第5話 ~光と影と~
「わー! やった、やったー!」
4、5歳くらいの小さな女の子が、嬉しそうに笑顔を浮かべながら、茶屋から出てきた。恐らく、茶屋で買ったのだろう――串に刺された団子を持っている。
女の子の黒い髪は尼削ぎで、
やっぱりいつの時代も、小さい子は可愛いな……。
団子を手に、喜んでいる様子はとても微笑ましく、あたしは思わず顔を
その時、女の子の持っていた団子が、ボトッと地面に落ちた。
団子に砂が付いてしまっているのを見て、女の子の大きな目が潤んでいく。さっきまで、可愛い笑顔を浮かべていたのに。
とても放っておけず、女の子に声をかけようとした刹那。
「……コホッ」
陽之助さんが口元を押さえ、軽い咳をする。
華奢だし、肌の色も白い陽之助さん。太陽の
恐らく彼は、あまり体が丈夫じゃないんだろう。
看護師を目指していて、医療に関する本や資料を沢山読んできたことにより、少しは知識が付いたからか――陽之助さんの体調が、万全ではないことは見て取れた。
陽之助さんのことが少し心配だったけど、泣いている女の子のことも放っておけず、あたしは茶屋の中に入る。
女の子が持っていた団子と同じものを1本買い、外に出た。
「これ、あげるよ」
そう言いながら、泣いている女の子の前で膝を曲げて、団子を差し出す。
クリクリした大きな目を涙で濡らし、女の子はキョトンとした顔であたしを見上げてきた。
もう1度団子を差し出して、あたしは頷く。
女の子は、少し躊躇しながらも団子を受け取ると、砂の付いていない団子を見つめ、パァッと明るい笑顔を見せた。
「ありがとう……!」
「今度は落とさないようにね」
「うん!」
元気良く頷いて、女の子が背中を向けて走り去っていく。
笑顔を取り戻してくれた様子にホッとしながら、あたしはその小さな背中を見送った。そして、龍馬さんと陽之助さんを振り返る。
「――けんど、ちっくと顔色が悪いぜよ。今日は仕事はもう
「いえ、大丈夫です。最近寝不足やったさかい、多分その
龍馬さんも心配しているし、陽之助さん……やっぱり体調が悪いのかな? 風邪とか引いてないと良いんだけど。
少しだけ細められた龍馬さんの瞳が、陽之助さんを心配そうに見つめた。
陽之助さんは、そんな彼から逃げるように視線を泳がせる。
しばらく陽之助さんを見つめていた龍馬さんが、苦笑しながら彼の肩を軽く叩いた。
「オマンの言う『大丈夫』は、ちっくと心配じゃにゃァ。体調が悪うなったら、すんぐに言うがぜよ」
目を逸らしたまま、陽之助さんは無言を貫き通す。けれど、その薄氷のように冷ややかな美人顔は、どことなく影を落としているように見えた。
2人の会話が終わったタイミングを見計らい、あたしは縁台へと戻る。
「萌華は、生活はどうしゆうがじゃ?」
投げかけられた龍馬さんの問いに、思わずハッと息を呑んだ。
誰かにお金を貰い続けたり、何かを買ってもらって生活するわけにはいかない。人の世話になるんじゃなくて、自分でお金を稼がなければ。
「それが……まだ、何も考えられてないんです。遮那――朝露の君という人にお金を貰ったので、何とかなっているんですけど……」
遮那王くんの名前を出そうとし、念の為言い換える。彼は、あまり公に出来ない仕事をしているらしいし、本名を出せば迷惑がかかるかもしれないからだ。
「朝露の君?
遮那王君、どっち付かずなんだ。どうしてだろう?
最初にあたしを助けてくれた人だけど、彼が何者なのかはほとんど知らない。少なくとも、悪いことをしている人ではないように見えるけど……。
「ちっくと話が逸れたけんど、生活に困りゆうがやったら、ワシが隊長を務めゆう
龍馬さんが隊長を務めている海援隊か……。
あたしも男装だし、男所帯に放り込まれることに抵抗はない。何より、あたしを心配してくれる龍馬さんの優しさは、とても嬉しかった。
だけど、向こうで何か出来ることがあるとは思えないし、ただ居候するだけというわけにもいかない。
「龍馬さんの気持ちは嬉しいんですけど、何もせずに居候するわけにはいきませんし……。あたしはあたしで、何か仕事を探します」
初対面でありながら着物を買ってもらっているし、もうこれ以上龍馬さんに迷惑はかけられない。
誰にも迷惑をかけずに、最低限の生活が送れるならそれで良いんだけど……。
そうだ……! この茶屋で、働かせてもらったら良いんじゃないだろうか?
あたしは通信制高校で勉強しながら、入院生活を送ってきた。バイトをしたことはないけど、海援隊に居候するよりはずっと良いはずだ。
「あの、龍馬さん……さっき思いついたんですけど、この茶屋で働こうかなって……。接客くらいならできそうです」
「それは名案じゃ! ワシが若女将に頼んできちゃる!」
立ち上がった龍馬さんが、茶屋の若女将さんに相談しに行こうとしたけれど、あたしは止めた。
「龍馬さん、待ってください! あたしが自分で頼みに行きます!」
仕事をするのはあたしなんだから、あたしが若女将さんに頼みに行くのが筋だろう。
あたしは縁台から立ち上がり、茶屋の中へと入った。
若女将さんがお店の奥から出て来て、優しい笑顔を向けてくれる。
「織田原萌華です。1つお願いがあるんですけど、ちょっと今良いですか?」
「ええ、どうしたの?」
本当は忙しいだろうに、手を止めて聞こうとしてくれる若女将さんを見上げ、あたしは口を開いた。
「もし可能でしたら、ここで働かせていただけないでしょうか? ちょっと事情があって、男装してはいるんですけど、任された仕事はキチンとやるつもりです。どうかお願いします!」
許可が下りることを願いつつ、深々と頭を下げて頼み込む。
急な申し出だし、女でありながら男装もしている。もしかしたら、許可は下りないかもしれない。
しばらくして顔を上げると、若女将さんは優しく微笑んで、あたしを見つめていた。
「萌華ちゃん、といったかしら? ありがとう、ここで働いてくれるなんて、本当に助かるわ。これから宜しくね」
良かった……! 無事に許可が下りたんだ……!
迷惑をかけないように、自分で出来ることを見つけて働いていこう。
そうやって平穏に過ごしていれば、いつか現代に戻る方法も見つかるかもしれない。
「こちらこそ、本当にありがとうございます! 精一杯働きますので、宜しくお願いいたします!」
あたしはもう1度、若女将さんに頭を下げた。
――翌日から茶屋で働き始め、早くも数日が経った。
基本的な仕事内容は、若女将さんがしていることとあまり変わらない。接客はもちろん、お客さんが使った小皿や湯呑み茶碗を洗ったりもする。
給料は日払いで、大体銀貨2枚くらいだ。夜は割り増しになる為、日によってはそれより多く貰うこともある。
「萌華ちゃん、ちょっと店番お願い!」
「はい!」
若女将さんがそう言って、小走りで店の奥へと入っていく。1番混む時間帯は、やはり昼過ぎだった。
「大福餅ですね。銅貨1枚になります」
「おーい! 嬢ちゃん、茶をくれねェか?」
「はい、少々お待ち下さい!」
銅貨1枚を支払ってもらっていると、外から声がかかった。あたしは返事をして、急いでお茶を用意しにいく。
ここでの仕事で1番大変なのは、お客さんの顔が覚えられないことだった。注文されたものを持っていっても、誰が頼んだか忘れてしまうことが多い。
慣れてきたら、常連さんの顔くらいは覚えられるんだろうけれど、現代のように番号札で呼んでいくスタイルを導入すれば、今よりずっと接客が楽になるはずだ。
夕方、一通り仕事を終えて給料を貰ったあたしは、近くの宿で夜を過ごしている。
人気の茶屋なのか――仕事はかなり忙しく、疲労で心臓の痛みが長引くことが多くなってしまった。
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