第15話 若様の胸の内

紆余曲折を経て咲夜が試験薬を五日分飲み切ると、今度は病院で検査を受けることになった。


新しい薬の影響を調べるのと、定期健診もかねて一日がかりで行うのだという。


往診に来た桐生院からそう説明を受け、日鞠は質問した。


「私も付き添ったほうがいいでしょうか?」


「どうだろう。病院では専門のスタッフがずっとついてるし、病院までの送迎はこちらで手配するから、咲夜くん次第だけど。咲夜くん、どう? ついてきてもらう?」


「別にいらない。そいつが病院に来ても、待合室のいすで座ってるしかやることないだろ」


ということで、日鞠は翌日、世話係の仕事がないので、本邸の仕事を手伝うことになった。


玄関の外の大理石をふき掃除していると、後ろに気づかず人にぶつかってしまった。


「うおっと」


「すみませんっ」


慌てて振り返ると、ぶつかった相手は、なんと颯太だった。


「あれ、日鞠ちゃん? どうしてここにいるの?」


「私は咲夜様の付き添いで。颯太さんこそどうしてここに」


「俺は兄貴たちの手伝い。うち、別邸だけじゃなくてこっちの家の庭も任されてるから」


なるほど、と納得していると、庭のほうから見知らぬ男性二人の声が飛んできた。


「颯っ。朝からナンパとはやるな!」


「とっととこっち来て手伝えっ」


お兄さんたちだろうか。


颯太は日鞠に「やべ、またあとでっ」と言って、風のように走っていった。


普段とは別の場所で知り合いに遭遇すると、それだけで嬉しい気分になってくる。


せっせと掃除をして午前が終わると、日鞠は颯太に誘われて庭で休憩をとった。


庭のベンチで昼食を食べながら、日鞠はこちらに来た経緯をかいつまんで説明した。


「じゃあ一週間ずっとこっちにいたんだ。そっか。それでずっと姿を見かけなかったのか」


颯太は持参のおにぎりをほおばりながらうなずいていた。


ちなみに日鞠の昼食は、支給されたハムとチーズのサンドイッチである。


「颯太さんはよくこちらへお手伝いしに来るんですか?」


「たまにね。日鞠ちゃんは来るの初めて?」


「はい。お城みたいでびっくりしました」


「あ、それ俺も初めての時そう思った!」


「やっぱり! ですよね!」


二人でわいわい盛り上がっていると、朝見かけた男性たちが、通りがかりに声をかけてきた。


「お、颯。急にいなくなったと思ったら、また口説いてたのか。お嬢さん、嫌ならはっきり言っていいからね」


「ちげえよっ」


「女の子に見とれて、荷物取りに行くの忘れんなよ」


「しつこいってばっ」


二人は笑いながら過ぎ去っていった。


「お兄さんたちですか?」


「そう。家帰ったら、ぜってー話盛ってからかわれる」


颯太はおにぎりの残りを口の中に押しこんで、ベンチから立ち上がった。


「俺、これから町中でみんなの用事片付けてこなきゃいけないんだ」


「一人で行くんですか?」


「そ。完全に使いっぱしりだよ。日鞠ちゃんは?」


「私は咲夜様が夜お戻りになるまで、時間が空いてしまって」


午前中に頼まれていた掃除が終わったので、午後は自由に過ごしていいと家政婦長からは言われていた。


どうやって時間をつぶそうと思っていたのだが。


「あの、颯太さんのご用事、よければお手伝いしましょうか?」


「え、いいの!」


「はい。役に立つかはわかりませんが」


「や、でもせっかくの自由時間にやっぱ悪いかも」


「いえ。私も外を見てみたいですし」


日鞠は普段、外を出歩く機会がめったにない。


お金もないし、外出できても一人ではどこに行けばいいかもわからないから別に構わないのだが、颯太の用事を手伝いながら、いろいろと見て回るのは、なんだか楽しそうな気がした。


「じゃあお言葉に甘えて」


「はい!」


二人は弁当を片付けると、そのまま歩いて繁華街へと出発した。


颯太は店から店へと効率よく回っていき、行く先々で、いろんな人から声をかけられていた。


颯太がみんなから好かれているのが、そばで見ていてよくわかる。


「人気者ですね、颯太さん」


「つきあい長いとこばっかだからね。それよりごめん。みんな日鞠ちゃんのこと冷やかしてきて」


実は店を訪れるごとに、必ずといっていいほど颯太の隣にいる日鞠を見て、「お、彼女かい」と言われていた。


日鞠も最初はまごついたが、途中からそのやり取りにも慣れてしまっていた。


「気にしないでください。それより私のほうこそすみません。手伝うって言ったのに、なんにも役に立ってなくて」


荷物を持とうとしても、颯太は全部自分で持ってしまうので、日鞠はただ横で歩いているだけだった。


「そんなことないって。お財布出したり小銭出すのやってもらえるだけで、すんごい楽。それに歩いてる間も話し相手がいてくれるから、俺も楽しいし」


颯太がにかっと笑った。


みんなに好かれるのも、納得の笑顔である。


その後もいくつか店を回って、最後に、颯太は駄菓子屋に入った。


色とりどりのお菓子が、所せましと並んでいる。


わぁ、と日鞠は目を輝かせた。


いくつになっても、こういう店は訪れるとなぜか胸がときめいてしまう。


颯太は手慣れた様子で店内用のかごにポイポイと菓子を入れていった。


「たくさん買うんですね」


見たところ、今日一番買っている。


「ちびっこたちをおとなしくさせるにはこういうのが手っ取り早くて一番。日鞠ちゃんはどれがいいと思う?」


参考意見を求められたので、日鞠はうーんと考えて、中にきれいなフィルムの包み紙が入った菓子袋を取り上げた。


「これ、おいしいですよ」


「へぇ。ラムネか。俺、食べたことないや」


颯太がラムネ袋もかごに入れて会計を済ませると、用事がすべて完了した。


屋敷に戻ると夕方で、颯太の兄たちがちょうど仕事を終えたらしく、小さな作業用のトラックに荷物を運び込んでいるところだった。


「今日はいつもより遅かったな」


「早くしないと置いてくぞ」


「もうちょっと待って」


颯太が慌てて返事をすると、駄菓子屋の買い物袋の中からラムネを取り出して、はい、と日鞠に差し出した。


「これ、よかったら食べて」


「そんな悪いです」


「今日つきあってもらったお礼だから。受け取ってよ」


トラックの中から、颯太の兄たちがこちらのやりとりをにやにやしながら見ている。


変に遠慮するとかえって颯太に悪い気がしたので、日鞠は素直に受け取ることにした。


「ありがとうございます」


「こちらこそありがとね。じゃあまた」


「あ、颯太さん。ちょっと待って」


トラックに向かおうとした颯太を呼び止めると、日鞠はもらったばかりのラムネの袋をあけた。


中からラムネの包みを数個取り出し、急いで颯太に差し出す。


「颯太さん食べたことないって言ってたから」


颯太は日鞠の手からラムネを受け取ると、例の笑顔を浮かべた。


つられて日鞠も笑顔になる。


「おーい颯。にやけてないでさっさと乗れー」


「あーもううるさいなっ! またね、日鞠ちゃん」


颯太が慌ただしくトラックに乗り込むと、日鞠は手を振って見送った。


屋敷の中に入ると、使用人の一人が、咲夜も先ほど戻ってきたところだと教えてくれたので、日鞠は自分の部屋にラムネの袋を置いて、すぐに咲夜の部屋へと向かった。


ノックしたが、中から返事はない。


ここ最近は返事をしてくれていたので、聞こえなかったのだろうかと、もう少し強めにノックしたが、やはり返事はない。


中に入るかどうか迷ったが、そっとドアを開けてみると、咲夜は窓辺に立っていた。


「咲夜様。おかえりなさいませ。検査はいかがでしたか」


声をかけても、咲夜はこちらをちらりと見ただけで、すぐにそっぽを向いてしまった。


もしかしたら病院で疲れてしまったのだろうか。


日鞠は部屋の電気をつけると、咲夜に再び声をかけた。


「咲夜様。お食事はどうされますか? すぐに取ってきましょうか」


「いらない」


「少し横になられますか?」


咲夜はやはり返事をしなかった。


もしや気分がかなり悪いのだろうか。


「咲夜様。大丈夫ですか?」


日鞠は心配になり、近づいて様子を確認しようとすると、片手で咲夜にはらいのけられた。


これは……疲れているというより、なにやら機嫌が悪そうである。


いや、それも違う。


日鞠に向けている咲夜のこの表情は。


「咲夜様。私になにか怒ってますか?」


「怒ってない」


「いいえ、怒ってます」


「怒ってないっ」


怒鳴った後で、咲夜は自分の言葉に説得力がないと思ったのか、ブスっとした顔で黙りこんだ。


「やっぱり怒ってるじゃないですか。どうして怒ってるのか言ってくださらないと、気をつけようと思っても直しようがありません」


「……から」


「え?」


「楽しそうだったからっ。俺より後に帰ってきて、しかも二人で笑って話しているのを見たら、無性に腹が立っただけだっ」


一気にまくしたてると、咲夜はこちらに背を向けて再び黙りこんだ。


無茶苦茶だと思ったが、咲夜の後ろ姿には、うっすら哀愁が漂っている。


咲夜も一緒に買い物に行きたかったのだろうか。


颯太と男どうし、友情を育みたかったのかもしれない。


それはありうる、と思った。


ただの勘だが、咲夜は同年代の友人と過ごした経験があまりなさそうだ。


日鞠にも、周囲の人間が楽しそうにしているのを見ただけで、ふと疎外感を覚えてしまった経験はある。


そんなことを考えながら咲夜の背中を見ているうちに、日鞠はやるせない気分になってきた。


もしかしたら、咲夜はどうして腹が立っているのか、自分でも理由がわかっていないのかもしれない。


別邸で一人過ごしている時だけでなく、大勢の使用人にかしずかれている時でさえ、ずっと孤独なのだ。


それなのに、自分の寂しさに、きっと自分でも気づいていない。


『あいつは人に飢えている』


――玲司の言葉の、本当の意味。


途端に、日鞠は先ほどの咲夜に対する発言を後悔した。


間違ったことを言ったつもりはないが、追いつめるような言い方をしてしまった。


正論は、人を傷つけることがあるというのに。


もしかしたら咲夜に無理やり薬を飲ませたことさえ、日鞠の傲慢だったかもしれない。


これまでそれなりに苦労して生きてきたという自負のせいで、咲夜のことを通りいっぺんで理解したつもりになっていなかっただろうか。


そんなに簡単に、他人のことを理解できるはずがないのに。


「咲夜様。つい心ない言い方をしてしまいました。申し訳ありません」


日鞠はそう言って頭を下げた。


咲夜はこちらに背を向けたままだったが、日鞠は続けた。


「あなたの気持ちを全部理解できたらいいのですが、たぶんそれは無理だから、この先も咲夜様のことを怒らせたり、いらいらさせてしまうかもしれません」


「なんの宣言だよ、それは」


窓に向かって咲夜がつぶやいた。


ちゃんと聞いてくれている。


「最後まで聞いてください。私が咲夜様の気持ちを理解できなくて、たとえ咲夜様が私のことを突き放したくなったとしても、ちゃんとそばにいます。独りにはしません」


「……それは仕事だから、だろ」


「そうです。咲夜様の世話係です。だからクビにされるまで、意地でも離れません」


「…………じゃあ、もうあいつと二人で出かけたりはしないんだな?」


「それはわかりませんが」


「なんでだよっ」


咲夜がようやくこちらを振り向いた。


しかもなぜかまだ怒っている。


「え、いやだって、同じ仕事場で働いているわけですし。また用事で一緒に出かけることがあるかもしれません」


「だめだ」


「どうしてですか」


「自分で言ったんだろ。そばにいるって。言ったことは守れ」


やっぱりわけがわからない。


咲夜を理解するにはまだまだ時間がかかりそうだった。

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