第40話 お兄様はいかに恋するものぞ【extra1-2】
玲司の見合いは平日の午後、都内のホテルで行われることになっていた。
週末だと相手方の都合がどうしてもつかないのだという。
週末より平日のほうが人目にもつきにくいだろうということもあり、玲司は仕事の都合をつけてホテルにやってきたのだが、肝心の柏みどりは約束の時間を過ぎても現れず、玲司は先に仲人の男性と二人で喫茶室に入っていた。
「柏くんから、前の仕事が長引いているとさっき連絡があってね。待たせて申し訳ない」
理人の学生時代からの友人である仲人の男性は、そう言って玲司に謝った。
「別に構いません。柏さんもお忙しいでしょうから。どうかお気になさらず。ちょうど時間もありますので、よければこちらご覧になってください」
玲司は二日前に完成した公演チラシの見本をかばんから取り出して仲人に手渡した。
仲人は再来月のチャリティーコンサートを行う劇場の経営者でもあった。
今日の玲司の一番の目的は彼と懇意になることだったので、玲司はむしろ柏みどりが遅刻してくれて感謝しているくらいだった。
玲司が仲人の男性としばらく歓談していると、不意に後ろから声がかかった。
「遅れてしまい申し訳ありません。舞台稽古が押してしまって」
やや低めの心地よい声だった。
声につられるようにして振り向くと、珍しいパンツスタイルの女性が立っていた。
目深に帽子をかぶって顔が見えなかったが、それでも圧倒的な存在感で、人目をひく気品と華やかさがあった。
わざわざ教えられるまでもなく、玲司にはそれが見合い相手だと察せられた。
立ち上がり、仲人を介して互いに挨拶を交わす。
型通りの自己紹介を終え、ちょっとした雑談で場が和んできたところで、仲人は「それじゃあ後はお若い人たちで」という決まり文句を残して立ち去っていった。
二人だけで会話が持つか自信はなかったが、みどりは頭の回転が速く、話題選びやちょっとした言葉の選び方がしゃれていて、意外なことに見合いの終了時刻まであっという間に時間が過ぎた。
「お話しできて楽しかったですわ」
「私もです」
席から立ち上がったみどりに対して、玲司も立ち上がりながら本音でそう答えた。
「ところで。あちら、あなたのお知り合いかしら」
どこか面白がるような表情でみどりが玲司の背後に目をやった。
玲司が振り返ると、すぐ後ろのテーブル席に一人でいた女性客が、慌ててメニューを広げて顔を隠した。
「それじゃお先に」
みどりは帽子を目深にかぶると、口元に魅力的な笑みを浮かべながら玲司の横を通り過ぎ、さっそうとした後ろ姿で去っていった。
売れっ子の歌手ということもあり、本人に会う前は扱いづらい難儀な性格をしているかもしれない、と勝手に悪い予想をしていたのだが、いざ対面してみると、みどりの人柄はさっぱりとしていて好感が持てた。
仕事で成功をおさめているという点も玲司にとっては評価が高い。
見合いの話を理人から聞かされた時にはさほど乗り気でない玲司だったが、今は「ありかもしれない」とやや前向きに検討する気持ちになっていた。
玲司は腰を下ろして飲みかけのコーヒーに口をつけると、ふぅと一息ついた。
「で、日野川くん。君はここで何をしている」
後ろを見ずとも、先ほどからずっとメニューで顔を隠していた文乃があたふたと慌てているのが手に取るようにわかった。
文乃は観念したのか、玲司の前に移動し、しおれた顔つきでうつむき加減に立った。
「副社長が公用と私用を同時に片づけてくるとおっしゃってお出かけになったので、もしや例のお見合いの件かと思い……」
「後をつけてきたのか」
「…………はい」
文乃はこれ以上ないというほど肩を丸めている。
芸能人を直接見てみたいというちょっとした出来心だったかもしれないが、職務上知り得た情報を私利私欲で活用するとは言語道断である。
玲司は思わず聞えよがしにため息をついた。
「申し訳ありません……」
文乃は蚊の鳴くような声でささやいた。
玲司はせっかくの機会だから、日頃の注意点も踏まえて、ここは懇々と仕事に対する心構えを言って聞かせよう、と考えた。
「日野川くん。とりあえず座りなさい」
文乃はしおしおと玲司の正面の席に腰を下ろした。
だいぶへこんでいる。
あまり注意しすぎないほうが人材育成上はいいのだろうか、と玲司は一瞬迷った。
しかし時には厳しいことを言うのも上司の務めだ。
ここは慎重に言葉を選ばなければ、と玲司はコーヒーを口に運んだ。
すると、ずっと黙っていた文乃がどこか思いつめた様子で顔を上げた。
「あの、副社長はもうすぐご結婚なさるんでしょうか」
「すぐかどうかはわからないが、話がうまくまとまればそうなる。どうして君がそんなことを気にする」
なぜか文乃は再び黙り込んでしまい、顔をうつむけて膝の一点を見つめていた。
今日の文乃は、いつも以上に様子がおかしい。
「日野川くん、どうしたんだ。黙っていては何もわからない」
やや強めに声をかけると、文乃はいきなり顔を上げ、食い入るような目つきで玲司と視線を合わせた。
その視線の鋭さは、思わず玲司がたじろぐほどだった。
反感の表れか、もしくはこの場で泣き出すのか、と玲司が身構えた矢先――。
「もし結婚するなら、わわわ、私を…副社長の愛人にしてくださいっ」
静かな店内に、文乃の声が反響する。
玲司はコーヒーカップを手にしたまま、椅子からずり落ちそうになった。
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