第28話 若様と流れ星

思いっきり泣いた後、颯太に平謝りして仕事に戻った日鞠は、日が暮れてから屋敷中を歩き回っていた。


いつもの夕食の時間に咲夜の姿が居室に見当たらなかったのである。


忘れているだけなら問題ないのだが、もしどこかで倒れでもしていたらと日鞠は気をもんだ。


母屋の他の部屋にはどこにもいないし、離れの二階の本棚の部屋も確認してみたが、そこにもいなかった。


となると残るは庭だが、外はもう暗い上に、とにかく広い。


月明かりだけを頼りに四方に目を凝らしながら歩いていると、はたして池のほとりに咲夜の後ろ姿を発見した。


「咲夜様」


呼びかけると、咲夜はこちらを振り向いたが、またすぐに池の水面へと視線を戻した。


日鞠は咲夜のそばまで近づいていった。


「咲夜様。夕食のお時間ですよ」


咲夜は日鞠にちらりと顔を向けたが、何も言わないままだった。


「もしかしてどこかお加減が悪いですか?」


咲夜の様子を確認しようとして、しゃがんで目線の高さを合わせると、咲夜はようやく口を開いた。


「目、腫れてるぞ」


日鞠は慌てて指先でまぶたに触れた。


布巾を濡らして冷やしたのだが、まだ完全に腫れは引いていなかった。


「これはその、目にゴミが入ったのをこすってしまって」


どこか言い訳じみたごまかしを口にすると、咲夜は再び池に視線をそらした。


「別に理由なんか言わなくていい」


不機嫌でも怒っている訳でもなさそうだったが、どこか元気のない声だった。


咲夜は立ち上がる気配がなく、日鞠は一人で立ち去るのもなんとなく気が引けて、黙って隣に腰を下ろしていた。


どれくらいの時間、そうしていただろうか。


池の上の空を星が横切っていくのを見つけ、日鞠は思わず咲夜の腕をたたいた。


「咲夜様、流れ星ですっ」


視界から消える前に急いで願い事を心の中で唱えると、日鞠は勢い込んで尋ねた。


「咲夜様、ちゃんと間に合いましたか?」


「何が?」


咲夜がけげんそうに聞き返したので、日鞠は大真面目に答えた。


「流れ星を見つけたら、見えなくなる前に願い事をしないと」


「そんなのただの迷信だろ。それに願い事なんてない」


咲夜の言葉に日鞠は愕然とした。


ちなみに日鞠は願い事だらけである。


「おまえはどんな願い事をしたんだよ」


「それは……秘密です」


願い事は口にしないのが流れ星のお約束だ。


けれど日鞠の返事を聞いた咲夜の様子は、どこかおかしかった。


「やっぱり俺には何にも言わないんだな」


「え?」


「なんでもない」


そうつぶやいたきり、再び黙り込んでしまった。


やはり元気がない。


隣からそっと様子をうかがいながら、それにしても、と日鞠は考えた。


先ほど咲夜は「願い事なんてない」と言っていたが、自分の体のことは願わなかったのだろうか。


それはなんだか悲しい気がした。


本邸で咲夜の寂しさを垣間見た時と同じように、やるせない気持ちになってくる。


まるで心臓をわしづかみされたような気分だった。


「咲夜様が元気になりますように」


日鞠そうつぶやくと、咲夜が視線だけこちらに向けた。


「さっき、そうお願いしたんです」


咲夜がどんな顔をしているのか、暗くて見えなかった。


たとえ日鞠が星に祈っても、たぶん咲夜の体はよくならない。


それくらい日鞠にもわかっている。


だけど祈るくらいしか今の自分にはできない。


日鞠が勝手にそんな願い事をしたと咲夜が知れば、押しつけがましいと思われるかもしれない。


わかっていたから咲夜には秘密にしておくはずが、どうしてか告白してしまった。


咲夜は相変わらず黙ったままだったので、やっぱり言わないほうがよかったかも、と後悔していると、咲夜がおもむろに口を開いた。


「日鞠、目つぶれ」


いったいなんだろうと咲夜を見やったが、咲夜は理由を説明する気はなさそうだった。


「いいから早くしろ」


「はい」


首をかしげながら言われた通りにすると、咲夜の両手が日鞠の頬をはさみ込んだ。


そのすぐ後、閉じた左右のまぶたの上に順番ずつ、温かくて柔らかい感触がゆっくりと押し当てられた。


(え?)


咲夜の手が離れると、日鞠は目を開けた。


「咲夜様、今、何をしたんですか」


「言わない。教えない」


咲夜は立ち上がると、日鞠を見下ろした。


月明かりに照らされたその顔には、どこかしてやったり、という表情が浮かんでいた。


「戻るぞ。腹が減った」


それだけ言うと、さっさと一人で母屋に向かって歩き出す。


いつもの咲夜だ。


日鞠は慌てて立ち上がると、後を追った。


咲夜の数歩後ろを歩きながら、日鞠はそっと指先でまぶたに触れた。


まだ腫れぼったい皮膚が、泣き止んだ直後よりさらに熱を帯びていた。

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