第19話 秘密の花園<桐生院の職務レポート>

夕方、桐生院は仕事の途中で研究室を抜け出し、本社ビルに隣接する植物園を訪れていた。


密集する巨大ビルや道路の狭間にあって、ちょっとした都会のオアシスの観を呈しているが、宝城製薬が管理する植物園なので、むろん憩いの場や観賞用ではなく、植物の薬効成分を調査研究するためのれっきとした附属施設である。


広い園内は人がまばらで、植物の管理をする園丁の姿をちらほらと見かける程度だ。


花壇や植木の間を通り抜け、桐生院は使用されていない古びた温室の前で足をとめた。


普段は施錠されているはずの扉をゆっくり押し開けると、ぎぃと重たげな音がして、中にいる先客に桐生院の来訪を知らせた。


「呼び出してごめんなさい、キリューイン」


温室の中ほどに立っていたアンジュが、こちらを振り返って笑った。


ガラスの天窓から降り注ぐ夕陽が、アンジュの金髪に反射して照り映えている。


室内で手入れされずに枯れ残っていた植物たちが、一瞬だけ生気を取り戻してよみがえったような気がして、桐生院は目をすがめた。


単なる錯覚にすぎない。


アンジュのすぐ横に白い丸テーブルと椅子が数脚置かれていたので、二人は向かい合わせになって座った。


「で、先生はどうして僕をわざわざここへ呼び出したんです? 直接研究室にいらしてくださればよかったのに」


桐生院がそう尋ねると、途端にアンジュの眉間にしわが寄った。


「そんなことしたら、あの人と鉢合わせるかもしれないじゃない」


あの人、とは、むろん社長のことだろう。


確かめるまでもなかったので、桐生院は話題を変えた。


「咲夜くんとはもうお会いに?」


「えぇ。思ったより元気そうで安心したわ」


「新薬も効いたみたいですよ」


喜ぶかと思いきや、アンジュは顔をくもらせた。


「でもあの薬は症状を緩和させるだけ。完治には至らないわ」


アンジュはつぶやくと、昏い目で周囲を見やった。


まるで自分の罪を思い出し、古傷をえぐることで自らを罰しようとしているかのように。


咲夜が植物に寄生されたのは、ここ植物園だったと聞いている。


もしかしたらこの温室だったのかもしれない。


その日、咲夜は学校がたまたま休みで、アンジュが職場に連れていった。


大人たちが目を離したすきに、咲夜が間違って危険植物の栽培エリアに迷い込んでしまい、気づいた時には、捕食される寸前だったらしい。


かろうじて救出できたものの、咲夜の体には植物片が残ってしまい、以来、咲夜もアンジュも奇病と闘い続けている。


「先生。暗い顔をしていると、福が逃げていきますよ」


そう言うと、アンジュは目をぱちくりとさせた。


「あら、私そんな顔してた?」


桐生院がうなずいてみせると、アンジュは指先で眉間をもみほぐした。


「それにしてもよく覚えてたわね、その言葉」


「先生の口癖でしたからね。教えはすべて胸に刻んでいますよ」


「よくできた教え子でうれしいわ。ついでに一つ頼まれてほしいんだけど」


そういえば、アンジュに呼び出された理由をまだ聞いていなかった。


「なんでしょう」


「新しく咲夜の世話役になった子がいるでしょう。たしか名前は……ヒマリ、だったかしら」


「青空さんですね。お会いになったんですか」


「えぇ、咲夜の顔を見に寄った時に。彼女、雇い入れの際にメディカルチェックはした?」


「それはもちろん。念には念を入れて検査しましたよ」


咲夜のそばで働いてもらうわけだから、当然の措置である。


「検査結果、私にも見せてもらえないかしら」


本人の許可なく、検査結果を見せろとアンジュは要求してきている。


さすがに桐生院も即座に了承はできなかった。


「理由をお聞かせいただいても?」


「ちょっと気になることがあって」


アンジュは微笑むだけだった。


断るのがあるべき姿だと桐生院も理解している。


けれどアンジュの頼みを自分は断れないということも、桐生院は理解していた。

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