第2話 あたたかいスープ
「は?泣いた?あいつが?なぜだ?」
「それが、その……『スープが、温かかったから』と」
「はぁ!?」
今朝は、とてもすっきりとした目覚めで朝を迎える事ができた。
だが、一方で少女は起きる気配はなく、顔色もあまりよくはなっていなさそうだった。
さすがに具合の悪そうな少女を無理矢理叩き起こす気にはなれず、執事長のルイスに起きたら食事をさせ、あと着替えを準備してメイドに着替えさせるように指示をした。
また、どこから来たかは現時点では不明なため、使用人たちを動揺させないよう、とりあえずは侯爵家の遠縁の令嬢だと伝えるように、とも。
ルイスはすぐに指示通り動き、少女の世話役のメイドを1人選んだ。
よほど疲れていたのか、体調が芳しくなかったのか、目が覚めたのは昼過ぎだったようだ。
そのメイドは、少女に朝食にと用意していた食事を朝昼兼用として少女に出し、そして困ったようにルイスの元へ駆け込んで来たという。
食事を口にした途端に、少女が泣きだしてしまった、と。
メイドは令嬢に何か失礼をしたのでは、と顔面蒼白で何もできず。
仕方がないのでルイスが代わりに聞いてみたところ、泣いた理由が『スープが、温かったから』。
「いや、普通だろう」
暑い時期には冷たいスープを飲む事もあるが。
今はどちらかというと、これから寒くなっていく時期である。
温かいスープが出るのは当たり前だ。
「冷たいスープが飲みたかったのか?」
「いえ、とても美味しいとおっしゃっておりました」
さっぱりわけがわからない。
「とりあえず、落ち着いたら連れて来い」
「かしこまりました」
俺はとりあえず、机に向かい目の前の仕事を片づけるのに専念することにした。
***
優しい声がかけられて。
ふかふかのベットにやさしく降ろされて、ふわふわのお布団がかけられる。
ここはどこなんだろう、とか、それでいいのだろうか、とかいろいろあったのだけれど限界で。
私はそのまま夢の中へ旅立ってしまった。
そうして目が覚めたら、昨日の侯爵様はどこにもいなくて。
どうしよう、と思っていたら軽いノックととも白髪混じりの男性と若い女の人が入って来た。
「おや、目が覚めたようですね」
そう、声をかけられて、私は慌ててベッドから飛び起きた。
すると、男性がくすりと笑う。
「はじめまして、わたくしは当家の執事長をしております、ルイスと申します」
そう言ってきれいに一礼された。
私もちゃんとご挨拶しなければ、とベッドから出ようとしたのだけど、どうかそのままで、とやんわりと止められてしまう。
「ルイス、様……」
「様などおつけにならず、どうかルイスとお呼びください」
そうは言われても相手は私の父よりもっと上、もしかしたら祖父にあたるかもしれないくらい年上。
さすがに呼び捨てで呼ぶのは憚られる。
「で、では、あの、ルイス、さん、で……」
「まぁ、よいでしょう」
そう言ってくれたルイスさんは終始穏やかな笑みを浮かべていて、なんだか安心できる。
「あ、私はリディアといいます」
「ええ、存じ上げております、リディアお嬢様」
「お、おじょ……っ!?わ、私もリディアで大丈夫ですので!」
お嬢様だなんて呼ばれたことない、そんな恐れ多い、と思ったのだけれど。
ルイスさんは笑みを絶やすことはなく、ゆっくりと首を横にふる。
「お嬢様は、旦那さまの大切なお客様ですので」
「旦那様……?侯爵様、ですか……?」
「ええ」
お客様、ではないはずだ。
どちらかというと無断で入り込んだ不審者の方がが正しい。
「あ、あの、その、私は……」
「こちらはミアといいます」
お客様ではないと言おうとしたのに、見事に遮られてしまった。
ルイスさんの隣で、女性が一礼してくれる。
慌てて私も頭を下げた。
「ミアと申します。本日、お嬢様のお世話をさせていただきます」
「ミア、さん……?あ、あの、私お世話とかは、その……」
「これも旦那様がお命じになられたことですので」
また、にこやかなルイスさんにきれいに遮られてしまった。
「では、私はこれで失礼しますね」
ルイスさんはまたきれいに一礼して、部屋を去ってしまった。
「とりあえずお食事をご用意いたしますね」
2人取り残されて、気まずい空気が流れるかと思いきや、パンっと手を叩いて、ミアさんは楽しそうにテキパキと動きはじめる。
「旦那様から、お嬢様は体調が悪そうなので、お身体の負担にならないよう準備するように仰せつかっております!」
そう言うと、ベッドの上で身体を起こした状態で食事ができるように整えられていく。
「あ、あの……」
「消化によいものの方が召し上がりやすいかと思いまして」
そういうと目の前にほかほかと湯気のたつスープが置かれた。
「スープをご用意いたしました。あとフルーツもございますよ。他に何かお召し上がりになりたいものはありますか?」
さっきのルイスさんの穏やかな笑みとは違い、パッと周囲を明るくするような笑顔だな、と思った。
「私が食べて、いいんですか……?」
「もちろんですよ!」
湯気のたつ食事なんて、いつぶりだろうか。
温かい食べ物も飲み物も、随分見てすらいない気がした。
あの人たちは、私が死なないように必要最低限の栄養さえ取っていれば、それでよかったのだから。
病気になってしまわないよう、栄養はしっかりと取らされていた。
衛生面もきちんと管理されていた。
それでも、あの場所を思い出すだけで手が震える。
こんな風にあたたかな食事も、誰かの笑顔もずっとなかった。
「お、お嬢様!?どうしました?」
スプーンを持つのも久しぶりで。
震える手を落ち着かせながら掬ったスープは、本当にあたたかくて、おいしくて。
でも、私がスープを口に含んだ途端、ミアさんは困ったようにオロオロしばじめてしまった。
「おいしく、なかったですか?大丈夫です?他のものをお持ちしましょうか?」
「え……?」
こんなにおいしいのに何を言っているのだろう、とミアさんを見つめると。
ミアさんはなぜかすごい勢いで部屋を飛び出してしまった。
「これ、やっぱり私が食べちゃダメだったのかな……」
スプーンを置いて落ち込んでいると、すごい勢いで扉があけられる。
そこにはさっきの穏やかさが嘘のように、非常に慌てたルイスさんがいた。
後ろからミアさんも走り込んでいる。
食べてしまったから、怒られてしまうのだろうか……。
「あ、あの……」
「お嬢様、何がありました。何かお気に召さないことが?」
ルイスさんは私の近くまで来ると膝をついて、優しく手を握ってくれた。
その手も、とてもあたたかくて、幸せな気分になる。
「えと、別に何も……」
「では、どうして泣いていらっしゃるのです?」
「え?」
ルイスさんの言葉で、私ははじめて自分が涙を流していることに気づいた。
「お気に召さないことがあれば、言ってくださって大丈夫ですよ」
「ち、違うんです!私、そんなつもりじゃなくて!ただ……」
「ただ……?」
「スープが温かったから。すごくおいしくて……」
私がそう言うと、ルイスさんとミアさんが困ったように目を見合わせている。
そりゃあそうだろう、そんな理由では普通泣かない。
でも、言ってしまったら、泣いてることに気づいてしまったら、なんだか余計に止まらなくて。
「ご、ごめんなさい、私……」
「お嬢様、美味しかったのでしたら、ようございました」
ルイスさんがやさしく涙を拭ってくれる。
そのあたたかさに、また泣いてしまいそうだ。
「どうか、温かいうちに召し上がってくださいませ」
そう言って、ルイスさんがスプーンを握らせてくれる。
「ありがとうございます」
温かいうちに飲んだスープは本当においしくて。
その後、食べやすいサイズにカットされたフルーツはどれも瑞々しくて甘くて。
本当に本当に幸せな食事の時間だった。
「もう、よろしいのですか?」
一度はいなくなったルイスさんは、泣いたことで心配させてしまったのか、食べ終わるまでずっとそばにいてくれた。
「はい、おなかいっぱいです」
「では、入浴して着替えましょうか」
「え、でも……」
着替えなんて持っていない。
しかも人さまの家で食事をごちそうになって、お風呂まで。
そんな至れり尽くせりでよいのだろうか。
「旦那様のご命令で着替えはこちらでご用意しておりますので」
大丈夫ですよ、とルイスさんがまた手を握ってくれる。
「では、参りましょうか、お嬢様」
ミアさんにそう言って手を差し出され、私は浴槽まで移動することに、なったのだけれど……
「あ、あの!自分で、自分でできますから!!」
「いえ、そのようなわけには参りません!」
ミアさんに着ていた服を脱がされ、広い浴槽に入れられ、身体を隅々まで洗われてしまっている。
貴族のお嬢様であればこれも普通なのかもしれないけれど、そんな育ちではない私にはとてもいたたまれない。
「大丈夫ですから、全て私におまかせください!」
自信満々な表情で言われても、私は何も大丈夫ではないのだけれど。
私の抗議は全く受け入れられず。
でも、用意してもらったお湯はとてもあたたかくて。
もこもこの泡は、とても気持ちがよくて。
結局私はされるがままになってしまった。
「わぁ……」
きれいに洗われた後、着せられたのはとても肌触りのよい生地で着心地のよいルームウェア。
触れたこともないような柔らかな生地で、とても高そう。
着ているだけで、なんだか心地よい気がする。
「急遽準備したので、間に合わせのお品で申し訳ありませんが」
「いえ、とっても素敵です」
昨日の今日でこんな素敵なお洋服まで。
準備するの、きっとすごく大変だったはず、と私ぶんぶんと首をふる。
その様子を見たミアさんが、くすくすと笑った。
「ふふ、では後は髪をとかしましょうか」
そういうとミアさんは私を鏡の前に座らせ、塗れた髪を乾かして整えてくれた。
びっくりするくらい至れり尽くせりで、本当にお嬢様にでもなったかのようだった。
「では、参りましょうか」
またミアさんが手を差し出してくれる。
「えっと、どこへ?」
「旦那様のところですよ」
「え、え……?」
「旦那様から、終わったら連れてくるように、と」
何かお話があるのでしょう?と聞かれて、昨日の続きを話さなければならないことを思い出す。
夢のようだった時間がもうすぐ終わるのだ、そう思うと少し寂しくなったけれど。
ここまでしてもらったことに感謝して、私はミアさんとともに侯爵様がいらっしゃるという執務室に移動した。
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