閑話
六散人
第1話 サボテン
家のトイレの窓際に、妻が飾った小ぶりなサボテンの鉢があった。
直径10cmにも満たない球形の、表面いっぱいに小さな棘の生えた、鮮やかな緑色のやつだった。
ある朝愛犬の散歩に出掛けたら、踏切近くの小さな四角い花壇のような場所に、サボテンが生えているのを見つけた。
昨日まではなかったはずだ。
それにしても、家のトイレの窓際にあるやつと似ている。
いや、そっくりだ。
毎日トイレにしゃがんで見ているのだから、間違えようがない。
ここまで種子が飛んできて、生えて来た?
まさかな。昨日までなかったし。
それとも気づかなかっただけか。
あまり気にしても仕方がないので、散歩を続ける。
翌日見ると、やはり同じ場所に生えていた。
翌日も、翌日も、その翌日も。
大きさは変わらない。
そう言えば、家にあるやつも、大きさは全然変わってないな。
一週間程経つと、いつもの場所にそいつが生えているのを見ても、気にしなくなった。
犬に急かされて、先に進む。
すると、300m程行った先のマンションの花壇に、サボテンが生えているのを見つけた。
色も大きさも、家においてあるやつと、踏切の花壇に生えていた奴と瓜二つだ。
俺は思わず立ち止まって、首を傾げてしまった。
昨日までは、そこにサボテンはなかったはずだ。
毎朝うちの犬がマーキングする場所なので、見間違うことはない。
どういうことだろう?
散歩の帰りに踏切の花壇を見ると、やはりそこにも生えている。
家に帰ってトイレを覗くと、そこにも鉢にちょこんと乗っかったやつがいた。
妻にそのことを話すと、「気のせいじゃないの」と、あっさり片付けられてしまった。
翌朝。今日も日課の散歩に出かける。
踏切脇の花壇にも、マンションの花壇にも、サボテンはいた。
そしてしばらく進むと、線路沿いに張られた金網の下に、サボテンが生えていた。
絶対に昨日まではなかったはずだと、俺は確信する。
その場所も、うちの犬が毎朝マーキングする場所だし、これだけ気になっているので、見落とすことはないはずだと。
少し怖くなってきたので、急いでその場所を離れる。
次の朝からは、散歩コースを変えてみた。
すると、国道沿いに植えられた桜の木の根元に、やはりサボテンはいた。
何だか怖いぞと思いつつも、気になって仕方がない。
遂に俺は、最終手段に出ることにした。
散歩に出かける前に、トイレに携帯電話を置いて、家のサボテンを録画することにしたのだ。
そして散歩に出かけると、踏切のサボテンが消えていた。マンションの花壇からも、線路沿いの金網の下からも、気になって確認しに行った桜の木の根元からも消えていた。
家に帰って、トイレの中を確認すると、サボテンは消えて鉢だけが残されていた。
携帯電話の画像を見ても、最初から鉢しか映っていない。
確かに録画ボタンを押した時には、いつものように鉢の上に、ちょこんと乗っかっていたはずだ。
俺はトイレの前に佇んで、首を捻るしかなかった。
その様子を怪訝に思ったのか、妻が、「何してるの?」と訊いて来る。
俺が事情を話すと、妻は言った。
「何言ってるの。サボテンなんて、家にはなかったわよ。トイレの鉢は、ずっと空っぽのままだったでしょ」
どうやらあのサボテンは、妻の記憶からも消えてしまったようだ。
俺は録画しようとしたことを、とても後悔した。
あいつは、俺と犬と一緒に散歩したかっただけなのかも知れないのに。
そう思うと、俺はとても悲しい気持ちになってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます