第18話 ~黎明に光る~
「今の内に逃げるぜよ」
そう言って、龍馬さんが陽之助さんの背中に腕を回す。
陽之助さんの膝の裏に手を入れた彼は、そのまま陽之助さんをヒョイッと抱き上げた。
「萌華、スマンけんどちっくと走っとおせ!」
「はい……!」
咳き込む陽之助さんを横抱きしている龍馬さんに、あたしは頷く。
あたしも持病はあるけれど、陽之助さんの方がしんどそうだし、とても彼を走らせるわけにはいかない。
頷いたあたしを見て
急いで彼の後を追い、やがてあたしたちは玄関に辿りついた。
「ハァ……ハァ……」
「大丈夫かえ?」
心配してくれる龍馬さんに頷いて、あたしは玄関を見回す。
十数人の男の人が倒れている。恐らく、竹中さんの部下たちだろう。
「コイツらァも峰打ちやき、安心しィや。ワシは、人を殺すがは好かんき」
さっき竹中さんを殺さなかったのは、龍馬さんが人を殺すことを好んでいないからだったのかな?
それにしても、龍馬さんの剣の腕には驚かされる。
入院を機に辞めてしまったけれど、あたしも幼い頃から剣道をやっていた。あまり出ることはできなかったが、団体試合では中堅や副将として戦っていたし、何度か勝ったこともある。「心臓病さえ持っていなければ、区で優勝できるくらい素質がある」とも言われていた。
剣道は、あの頃のあたしの――唯一の楽しみだった。
外に出ると、空は白み始めていた。
「……もう夜が明けるぜよ。朝になる前に、海援隊本部に行けたら
陽之助さんを横抱きして足早に歩きながら、龍馬さんが呟く。
龍馬さんは、普段から歩くのが速い。高身長で筋肉質な龍馬さんが、女性のように華奢な体格の陽之助さんを抱き上げて走るのは、恐らく容易い。走れるのに走らないのは、あたしの体力を考慮してくれているからなのだろう。
小走りじゃないと彼に追いつけないあたしを、龍馬さんは時々こっちを見て、追いつけているか確認してくれる。
海援隊本部には、あたしも1度訪れたことがあった。隊士と
「……坂本さん、
「心配要らんぜよ。陽之助の仕事は、ちっくと減らすつもりながじゃ。ムリする必要はないき、前みたいに倒れるまでやったらいかんぜよ」
龍馬さんが言う「前みたいに」というのは、きっと高熱を出した時のことだろう。あの後、龍馬さんが陽之助さんを医者に行かせたんだっけ。
そういえば陽之助さんについて、「仕事熱心だけど病弱だ」って龍馬さんが言ってたな。仕事は倒れるまでやるらしいし、決して弱音を吐かないし、陽之助さんは真面目で努力家なんだろう。
だけど、陽之助さんは首を横に振った。
「いえ……病のことは、誰にも知らせやんといて欲しいんです。
そう言って、彼はどこか悲しそうな顔をした。
そんな陽之助さんを
陽之助さんは、海援隊の隊士さんたちと軋轢があるのだろうか?
「……けんど、先に海援隊本部に
長岡さん、先に海援隊本部に戻ったんだ。龍馬さんが戻るように言ったんだろうか?
不安げな顔をしている陽之助さんに、龍馬さんが微笑みかけた。
「心配せんで
「おおきに……」
陽之助さんが龍馬さんを見つめ、やがて安堵したように目を伏せる。
しばらく進んでいくと、前方に赤い何かが近づいてきているのが見えた。
龍馬さんが立ち止まり、陽之助さんを下ろす。
「ハァッ……ハァッ……ハアァ……ッ」
胸を押さえて息を切らせながら、あたしは目を凝らす。
前方に居たのは――オカッパ頭で赤い水干を身にまとった、少年たちだった。20人ほどは居るだろうか?
「殺セ!」
「
ロボットのように抑揚のない声で、彼等は口々に言った。
虚ろな赤い瞳が、あたしたちを見つめている。
そして一斉に刀を抜いたかと思うと、彼らは容赦なく襲いかかってきた――。
「おんしらァ――
低い声でそう呟き、龍馬さんが抜刀する。
昇り始めた太陽の光を受け、
前に進み出ようとする陽之助さんを片手で制し、彼は刀を構える。
次の刹那、3人の少年が倒れていた。龍馬さんが、襲いかかってきた3人の少年の胴を、峰打ちで思いきり打ち据えたのだ。
龍馬さんは鋭く前を見据え、一瞬の気の緩みも見せない。
あんな一瞬で、彼は3人に峰打ちを食らわせた。
――強い。
「コイツらァは、禿ぜよ。
龍馬さんが、ギリッと歯噛みした。
禿――史実では、平家の悪口を言う人を取り締まる為に平清盛が街中に派遣した、警察のような集団だ。
その禿たちが、この世界にも居るんだ。
「坂本さん……!!」
陽之助さんが、龍馬さんの名を叫ぶ。
「陽之助、オマンはワシの前に出たらいかんぜよ」
「せやけど……ッ」
全く怯むことなく、禿たちは斬りかかってきた。
龍馬さんが身構える。
「陽之助、9年前のあの日……ワシはオマンに言うたろう?」
襲いかかる禿たちに、龍馬さんは果敢に躍りかかっていく。
「――『ワシがオマンを
龍馬さんが刀を横一文字に払い、5人ほどの禿が昏倒した。
彼はすぐに身を翻し、振り向くと同時に、背後に襲いかかってきた1人の禿に峰打ちを食らわせる。
その直後、2人の禿が龍馬さんに向かって刀を振り上げた。
「坂本さんッ!」
陽之助さんが龍馬さんの名を叫び、駆け出す。
驚いたように顔を上げ、背後に迫る殺気を感じ取る龍馬さん。
だけど禿は、もうすぐそこまで迫って来ていた。
そんな彼等の間に、陽之助さんが入っていこうとする。
ダァン! ダァン!
突然、近くで2発の銃声が鳴り響き、龍馬さんに斬りかかろうとしていた禿が倒れた。
一瞬、龍馬さんがピストルを撃ったのかと思ったけれど、彼は両手で刀を握っている。陽之助さんに至っては、武器を持っていない。
じゃあ、一体誰が……!?
「――ここからは、オレらが相手じゃけェ」
現れたのは、2人の青年だった。
1人は短髪に派手な着流しを纏っていて、もう1人は右目を隠す眼帯とポニーテールが特徴的だ。2人とも、ピストルを持っている。
「高杉さんと政宗じゃないかえ……!」
2人の青年を見て、龍馬さんが驚いたように言う。
政宗さんの顔を見るのは、あたしが
「よォ、龍馬」
まるで親友に挨拶をするような口調で、政宗さんは片手を上げてみせた。そしてニヤリと口角を上げ、禿たちを見据える。
高杉さんも不敵な笑みを
その目は
「陽之助ッ、危ないろう! 1歩
「す、すんまへん……。坂本さんが斬られる思たら……
勝手に飛び出したことを龍馬さんに叱られ、シュンとした様子で肩を竦めながら、陽之助さんが俯く。
「……ッ! スマン、怒鳴りすぎたにゃァ。怖かったろう?」
と、先ほどまで怒鳴っていた龍馬さんが、急に心配そうな顔をした。
そして、陽之助さんの麗しい顔を覗き込んでいる。
陽之助さん……もしかして、叱られるのがかなり苦手なのかな?
龍馬さんが苦笑して、落ち込んでいる陽之助さんの小さな頭を撫でた。
「分かってくれたら
龍馬さんが言った通り、さっきは本当に危なかった――龍馬さんも、陽之助さんも。
自分が斬られていてもおかしくなかった状況で、陽之助さんは命を賭して龍馬さんを護ろうとしていた。武器を持っていなかったにも関わらず、龍馬さんを護ろうと飛び出していく彼の動きには、一瞬の躊躇もなかった。
その間にも銃声が鳴り響き、禿たちが倒れていく。
「テメェら……独眼龍・伊達政宗に殺されたこと、あの世で自慢するんだな!!」
「坂本くん、
高杉さんと政宗さんがそう叫び、禿たちに躍りかかっていく。
「……ッ! 高杉さん、政宗、死んだらいかんぜよ!!」
龍馬さんが、陽之助さんを抱き上げて近くの屋敷の角を曲がり、あたしもそれに続いた。
背後で激しい音がし、乱闘が起きているのが
だけどあたしたちは振り返らずに、黎明の空の
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