第48話 バラとハッカと【extra2-4】
ちまたでは入手困難な人気のチケットを、最近はなぜか立て続けに人からもらっている。
マリカから贈られたチケットは週末の昼公演で、会場はチャリティーコンサートと同じ劇場である。
今度は場所がわかっているので、公演日当日、桐生院は車で出かけた。
地下の駐車場に車を停め、劇場の入り口でチケットを提示して席に着く。
客層は若い世代が多く、女性の姿が目立っていた。
入り口でもらった公演のパンフレットによると、演目の内容は「人魚姫」を当世風にアレンジした音楽劇、となっていた。
桐生院は音楽劇がどのようなものなのか実はよく知らなかったので、舞台の幕が上がるなり、のっけから驚かされた。
出演者がいきなりセリフを歌い出し、大きな身振りで踊っている。
衣装や舞台美術の違いもあるのかもしれないが、オペラとも違い、全体的にもっと軽やかでにぎやかな印象だ。
初めて体験した衝撃のせいか最初は違和感を抱いてしまったが、見ているうちにそれも次第に気にならなくなっていった。
マリカは主役の人魚姫役だった。
題材の元になった童話は、人間になった人魚姫が初恋相手の王子に恋心を知られることのないまま、海に身を投げ泡となって消える、という悲劇だが、こちらの劇は内容をガラリと変えていた。
人魚姫が美しい声と引き替えに人間となって陸に上がる、という設定はそのままだが、その後の展開は人魚姫と王子のすれ違いが引き起こすドタバタコメディーとなっていた。
マリカの演じる人魚姫に悲壮感はなく、終始一貫して恋の喜びと生命力に満ちあふれていた。
己のちょっとした勘違いや王子の一言に一喜一憂する姿はコミカルだったが、不安に揺れる恋心が圧倒的な歌唱力によって巧みに表現され、好感の持てる主人公をマリカはのびのびと等身大に演じていた。
話はテンポよく進み、最終的に人魚姫は声を取り戻し、人間となって王子と幸せに暮らす、という結末で終わっていた。
そちらのほうが原作の終わり方よりも後味がよく、断然いい。
桐生院はそう思った。
終演後の他の観客たちの反応も上々で、劇の内容について知り合い同士で楽しそうに話している姿がここかしこで見受けられた。
桐生院はロビーに出ると、帰る前にマリカに一言あいさつをしていくべきかどうか迷った。
劇場を出てしまえば、次はいつマリカに会って今日のお礼を伝えられるかわからない。
というより、もう直接的に会う機会がないという可能性もある。
桐生院はロビーの中ほどで立ち止まり、周囲を見回した。
マリカがいるのはおそらく楽屋だろうが、観劇は不慣れなので、どうすれば出演者に会えるのか見当がつかない。
劇場の係員に尋ねてみようかと考え、制服を着た男性がいるカウンターに近づいていくと、男性係員は青年と話をしている最中だった。
青年は両手いっぱいの大きな赤い花束を抱えている。
あれは、バラの花束だろうか。
「どうしても本人に直接渡すのはダメなんですか?」
「はい。申し訳ございませんが、楽屋へは関係者以外立ち入り禁止となっております」
「そんなぁ」
桐生院は彼らのやりとりを聞いて、どうやらマリカに直接会うのは難しそうだと悟った。
青年もそれ以上は係員に食い下がることはしなかったが、はた目から見てわかるほど落胆していた。
係員も気の毒になったのか、こんな提案をした。
「もしよろしければメッセージカードをお渡しいたしますので、そちらお書きいただきましたら、花束と一緒にお預かりして出演者にお渡しさせていただきますが」
その提案に青年はうなずくと、花束だけ先に係員に渡し、カウンターの端に移動して受け取ったカードに記入を始めた。
係員が後ろに並んで待っていた桐生院に用向きを尋ねる視線を投げかけたので、桐生院はカウンターに一歩近づいた。
「私もメッセージカードを書いて、それを出演者に渡してほしいのですが」
「かしこまりました」
係員はカードとペンを取り出して桐生院に差し出した。
桐生院はその場で手早くペンを走らせ、劇の感想とお礼を簡潔にしたため、署名した。
ちょうど隣の青年とカードを書き終えたタイミングが重なり、係員は二人からカードをまとめて同時に回収した。
「どちらの出演者にお届けすればよろしいでしょうか?」
係員の質問に、まず青年が先に答えた。
「フウ……じゃなかった、風早マリカさんに」
「私も同じです」
「かしこまりました」
係員がうなずいたので、桐生院はカウンターから離れた。
隣の青年も動きがシンクロし、二人は同じ方向に歩きながら、どちらからともなく視線を交わした。
人好きのする笑みを浮かべた青年の顔に、桐生院はかすかな既視感を覚えた。
青年もこちらの顔をしばし見つめていたが、ちょうど地下の駐車場につながる階段までやって来たので、桐生院はそこで足を止めて青年に軽く頭を下げると、青年も会釈を返して歩いていった。
あんな大きな花束を持参してきたということは、よほど風早マリカの熱心なファンなのだろう。
もしかしたら先日のチャリティーコンサートにも来ていて、それでどこか見覚えがあったのかもしれない。
そんなふうに納得して、桐生院は駐車場に向かった。
車に乗り込み、駐車場から地上へ出たところで、桐生院は車の窓を開けた。
「颯太さんっ」
車の外で聞き覚えのある声が響いて、思わずブレーキを踏む。
バックミラーに目をやると、例の体操服を着たマリカが一直線に走る姿が小さく映っていた。
桐生院は一瞬迷った後、車を路肩に停め、マリカの後を追いかけた。
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