第15話 ~バケモノ~

 現代むこうでの出来事が、脳裏に蘇る。そのどれもが、だった。

 何故、今を思い出す?

 目の前で――やいばが振りかざされているというのに。


 やいばが、あたしを嗤っているかのようにキラリと光る。


 龍馬さんが土方さんに向けて、ピストルを構えた。

 陽之助さんは激しい咳で、話すことすらままならない。


新撰組オレたちの邪魔をするってのか? イヤ、テメェは最初ハナから邪魔か」

 土方さんが龍馬さんを冷たい目で見た。

 龍馬さんは少しも動じない。


「ちっくとやち萌華を斬るような素振りを見せたら、ワシが引き金を引くき」

「あ? フザけんのも大概にしやがれ」


 土方さんが、龍馬さんにやいばを振り下ろす。

 間一髪のところでよけた龍馬さんが、引き金を引いた。


 ダァン!!

 狙いがキチンと定まっていなかったのか――土方さんには当たらず、代わりに彼の後ろに立っていた沖田さんの着物に、小さな穴が空いた。


 土方さんが、右手で刀を振り上げる――あたしに向かって。


「……ッ」

 今度こそ斬られる――!


「危ねェッ!! 土方さん!!」

「……ッ!?」


 キィィィィン……!!


 驚いて振り向こうとした土方さんの背後で、やいばやいばがぶつかる音が響く。


 え――!?


 土方さんの背後には、文武両道にして類稀な美貌をも兼ね備えた少年と、新撰組随一と謳われるほどの天才剣士。


 宙を華麗に舞い土方さんに斬りつけんとした少年のやいばは、沖田さんによって何とか受け止められた。


 遮那王くんが、助けに来てくれたのだ。


「……ッ! 総司……!?」

「ちゃんと周りを見ねェと、土方さん。今オレが受け止めてなかったら、アンタの頭は2つに割れてましたぜ」

「……はッ、そうだな」

 と、土方さんが自嘲気味に笑いを零す。


「礼もくれねェんですか?」

「しつけェな。だが、助かった」

 そして土方さんが、再びあたしに視線を向けた。


 次の刹那、龍馬さんがあたしたちの前に飛び出す。


「龍馬さん……!?」

「萌華、陽之助、逃げや!!」


「えッ……?」

 あたしはハッとして目を見張る。


 逃げる? 


「後は、ワシと朝露の君と長岡で何とかするき!」

「せやけど、坂本さん……!」


 龍馬さんが陽之助さんを見下ろして、微かに微笑んだ。

 そして、あたしと陽之助さんに背を向ける。

 その頼もしい大きな背中を見ると、龍馬さんなら大丈夫だと思えた。きっと、生きて戻ってきてくれるだろう。


「ワシは死なんき!!」


 陽之助さんが立ち上がる。

「ええ……、約束ですさかい」

 そう言って彼も、龍馬さんに背を向ける。


 龍馬さん、信じてますよ。

 あたしも背を向け、陽之助さんの後を追ったのだった。



「陽之助さん!!」


 あたしと陽之助さんは、まだ暗い夜道を進む。陽之助さんが足早に歩いて行くから、あたしは必死に彼の後を追っていた。


「ちょっと待って……!!」

「…………」

 息が上がってくる。


「陽之助さん……ッ!!」

 あたしは彼の背中に向かって叫んだ。


 その瞬間とき、陽之助さんが立ち止まって俯いた。


「ゴホッゴホッ……ゴホッ!! ゲホッゲホッ……ゴホン!!」

 彼はあたしに背を向けたまま、咳をし始める。


 あたしも足を止めた。


 陽之助さんが、必死に咳をこらえようとする。だけど咳は荒波のように激しく、彼を容赦なく苦しめていた。


やん、といてな……ッ」

 陽之助さんが告げる。

「でも……!」


 この前もそうだった。そして、今も――。


 甘くないとは理解わかっていても、それでも陽之助さんを救いたい。傍に寄り添ってあげたい。

 なのに……なのに貴方は、全部独りで抱え込もうとするんだね。


 その刹那、陽之助さんが激しく咳き込み、その体がグラリと揺れた。

 あたしは咄嗟に彼の体を支えたけれど、彼は力なく崩れ落ちる。


「陽之助さん!」


 ハァハァと喘ぎながら、陽之助さんが俯いた。

 そんな彼の肩を支え、そっと背中を上から下へと擦る。


「ゴホッゴホッ……ゲホッゲホゲホッ、ゴホッ!! うゥ……」

 激しい咳に、彼は背中を震わせる。


「大丈夫だよ」

「ゴホゴホゴホッ……ゲホッゲホッ!!」

 咳は次第に強くなっていき、陽之助さんの虚弱な体を蝕んでいく。

 何とか咳を止めようとする彼だけど、強く激しい咳は止まることを知らない。


 とても苦しそうで、もっと他に出来ることはないのだろうかと思ってしまう。


「ゴホゴホ……ゲホッゴホン!!」

「!?」

 かなり水音を含んだ咳に、あたしはハッとして陽之助さんを見下ろした。


「陽之助さ……」

「ゲホッゴホッ……ゴホォッ!!」


 あたしが彼の名を呼び終わる暇もなく――彼の口から、ほとばしる。


「……ッふ……ゴホゴホッ!!」

「陽之助さん……」

 陽之助さんが、肩を上下させて激しく喘いだ。


 彼が吐き出したのは、残酷なほどに鮮やかなあかだった。


「ハァッ……ハァッ……、ハアァッ……」


 きっと、あたしが思っている何倍も苦しいのだろう。


『確かに、先ほどのように超人的な力を手に入れることはできます。しかし、力を使うたびに筋力や体力が奪われていき、進行すると呼吸をすることすら困難になります。病人やケガ人の場合は、力を使つこうておらぬときであっても、通常より早く衰弱していきます。この副作用は、免れませぬ』

 洪庵先生の言葉を、思い出した。


 力を使っていないときでも、通常より早く衰弱する――。

 かげくれないを飲んでから、彼は何度血を吐いているだろうか?


 ポタポタと滴る赤い雫が、地面の色を変化かえる。


 嗚呼ああ、これが――だったら良いのに。

 長い長い悪夢ゆめだったら良いのに。


 あたしは、陽之助さんをギュッと抱き締めた。

 死病という名の運命さだめが、彼を連れていかないように。



 それからどれくらい経ったのか、遠くから何かがやってくる音がする。


 近づいてくるそれは、馬の蹄の音だった。

 その音は、あたし達の前で止まる。


「あら、どうしたの?」

 急に上から声がし、あたしと陽之助さんは顔を上げた。


 見上げた先に居たのは――馬に乗った整った顔立ちの男性とその供らしき男たち。


「……ゲホ……ッゴホゴホ!!」

、咳してるじゃな~い! 雨も降ってるし、風邪でも引いちゃったの?」

 乗馬している美男は、何故か女性的な言葉遣いだ。

 だけど見た目も骨格も、男性的だった。少し癖のあるクリーム色の髪からは、切れ長の目が覗いている。


「……ワイ、男なんですけど」

 と、陽之助さんが心底不愉快そうな顔をして呟く。


 オネエ口調の美男が、驚いたように目を丸くした。

「あら、そうだったの。随分とキレイな顔してるわね~」

 ペロリと唇を舐め、オネエ口調の美男が口の端を片方だけ吊り上げる。

 陽之助さんが、形の良い眉を寄せた。


「彼は持病があって、それで……」

 あたしは答える。

「あら~、そうなの? だったら医者に診せなきゃ危ないわね。取り敢えず、アタシの部屋にいらっしゃい。ちょうどアタシたちも帰るところだったのよ。ホラ、馬に――」

 オネエ口調の美男が、馬に乗るように促してきた。


「何、言うとりますのや……ッ!? ワイは……ゲホゲホッ……信用しまへんさかい……ッ」

 陽之助さんが、オネエ口調の美男を鋭い眼差しで見る。


 すると、オネエ口調の美男が馬から下り、あたし達の前に来た。


「ダメじゃな~い、信用しなくちゃ。……それともアナタ、」


 オネエ口調の美男の指が、陽之助さんの滑らかな顎を捕らえる。

 そしてグイッと強引に上を向かせ、顔を思いきり近づけた。


「――?」


「……ッ」

 陽之助さんが目を見張る。


 何? この人……!


「ずっとここに居たら、死ぬわよ? それでも良いの?」


 オネエ口調の彼は、狂気すら感じさせる恐ろしい眼差しを陽之助さんに注いだ。

 陽之助さんも目をらすことなく、鋭利な視線を投げる。だけどその手は微かに震えていて、顔には出さないけれど、彼が怯えていることが見て取れた。


 その刹那――。


 ゴォ……ッ!!

 暴風と光が視界を遮る。


「……ッ!!」


 やがて暴風と光が治まり、ハッとして陽之助さんを見上げる。彼は血のようにあかくなった瞳で、オネエ口調の美男を睨みつけていた。


「ヤダ~、驚いたじゃない。お兄さん、まさか――せっなの?」

「……殺鬼?」

 陽之助さんが訊き返す。


「あら、知らなかったのね。影紅を飲んだ人間ひとを『殺鬼』って呼ぶのよ。つまり、アナタは人間ひとじゃないの。――バケモノよ」


 影紅を飲んだ人は、殺鬼と呼ばれるんだ。

 そういえば――高杉さんは陽之助さんと同じように、殺鬼になっていた。


「誰が、貴方オマハンの言うことなんか……信用するんや……ッ!」


 この人が、どういう人かは判らない。本当に、陽之助さんを助けてくれるのかもしれないし、そうじゃないかも知れない。

 少なくとも、陽之助さんは信用していないみたいだ。


 だけど陽之助さんは、激しく咳き込んで血を吐いていた。すぐに何らかの処置を施さなければ、陽之助さんの病は悪化してしまう。最悪の場合、命を落としてしまう可能性だってあるんだ。


 海援隊本部に行こうにも、まだ距離がある。陽之助さんが、海援隊本部まで歩けるか判らない。


 フッと、オネエ口調の美男の口元が不敵に歪む。


「あら、『信じなきゃ死ぬ』って言ったわ――」


 バシッ!!


 オネエ口調の美男が頬を押さえて、目を見開いている。それは、陽之助さんの平手が飛んだんだということを表していた。


「何するのよ! アタシのこの美しい頬を叩くなんて……! 美人な割に危ないことするわね」

「……は?」

 陽之助さんが眉根を寄せる。


「気持ち悪いです……! ワイの視界から消えていただかして……ッ!」

「あら、まさかの毒舌美人なのね。そういうの好きよ。それにアタシはただ、アナタに言うことを聞かせようとしてただけ」


 陽之助さんがギリッと歯噛みした。

 そんな彼に見下すような視線を投げ掛けながら、オネエ口調の美男は言う。

「アナタが病で苦しんでるのに、放っておけるわけないじゃない。とにかく、死にたくないのなら早く馬に乗ってちょうだい」

「……信用、できまへん」


 オネエ口調の美男が溜め息をついた。


「うッ……ゲホッゴホゴホッ……ゲホゲホッ!!」

 陽之助さんが激しく咳き込む。

 あたしは彼の肩を支え、背中を強く擦った。


 だけど――。


「あ……あァ……ッ」


 伸ばされた手はくうを掴み、力なく落ちる。

 それと同時にグラリとを描いた陽之助さんの体を、あたしは咄嗟に支えた。


 陽之助さんはあたしに体を預け、気を失っている。


「陽之助さんッ!!」

 あたしは彼の名を呼んだ。

 そして、オネエ口調の美男を見上げる。

「気を失ったのね、可哀想に……。アタシと一緒にいらっしゃい」


 陽之助さんが最後まで信用しなかったように、この人が本当に良い人とは言い切れない。

 だけど、今頼れるのはこの人しか居なかった。


 労咳の症状が悪化し、気を失ってしまった陽之助さん。

 一刻も早く安全な場所に移動し、治療を受けなければならない。じゃないと、陽之助さんの病状は悪化してしまう。


「……お願いします」

 オネエ口調の美男が、陽之助さんを自分の馬に引き上げる後、あたしを見下ろした。

「アナタ、後ろに居るアタシの部下の馬に乗ってちょうだい」

「え、あ……はい……!」


 あたしは、オネエ口調の美男の後ろに居る供らしき男の馬に乗った。


「行くわよ」

 馬が駆け出す。


 あたしの背後に居る供らしき男が、馬の手綱を操った。


 突然、あたしの背中に何かがドンッと当たる。


「!?」


 あたしは咄嗟に振り返り、それが峰打ちだと知る。

 しかし次の刹那には、あたしの意識は闇に飲まれていった。

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