第20話 ~生きる意味~

ワイはあの日――


「救われた……?」

 あたしが尋ねると、陽之助さんは頷いた。


 そういえば、陽之助さんって今何歳なんだろう? 18歳から20代前半くらいに見えるけど……。


「陽之助さんって、今何歳なの?」

「23やで。坂本さんは32で、ワイと坂本さんが冥王界ここに来てから、6年経っとるわ」


 この冥王界に居る者は、年を取らない。


 陽之助さんはさっき、「坂本さんを慕うようになったのは、この世界に来る3年前だった」と言っていた。つまり陽之助さんが20歳の時で、今から9年前ということになる。


「順を追って話すな。

 ワイの父上は伊達だてとうろう宗広むねひろっちゅうて、紀州藩の勘定奉行で国学者やったんや。伊達家の6男として生まれたワイは、厳しい教育を受けて来たんや……」


 陽之助さん……?


 かつて見たことがない程に暗い表情で、陽之助さんが俯いた。


 名家の出なら、厳しい教育を受けて育つこともあるだろうけど、どうしてこんなに暗い表情をするんだろう?


 すると陽之助さんは、思いもよらぬ悲しい過去を打ち明けた。

「……これは後から知った話やねんやけど……ワイは4つの頃まで、伊達家だてけようたしとりとうろう様に育てられとったらしいねん。幼かったさかい、理由もわかれへんのやけど……。

 伊達家に戻ってからも、家族に『武士の子が泣いたらアカン』『全部自分の力で解決しやなアカン』――そない言われて来た。兄上達は皆優秀で、ワイだけアカンタレやったんや。やわいとこ見したら叱られるさかい、ずっとを隠して生きて来てん。叱られるんが、怖かった……。……誰かに認めて貰いたかった、愛されたかった……」


 つまり、のようなものを受けて来たんだろうか?


 今の陽之助さんは、ではなかった。

 あたしが知っているのは、他人を誰も寄せ付けないクールな陽之助さんだ。それなのに……今あたしの目の前に居るのは――愛されたいという一心で自分自身を傷付ける、健気な陽之助さんだった。


 陽之助さん、やっぱり叱られるのが苦手だったんだ。


 御用達というのは、江戸時代に幕府や大名、公家といった高い身分の人の元に出入りすることが許された代わりに、様々な物資の調達を行っていた商人のことだ。


 陽之助さんの労咳が発覚したあの雪の日、陽之助さんに言われたことがある――「貴女には関係ない。っといて」と。

 きっとあの言葉には、『病気を受け渡すことは出来ないから』という理由だけじゃなく、『全部自分で何とかしなければならないから』と、過去に囚われる彼の姿もあったんだろう。


「特に厳しかったんが、義理の兄上やった。義兄あに上の名ァは、伊達だてろう宗興むねおきっちゅうて……ワイと20も離れとったんや。

 6つの時、義兄あに上に本音を打ち明けて、助けを求めたことがあってん。ただ認めて貰いたかっただけやのに、愛されたかっただけやのに――ワイ義兄あに上に胸倉を掴まれて、『受け入れられたいんやったら、つよなれ』『悪いんはオマエや』っちゅうて、怒鳴られたんや。その日から、ワイは誰も信じれれへんようになってしもた……」


 厳しい教育を受けて来て、「武士の子なんだから泣くな」「全部自分で解決しなさい」と言われて育って来た陽之助さんは、叱られるのが怖くて本音を押し隠すようになったんだ。

 そんな中、義理のお兄さんに本音を言ったけど、胸倉を掴まれて怒鳴られてトラウマを植え付けられ、心を閉ざしてしまった。


 陽之助さんが助けを求めたのは、僅か6歳。そんな小さな子供に、甘えることも本音を言うことも許さなかったなんて……。


 もし、あたしがその場に居ることが出来たなら、この両腕で抱き締めてあげたかった。「泣いても良いんだよ」「ずっと味方だからね」って――そう言って、思い切り泣かせてあげたかった。


 そういえば、何処かで聞いたことがある――『トラウマを負っている人は、トラウマを負った年齢と現在の年齢の人格が、共存してしまっていることがある。また人によっては、信頼している人の前で幼児退行を起こす』と。

 陽之助さんの場合、トラウマを負った6歳と現在の23歳の人格が、んじゃないだろうか?


「その頃の紀州は……コホ……2つの勢力に分かれとったんや。

 ワイの父上は和歌山派っちゅうて、ご隠居様・徳川治宝とくがわはるとみ公の側近やった家老のやまなかちくごのかみ様を補佐して、藩政改革をしとった。せやけど、ご隠居様と筑後守様がうなってから……コホッコホッ……佐幕の思想やった江戸派のみずとうろう忠央ただなか様が藩の主導権を握ってしもて、ワイの父上と義兄あに上は失脚させられたんや。父上と義兄あに上は紀州の田辺に幽閉されて、家は一気に貧しなってしもた」


 陽之助さんのお父さんは、国学者だったらしい。きっと尊王攘夷の思想を持った人なんだろう。だから、佐幕派の水野忠央という人と対立したんだ。


 陽之助さんの話によると、彼の家は紀州伊達氏といい、徳川家康とくがわいえやすの10男・徳川とくがわ頼宣よりのぶの家臣だった伊達だて盛次もりつぐが先祖らしい。紀州伊達氏は12世紀に、後に独眼龍で知られる伊達政宗が当主となる陸奥伊達家から分家した、駿河伊達家の子孫だ。先程会った政宗様は、陽之助さんの遠い先祖ということになる。


義兄あに上が幽閉された日、当時8つやったワイは……家宝やった刀を抜いて、役人に斬り掛かろうとしたんや」


 僅か8歳でそんなことを……!?


「家の人に止められて、義兄あに上には叱られたわ……『何しとるんや、牛麿うしまろ! アホか!』っちゅうて……ゲホッゴホッ」

 陽之助さんが悲しげな表情を浮かべる。


「牛麿って、陽之助さんのこと?」


「うん、ワイの幼名やで。

 義兄あに上には怒鳴られたけど、ワイには納得出来れへんかった。父上も義兄あに上も、藩のことをおもいごいとっただけやのに……治宝公と筑後守様がうなっただけで、何故なえでこないな仕打ちを受けやなアカンのか――。義兄あに上は何故なえで、こないな仕打ち受けとるのに『しゃーない』の一言で済まされるんか――」


 陽之助さんは更に続けた。

義兄あに上に叱られたっちゅうんもあるけど、何より悔しゅうて……泣いてしもた。せやさかい近くの井戸で顔あろうて、義兄あに上に反論したんや。せやけど義兄あに上は、役人に連れて行かれてしもた」


 きっと陽之助さんは、お父さんと義理のお兄さんが失脚してから、異色な人生を歩むことになったんだろう。

 普通なら、大きくなったら藩主の小姓とかに取り立てられているハズだ。


「コホコホッコホッ……父上と義兄あに上が幽閉された後、ワイは親戚の家の農業をたろうとったんや。父上と義兄あに上を失脚させた水野家に、何時いつか復讐したるつもりやった。

 水野家に復讐するには、儒学者になるんが1番ェらしいさかい、その頃伊達だてろうっちゅう名前でよわい14やったワイは、学問を学ぶ為に江戸に行ってん」


 此処までの陽之助さんの過去を、1度頭の中で整理しよう。

 徳川御三家の1つ・紀州藩の家老格の家に生まれた陽之助さんは、4歳頃まで家族以外の人に育てられていた。家族の元に戻れたと思ったら、その家族から厳しい教育を受ける。だけど8歳の頃にお父さんと義理のお兄さんが失脚して、家は一気に貧しくなってしまい、陽之助さんは親戚の家で農業の手伝い等をしながら生活していた。そして、14歳で学問を学ぶ為に江戸に行った。


 陽之助さん、相当苦労して来たんだろうな……。


 すると、陽之助さんが口を開いた。

「初めて坂本さんにお逢いしたんは、江戸のとある路地裏やった。その日、ワイは路地裏でヤクザに絡まれとった。せやけど、


 陽之助さん、まだ10代半ばの少年だった頃に龍馬さんと逢ったんだ。


 少年時代の陽之助さん、どんな感じだったんだろう?

 大人の男の人だと知っていても、本当は女性なんじゃないかと疑ってしまうくらい美しい陽之助さん。きっと幼い頃は、あの遮那王君に引けを取らないくらいの美少年だったんじゃないだろうか?


「坂本さんはヤクザを追いはろうた後に、ワイに優しい言葉を掛けて下さった。せやけどワイは無視して、互いに名前も明かせへんまま別れたんや」


 龍馬さんが優しい言葉を掛けてくれたのに、陽之助さんは無視をした――きっと本当に心が乾いていて、誰も信じられずに生きて来たんだろう。


「せやけどその4年後に、幽閉されとった父上と義兄あに上が復帰して……ケホッコホッ……藩を抜けて上京したっちゅう話を聞いてん。せやさかい、ワイも京に上って――ワイは其処でまた、坂本さんにお逢いしたんや」


 今度は京都で逢ったんだ。それも、4年振りの再会。


「坂本さんは最初、ワイの父上と親しゅうなりたかったらしいわ。せやさかい、京の親戚の元にった父上を訪ねて来られたんや。せやけどその日、たまたま父上と義兄あに上が外出されとって、留守番しとったワイが坂本さんに応対したんや――今回は、名前も明かして」


 陽之助さんのお父さんは紀州藩の勘定奉行で、当時の日本で有名な国学者だったらしい。尊王攘夷の志を持っていた龍馬さんからすれば、国学者だった陽之助さんのお父さんと知遇を得ておきたかったんだろう。


ワイ……おなごみたいな顔やさかい、坂本さんにも最初は男装したおなごや思われとった。

 坂本さんはそれから何遍なんべんも、父上を訪ねて来られたんや。2人で、何や難しそうな話しとったわ。坂本さんはワイに優しゅうして下さって……何時いつからか、2人で食事をするくらいの仲になったんや。せやけど、ずっと独りで生きて来たワイは……何時いつもニコニコわろて、皆と仲うされとる坂本さんが苦手やった……」


 確かに陽之助さんは女顔で、色気と儚さを兼ね備えた美人だ。これ程までに女性的な美しさを持つ成人男性を、あたしは他に知らない。

 当時は伊達小次郎と名乗っていた陽之助さんが男だと知った瞬間とき、龍馬さんがどんな反応をしたか、何となく想像出来る。きっと、飛び上がる程驚いてたんだろうな。


 陽之助さん、出逢った当初から優しくしてくれてた龍馬さんにも、暫く塩対応だったんだ。きっと龍馬さんの好意は、完全に一方通行だったんだろう。


「そないなある日、坂本さんと何時いつものように茶屋に行っとったんや。茶屋でお茶を飲みながら、ワイは坂本さんに神戸海軍操練所に入ることを勧められてん。神戸海軍操練所は、坂本さんの師のかつりんろう先生が設立された、蒸気船を操るすべを中心に学ぶ海軍の塾やった。ワイは『何となく』で、操練所そこに入ったんや」


 あたしは相槌を打ちながら、陽之助さんの話に耳を傾ける。


「『何となく』っていう理由だったの?」

「……うん、ワイには、志とかあれへんかった……コホコホッ! 今は、坂本さんのお役に立てたらそれでェさかい、ワイ自身の夢とか志とかはあれへん。坂本さんの夢が……ワイの夢や。

 あの頃は、日本がどないなったかて良かったんや。異国の侵略を阻止するとか、幕府を倒すとか――ワイみたいな未熟モンが、志を掲げて意気込んどる志士達かれらの輪に入って行けるワケあれへんかったし、入って行くつもりもあれへんかった。神戸海軍操練所には、『坂本さんに誘われたさかい、何となく入った』――それだけや」


 普段はとてもクールで気が強く、決して誰にも助けを求めない陽之助さん。だけど信頼している龍馬さんの前では、普段の彼からは想像も出来ないくらい気弱で泣き虫だった。


 否、は――恐らくだ。


 陽之助さんはずっと感情を殺し、強がって生きて来たんだろう。叱られるのが怖くて、頑なに弱さを見せないようにしていたんだ。本当はとても弱い部分を持っているのに、それを周囲に悟られないように、強気でクールなキャラを演じていたのだとすれば――合点がいく。

 そして、心の何処かに愛に飢えた幼い頃の陽之助さんが居て、龍馬さんの前ではそれが出てしまっているんだ。


 話を聞く限り、昔の陽之助さんは今以上に、他人を避けて生きて来たということが窺えた。

 そんな陽之助さんが、どういう経緯で龍馬さんに心を開いたんだろう?

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