第12話 ~闇に紛れて~

 耳鳴りがする程の静寂が訪れていた。


 陽之助さん、何処に行ったんだろう?

 あたしは廊下に出る。


「萌華、陽之助はどういた!?」

「……覚悟して聞いて下さい。洪庵先生、『どんな傷病も治る』って言ってたじゃないですか。――でもあれ、洪庵先生がいたウソだったんですよ」


 龍馬さんが、目を見開いた。

「ま、まっことかえ……!?」

 彼の表情がどんどん険しくなって行く。


「萌華、ウソは言いなや。今やったら許すき。ホンマのことを言うとおせ」

「ウソでこんなこと言えるワケ、ないじゃないですか。本当に、洪庵先生のいたウソです」


 恐れるような彼の表情が、この上ない怒りの表情に変化かわって行く。


「あの藪医者……!!」

 龍馬さんが拳を震わせた。


 あたしの胸にも、洪庵先生に対する怒りが込み上げて来ていた。


「萌華、あの血は……まさか……ッ」

 部屋には、まるで激闘たたかいでもあったのかという程に、夥しい量の血が広がっている。


「あれは全て、陽之助さんの喀血です」

 あたしは、出来るだけ感情を込めないようにして言った。


 龍馬さんが、悔しそうに眉間にシワを寄せる。


「あればァ血を吐いたがやったら、陽之助の命が危ないぜよ! 陽之助、どればァずつなかったがか……!」


 今も彼は、苦しんでいるに違いない。そう思うと、居ても立ってもいられなくなった。龍馬さんも、それはきっと同じだろう。


「龍馬さん、外に探しに行きましょう。まだ、そんな遠くには行ってないと思います」

「外かえ……」


 診療所の中に居ないとなると、考えられるのは外しかない。


 あたし達は外に出た。

 外では祭りが催されており、犬1匹通れないと言っても過言ではない程の人混みだった。


「行くぜよ」

 そう言って人混みの中に入って行った彼に、あたしも続いた。

 ――離れないように、手を繋いで。



「ちっくとスマン! んぐに通るき!」

「ちょっと通して貰えますか?」

 そんなことを何度も言いながら、2人は前へ前へと進んで行った。


「あの、若い男の人見ませんでしたか!? 髪を下ろして寝間着を身に着けた男の人を探してるんですよ。女の子みたいにカワイイ顔してて、多分咳をしたり血を吐いたりしてたと思うんですけど」

 あたしは、色んな人に陽之助さんのことを聞いた。

「見たぜ。ソイツなら、今オメェさん達が行ってる方に歩いてった。ヒデェ顔色だったし、確かに口の周りに血が付いてたな。しかも、。ビックリしたぜ」

「そうですか。有り難う御座います」「どうしたんですか?」

 あたしも、龍馬さんの足元を見下ろす。

 其処には――あかい雫が零れていた。


「これ、まさか……」

 あたしが言うと、龍馬さんが頷いた。

「恐らく、陽之助の血じゃ」


 もしかしてと思い、あたしは顔を上げて前を見る。

 想像した通りだった。道案内をするかのように、血が点々と零れている。

 あたし達は、それを頼りに歩いて行った。



 暫く歩いた頃だろうか?

「――コホッコホッ……ケホッ」

 と、近くで空咳が聞こえた。


 龍馬さんが、ハッと咳が聞こえた方に視線を注ぐ。

「陽之助……? オマン、まさか其処に……」


 咳は、薄暗い路地裏から聞こえている。


 龍馬さんが路地裏を覗き込んだ。あたしも、彼の後ろからそっと見る。


 陽之助さんと断定は出来ないけれど、確かに人がうずくまっていた。

 明らかに背の高い青年だった。でも陽之助さんにしては大柄で、肌の色も浅黒いような気がした。

 そんなを覚えながら、あたしはその男を窺う。


 龍馬さんが路地裏に入って行き、あたしは彼の後に続いた。


「ケホッゴホン! ゴホゴホ……くッ」

 男が声を漏らす。


 一瞬唸ったのかと思ったけど、


「く……クックックックッ」

 場違いな程に楽しそうな笑い声。その声は、陽之助さんのものとは違った。でも、


「!?」

 ジャリ。

 龍馬さんが、砂を踏む音がした。驚いたのか、1歩後退あとずさりしている。


 その時、一瞬何かが光った。

 あれは……刀!?


 男が振り向くと同時に抜刀したのだろう。

 やいばの切っ先が、こっちに向けられている。


 暗くて、男の姿が見えない。

 感じるのは、異常なまでの殺気。


「誰ぜ、おんしゃァ」

 龍馬さんが、静かな声で言う。


 男は答えない。

 その代わり、素早い突きをして来た。


「……ッ!」

 龍馬さんは何とかける。


 男の殺気に少しも怯むことなく、彼は懐から拳銃ピストルを出して構えた。


「誰ぜッ!!」

 龍馬さんの一喝が、空に木霊する。


 やがて、男が出て来た。


 彼の顔を目にし、あたしは驚く。


「沖田さん!!」

 沖田さんを見たのは、初めて龍馬さんと逢った日以来だ。


 龍馬さんがギリッと歯噛みした。

 沖田さんは余裕の笑みで、龍馬さんを見据えている。


 すると、側にある建物の屋根から誰かが飛び降りて来た。


「!」


 現れたのは、長い黒髪をキリッと1つにまとめた、色白で小柄な美少年。


 ――遮那王君だった。


「久し振りじゃねェか」

 と、沖田さんが口の端を吊り上げる。


「此処は僕に任せて、お逃げ下さい」

 そう言いながら、遮那王君がスラリと刀を抜いた。


 あたしと龍馬さんは、一瞬躊躇した。

 でも、こうしている間に陽之助さんが――。


「まっことスマン! 頼んだぜよ!」


 先を急ごうと、あたし達がきびすを返した刹那、背後で乱闘が始まった――。



 夜も完全に更けた頃、ポツポツと雨が降って来た。

 雨は、2人の着物に水玉模様を描いて行く。


「……降って来たにゃァ」

 龍馬さんが空を見上げながら言った。


 外には、殆んど誰も居ない。


 だんだんと雨は激しくなって行き、あたしも龍馬さんもビショビショになった。遂には雷まで鳴り出した。

 まだ閉店していないお店のお陰で明るいけど、血は雨に紛れてわからない。


 すると、かなり前の方にあるボンヤリとした影が、あたしの視界に入って来た。蹲っている女性のように見える。

 龍馬さんがハッとし、走って行く。


「龍馬さん……!!」


 その瞬間とき、心臓に激痛が走った。


「……ッ!!」

 あまりにも激しい痛みに蹲りそうになったけど、何とか耐える。


 そしてあたしも、龍馬さんの元に追い付いた。


 其処に――陽之助さんが居た。


「陽之助さん……!」

「コホッコホッケホッ……ッう……ゴホォッ!!」

 左手で口元を押さえ、陽之助さんは咳き込み続ける。


 彼が咳き込む声は、殆んど降り注ぐ雨に掻き消された。


 彼は髪も体もビショビショに濡らし、白い着物が肌に張り付いている。腰から下や体を支える右手はドロドロだ。しかも、裸足だった。


 龍馬さんが、安心させるように何度も彼の背中をさする。


 あたしは深呼吸をしようと、息を吸い込んだ。

「……うッ!!」

 再び平然を保てない程の激痛に襲われ、あたしは顔を歪める。これまでにも心臓の痛みはあったけれど、これ程までに痛いのは初めてだ。


 龍馬さんが振り返る。

「……萌華?」

「何でも……ないですよ……ッ」

 そう言って、あたしは平静を装った。


「ゲホッ……ゴホゴホッゴホッ!! ……ッ……ゴホッゲホン!!」

「陽之助ッ!!」

 ハッと龍馬さんが振り返り、目を見張る。


 雨が、紅く染まっていた。しかしそれもやがて、次々と降り注ぐ雨に紛れ、薄まって行く。


「うッ……うゥ……ッ」


 突然、雷が光った。


 一刻も早く、医者に診て貰わなければならない。でも洪庵先生は、もう信用出来なかった。


「どういたら……」

 龍馬さんも焦っているようだ。


 心臓の痛みが増して来た。少し息を吸うだけで、激痛が走る。


 陽之助さんは、咳を押し殺そうと呻いている。そのたびに薄い背中が震えた。


 あたしは、陽之助さんの肩を支える。

 苦しみにキツく閉じられた彼の瞼から、透明な雫が零れた。でもそれを誤魔化すように、冷たい雨が頬を濡らして行く。


「ゴホッゴホッ……ゲホ……ッ! うゥ……」

 咳き込み、陽之助さんは弱々しい苦しみの声を漏らした。


 龍馬さんが、絶え間ない咳に苦悶する彼の背中を強く擦る。

「陽之助……」

「ハァッ……ハァッ……ゴホ……ハアァ……ッ」

 肩を上下させて、陽之助さんが喘いだ。


 雨が激しく地面に打ち付けている。


「は……ッハァ……ハアァ……、うッ……!」

 と、彼が小さく呻く。


 それと同時に、陽之助さんの体がフッと力を失った。


 あたしは咄嗟に彼の体を支える。


「陽之助さん……?」

「…………」

 反応がない。


 ――まさか。


 あたしは、陽之助さんの顔を覗き込む。


 彼は、気を失っていた。


「陽之助ッ」

 やはり反応はなく、目を閉じたままだ。


 ズキンッ!!!

「――ッ!!」

 心臓に激痛が走った。

 あたしは痛みを堪えようと、キツく目を閉じる。

 息を吸う度に、胸に激痛が走る。


「萌華!?」

「……う……ッ」

 顔を歪め、痛みが治まるのを待った。でも、なかなか治まらない。


 ふと、陽之助さんを見た。

 その端麗な顔からは、既に苦しみは消えている。

 消えていないのは、頬を伝った涙痕だった。

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