ、大丈夫です。なんでもいいわけじゃないですし、それにこっちではたぶん使わないでしょうし」
ローブは魔術師が仕事の際に着るものだった。
私がこの世界で魔術師として仕事の依頼を受けることはないだろう。
「どういうのがよかったんだ?」
「ずっと憧れていたローブがあるんです。母がいつも仕事の時に着ていたんですけど、母が実家から代々受け継いだローブだったらしくて。私が大人になったら私に譲るって言ってくれてて、だから……」
大人になって、いつかそれを着ることができるのを幼い頃から楽しみにしていた。
もう、叶わないけれど。
でも、もし叶うなら、1度くらい着てみたかったと思ってしまったのだ。
「お嬢様、何でもよいので覚えている特徴をおっしゃってください。できる限り再現できるよう、我々が全力を尽くしますから!」
なぜか、店員さんが目をうるませながら私の手を両手で握りしめている。
いや、だから作ってもらおうと思っているわけではないのだけれど。
私は助けを求めようと、侯爵様を見る。
「どういうものだったか説明は難しそうか?何か似たようなものを見せてもらった方がわかりやすいか?」
違う、そうではなくて……
こういう時は、私の顔には何も出ていないのだろうか。
「せっかくの機会だ。遠慮せず作るといい。使わなくても、それでもかまわないから」
違う、侯爵様はわかっているんだ。
私がここでは使わない服を作るなんて申し訳ないことはできない、と思っていることも。
本当は心のどこかで、それでももう1度あのローブを見たいと思っていることも。
だけど、あれの特徴を上手く説明するのは難しい。
「侯爵様、その、手伝ってもらえますか……?」
「ん?かまわないが、何を……」
私はそっと侯爵様の手を取った。
魔力のある人にならきっと、イメージを伝えられるはず。
私は覚えている母のローブ姿のイメージを、侯爵様へと流し込む。
「こういうやつなんですが、私では上手く特徴を説明できなくて」
侯爵様なら、上手く店員さんに説明できるかもしれない。
そんな淡い期待を込めてのことだった。
「なるほどな、確かにこっちではあまり見ないデザインだ」
そう言うと、侯爵様は店員さんから真っ白な紙を1枚受け取った。
そして、そこに手をかざしている。
見たことある光景だった、確か以前侯爵様のお母様の絵を……
そう思いながらぼんやりと見ていると、そこにローブを着た母の姿が浮かび上がる。
「あ……」
懐かしくて、涙が溢れた。
「ごめんなさい、泣くつもりじゃなくて……」
「俺も、泣かせるつもりはなかったんだが」
ああ、困らせてしまう、そう思うのに涙が止まらない。
ふわりと抱き寄せられて、あやすように背中をぽんぽんと叩かれる。
「大丈夫だ」
優しい声に縋りつくように、私はしばらく泣き続けてしまった。
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