第14話 若様が寝てる間に

しーんと静まり返る中、最初に沈黙を破ったのは桐生院だった。


「はーい、はいはい。咲夜くんが薬を飲んだので、これから安静にして寝てもらいます。二人とも部屋から出た出た」


そう言われて、日鞠と玲司は部屋から追い出された。


ドアの外に出ると、玲司がじろりと日鞠に目を向けた。


「どうしてあんなことをした。まさかきちんと薬を飲ませろと叱ったことに対する俺への当てつけか?」


「い、いえっ、そうじゃありません。私にも妹がいるんです。体が弱いのに、これまできちんと治療を受けさせてあげられなくて……だからその、咲夜様が薬を飲もうとしなかったのが、無性にもどかしかったといいますか」


「なるほど。腹が立ったというわけか」


「いや……なんというか……まぁその…………はい」


「正直なことだ」


まずい、怒らせたかと思いきや。


「よくやった。これからもきちんと咲夜に目を光らせておくように」


「は、はいっ」


「ただ今回のような行為はやり過ぎだ。咲夜は世間知らずの子どもだが、あれでも中身は男だ。世話をしすぎて間違いが起きないよう気をつけろ。必要なら携帯用の護身具を用意するが、どうする」


「ハハ、まさかそんな……冗談ですよね?」


「冗談を言っているように見えるのか」


玲司はにこりともしていない。


「…………。ですが咲夜様ご自身、普段からあまり他人には近づかないように配慮して生活されています。なのにこちらが必要以上に警戒すれば、あまりいい気分はしないと思うのですが」


「咲夜が他人のことを配慮して近づかないようにしている? まさか。咲夜は他人を警戒して、嫌悪しているだけだ」


玲司はにべもなかった。


兄弟なのに、そこまで言う必要があるのだろうか、と思ってしまう。


咲夜が先ほど「俺の顔なんか見たくないだろうに」と口走っていたが、その理由が少しだけわかったような気がした。


玲司にも、日鞠の考えていることが伝わったらしかった。


「ひどい言い草だと思っているようだな。でも事実だ。二親等以内の肉親以外、たいていの人間があいつの色香に正気を失う。俺の元婚約者も、まだ幼い時分の咲夜を押し倒そうとした。箱入り娘の令嬢が、俺や両親のいる屋敷の中でだぞ。その令嬢は慎み深く知性も教養もある女性だった。理性どうこうの話ではないんだ。だから咲夜は他人を極力近づけようとしない。別にそれはいい。問題は、君のように咲夜に耐性のある人間の場合だ。人を遠ざけている分、あいつは人に飢えている。普通に接してくれる人間が現れれば、ふとした瞬間にたがが外れないとも限らない」


日鞠はどう反応すればいいのか困ってしまった。


いろいろと話の内容が重たすぎる。


そこへタイミングよく桐生院が咲夜の部屋から出てきた。


「あれ、二人ともまだここにいたんだ」


「咲夜の様子はどうだ」


玲司が桐生院に尋ねた。


「おとなしくベッドで寝てますよ。今のところ薬も問題なさそうです。とりあえず今日はこれで帰りますが、青空さんに一つ頼みたいことがあって。朝と夜、咲夜くんの脈を測ってくれるかな。以前お願いしたとおりで大丈夫だから」


「かしこまりました」


うなずくと、また来ると言って桐生院は帰っていった。




その後、咲夜は薬が効いたのか、夜までぐっすり眠っていた。


様子を見に部屋の中をのぞいた日鞠は、忍び足で引き返そうとした。


咲夜が眠っていてくれて、正直ほっとしていた。


ところが。


「おい」


呼び声に振り返ると、ベッドの中から咲夜がこちらを見ていた。


「申し訳ありません。起こしてしまいましたか?」


「少し前から起きてた。目をつぶってただけだ」


咲夜はベッドの上で体を起こした。


「お加減はいかがですか? 食べられそうなら夕食をお持ちしますが」


「いらない」


会話が途切れた途端、妙に気まずい沈黙が流れた。


他に言うことはないかと必死に考え、桐生院の用事を思い出した。


「そ、そうだ咲夜様。脈を取らせていただきたいのですが」


「脈?」


日鞠はぶんぶんとうなずいた。


「先生から朝晩二回測定するようにと言われていまして」


咲夜が袖をまくって腕を差し出したので、日鞠はベッドに近づいた。


腰をかがめて腕を取ろうとすると、咲夜が体を横にずらした。


「隣に座ったほうがやりやすいだろ」


たしかにずっと中腰はしんどいので、日鞠はありがたくベッドに腰かけた。


壁時計の秒針を確認しながら脈を測り終えると、咲夜は意外そうにつぶやいた。


「脈を取るのがうまくなったな。前はもっともたついてたのに」


「実はずっと練習してたんですよ」


成果を披露できた日鞠は、内心で喜んだ。


咲夜の脈拍は正常値内で、手首の内側に見えていた湿疹の色味も、昼間よりは薄くなっていた。


よかったと安堵しつつ、手をついてベッドから立ち上がろうとすると、咲夜が日鞠の服の袖をつかんだ。


視線が、日鞠の手首に向けられている。


「それ、痛くないか」


昼間、寝起きの咲夜につかまれた箇所が青紫に変色しているのを気にしているらしかったが、見た目ほど痛みはなかった。


「大丈夫ですよ」


そう言ってベッドから立ち上がると、咲夜はまだ袖をつかんでいる。


他に用事でもあるのかと思ったが、咲夜は指先で日鞠の手首をかすめるように触れると、黙って手を離した。


「おやすみなさいませ」


挨拶してそのまま自分の部屋に戻った日鞠は、少しだけ袖をまくった。


先ほど咲夜になでられた感触が、まだ皮膚に残っていた。


ほんの触れるか触れないか程度の力加減だったのに、つかまれた時よりも妙に肌がざわついている。


「あれでも中身は男だ。世話をしすぎて間違いが起きないよう気をつけろ」


なぜかこのタイミングで玲司の言葉を思い出し、日鞠は慌ててその言葉を頭の中で打ち消した。


(まさか、ね)


けれど手首に残った咲夜の気配はなかなか消えず、かすかな芳香と共にしばらく日鞠の体にとどまっていた。

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