第31話 若様の心遣い
無事に病院までたどり着いて退院手続きを済ませた日鞠は、妹の風佳を連れて帰りの汽車に乗り、駅舎へと降り立った。
駅舎から屋敷までどうやって帰るか考えないまま外に飛び出してきてしまったので、最悪、自分が風佳を負ぶって屋敷まで帰ろうと腹をくくっていたが、改札を出てすぐの所で、なんと颯太が待ってくれていた。
日鞠を駅舎まで送り届けた後、颯太はわざわざ汽車の時刻表を確認し、当たりをつけて再び車で迎えに来てくれていたのだ。
移動で一日中動き回っていた日鞠にとって、颯太の厚意は心底ありがたかった。
さすがに颯太は年下の接し方も堂に入っていて、運転席の隣で日鞠と颯太の間に座っていた風佳は、車中ずっと楽しそうに颯太としゃべっていた。
「へぇ。風佳ちゃんは歌が好きなんだ」
「うん。聞くのも歌うのもどっちも好き。お兄ちゃんは?」
「俺も音楽は好きだよ。聞いてると楽しい気分になるからいいよね」
「うん! …歌ってあげようか?」
「こら、風佳。運転の邪魔になるから静かにしてなさい。颯太さん、すみません」
「平気平気。俺んちのちびっ子たちに比べたら、風佳ちゃんはすごく行儀良くておとなしいし」
こんな会話を続けているうちに、車は屋敷に到着した。
「颯太さん。今日は送り迎えしていただき、本当にありがとうございました」
車から降りた日鞠は、颯太に深々と頭を下げた。
風佳も隣で真似して頭を下げる。
「どういたしまして。風佳ちゃん、またね」
颯太は手を振ると、車を発進させて帰っていった。
風佳も手を振っていたが、車が見えなくなると、手を下ろしてこう言った。
「お兄ちゃん、いい人だったね」
「本当にね。風佳、これからお姉ちゃんが働いてるお宅の中に入るけど、静かにしててね」
風佳は大きくうなずいた。
裏口に回って敷地の中に入り、日鞠が寝泊まりしている離れの部屋へ向かう途中、風佳が声をひそめて日鞠に尋ねた。
「お姉ちゃん、ここで働いてるの?」
「そうだよ」
「すごく大きいね」
風佳はずっと辺りをきょろきょろと見回していた。
「風佳。私がいない時は一人で勝手に出歩いたらダメだよ。ご主人様に怒られちゃうから」
咲夜の体質のことがあるので、念のためそのように注意しておくと、風佳は心配そうな顔つきになった。
「ご主人様って怖い人なの?」
うーん、と日鞠は考えた。
「時々機嫌が悪くなるけど、でもいい人だよ」
正直に答えると、風佳はまだどこか心配そうな顔をしていた。
咲夜に関しては、説明するのがどうも難しい。
離れの部屋に到着すると、日鞠はすぐに風佳のためにベッドを整えたが、退院したばかりのせいか、風佳はベッドに入るのを渋った。
「まだ寝れないよ」
「寝なくてもいいから横にならないと」
「こんなに早く横になったら、夜眠れないよ」
風佳はやや興奮気味の様子だった。
はしゃいで体調をまた崩したりしないだろうかと心配だったが、あんまり強く言うのも今日ばかりは気が引けて、日鞠は折れた。
「……わかった。じゃあ部屋でおとなしく座っててね。お姉ちゃん、これからご主人様の所に行ってくるから」
「はーい」
少々心配だったが、咲夜のいる母屋へ向かうと、寝室から明かりが漏れていたので、日鞠は外から声をかけた。
「咲夜様。ただ今戻りました」
しばらく待っても返事がなかったので、ふすまを少し開けると、中に咲夜の姿はなく、布団だけ先に敷いてあった。
自分で準備してくれたのかと日鞠がやや驚いていると、咲夜が廊下から歩いて現れた。
「戻ってたのか」
「咲夜様。行かせていただきありがとうございました」
「妹は大丈夫だったのか」
「はい。咲夜様、ご夕食はまだですか?」
「さっき自分で作って食べた。余った分だけ片づけといてくれるか」
それだけ言うと、咲夜は寝室に入ってしまった。
食事も寝床の準備も自分でしてしまうとは。
アンジュの指導がまだ効いているらしい。
頼もしいが、そのうちなんでも一人でできてしまって、いずれ日鞠はお役御免になるのではないかと少々不安になってしまう。
とりあえず頼まれた片づけをしようと台所に行ってみると、調理台も流し場もきちんときれいに後片づけしてあった。
いよいよすることがない。
調理台の上に皿が一枚だけ出ていたので、しまい忘れかと思って近づいてみると、皿の上にはおにぎりが五つ載っていた。
『余った分だけ片づけといてくれるか』
もしやこれは、と日鞠は目を見開いた。
帰ってきた日鞠たちのために、わざわざ用意しておいてくれたのだろうか。
わかりにくいけど、ある意味咲夜らしい。
日鞠はおにぎりの皿を二人分の湯飲みと一緒にお盆に載せると、離れの部屋に戻った。
風佳にも手伝ってもらい机を壁際から部屋の中ほどに移動させ、運んできたお盆を置く。
久しぶりの姉妹二人での食事だった。
「これ、お姉ちゃんが作ったの?」
少し歪な形をしたおにぎりを風佳は不思議そうな顔で手に取って見つめていたが、日鞠はふふ、と笑っただけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます