第七話 悪について

 ぼくはパジャマのまま、家を出た。お父さんもお母さんもまだ夢の中。気づかれることはなかった。

 妹の死体を見たとき、二人はどんな反応をするだろう。

 きっと、世界が終ってしまったみたいに、悲しむだろうな。

 きっと、妹を殺した犯人を、八つ裂きにしたいくらい憎むだろうな。

 ぼくは早朝の町を走った。

 公園に向かって走った。

 首領に会いたい。


 走りながら、右手の甲に血が付着していたことに気づいた。

 妹の血だ。

「死んだ。死んだ」

 わからない。わからない。

 だから、首領に聞きたいのだ。


 走ったおかげか、家から3分ほどで到着した。

 公園には、首領がいた。

 木の下の長椅子に座っている。

 ああ、首領はいつもぼくを待っていてくれたんだな。

 ぼくは首領の下へ歩み寄る。


「おはよう首領」

「おはよう。大丈夫、ぜんぶ話すよ」

「うん」

 

 首領は自分の左隣に座るよう、ぼくに促してきた。

 抱っこではない。ぎゅー、ではないのだ。

 今日は特別な日だ。

 どうしようもないほどに。

 首領の隣に座る。

 首領の熱が伝わってこない。あの暖かさがないことに寂しさを感じた。


「さっき、妹が死んだ。部屋の中で墜落死したんだ」

 今朝の出来事を首領に告げた。

「殺されたんだ。ねえ、人を殺すことは悪いことだよね」

 首領の答えを待つ。

 首領はぼくの方を見ず、空を眺めている。

 そして、空を眺めたまま、語り始めた。


「人を殺すことは、確かに暗黒に属する事柄だろうね」

 ぼくは首領の横顔を見ながら、たずねた。

「属する、ってどういうこと」

「暗黒というのは他者を支配する存在、ということは前に話したね。暗黒を一つの属性として考えるならば、殺人はそれに属すると思う。他人の物である命を自分の好き勝手にする行為だもの。徹底的なまでの支配だよ」

「属性ということは、ほかにも暗黒に属するものがいっぱいあるの?」

「強盗、放火、詐欺などの犯罪。侵略、虐殺などのスケールの大きなもの。反対に、ピンポンダッシュなんかのイタズラも暗黒だね」

「イタズラも? 他の人に好き勝手するから?」

「範囲はだいぶ広いよ」


 ぼくは考える。暗黒とは悪と同じ意味の言葉なのか。

「いや、暗黒と悪は必ずしもイコールじゃない。悪というのは、主観的なものだからね」

「どういうこと」

「なにが善で、なにが悪か。それを最終的に決めるのは自分自身だよ」


 自分で、決める? 自分で決めてしまっていいのか。

「世の中の価値観を全部自分で決めてしまっていい、というわけじゃない。ここで言っているのは、自分の考え方についてだね」

「自分の考え方?」

「一つのケースにおける善悪を、周囲の状況から総合的に判断して決める。それはあくまで自分だけの判断。他者には他者の判断がある」

 つまり、こういうことだろうか。

 善悪に対する基準を考えるのではない。

 一つ一つの物事に対し、個別に善悪を考える。

 自分の判断と他者の判断は違うことが、ある。

「そうだね。それであってる。それから重要なことが『自分で悪だと決めたものとは、対立しなくてはいけない』だよ」


 首領は、はっきりと言い切った。

「善なるものを守るために、悪に対抗し続けなければいけない。それが、善悪の観念を持った存在の義務なんだ」

「なんだか、すごくきびしいね」

「善悪の概念というものは、本来とても厳しいものなんだ。だから、簡単に『あれは悪だ』と言うべきじゃない。『なにか自分と違うな』と感じたら、『あれは暗黒に属する存在だな』と思っておけばいいんだ」


 それはそれでなんだか、怖い感じがしてしまうが。

「ふふ、確かにそうだね。でも、きみは知っているはずだよ。ほら、影の中に入った時のこと」

「ああ、クジラ」

 影の中を悠々と泳ぐザトウクジラ。

 そうだった。あれを見たとき、ぼくは暗闇の中にも楽しいことがあると思ったのだ。


「もちろん暗黒は支配的であり、恐怖だ。でも、決してそれだけじゃない。例えば『他者の心を自分の思うがままにする』という行為。恐ろし気で、支配的に聞こえるよね。けれど、『おもしろいことをして人を笑わせたい』『歌で人を感動させたい』、こんな風に言い換えることもできる」

「それだったら、すごく、いいことだと思う」

「自分の影響力で人を変える、ということは暗黒でもある。だけど、同時に素晴らしい未来を生み出すこともある」

 

 ああ思い出すね、と言いながら首領は微笑んだ。

「私といままで戦ってきた、たくさんのヒーロー。その多くが私由来の力を使っていたんだ」

 首領の力。暗黒の力、か。

「ヒーローたちは悩む。はたして暗黒の力を使っていてもいいのか、ってね。使ってもいいんだよ! 暗黒は善すら呑み込む概念だ! 好きにしたらいい。汝は汝の思うがままに進め。私は、その暗黒を祝福しよう!」

 

 強く、とても強く、その言葉は発せられた。

 声自体はそこまで大きくない。

 しかしぼくには、この声がどこまでも遠くへ響き渡ったように感じられた。

 この宇宙を超えて、すべての宇宙へ、響き渡ったかのように感じられた。


「きみは、どうしたい?」

 空を眺めたまま、首領はぼくに聞いた。

 この町で起きた三つの殺人事件。

 もちろん、これについてだ。

 もう、わからないでは駄目だ。

 自分で考えて、自分で決めなくちゃいけない。


 何が善で、何が悪なのか。

 完全なる悪とは言い切れない殺人もあるかもしれない。

 例えば、ヒーローが怪人を倒し、殺すのは誰かのため。

 その行為は暗黒であると同時に、きっと光でもある。

 感謝がそこにあるべきだろう。


 だけど、今ぼくの目の前にある殺人については。

 すべき理由が見当たらない。

 自分勝手にしか思えない。

 

 それならば。

 ぼくは自らの口で、この殺人を悪だと断定しなければいけない。

 たぶん、今のぼくに出来るのは。

 ただそれだけだ。


「首領。ぼく、言わなくちゃいけないことがある」

「わかった。私に聞かせて」

 そしてぼくは、殺人事件の犯人を告げた。

 

 

 

 

 


 

 











「ぼくが三人を殺した。ぼくが犯人だ」

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