世界よ優しく微笑んで

えくれあ

第1話 満月の夜の出会い


 今日で私も15歳、ここに閉じ込められてもう5年……

 お父様、お母様、ごめんなさい。

 私はもう、これ以上、この世界のために魔法は使えません。

 だからどうか、この世界を離れる事をお許しください。


 ぽとりと落ちた一粒の涙。

 そこから地面は光り輝き、魔法陣が浮かび上がる。


 どうか、これから行く世界が、私を受け入れてくれますように。

 そう願って、私は世界を渡る魔法を使った。



 この世には数えきれないほどたくさんの世界があるという。

 通常、世界と世界は交わる事はなく、それぞれが異なる時と空間の中に存在している。

 けれど強い魔力を持つものは一生のうちに数回、その世界を自分で渡る事ができるという。

 ただし1度の移動で消費する魔力は膨大で、どの世界へ飛ぶかもわからない。

 つまり、1度世界を渡ってしまうと、元の世界に戻れる可能性もほぼなくなるということ。


 それでも、きっと、ここに居続けるよりはずっといい。


 私の身体は、そうして私の放った魔法の光に包まれた。






「誰だ」


 ぐいっと何かに引き寄せられるように、たどり着いた場所。

 どこかふわふわとした感覚の中で、眩しい光が徐々に落ち着いていく。

 そうして、ようやく視界が開けそうになった時、周囲を見るよりも先にその声は私に届いた。


 大きな窓の向こうに、きれいな満月が見える。

 その満月を背に、銀色の髪のきれいな男性が立っていて、不機嫌そうに私を見ている。


 それが、異世界へとたどり着いた私が、最初に見た光景だった。


「あなたも、魔術師?」

「誰だと聞いている」


 強く美しい魔力を感じ、思わず聞いてしまった問いかけ。

 相手はとても鋭く冷たい視線と、先ほどよりも随分低く鋭い声を返してきた。


 怒らせてしまったかも、と少し怖くなって身体が硬くなる。

 誰か、と聞かれても、果たしてここで名前だけ答えたら終わるのだろうか。

 この人が求めているのは、そんな単純な答えなのだろうか。


 窓の向こうに月が見える、つまりここはどこかのお邸の部屋の中なわけで。

 突然そんなところに光とともに現れた私は、自分で言うのもなんだがとんでもなくあやしいに違いない。

 なんと答えればよいのだろう……

 どういう答えを望まれているのだろう……

 答えに迷って俯いてしまう。

 とても高そうなふかふかの絨毯が目に入ると同時に、盛大なため息が聞こえてきた。


「ジークベルト・シュヴァルツ、このシュヴァルツ侯爵家の当主だ」

「え……?」


 驚いて声の主を見上げる。

 まるで夜の海を映したかのような深い青色の瞳と目があう。

 侯爵家の当主、ということはこの人が侯爵様ということ。

 私の世界にも爵位というものはあった。あまり縁はなかったけれど。

 魔術師の社会の序列は、基本的に魔力の強さで決まる。

 爵位で序列を決めているのは、あまり魔術が発展していない遠い国か、はたまたおとぎ話の世界でしかなかった。


「名前くらい、言えるだろう」


 驚いて、ただ見つめるだけになってしまった私に侯爵様が言う。

 答えに困っていた私に気づいてくれたのだろうか、そう思うと心がじんわりと温かくなるような感じがして、先ほどまでの萎縮したような感覚が少し薄れた。


「リディア……です」

「それだけか?家名は?」

「あ、その……あるには、ありますが……」


 今の私にはいろんな意味であってないようなものだ。

 この世界にある家ではないし、元の世界でも、もう……


「ちゃんと名乗れ」

「あ、リ、リディア、フォルティエ、です……」


 久々に名乗った自分のフルネーム。

 それだけなのに、なぜか涙が溢れそうになる。

 私は泣いてしまわないようぐっと我慢した。


「フォルティエ、聞き覚えのない名だな……」


 そりゃあそうだろう、この世界にある家の名前ではないもの。

 そう思いながら侯爵様を見ると、何か考え込むような侯爵様と、再び目があった。






 ***


 俺は満月の夜が何より嫌いだった。

 生まれながらに魔力というものを持っていたが、たいして多いわけではなかった。

 むしろ、代々魔法を扱う家系に生まれたのに、このままでは魔法を扱えず当主が務まらないのでは、と心配されるほど少なかった。

 それが10歳を過ぎたあたりから急激に魔力量が増え始め、今では暴れ出しそうなほどの強大な魔力を抑える事にむしろ苦労しているくらいだ。

 この国で、俺より強大な魔力を持つものなどいないであろう、今では当たり前のようにそう言われている。

 そして、満月の夜はそんな俺の魔力をさらに増大させる、なんとも嫌な日だった。

 体内を暴れまわるような自分の魔力を、同じく自分の魔力で無理矢理抑え込むのは、常に苦痛と隣り合わせだ。

 常にどこかイライラして落ち着かず、自分で自分を抑え込むためか身体がきしむように痛む。

 時には我慢しきれず、人のいない森に行って不必要に魔法を使い暴れまわった事もある。

 安らげるような瞬間などほぼないというのに、満月の日はさらに酷く、激痛が伴うことさえある。

 今日もその満月の日、例に漏れず、痛みを伴う苦痛に耐えながら、なんとかこの夜をやりすごす、はずだったのだ。


 ところが今、見事に落ち着いている。

 自分の身体ではなくなったのだろうかと、思わず自分の両手をまじまじと眺めてしまうほどに。

 自身の体内の魔力をこんなに穏やかに感じられるのは、いったいいつぶりだろうか。


 きっかけは目の前にいる、いかにもあやしい少女だ。

 そう、この少女が奇妙な光とともにこの部屋に来るまでは、確かに痛みに耐えていた。

 気休め程度に痛み止めの薬を飲んでみたりもしていたが、それが全く意味を成さない事は長年の経験で知っている。

 馬鹿みたいに強い魔力を得た代償として、一生この苦痛と付き合っていかなければならないのだと覚悟もしていた。

 それなのに、突如室内に奇妙な光が現れたと思ったら、先ほどまでの苦痛が嘘のように全て消え去っていたのだ。


 しかしながら、その奇妙な光とともに現れたこの少女は、いったいどうやってここに入り込んだのか。

 この部屋にも、この邸にも、相応の術は施してある。

 いくら強い魔力を持つものでも、そう簡単には入ってこれないはずだ。

 それなのに少女はここに現れ、そして術の影響を受けた様子さえない。

 並大抵の魔導士ではないということか。

 俺を超える力を持っているのかもしれない。

 だが、力を隠しているのかなんなのか、少女からはそこまで強い力を感じるわけではない。

 名を問うただけでビクつく様子は、ただの何の力もない幼い少女にしか見えない。

 魔力の多いものは、時に年齢に見合わぬ容姿をしていることもあるが、彼女のしぐさを見る限り見た目通りまだまだ子どものように思う。


 怯えてしまった少女に先に名乗る事でようやく聞き出した名前は、全く聞き覚えのない名前だった。

 魔力量の多い子どもがいれば、俺の耳に入って来ることもある。

 だが、リディアという名前に聞き覚えはない。

 家名の方も、名のある魔法使いの家系にそのような名の家は存在しない。

 名前だけでも聞き出せれば何かわかるかもしれないという俺の目論見は、見事にはずれてしまったようだ。

 そして家名を名乗った少女リディアは、今にも泣きだしそうな顔でうつむいてしまっている。

 その表情を見ていると、なぜだか妙な罪悪感が湧き上がってくる。


 一歩、彼女に近づいただけで、彼女は怯えたように身体を震わせた。

 また罪悪感を覚えたが、気づかないふりをして距離を詰める。

 不安からか、両手を胸の前で握りしめ、瞳がゆらゆらとゆれている。


「ここへは、どうやって入った?」


 近づいてそう問えば、怒られると思ったのか、彼女はぎゅっと目を閉じて肩を震わせて縮こまる。


「怒っているわけではない、ただ知りたいだけだ」


 そういえば、ずっと泣きそうに怯えていた少女が驚いたような表情に変わる。

 まるで今日の満月のような柔らかなハニーブロンドの髪、清らかな水を閉じ込めたかのような澄んだアイスブルーの瞳。

 美しいと感じ、気づけばその髪に触れてしまっていた。

 ごまかすように、少し乱れていた彼女の髪を整える。

 すると、何か覚悟を決めたかのように、彼女の視線が真っすぐに俺に向けられた。




 ***


「あ、あの!その前に、お聞きしたいことが」

「なんだ?」

「あなたは、魔術師ですか?」

「さっきも聞いたな、魔術師とは?魔導士のことか?」

「え?えっと……」


 この世界に、魔術師はいないの?

 それとも呼び名が違うだけ?

 魔術師という言葉を理解してもらえないようで、私はただただ困惑する。

 目の前にいる人物はかなり強い魔力を持っている。

 だが、魔力を持っているものが全て魔法を使うわけではない。

 自分が魔力を持っていることさえ知らず、一生を終えるものだっているのだ。

 魔術師なら、魔法を知っているものなら、違う世界から世界を渡って来たと話してもまだ信じてもらいやすいだろう。

 でも、魔法の存在さえ知らなければ、とてもではないがそんな話信じられないだろう。


「魔導士とは、魔力を持ち、魔法を使うもののことだ」


 私が困っているのに気づいてくれたの?

 だから、わざわざ説明をしてくれたの……?

 最初の印象は怖い人だと思った。

 でも、私が答えに困ったら先に名乗ってくれて、今もこうして教えてくれて。

 きっと、とても優しい人なんだ。

 この人なら、きっと話しても大丈夫。

 自然とそんな風に思えた。


「同じですね、私が知ってる魔術師と。ではあなたは魔導士ですか?」

「いや」


 ち、違うの?

 こんなに魔力を持っているのに、気づいてないの?

 魔法、使えないの!?


「魔法は使うが、俺は騎士でもあるからな。魔導士よりは魔法騎士と呼ばれる」


 私の心の声に答えてくれるような言葉。

 もしかして、私の心を魔法で読んでいたりするのだろうか。

 私の心の中を読めるような魔術師なんて、そうはいないはずなのだけれど。


「おまえは、その魔術師、と呼ばれているのか」

「はい。そう呼ばれていました。私が元々いた世界では」

「世界?」


 元々いた世界、という表現に少し違和感を持ったのだろうか。

 確かに普通はそんなこと言わないかもしれない。

 けれど、この表現は間違ってはいない。


「知っていますか?この世に世界は1つではない事を。私はこことは時の流れも次元も何もかもが違う別の世界」

「異世界というやつか?実際にあるかどうかまでは知らないがな」

「はい。通常世界と世界が繋がったり交わることはありません。ですので、ほとんどの人がその存在を知ることなく一生を終えるかと。けれど私は強い力を持って生まれたため、その存在に気づく事ができました。そして世界を渡ることができることにも」


 世界を渡ることができるのは、自身の魔力でその存在に気づけるものだけ。

 私がその存在を知ったのは、今よりもっと幼い頃。

 強大な魔力を持っていた父に存在を教えられた事がきっかけで、自身の魔力でもそれを感じ取る事ができた。

 父はきっと、私なら父同様に感じ取れるだろうと確信して教えてくれたのだろう。

 まさか世界を渡ってしまうとは、思っていなかっただろうけれど。


「星の数ほどあると言われる世界の全ての魔法の使い手を集めたとしても、世界を渡れる力を持つ人間は数えるほどしかいないかもしれないと言われています。本来これは神の領域であり、人はどうあがいても神にはなれませんから」

「つまり、おまえは相当な力の持ち主、ということか?そうは見えないが」

「あ、これはですね……」


 説明しようとしたところで、急に全身の力が抜け、がくんと膝から崩れ落ちる。


「あ、あれ……」

「おい、どうした?大丈夫か?」


 立ち上がろうにも、上手く力が入らない。

 息があがり、呼吸が苦しいし、眩暈もする。

 続きを話さなければ、と思うのに身体が言うことを聞いてくれない。

 苦しくて思わず身につけていたペンダントをぎゅっと握りしめて目を閉じると、ペンダントが光はじめるのを感じた。




 ***


『プリンセス!!』

「なんだ、こいつは……」


 突然座り込んだ少女を支えようとしたら、それを遮るかのように少女がつけていたペンダントについていた青い石が光り出した。

 そこから小さな妖精らしきものが、小さな羽根をバタつかせながら出てきた。

 ひどく心配そうに、少女に必死に声をかけている。


「あ、この、こ、は……」


 そこまで言うと、苦しそうにぜいぜいはあはあと呼吸をする。

 顔色も悪く、冷や汗をかいているようだ。

 体調が悪いのは一目瞭然である。


「続きは後でいい」


 妖精らしきものが、警戒するように睨みつけていたが何かしてくるつもりはないらしい。

 少女を抱き上げて歩き出せば、大人しくついてきた。


「あ、あの……」

「いいから大人しくしていろ」


 おそらく喋るのもつらいのだろう。

 少女はそれ以上喋ろうとはせず、腕の中でぐったりとしている。

 随分と軽い身体だなと思いつつ、俺は隣の自室に移動した。


「続きは明日聞く、今日はもう寝ろ」


 ベッドに寝かせると、少女は一瞬抵抗を試みたようにも見えたが、あっという間に眠ってしまった。

 一方で、妖精は未だに俺を睨みつけている。


「おまえも寝るところが欲しいのか?」


 返答はない。


「そいつ、医者に見せるか?」


 今度は反応があった。

 ふるふると左右に首をふっている。


『魔力をたくさん消耗する魔法を使って疲れているだけ。医者じゃ治せない』

「なら、魔力を回復……」

『絶対ダメ!!!』


 魔力を大量に消耗しすぎて体調を崩す事は、魔力のあるものにとっては珍しい事ではない。

 病気とはまた違うが、薬を飲むことで多少体調が改善する事もある。まぁあまり意味をなさない場合もあるが。

 一方で、消耗した魔力を誰かから供給してもらって回復させる事で、楽になる事もある。

 幸いにも魔力は有り余るほど持っている方だ。

 だから少しくらいなら回復させてやっても問題ないと思ったのだが。

 提案は食い気味に拒絶されてしまった。


『プリンセスに魔法は何も使わないで』


 警戒するようにこちら見て、そして小さな身体で必死に少女を守ろうとしている。


「プリンセス?そいつ、どこかの国の姫か?」


 そんな風には見えなかったのだが。

 そう思うと、また妖精が首を振った。


『違う、彼女は魔術師の中のお姫さま。だからプリンセス』

「ふーん……」


 正直よくわからないが、あまり突っ込んで聞く気にもならなかった。

 なんといっても、もの凄く警戒され親の仇でも見ているかのように睨まれ続けている。

 さして恐れも何もないが、長時間会話をする気にもならない。


「まぁ、いい。続きは明日あらためてそいつから聞く」


 俺はそう言うと部屋のソファに横になろうとした。

 1日くらいベッドで寝なくても、たいした事ではない。

 騎士は場合によってはそれよりも過酷な場所で寝る事も多い。

 それに、何よりいつものような魔力による苦痛もない。


「むしろ、いつもよりぐっすり寝れそうだな」


 自身を見つめながら、思わずそう呟いた時だった。


『あなたもここで寝るの!?』


 今までよりもさらに強い口調で妖精が問う。


「ここは俺の部屋だ、何か問題か?」

『で、でも……!』

「あいにく使用人ももう寝ている時間だし、すぐに客間を用意するのは無理だ。1日くらい我慢しろ。おまえにもそいつにも何もしやしない」

『…………プリンセスに何かしたら、絶対に許さない』


 妖精はそういうと少女の額の上で何やら光を降らせる。

 何か魔法でも使ったのだろうか、と考えているうちに元々いたであろうペンダントの中へと戻っていった。

 さらに文句を言うようなら、執務室のソファで寝る事も考えてはいたが、とりあえずは納得したらしい。


「さて、寝るか」


 今日はいい夢が見れそうだ。

 こんな穏やかな気分で眠りにつくのはいったい何年ぶりか。

 そんな事を考えながら、俺は眠りについた。

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