第21話 若様のお食事

その日、朝食の準備を整えた日鞠は、いつもよりドキドキしながら咲夜の様子を見守っていた。


まだ眠たかったのか咲夜は寝ぼけまなこだったが、用意された膳を見て、おや、というように半目を開いた。


「パンケーキじゃないか。作ったのか?」


「はい。本邸の食事で何度か出てきたので、休憩時間に厨房で作り方を教えてもらったんです」


気づいてもらえた嬉しさと、初めての料理を出す緊張で、答えた日鞠の声はやや上ずっていた。


咲夜は席につくと、パンケーキがのった平皿とは別の小鉢に目をとめて、やや不思議そうに持ち上げた。


本邸では『めーぷるしろっぷ』という初めて聞く名前の甘味料をかけていたが、あいにくここにはない。


なので代わりに黒砂糖を煮つめて黒蜜にして添えてみたのだが、なにか変だっただろうか。


日鞠はそわそわした気分になりかけたが、咲夜は特になにも言わずに小鉢の中身をパンケーキにかけると、はしで切りわけて淡々と口に運んだ。


咲夜が食べている間、日鞠はいつも通り部屋の壁際に黙って座っていたが、今日はその時間が妙に長く感じられた。


食事を終えた咲夜は薬を飲んで立ち上がった。


「ごちそうさま。うまかった」


日鞠がぽかんと咲夜の顔を見上げると、咲夜がけげんそうに見返してきた。


「なんだよ」


「い、いえっ。おそまつさまでした」


慌てて答えながら勢いよく頭を下げる。


ごちそうさま、はいつも言われているので驚きはしないが、おいしい、と言われたのは初めてだった。


うれしい。


自然と口元がゆるんでしまうので、咲夜に見とがめられないよう、日鞠はしばらくそのまま顔を伏せていた。




朝食の膳をさげて台所で機嫌よく食器を片づけていた日鞠だったが、はたと洗い物の手をとめた。


パンケーキの感想をもらえて浮かれていたが、もしや咲夜は和食以外の料理をもっと食べたいと思っているのではないだろうか。


これまで食事について咲夜から文句を言われたことはなかったが、毎日のことだし、日鞠は料理を習ったり専門の仕事にしてきたわけではないので、作れる品数は自然と限られてくる。


はっきり口にしないだけで、咲夜が内心では代わり映えのしない食事内容に飽きていないとも限らない。


いや、その可能性は高い。


本邸で供されていた食事は、毎食考えに考え抜かれた献立だった。


作っているのも専門の料理人で、日鞠がまかないで初めて食べた料理もたくさんあった。


前任のお世話係の八重さんも、おやつに洋菓子のクッキーを焼いていたくらいなのだ。


きっと日鞠が食事を作るようになってから、咲夜はたいそうがっかりしていたに違いない。


そう思うと、日鞠は急にいたたまれない気持ちになってきた。


本邸にいる間、慣れない環境に気が張りつめていたとはいえ、パンケーキ以外の料理も教わっておくべきだった。


今さら言っても仕方がないのだが、朝食の後には問答無用で昼食がやってくる。


一度悩み出すと、どういうわけかこれまで普通にできていたことが突然難しく感じられた。


いったいこれまで自分はどんな料理を作っていたんだっけ。


日鞠は頭をかかえた。


困った時の麺類とばかりに、卵とじうどんを作ろうかと思ったが、それだと小麦粉続きになってしまう。


ではお米がいいかと考え、結局悩んだ末に作ったのは、一番手軽な塩むすびとお味噌汁だった。


日鞠は毎日食べても飽きないが、咲夜には料理の手を抜いたと思われてしまうかもしれない。


考えすぎて、精神的にげっそりしたせいだろうか。


「おまえ、もしかして疲れてるのか?」


昼食の膳につくなり、咲夜が日鞠にそう尋ねた。


体調は万全だが、このまま悩みすぎては他の仕事が手につかなくなってしまう。


日鞠は思いきって咲夜に尋ねてみることにした。


「咲夜様。夕食になにか食べたい物はありますか?」


目の前の昼食もまだ食べていない咲夜は、質問を聞いてやや戸惑い気味の様子だった。


「別に……なんでもいい」


この場合、一番困る返答である。


「そうですか…………」


「どうしたんだよ。今までそんなこと聞いてこなかっただろ」


おむすびをほおばりながら、咲夜が言った。


「なにをお出しすればいいか、ちょっと袋小路に陥ってしまいまして」


思わず本音をもらすと、咲夜がなにか言いかけて、言葉をのみこんだ。


普段なら気になってもそのまま素知らぬふりをするところだが、今の日鞠はやや切羽つまっていた。


じぃっと咲夜を見つめて言葉を待っていると、咲夜が日鞠の気迫におされたのか、口を開いた。


「いや、そういえば本棚に料理本があったなと思って」


「料理本? お料理の仕方が書いてある本ですか?」


「母さんの持ち物だった本だから、洋食のことしか書いてないけどな」


それはまさに願ったりかなったりではないか。


日鞠は身を乗り出した。


「その本、お貸しいただいてもよろしいでしょうか!」


「別に構わないが……」


咲夜がなにか言いたそうにしているのがちょっと気になったが、理由はその後すぐに判明した。


昼食を終えると、咲夜は本棚のある離れの二階の部屋までついてきてくれたのだが、咲夜が蔵書の中から抜き出して手渡してくれた本は、外国語で書かれていた。


写真や図も入っているのだが、なにがなにやらさっぱりだった。


本を手に日鞠はガーンと立ちつくした。


「……だから言っただろ。母さんの本だって」


申し訳ないことに、咲夜までばつの悪そうな様子である。


「あら、懐かしい本」


不意に第三者の声がして、日鞠と咲夜が同時に振り向くと、すぐ後ろにアンジュが立っていた。


「来ちゃった♪」


「母さん!? なんで急にいるんだよ」


「だって玄関で声をかけても誰も出てこないんだもの」


「そういうことじゃなくて、どうしてここにいるんだよ」


「会いにきたのよ」


てっきり咲夜に会いにきたのかと思ったが、アンジュは日鞠に顔を向けると、にっこりと笑みを浮かべた。


「私とデートしましょ、ヒマリ」


「はぁ!?」


なぜか咲夜が素っとんきょうな声をあげた。

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