第17話 ~慕情~

 出逢ったあの日から、ずっとそうだった。

 陽之助さんはとてもクールで、ニコリとも笑わない。他人に干渉せず、彼自身も人と関わろうとしない。

 美しくも冷徹で、強い――それが、あたしの中の彼の印象だ。


 だけど、そんな彼がどうして龍馬さんをそれほどまでに慕うんだろう? 上司と部下という関係を上回る、強い絆が2人の間にはある。


 いつかの龍馬さんの言葉が、ふと脳裏に蘇った。

『――ワシがらんようになったら、アイツの心はボロボロになってしまうぜよ』

『オマンががは、分かっちゅう。けんどそれと同時に――独りで抱え込むことのずつなさを、オマンはがやないがかえ!?』


 「今度こそ心がボロボロになる」――それはつまり、陽之助さんはということだ。

 龍馬さんが言っていたように、陽之助さんは自分を大事にしようとしない。さっきだって、龍馬さんの元に行こうとしていた。


 陽之助さんの過去に、一体何があったのか。過去の体験が、彼の人格形成にどういう影響を与えたのか。


 以前も思ったけど、あたしはきっとまだ――を知らない。


 過去について聞いて、陽之助さんが答えてくれるかは分からない。だけど彼の過去を知れば、もっと彼に近づけるような気がした。


 腕を緩め、あたしは彼を見つめる。

 

「1つ聞きたいんだけど……陽之助さんって、どうして――」

「陽之助ッ!!」

 過去について尋ねようとしたあたしの言葉は、低い男性の声によって遮られた。


 あたしが顔を上げると、黒い天然パーマのお兄さんが廊下に立っていた。右手に刀、左手にピストルを持っている。

 そう――他でもない、龍馬さんだった。


 単身で乗り込んできた男というのは、彼のことだったんだ。恐らく、助けに来てくれたんだろう。


「坂本さん……ッ!」

 名を呼ばれた陽之助さんが、振り返って龍馬さんの名を呟く。


 龍馬さんが、あたしが倒した襖を踏みながら、慌てて部屋に入ってきた。

 泣きそうな顔で手を伸ばす陽之助さんを、龍馬さんが両腕で抱き込む。


「……遅うなって、スマンかった」


 抱き締められた途端、安堵したのか――ワッと泣き出した陽之助さんの頭を、龍馬さんがそっと撫でた。


「陽之助……オマンあの男に、何ちゃァされんかったかえ?」

 龍馬さんの問いに、陽之助さんがコクッと頷く。

 そんな彼を見て、ホッとしたように肩の力を抜き、龍馬さんが続けた。

「ほいたら良かったけんど……。あの男は――半兵衛は男色家じゃ。オマンがアイツに食われんで、まっこと良かったぜよ」


 竹中さんはやっぱり、男色家だったんだ。

 もし、あたしが部屋に乱入するのが遅かったら、どうなっていただろう?


 相当怖かったのか――陽之助さんは龍馬さんの腕の中で、体を震わせている。


 遮那王君も、陽之助さんがされたことと同じことを、竹中さんにされた経験があるんだろうか? 否、今回がで終わっただけであって、遮那王君はもっとヒドい目に遭ったことがあるのかもしれない。

 それに、竹中さんは遮那王君について、「で働いてる割りには、怯えてばかりだ」と言っていた。一体、どんな所で働いているんだろう?


「萌華も無事かえ?」

「ありがとうございます。大丈夫です」

 心配するような目で見て来る龍馬さんに、あたしは強く頷いて見せた。


 ちょっと縛られていただけだ。ケガもしていない。

 それより、陽之助さんのことが心配だった。


「うッ……ゴホゴホッゲホ……ッ!! ゴホッゴホッ!!」

 急に陽之助さんが激しく咳き込み、しんどそうな顔で姿勢を崩した。


「陽之助ッ!!」

「陽之助さん!!」

 あたし達は陽之助さんに寄り添い、龍馬さんが彼の背を優しくさする。


 陽之助さんの背中がビク、ビクと震え、咳をこらえようとしているのが判った。


「うッ、ゲホッゲホゲホッ……ゲホッゴホッ……ゴホォッ!!!」

 激しい咳と共に、何かを吐き出したような音がした。


 大量の赤が、口元を押さえる陽之助さんの手の甲を、止め処なく伝って行く。

 おもむろに手を離した陽之助さんが、己の吐いた大量の血に目を見張った。


 ポタポタと、残酷なあかいものが畳を染める。


「陽之助!!」

 龍馬さんが、陽之助さんの名を叫んだ。

 苦しみに耐えようと、陽之助さんが胸を押さえる。


「……まだ……」

 微かに震える声で、陽之助さんが呟いた。


「まだ……お役に立てます……! ワイは、これからもずっと……坂本さんの為に……ッ!」


 咳き込んでグッタリとしながらも、陽之助さんは「龍馬さんの役に立ちたい」と訴えている。

 自分を犠牲にしてでも、龍馬さんの役に立とうとする陽之助さん。龍馬さんに服従を命じられているワケではなさそうだし、見返りを求めているワケでもなさそうだ。

 彼は無条件に、龍馬さんの役に立とうとしている。


 あたしとしては、以前龍馬さんが言っていたように、もっと自分を大事にして欲しい。ムリをして欲しくない。

 そう思うのに、彼に掛ける言葉が見つからなかった――今の彼には、あたしの言葉なんか全て、キレイ事や気休めに聞こえるだろうから。


 あたしは、2人の間に入っちゃいけない――そんな気がした。それくらい、2人の絆は強い。


「……ちゃう……ホンマは、なんです……。坂本さんに嫌われるんが、怖い……。あの頃に、戻りたない……ッ」

 苦しそうにそう言って、陽之助さんがボロボロと涙を零した。


「坂本さんにキラわれたら……ッ、ワイには……生きる意味なんか……ッ」


 陽之助さんの龍馬さんへの想いは、誰にも止められない程強い。それは最早、敬慕を通り越して忠誠に近い程だった。


 彼が龍馬さんを強く強く慕う理由と、彼自身の過去――この2つは、きっと密接に関係しているだろう。 


 陽之助さんの過去を知れば、あたしは陽之助さんを支えることが出来るかも知れない。彼の苦しみを、今より理解わかってあげられるかも知れない。


理解わかっちゅう!! そんなことは理解わかっちゅうき!!」

 真剣な眼差しでそう言いながら、龍馬さんが支えている陽之助さんの肩や背中を強く撫でる。


「ワシはゼッタイに、陽之助オマンを独りにしたり見捨てたりせん! その約束は、今も昔も変わらんぜよ!!」


 陽之助さんが目を見張った。


「まっことじゃ。オマンの病がどればァ重うなったち、動けんようになったち、ワシがオマンを捨てることらァないき!」


 龍馬さんは、不思議な魅力のある人だ。彼の言葉は、全部信じられる気がする。この人となら大丈夫だ――そう思わせる頼もしさがある。


 女と見紛う程に麗しい顔を歪め、求めるような眼差しで上司を見上げる陽之助さん。

 龍馬さんの親指が、陽之助さんの涙を優しく拭う。だけど、涙は絶えず流れて止まらない。


「そんなに愛されたいなら、アタシが愛してあげるのに……」


 驚いて声のした方向に視線を投げると、竹中さんが立っていた。一体、何時いつから居たのだろう?

 龍馬さんが眉をひそめ、竹中さんを睨む。


「陽之助クン、そんなモジャモジャ頭の所になんか居ないで、こっちへいらっしゃい。をしましょう?」

「何を言いゆう。自分の欲望を満たすことしか考えちゃァせん半兵衛おんしに、陽之助を渡せるかえ」


 安心させるように、陽之助さんの頭をポンポンと撫でた龍馬さんが、立ち上がって刀を構えた。

 それを見た竹中さんも、刀を構えて龍馬さんを見据える。


 暫し睨み合った後、同時に踏み込む2人。


 竹中さんは刀を真横に払い、龍馬さんは真っ直ぐ振り上げて下ろす。

 あたしは、無意識に陽之助さんの体を抱き寄せた。


「うッ!!」

 と――苦しそうな声が聞こえたのと、何かが崩れるように倒れた音がしたのとは、ほぼ同時。


 呻き声を上げたのは、竹中さんの方だった。


「……峰打ちやき」

 刀を納めながら、龍馬さんが呟く。


 龍馬さんに峰打ちで打たれたのだろう――左肩を押さえながら、竹中さんがうずくまっている。


 きびすを返し、陽之助さんの前に膝を突いた龍馬さんが、彼の背中を上下に擦った。


「もう大丈夫じゃ。コイツは暫く動けんぜよ」


 陽之助さんの茶色の目に、ブワッと涙が溢れた。

「……坂本さんッ……ワイ――ワイ……ッ!」

 涙に言葉を詰まらせ、小刻みに体を震わせて、陽之助さんが泣きじゃくる。


 龍馬さんが微笑み、泣いている陽之助さんを優しく宥めた。

「落ち着きや、陽之助。オマンにはワシがるき」


 やがて、安心したのか――陽之助さんが龍馬さんに体を預け、小動物のように大人しくなる。

 陽之助さんに心を開かれている龍馬さんが、少し羨ましい。


 そう――恐らく陽之助さんは、龍馬さん以外の人に心を開いていない。勿論、あたしにも。

 一体、過去に何があったんだろう?

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