第16話 ~命ノ音~

 目を覚ましたのは、狭く何もない和室だった。

 あたしは辺りを見回しながら、体を起こそうとする。


「……ッ!?」


 思うように動けず、あたしは自分の体に視線を落とす。


 あたしの体は――縄で後ろ手に縛られていた。


 そうか、そういえば峰打ちで気を失ったんだ……。恐らく、その間に此処に運ばれたんだろう。

 だとすれば、此処は何処? 誰も居ないの?

 陽之助さんは……!?


 だけど体が縛られている以上、此処が安全な場所ではないということだけは理解出来る。


「……うゥ……!」

 体がダルく、胸が痛い。


 幸い足は縛られておらず、何とか体を起こしたあたしは、ゆっくりと立ち上がった。

 まだ意識が朦朧としているのか――襖に体をぶつけてしまう。


 呼吸を整えた後、足で襖を開けた。


 廊下に出たあたしが出口を探そうとすると、何処からか男の声が聞こえた。

「――本当に、アナタって美人ねェ」


 女性的なその口調は、特徴的で強く記憶に残っている。あたし達を、黄色い髪のオネエのものだ。


 あたしは足音を立てないようにしながら、声の聞こえた方に向かった。


「い、イヤ――んんッ!」

「喋ったら殺すわよ? 殺されたくなかったら、大人しくしていることね」


 オネエ口調の男に「美人」と言われた女性――誰かはわからないけれど、彼女がオネエに脅されていることだけは判る。

 助けなければ……!


「アナタさえ大人しくしていれば、アタシも


 声が聞こえた部屋の前まで来ると、あたしは立ち止まった。


「ハァッ、ハァッ……ゲホッ、ゴホゴホッ……ゲホッゲホォ……ッ!!」

「あらあら、苦しいの? ……でも、少しは大人しくなるかしら?」


 その咳、まさか……!


 バダァン!!

 あたしは思い切り襖に体当たりし、外した襖と共に部屋の中へと倒れる。


 頭や肩の鈍痛に耐えながら、あたしは顔を上げた。

 視界に飛び込んで来たのは、驚いた様子であたしを見るオネエと、そんな彼に押し倒されている――


「陽之助さん……!!」


 あたしに名を呼ばれた瑠璃色の髪の美人は、焦ったような顔であたしを見た。


「縛り上げて3日間も放置しておいたのに、アタシと陽之助クンのをジャマするなんて……随分と空気の読めない小娘ね」

「貴方は……!」


 陽之助さんの体から離れたオネエは、ツカツカとあたしの方に歩み寄って来た。


 ? この人は一体、何を言っているんだろう?

 

嗚呼ああ、名乗るのが遅れたわね。アタシは竹中たけなかはんよ。陽之助クンから聞いたわ――貴女、萌華チャンよね?」


 竹中半兵衛――かの有名な豊臣秀吉とよとみひでよしの軍師で、今孔明と呼ばれた人だ。


 竹中さんはあたしの栗色の前髪を掴み、体を乱暴に起こす。


「はい、織田原萌華です。あの……今、陽之助さんに何を――」

「何って、決まってるじゃない。陽之助クンがあまりにも美しい子だから、ちょっと遊ぼうと思っただけよ。その前にアナタが入って来て、失敗したけど」


 この人はやたらと、陽之助さんの容姿を褒めている。

 此処に来た時、あたしは縛られて1人放置されていた。だけど陽之助さんは、縛られていない代わりに、竹中さんに脅されている。


 もしかすると彼は、最初から陽之助さんにをするつもりで、あたし達に近付いたのだろうか? 現に、あたしは峰打ちで昏倒させられている。


「萌華チャン、アナタ目障りなのよね。アタシは陽之助クンに用があるのよ。早く出て行って頂戴」

「だったらどうして、あたしを此処に連れて来たんですか!?」

「あら、アナタがアタシを頼ったんじゃなくて?」


 陽之助さんが信用していなかったように、竹中さんを頼ったのは間違いだったのかも知れない。


 竹中さんの後ろで、陽之助さんがゴホゴホと咳き込んだ。


「……とにかく、そんなことはどうでも良いのよ。なんて、朝露の君以来だわ。でもあの子、で働いてる割には、怯えてばかりなのよね。陽之助クンは反抗してくれるから、楽しめそう。小娘には興味ないから、早く出て行って頂戴」


 もしかして、竹中さんは男色家――つまり、ゲイなのだろうか?

 陽之助さんだけじゃなく、遮那王君もこのオネエに狙われているんだ。それにしても、遮那王君は普段何処かで働いているのだろうか? 初めて逢った時、あたしに結構な額のお金を渡してくれたことを考えると、遮那王君が働いている店の給料は、かなり良いんだろう。


 何はともあれ、この人は何を考えているのかイマイチ理解わからない人だ。そんな人と陽之助さんを、2人切りにするワケにはいかない。


 もしかすると彼は、最初から陽之助さんにをするつもりで、あたし達に近付いたのだろうか? 現に、あたしは峰打ちで昏倒させられている。


「萌華チャン、アナタ目障りなのよね。アタシは陽之助クンに用があるのよ。早く出て行って頂戴」

「だったらどうして、あたしを此処に連れて来たんですか!?」

「あら、アナタがアタシを頼ったんじゃなくて?」


 陽之助さんが信用していなかったように、竹中さんを頼ったのは間違いだったのかも知れない。


 竹中さんの後ろで、陽之助さんがゴホゴホと咳き込んだ。


「……とにかく、そんなことはどうでも良いのよ。なんて、朝露の君以来だわ。でもあの子、で働いてる割には、怯えてばかりなのよね。陽之助クンは反抗してくれるから、楽しめそう。小娘には興味ないから、早く出て行って頂戴」


 もしかして、竹中さんは男色家――つまり、ゲイなのだろうか?

 陽之助さんだけじゃなく、遮那王君もこのオネエに狙われているんだ。それにしても、遮那王君は普段何処かで働いているのだろうか? 初めて逢った時、あたしに結構な額のお金を渡してくれたことを考えると、遮那王君が働いている店の給料は、かなり良いんだろう。


 何はともあれ、この人は何を考えているのかイマイチ理解わからない人だ。そんな人と陽之助さんを、2人切りにするワケにはいかない。


「そんなワケにはいきません。陽之助さんを返して!」

「自分の縄もけないのに?」


 蔑んだ視線を投げられ、あたしは竹中さんを睨み返す。


 その瞬間とき、1人の男性が慌ただしく部屋に入って来た。恐らく、竹中さんの部下だろう。

「申し上げます! ピストルと刀を持った男が1人、乗り込んで来ました!」


 眉間にシワを寄せ、竹中さんが男を見て溜め息をく。


「アタシは忙しいのよ。アナタ達で追い払って頂戴」

「それが……相手の男が強過ぎて、味方が次々と気を失っています! 竹中様のお力が必要です!」

「……仕方ないわね! 早く片付けるわよ!」

 億劫そうだった竹中さんも、味方が気絶させられていると聞くと、血相を変えて部屋から出て行った。


「固結びされとるだけやさかい、直ぐ取れるわ」

 そう言って、陽之助さんがあたしの手首を縛る縄をいてくれる。

 だけど彼はあたしを解放しただけで、直ぐに部屋を出ていこうとした。


「待って、陽之助さん! 何処に行くの!?」

「坂本さんは……」

「え?」

 きっと、殆んど休めていないだろう――陽之助さんを止めようとし、彼の口から出て来た龍馬さんの名に、あたしは目を丸くした。


「坂本さんは、どないされとるんやろ? 今も、新撰組とたたこうとるんやろか……?」


 確かに、陽之助さんの言う通りだ。

 相手は――天才剣士が集まる新撰組。龍馬さん達は大丈夫なんだろうか?


 陽之助さんが、悔しそうに眉根を寄せた。

「坂本さん達はたたこうとるのに、ワイは……ゴホ……こないなとこで……!」

「その体じゃムリだよ! 今は竹中さん達も居ないし、今の内に休んで!」


 現に陽之助さんは咳が出ているし、顔色も悪い。誰の目から見ても明らかな程、彼はしんどそうだった。


 労咳は不治の病だ。治すすべがないからこそ、出来るだけ安静にすることしか、延命の方法はない。


「そないなこと……あれへん。戦える、あの人のお役にも立てる。殺鬼になることかて……出来るんや。戦うすべはあるハズや――ゴホッゲホッ……ゴホゴホッ!!」

 彼は、自分に言い聞かせるようにそう言い、激しく咳き込んでうずくまってしまった。

 だけど、その美しい目に宿る信念の強さは、消え失せることを知らない。


 陽之助さん……最悪の場合、龍馬さんを庇って死ぬ気だ。


「ダメだよ! 殺鬼なんかになったら、貴方は――!」

 あたしは陽之助さんの肩を掴んで叫んだけれど、途中で口を閉じてしまう。

 彼は鬱陶しそうに眉根を寄せ、睨むようにあたしを見つめていた。「貴女なんかに、私の何が理解わかるの?」とでも言いたげな表情だ。


 陽之助さんが、自分の肩を掴むあたしの手に手を重ねた。そして、やんわりとあたしの手を放す。

 あたしは脱力して、もう片方の手を下ろした。


「陽之助さん……」


 あたしは俯いたまま、必死に言葉を探す。

 彼の言葉おもいが、痛い程胸に刺さった。そして同時に、拒んでいた。


 だって――。


「――死なないで……」

 必死に探して、出て来た言葉はこれだった。そしてこれが、本音だった。


 死んで欲しくない。


 強い想いがあって覚悟も決めていて、心から慕っている龍馬さんに必要とされたいと願う彼からすれば、身勝手なキレイ事に聞こえるかも知れない。


「生きて……」

 貴方が生きてさえいれば、それで良い。


 今度は、陽之助さんが口を噤んだ。


「陽之助さん、『生きたい』って言ってたじゃん。どうして? どうしてそんなこと言うの?」


 どうして其処まで、龍馬さんを慕うの? 自分の命をなげうってでも、龍馬さんをまもりたいだなんて――。


 陽之助さんが何処か悲しげに目を伏せ、その長い睫毛が切なげに揺れた。


「お願いだから、そんなこと言わないで。……生きて」


 やっぱり、あたしがこんなことを言うのは身勝手なんだろうか?

 彼を止めることは――出来ないのだろうか?


 悲しげで寂しげな彼の瞳を見ると、あたしの胸がまた痛んだ。

 何度、を感じただろうか――?

 思えば、彼が全てを独りで抱え込む姿を見る度に、彼のそんなを見る度に、あたしの胸はチクチクと痛んでいた。


 を、思い出してしまうから。


「……ッ!!」

 陽之助さんが、突然胸を押さえた。

「陽之助さん! 大丈夫!?」

「別に……何も……ッ! ゲホッゲホッ……ゴホッゴホゴホッ!!」


 あたしは、そっと彼の肩を支える。

 口元から離した彼の手には、少しだけ血が付いていた。

 陽之助さんが血の付いた手を握り締め、ギリッと歯噛みする。


「イヤや……! ワイかてお役に立てるハズや……!」


「だけど……」

 あたしは更に強く促そうとした。


 彼が静かに目を閉じる。


 そして、一言。

「――萌華はんには、ワイの想いなんか理解わかれへん」


 あたしは目を見張った。

「……!!」


 陽之助さんがあたしから顔を背け、重い沈黙が訪れる。


 あたしは俯いて、唇を噛み締めた。


 陽之助さんが言う通り、彼がどれだけ龍馬さんを大切に想っているかなんて、あたしには理解わからない。何故それ程までに龍馬さんを慕うのかも、あたしは知らない。

 だけど。


「……陽之助さんだって、理解わからないでしょう?」

 あたしは呟いた。


ワイは――」

「聞いて!!」

 陽之助さんの言葉を遮るように、あたしは叫んだ。


「……ッ」

 彼がハッと息を呑む。


 伝えなきゃいけない、あたしの想いを――願いを。

 こんなあたしの言葉で、どれだけ彼の心を動かせるかは判らないけれど。


「陽之助さんだって同じでしょう? あたしの想いを理解わかってない」

「……そないなこと、当たり前やん」

 陽之助さんが、突き放すように冷たい声音で答える。

 そして、1度だけ咳をした。


「勿論、あたしも理解わからない。貴方がどれだけ龍馬さんを慕っているかなんて、理解わからないよ。あたしが思っているより遥かに強く、貴方は龍馬さんを想っているのかも知れない。

 だけど、それはあたしも同じ。あたしも、貴方のことを想ってる。『死んで欲しくない』って『生きて欲しい』って、本気でそう思ってるんだよ」


 陽之助さんの姿を見ていると、どうしてもあの頃の光景を投影してしまって、あたしは彼をっとくことが出来なかった。

 独りで抱え込むことの苦しさを知っているから、彼にあたしの二の舞を演じて欲しくなかった。


「貴方はあたしの願いなんか聞いてくれずに、全部独りで抱え込んで苦しんでたじゃない。そんな貴方を傍で見てて、あたしは胸が痛かった。苦しんでいると知りながら、何もしてあげられない自分がもどかしかった。だからお願い、あたしの願いを聞いて」


 俯いて、1度だけ目を閉じる。

 彼に届いて欲しいと願いながら、あたしは顔を上げた。


 陽之助さんと視線がぶつかる。


「お願いだから、死なないで。生きて」


 陽之助さんが目を見張った。

 そんな陽之助さんに、あたしは真っ直ぐな視線を投げる。


「……何故なえでワイにそないなこと言うん?」

 静かに目を伏せて、陽之助さんが呟く。


「え……」


ワイは……殺鬼や。もう、人間とちゃうんやで。やのに何故なえで……萌華はんは、ワイにそないなこと言うん? ワイは――人間の姿をした、醜い鬼なんやで」


 あたしは唇を噛み締めて俯いた。

 陽之助さんの言葉を、頭の中で反芻はんすうする。


 「人間の姿をした醜い鬼」――彼は自分のことをそう呼んだ。


 醜い? 何処が?


 透き通るように白く柔らかな肌、長い睫毛に囲まれた大きな目、形の良いあでやかな唇――性別を越えたその色気は、万人を惑わせる。


 陽之助さんは――こんなにも美しいのに。


 こんな言葉で表しても、舌足らずだと思ってしまう。

 殺鬼になって瞳があかくなっても、その端麗な容姿は変わらない。

 むしろ今は、咳と微熱の所為せいで白い頬が赤らみ、目も潤んでいて――より妖艶になっていた。


 あたしはそっと、両手で彼の柔らかな頬に触れる。


「そんなことないよ……。陽之助さんはキレイだよ……」


 陽之助さんが悲しそうに顔を歪めた。


 あたしは、彼の首に腕を回す。

 そしてそっと抱き締めた。彼の体は驚く程細くて、強く抱き締めると壊れてしまいそうだった。


「貴方が何者だろうと構わない。貴方のもう1つの姿が、だろうとだろうと――」


 静かに目を閉じ、抱き締める腕に少しだけ力を込める。


 今はただ――彼を感じていたかった。


「あたしは、貴方を愛し続けるから」

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