第43話 お兄様はいかに恋するものぞ【extra1-5】
二階のボックス席を出た玲司は、正面玄関につながる階段の途中で、階下に仲人の男性がいるのをたまたま見つけた。
玲司は階段を下りると、人混みを縫って近づき、声をかけた。
仲人は玲司を振り返ると気まずそうな表情を一瞬浮かべたが、すぐにそれを押し隠した。
「玲司くん。来ていたのか」
「はい。チケットを頂いていたので」
「柏くんのこと、すまなかったね。いきなりあんな話を聞かされて驚いただろう。ちょうど楽屋に行くところだ。君も一緒に来たまえ」
仲人が肩をいからせながら歩き出したので、玲司はなりゆきで後ろからついていくことになった。
警備員の立つ関係者用のドアを通り抜け、人や物でごった返した通路を進んでいくと、仲人は一室のドアの前で立ち止まり、せわしなくノックした。
「柏くん、私だ」
中から「どうぞ」とよく通る美声が聞こえた。
ドアが開くと、鏡台の前に座っていたみどりと鏡の中で目が合った。
みどりは玲司の姿に驚いたようで、そこに本当にいるのか確かめるかのような仕草で振り返った。
「柏くん。今日のあの発言はいったいどういうつもりだ。言っておくが、私はまだ承知していないぞ」
この劇場の経営者でもある仲人は、感情を取り繕う努力をもはや放棄していた。
言葉と全身の端々からいら立ちがにじみ出ている。
売れっ子の看板歌手からあんな爆弾宣言が飛び出したのだから、無理もない。
玲司は仲人の置かれた状況に同情していた。
「お叱りは後できちんと受けますわ。それより今は宝城さんと二人で話をさせてください」
仲人は明らかに不機嫌な様子ではあったが、みどりの言葉どおりに楽屋を出ていった。
二人になると、みどりが声をかけた。
「狭い場所ですがどうぞおかけになって」
玲司は近くのいすに腰を下ろした。
みどりが座ったまま体の向きを変え、部屋の対角線上で二人向き合う形になる。
「今日は来てくださってありがとうございます。それからお花も」
壁際には大小さまざまな花束が絢爛豪華に咲き乱れ、その中に玲司の花束も混ざっていた。
まるで自分の存在もみどりにとってはその他もろもろの一つであることを象徴しているかのような光景だ。
回りくどい雑談などせず、玲司は本題を切り出すことにした。
「今日のあなたには驚かされましたよ。いろんな意味で。念のための確認ですが、拠点をこれから海外に移すということは、見合いの件は白紙に?」
「怒っていらっしゃる? あんな意思表示の仕方をして」
みどりが静かに尋ねた。
見合いを断られて意気消沈しているわけではないが、まったく苦い気持ちがないと言えば嘘になる。
「怒っているというより、単純に疑問なんですよ。海外での活動を決意していたのなら、どうしてあなたは見合いの話を最初から断らなかったんです」
みどりなら、仲人の男性にも物おじせずにはっきりと言いたいことを言いそうである。
結婚する気もない見知らぬ男と会うため、忙しい中、わざわざ見合いの席にやってくる必要があったのだろうか。
「決意していたというより、前々から悩んでいた、と言ったほうがより正確でしょうね。あなたにお会いして余計に悩んでしまいましたし。正直、今でも本当によかったのかしらと悩んでますもの」
玲司はわずかに眉を上げた。
いったい今の発言はどこまで本気なのか、みどりの表情からは真意を読み取ることができなかった。
みどりは、子どもがいたずらに成功した時のような笑みを口元に浮かべている。
もしかしたら、通常時の落ち着いて貫禄すら感じさせる微笑より、こちらの笑顔のほうが素に近いのかもしれない。
みどりは表情を改めると、玲司にはっきりと視線を合わせた。
「大勢の方に迷惑をかけることになるのはわかっていたんです。あなたにも。それにあんな大見得を切っておきながら、海外どころか日本で歌う場所すら永久に失ってしまうかもしれない。それでも私は自分の心を殺すことができなかった。心を殺せば、私の歌が死んでしまう。それだけは絶対に耐えられない。許してくださいとは申しません。それでも、こうして弁解の機会を与えてくださったこと、心から感謝します」
緊張をはらんだ沈黙がしばらく続いた後、玲司は思わず苦笑をもらした。
こんな潔い覚悟を前にしては、ただもう笑うしかない。
公演直後はみどりの身勝手な行動に対して漠然と腹立ちを感じていた玲司だったが、なんなら今はもう一度立ち上がって拍手したいくらいだった。
が、それはやめておき、立ち上がるだけにしておいた。
「私のことはお気になさらず。あなたのこれからのますますのご活躍、心から楽しみにしています」
本心だったが、少し冷たい聞こえ方になってしまったかもしれない。
玲司は一瞬迷った後、みどりに向かって片手を差し出した。
みどりは目を丸くすると、すぐに立ち上がって玲司に近寄り、差し出した手を握り返した。
玲司の頭になぜか「戦友」という言葉が思い浮かぶ。
ちょっと感傷的すぎかもしれないが、恋人や夫婦より、みどりとはそちらのほうがしっくり感じられた。
もしかしたら今、みどりも玲司と似たようなことを感じたかもしれない。
ふとそんな気がした。
手を離すと、みどりの目がきらりと光った。
「でもやっぱり残念。あなたのその理性的な顔、一度でいいから自分の力で慌てさせてみたかったですわ」
「ご冗談を。そんなつまらないもの、あなたはきっと見向きもしないでしょう」
「あら、ご謙遜ね」
みどりは心外そうな顔をしてみせると、例の子どものような笑みを浮かべた。
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