第23話 若様への料理指南

アンジュとのアフタヌーンティーを終えて帰ってきた日鞠は、台所の惨状を見て声を失った。


棚の引き出しは全開になり、コンロには正体不明の吹きこぼれの跡があり、流し場には洗い物が散乱し、調理台の上には刻みかけの食材が放置されていた。


よくもまぁこれだけ散らかせたな、とうっかり感心してしまいそうになる。


ぼう然と立ち尽くす日鞠に対し、咲夜は台所の片隅でぼそりと一言つぶやいた。


「……悪い」


日鞠は心を落ち着けようと深呼吸した。


たぶん、いやきっと咲夜は生まれて初めて台所に立ったのだ。


事故や怪我などなくてよかったと、むしろ喜ぶべきではないか。


それにいきなり完璧に料理をされてしまっては、それこそ日鞠の立場がない。


「咲夜様、お夕食はまだですよね。ここを片づけたらすぐに用意しますから、お待ちいただけますか」


そう言うと、咲夜から意外な反応が返ってきた。


「俺も手伝う」


「え?」


日鞠がそれ以上何か言う前に、咲夜は日鞠に近づいてきた。


「何をすればいいのか指示を出せ」


日鞠がまごついていると、咲夜は「早くしろ」と催促してきた。


この人、本当に悪かったと思っているのだろうか、と疑いかけたが、あんまり落ち込まれてもそれはそれで気を使う。


それにアンジュも「今日は練習だと思って頑張りなさい」と言っていたではないか。


「では調味料と使わなかった皿を棚にしまってください」


咲夜はうなずき、棚の前に移動して片づけ始めた。


若干手間取っている気配はあったが、咲夜が「終わったぞ」と言った時、ちょうど日鞠はコンロの掃除と洗い物を終わらせたところだった。


「ありがとうございます、咲夜様」


そう声をかけると、咲夜はどこかほっとした様子だった。


日鞠は台所を見回した。


ほぼ原状回復し、あとは調理台の上に残っている食材をどう始末するか、だけだ。


「ちなみに咲夜様、何を作るつもりだったんですか?」


「おにぎりと味噌汁、あとできたらサラダも」


咲夜がぼそぼそとつぶやいた。


無難な選択だ。


ただ、おにぎりとみそ汁は昼食にも出したので、何か別のものを作りましょうか、とつい言ってしまいそうになったが、咲夜の哀愁漂う横顔を見て、思いとどまった。


「それじゃあ一緒に作ってみますか?」


咲夜は日鞠の提案に一瞬驚いたようだが、一言「…作る」とだけうなずいた。


それから一時間以上、日鞠はつきっきりで咲夜に料理を指南した。


梅としゃけのおにぎり、わかめと豆腐のみそ汁、トマトとレタスのサラダの三品が完成した時には、日鞠の精根は尽きていた。


慣れない手つきの人間に包丁を持たせたり熱湯を扱わせることが、これほど怖いことだとは思ってもみなかった。


全部自分でやったほうが楽だし早いのだが、出来上がった料理を見た時の咲夜の嬉しそうな顔を見て、でもやっぱり一緒に作ってよかった、と思った。


「お部屋に料理をお運びしますね」


日鞠が完成した料理をお盆に載せようとすると、咲夜はけげんな顔をした。


「わざわざ運ぶ必要あるか? ここで食べればいいだろ」


「はい?」


咲夜は調理台の近くに置いてあった丸い椅子にどさっと腰かけた。


「腹が減ったし、わざわざ移動するのも面倒くさい」


咲夜はそう言っておにぎりを手づかみで食べ始めた。


なんだか変なことになったが、とりあえず日鞠はみそ汁とサラダを取り分けて咲夜の前に並べた。


お茶の用意もしなくちゃ、と慌ただしく立ち働いていると、咲夜が見かねた様子で声をかけてきた。


「いいからおまえも座って食べろよ」


「え、私もですか?」


日鞠は思わず聞き返した。


「なんだよ、夕飯食べないのかよ?」


「いえ、おなかはそこそこ空いているのですが」


プリンは食べたが、そもそも昼食を食べていなかった。


しかも空腹を自覚した途端、日鞠の腹の虫がぐぅと鳴った。


「……ではお言葉に甘えて」


「ん」


日鞠は自分の分のみそ汁をよそうと、咲夜のはす向かいに座った。


料理だけでなく、まさか食事まで二人で一緒にすることになるとは。


おにぎりを食べようとして手を伸ばしかけたが、なんとなく手づかみする気分ではなくて、小皿に取って箸で食べることにした。


いつもなら絶対手でつかんで頬張っているのに。


なんでだろうと首をかしげていると、咲夜と目が合った。


「母さんとどこ行ってきたんだ」


咲夜が尋ねた。


「ホテルの喫茶店で『プリンなんちゃら』というお菓子をごちそうになってきました」


「へぇ、プリンか」


咲夜が興味を示した。


「咲夜様もプリン召し上がったことがあるんですか?」


「母さんと八重が何回か作ってくれたことがある」


咲夜の言葉を聞いて、日鞠は昼間悩んでいた料理の件をまたぞろ思い出した。


そういえば離れの本棚にあった料理本を見せてもらった時、プリンの絵が描かれているページがあった気がする。


「咲夜様、プリン食べたいですか?」


「そうだな」


咲夜はサラダに箸を伸ばしながら何気なく答えた。

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