第6話 落雷と若様と
夜、離れの部屋で眠っていた日鞠は、天井から聞こえてきた物音で目を覚ました。
離れの建物は二階建てで、日鞠の部屋は一階にある。
しばらく布団の中でじっとしていたが、雨音に混じって、やはり二階から密やかに物音が響いてくるように感じられた。
もし泥棒だったらどうしよう。
日鞠はそんな想像をし、もし仮にそうだったとしても、寝たふりをしていれば見逃してもらえるだろうか、と考えてみたりもした。
一度気になってしまうと、なかなか寝つけない。
迷った末にベッドから起き上がると、日鞠は机の上のオイルランプと壁に立てかけてあった短いほうきを手に部屋を出た。
廊下を歩いて、正面玄関すぐの中央階段をそっと上っていく。
二階の部屋は使用されておらず、こうやって階段を使うこと自体ほとんどない。
手元の小さな明かりでは心もとなかったが、二階に上がると、右手側の部屋の並びから、電球の光が漏れていた。
床板がきしまないように歩きながら、そっと部屋に近づいていくと、扉がほんの少しだけ開いていた。
廊下の窓枠に持っていたランプを載せ、両手でほうきの柄を握り直し、日鞠はエイヤッと気合を入れて扉を開けた。
中にいたのは、心配していた泥棒ではなかった。
「何だ、おまえ」
床に直で座っていた咲夜が、奇妙な物を見るような目つきで日鞠のことを見つめていた。
恥ずかしい、というより、安心する気持ちのほうが大きくて、日鞠はへなへなとその場にしゃがみ込んだ。
「音がしたから泥棒がいないか見回りに……。咲夜様こそ、こんな時間に離れで何をなさってるんです」
「何って、読む本を選んでただけだ」
咲夜がぞんざいな口調で答えた。
見ると、咲夜のそばの床には、本が何冊か積んである。
初めて入る部屋だったが、大きな棚が部屋の隅に置かれていて、咲夜はその棚に背中を預けていた。
棚のガラス扉を通して、中に本がぎっしり並んでいるのが見える。
蔵書がたくさんあると八重から聞かされてはいたので、この棚の本がそうなのだろう、と思った。
「咲夜様、もしかして外国語の本をお読みになるんですか?」
日鞠は、咲夜のそばに積みあがっていた一番上の本に目を止めて、思わず驚きの声をあげた。
えんじ色の分厚い本の表紙には、何と書かれているかわからないが、金色のデザインチックな外国の文字が並んでいる。
「そうだけど、それがどうした」
「いえ、すごいなと思って」
日鞠は咲夜の顔を称賛のまなざしで見つめた。
賢そうな顔つきだとは思っていたが、本当に賢いらしい。
日鞠は書かれている文字が仮に日本語であったとしても、読むのに苦労することがままある。
「時間があるから、家にある洋書を片っ端から読んでるだけだ。そんなのどうでもいいだろ。用がないならさっさと行け」
咲夜はうっとうしそうに答えた。
ここでモタモタして咲夜の機嫌を損ねたくはなかったので、日鞠はほうきを手に立ち上がり、早急に部屋から退出しようとしたのだが、その時、窓の外で大きな稲光が明滅した。
ドンガラガッシャーン、と耳をつんざくような落雷音が鳴り響き、日鞠は短い悲鳴をあげて再び床にしゃがみ込んだ。
「いきなり大声を出すな! 驚くだろうがっ」
「申し訳ありませんっ。ですが雷が」
「ほうきの装備で泥棒に対峙しようとしてた奴が、雷くらいでぎゃあぎゃあ騒ぐな」
そんなことを言われても、昔から雷の音がどうしても苦手なのだ。
ここで先ほどよりも大きな雷が落ち、空気を震わせるような轟音の後、部屋の明かりがふっと消えた。
「停電か?」
暗闇の中で咲夜がそうつぶやいていたが、日鞠は正直それどころではなかった。
手にしていたほうきを放り出し、両手で耳をふさぎ、ついでに目もぎゅっとつぶった。
目を閉じたところで聴覚には関係ないのだが、身を固くしてカタカタ震えていると、ぱさりと頭の上に布状の物体が落ちてきた。
うっすら目を開けても、暗くてよく見えない。
おそるおそる耳から手を外して頭部をなでてみると、どうやら厚手の生地のようで、日鞠はその手触りに覚えがあった。
咲夜の羽織りである。
「被ってろ。暗くて俺も身動きが取れない。雷が鳴るたびに近くでぎゃあぎゃあ騒がれたら落ち着かないからな」
隣から迷惑そうに咲夜の声が響いてきた。
背に腹は代えられないと、ありがたく羽織りをほっかむりして耳をふさいでいると、布一枚分、恐怖心が和らいだせいだろうか。
次に目を開けた時には、窓から朝の光が射し込んでいた。
晴れ渡るような快晴で、チュンチュンとすずめのさえずりも聞こえてくる。
身じろぎすると同時に日鞠の体から羽織りが滑り落ち、周囲の視界が開けた。
隣では咲夜が片膝を立てて座り、膝頭にあごを乗っけて日鞠のことを眺めていた。
日鞠は顔色を失いかけた。
「お、おはようございます。外、晴れたみたいですね……」
「そうだな。おまえがぐっすりと眠っている間にな」
そう話す咲夜の口端はきれいな弧を描いていたが、日鞠の目には、咲夜が笑っているようにはとても見えなかった。
眠っている最中、芳香の漂う美しい花園の夢を見ていましたとは、口が裂けても言えない。
「それは……大変にお見苦しいところを……」
「本当にな。俺はこれから寝る。起こすなよ。あと、そこに出てる本は後で俺の部屋に全部運んでこい」
咲夜は立ち上がると、床に落ちていた羽織りを肩に引っかけて部屋を出ていった。
「あぁもう私のバカバカ」
一人になった日鞠は、盛大な声で反省した。
まさか雷雨の中で寝落ちするなんて、自分で自分が信じられなかった。
しばらく一人反省会を繰り広げていた日鞠だったが、どうにか心の安定を取り戻すと、頬を思いっきり叩いて立ち上がった。
床の本と、転がっていたほうきを拾い集めていると、羽織りの残り香が体から香ってきた。
責任転嫁するつもりはまったくないが、この香りも、うとうと眠り込んでしまった理由の一つではあった。
桐生院の言う通り、確かに危険な香りである。
気を引き締めて働かなければ、と深く心に刻み込む日鞠だった。
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