第4話 若様の主治医
「今日の午後、桐生院先生がいらっしゃるので、日鞠さんにもお引き合わせしますね」
流し場で朝食の後片付けをしながら、八重が日鞠にそう言った。
「先生というのは、咲夜様の薬を調合をしているという?」
「えぇ、そうです。とても優秀な方で、月に一度お見えになります。お薬もそのタイミングで持ってきて補充してくださるんです」
日鞠は頭の中に情報をメモした。
薬箱の場所については既に八重から教わっている。
八重の話から、日鞠はその『桐生院先生』というのを、口ひげをたくわえた貫禄ある壮年のように思い描いていたのだが、いざ車でやってきた桐生院を玄関で出迎えてみると、当世風のモダンな格好をした二十代後半とおぼしき青年だった。
上背があり、眼鏡をかけた目元は知的だったが、にこやかで話しやすそうな雰囲気の持ち主である。
桐生院は母屋で咲夜の診察をしていたが、それを終えると勝手知ったる様子で離れの勝手口から台所に顔をのぞかせた。
「あら、先生。診察はもう終わられたんですか? 今、お茶とお菓子を用意しているところだったんですよ」
「どうもどうも。たぶんそうじゃないかと思ってました」
「ほほ。日鞠さん。先生を離れの客間にご案内してもらえるかしら」
「はい」
「あ、じゃあそのついでに新しい人と少し話をさせてもらっても?」
桐生院がそう言ったので、日鞠が八重の顔をうかがうと、八重がそうするようにと視線を返した。
離れには日鞠や八重が寝泊まりしている部屋もあるが、客間をはじめ他にもたくさんの部屋がある。
客間に案内した桐生院が椅子に腰をかけ、日鞠にも座るようすすめたので、日鞠も空いている椅子に腰を下ろした。
「さてと。咲夜くんの体については、八重さんから何か話は聞いている?」
「持病があって、毎日薬を飲んでいらっしゃると」
「なるほど。じゃあ具体的にはまだ何も知らないってことかな。えーとね、端的に説明すると、咲夜くんの体には植物が寄生している」
日鞠は目を丸くした。
「植物って、あの、庭に生えてる?」
「うーん……まぁ同じ植物といえば植物なんだけど。咲夜くんのは非常にレアなケースでね。何種類もの植物を人工的にかけ合わせた変異種なんだ。体内で養分を吸い上げて成長するやっかいな代物。それを咲夜くんは幼少時からずっと体内で飼ってる。だから咲夜くん、近づくと花みたいにいい匂いがするでしょう?」
日鞠はあいまいにうなずいた。
近づくなと言われているので、そばに寄ったのは数える程度だが、最初の晩に咲夜から花の香りがしたのは覚えている。
「いい匂いをさせてるだけなら、まだ話はよかったんだけどね。咲夜くんの症状である意味一番厄介なのが、あの芳香。媚薬と同じ効果を持つ成分が含まれている」
「媚薬?」
予想外の単語に、日鞠は思わず変な声をあげた。
「そう。ただでさえきれいな顔してるのに、そこら中にフェロモンまき散らしちゃってるわけ。いわば歩くエロス。しかもストレスが高くなると、媚薬成分の分泌量が増えるみたいなんだよ。僕も防護マスクがなきゃ理性を保っていられる自信がまったくない。実際、家の外から侵入されて襲われそうになったこともあるみたいだし」
日鞠は絶句した。
もしや初日にいきなり咲夜に体を取り押さえられたのは、不審者が迷い込んだと思われたからなのだろうか。
日鞠にとって不本意な話ではあるが、たいへん気の毒な話でもある。
「その体内に寄生している植物、取り除くことはできないんですか? 外科手術とかで」
日鞠の質問に対し、桐生院は眉間にしわを寄せた。
「難しいだろうね。雑草のように繁殖力が強くて、つるや根っこが体内組織の内側にまで侵食している。現状、投薬治療を根気よく続けるしか方法がない。こんな話をしたのは、君自身にも注意してほしいっていうのと、治療にあたって君の協力が必要不可欠だから。今後は八重さんに代わって、いろいろと気を配ってあげてほしい。特に薬の飲み忘れがないよう注意して。飲み忘れるとえらいことになるから。本人にも言ってはあるんだけど、どうもそこらへん咲夜くんはいい加減というか、信用できなくてねぇ」
「でも私、あまりお役に立てないかもしれません。どうも咲夜様に嫌われているみたいで。先生が次にいらっしゃるまでにクビになってるかも……」
日鞠はしおしおと答えた。
自分の口から言うのも情けなかったが、内容が内容だったので正直に伝えると、桐生院は奇妙な顔をした。
「クビって、咲夜くんが君を解雇するってこと? ないない、それはない」
桐生院は大げさに手を振ってみせた。
「君を雇ったのは咲夜くん本人じゃなくて、咲夜くんの実家のほうだよ。お給料だってそちらが支払ってるわけだし。それにたとえ咲夜くんが君を気に入るまいと、君は咲夜くんの芳香を吸い込んでも理性を保っていられる貴重な人材。見つけるの、ほんっと大変だったんだから。何度面接を繰り返したことか」
桐生院はその時の苦労を思い出したのか遠い目つきになったが、話を聞いて、日鞠にはもしやと思う点があった。
「面接の時の煙、あれって事故じゃなくて、わざとだったんですか?」
「うん。正解。咲夜くんのそばにいても平気かどうか試してたの」
桐生院はあっさりと答えた。
「ちなみに僕もあの時マスクをつけて面接会場にいたんだけど、覚えてる?」
マスクをつけていたのに、顔を判別できたわけがない。
しかもあれでは面接というより、ただの実験である。
なんだか色々と騙されたような気もするが、とりあえず給金は先にもらっているし、咲夜にクビにされることもないとわかって一安心だったので、日鞠は細かいことをごちゃごちゃ言うのはやめておいた。
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