第3話 大西エレナ

林五は性格こそ歪んでいたが、周囲の偏見を沈黙させる能力を有していたからまだましだったかもしれない。

私が入学した高校には同じ学年にもう一人変わった名前の持ち主がおり、こちらは女子生徒だったのだが、彼女の場合はちょっと気の毒だ。


その名は大西エレナ。

漢字ですらない、ダイレクトにカタカナの横文字ネームである。


エレナの存在は入学当初から主に男子生徒の間で話題になっていた。

ハーフか?それとも外人さん?

気にならずにはいられない名前ではないか!


入学後ほどなくして、エレナが在籍するクラスには彼女の顔を一目見ようと他のクラスばかりか上級生の男子が殺到したらしい。

私のいたクラスの生徒たちも例外ではなく、はるか遠くの教室まで勝手な幻想を抱きながら「エレナ詣で」に出かけて行った。


だが、彼らはがっかりしながら戻ってきた。


実物はあまりにも名前との乖離が激しかったからだ。


実際のエレナ本人はスタイルも顔も典型的な日本人、チンチクリンでずんぐりむっくり体型をした大福顔で、ハーフどころか帰国子女でもない。

戦前の農村あたりによくいたタイプの佇まいで、スカートよりモンペが似合いそうなくらい地味な女の子だった。

名前も「和子」とか「敏子」どころか、「お七」や「お駒」あたりが妥当ですらある。


その容貌に対してエレナという名前は、遺伝子学的に著しく不適切だった。

彼女の親は「エレナ」という洋風の名前を付けさえすれば、成長の過程で突然変異が起こるとでも思ったんだろうか?

その暴挙に対して、責任を追及したい気分だった。


本人の責任では決してないが、それが当時、エレナを初めて見た時の私の偽らざる印象である。


その後、3年生になって私はエレナと同じクラスになった。

直接話したことはあまりなかったが、ある時期の席替えでエレナの席が私の前になる。

休み時間になると時々エレナの友達たちが彼女の席までやってきておしゃべりをするのだが、その会話からエレナは仲間内で「レナ」と呼ばれていることを知った。


また、名前には似合わないが容貌にふさわしく古典が得意で英語を苦手としており、信仰する宗教は仏教の臨済宗妙心寺派、好物はあんころ餅と草餅だとのこと。

趣味嗜好は典型的どころか、鎖国していた江戸時代の町人の娘レベルの日本人ぶりだ。


そんなある日のおしゃべりで、友達の一人がエレナの名前のことを口にしたのが耳に入った。


「レナの名前ってさ、すごくきれいだよね」


「やめてよ~、全然気に入ってないんだから」


「外人さんみたいでいいじゃん」


「その顔のどこがエレナだ、とかしょっちゅう言われるんだよ?私のせいじゃないのに!」


やはりエレナも自分の名前を気にしていた。

その後の会話で分かったのだが、どうやら母親の方が独断で命名したらしい。

何でも、昔からあこがれていた外国人スーパーモデルの名前がエレナ・なんとかコフで、それが由来だという。


タチの悪い母親だ。


「そんなんで自分の娘の名前決めるなっての!自分と自分の旦那の顔見りゃどうなるか想像つくだろうが!まともな名前つけろよ、ウチのバカ親!!」


エレナもしゃべっているうちに興奮してきたらしく、毒説を吐きまくっていた。


後日、そのエレナの愚母をこの目で拝む機会がほどなくして訪れた。


進路指導のための三者面談で私と母親が面談を待っていた時、私たちの次の順番がエレナ母娘だったため、廊下で一緒に待つことになったのだ。


エレナ母は娘をそのままエイジング処理したらこうなる、というぐらいそっくりで、ずんぐりしたドングリ体型なんぞ同じ型でハメたように一致する。


遺伝形質に対して挑戦的な命名を娘に強行した張本人は教育熱心でもあり、待っている最中に進路に関して学業成績の悪いエレナにあれこれ小言を言っているのが聞こえた。


そんな母親に対し、エレナは「もう分かってるっての!」「しつこいよ、ホント!」と終始いらだち、反抗的に応答していた。


思春期という事情もあるだろうが、親子仲が良好ではなさそうだった。

こんな名前をつけられれば反抗したくもなるだろうが。

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