第3話 ~信頼~

 あの後、政宗さんの足止めのお陰で、新撰組と鉢合わせることはなかった。そして遮那王くんと逃げたあたしは、彼に宿へと案内された。

 遮那王くんとは、お金と髪を結う為の櫛を渡してもらって別れた。理由はわからないけど、多分忙しいんだろう。でも、お金を渡してもらったことには感謝だ。


 翌朝、宿を出たあたしはめいおうかいの町の中を歩いていた。

 広い道の両端に、お店や家などの建物が並んでいる。その道を、着物を着た人々が行き来しており、割と賑やかだ。


 これからどうすれば良いんだろう? 早く帰りたい。

 歩きながら考えている最中に、1軒の茶屋が目に留まった。


 何となく気になって入ってみると、美味しそうな和菓子が並んでいた。

 和菓子が大好きなあたしは、目を奪われてしまう。


「いらっしゃい! 何か食べていく?」

 突然声を掛けられ、あたしは顔を上げる。

 和菓子が並んでいる棚の横に、前掛けを着けた日本髪の若い女性が立っていた。若女将だろうか?


「どれも美味しそうで、迷っちゃいます」


 あたしは和菓子を眺めながら、買おうかどうしようか、思考を巡らせる。


 どうやらこれは夢じゃないみたいだし、大好きな和菓子でも食べながら、これからのことを考えよう。


「じゃあ……桜餅を1つ、お願いします」

 迷った挙げ句、あたしは桜餅を1つ頼むことにした。


 お金を払った後、茶屋の外にある赤い縁台に腰掛け、桜餅が届くのを待つ。

 この世界で使われているお金は全て硬貨で、4種類あるらしい。金貨、銀貨、銅貨、てっだ。金貨は縦長の楕円形、銀貨と銅貨は円形、鉄貨は四角い穴の空いた円形だった。


「美味しいです!」

 やがて、若女将さんが運んできてくれた桜餅を口に運んだあたしは、彼女に笑顔を向けて言った。


「フフ……喜んでもらえて良かったわ。ゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」


 再びお店の奥に戻っていく若女将さんに、軽く頭を下げる。


 前に向き直ったあたしは、賑やかな町を行き交う人々を眺めた。


 本当に、夢幻魔界に転移してしまったんだ……。

 あたしはこれから、一体どうなってしまうんだろう? どうやって生きていけば良いんだろう?


 出てくるのは解決策ではなく、長い溜め息。


 手元の桜餅を、黒文字楊枝を使って一口大に切り、やおら口に運んだ。


「幾夜餅を頼むけェ」

 と、短髪の青年武士が来て、注文を出す。派手な着流しに刀を差しており、片手には三味線を持っていた。


「はい、只今!」


 若女将さんが返事をした時には既に、短髪の青年武士はあたしの右隣に腰を下ろしていた。常連さんなのかな?


 あたしはそっと、短髪の青年武士の顔をうかがった。


 この人…………。


「……ん? 何じゃ?」

 視線を感じたのか――短髪の青年武士があたしを見る。


 どうしよう、あまりにも見つめすぎてしまった。さすがに失礼だったな。


「え、えっと……三味線、スゴいな~と思って……!」

嗚呼ああ……三味線を弾くんが、オレの趣味じゃけェ。オレの名は、高杉たかすぎ晋作しんさくじゃ。君は?」


 やっぱり、この人が高杉さんだったんだ。

 高杉さんは足を組んで座り、片腕で三味線を大事そうに抱えている。痩せ型ではあるけれど、着物の裾から覗く腕や足には、しっかりと筋肉が付いていた。


「あたしの名前は、織田原萌華といいます」

「萌華か。呼び捨てでェじゃろう?」


 高杉さんが、頼んだ幾夜餅とお茶を受け取りながら微笑む。


「大丈夫ですよ。あたしは、『高杉さん』って呼ばせてもらいますね」

「そねーな他人行儀な呼び方をする必要はないけェ。オレのことも呼び捨てで、『高杉』か『晋作』でェ」

「え? いえ、それはちょっと……。高杉さんの方が年上ですし……」


 出会って数分しか経っていない年上の男の人を、呼び捨てになんてできない。


 戸惑うあたしを見て、高杉さんが笑い出す。

「ハッハッハッハッ!! 冗談じゃ! 君はホンマに面白いのゥ」


 からかわれてしまったけど、何故か悪い気はしなかった。むしろ、元気を貰ったかもしれない。

 現代に戻る方法を模索しながら、この世界で生きていこうと――ほんの少しだけ、前向きな気持ちになれた。


 もうこの世界に転移してしまったのだから、いつまでも「帰りたい」なんて溜め息をついていても仕方がない。そんな暇があれば、これからの生活を安定させる手段を考えるべきだ。


 その時、視界が急に浅葱色の羽織で覆い隠され、あたしは顔を上げた。


「見つけたぜ、萌華」

 あたしの目前に居たのは、相変わらず不敵な笑みを浮かべている――沖田さん。


『今からオレと共に、新選組の屯所に来い。従わねェってんなら、オレのに付き合ってもらった後に――殺す。本来なら、一生になってもらうところだが、テメェが敵に回ると厄介だからな……』

 昨夜の沖田さんの言葉を思い出し、あたしは固唾を呑んだ。


 何かされて落としてしまわないように、食べかけの桜餅が載った小皿を、さり気なく縁台に置く。


「テメェは、神鬼狼オレたちと行動を共にしなきゃならねェ。だから、オレがワザワザ迎えに来てやってんだよ」


 あたしはまだ、この世界の仕組みをほとんど知らない。

 仮に沖田さんの言うことが正しいとしても、脅されてまで神鬼狼に付く理由があるとは、到底思えなかった。

 沖田さんを始めとする神鬼狼に、ここまで執着されるいわれはない。


 何も答えないあたしに、痺れを切らせたのか――沖田さんの大きな手が、あたしの手首を掴む。

 そのままグイッと強い力で引っ張られ、咄嗟に足を踏ん張った。


「オイ!」

 あたしの背後で怒号を飛ばし、高杉さんが腰を上げる。


「や、辞めて……!」

「……今すぐ殺してやっても良いんだぜ? 殺されたくなきゃ、大人しくしてろよ」


 ダメだ、抵抗できない……! このままじゃ……!


 叫んで助けを求めようと、息を吸った刹那。


「何をしゆう」

 低い声と共に、1人の青年が沖田さんの目の前に立ち塞がった。


 後ろで1つにまとめられた天然パーマの黒髪に、日焼けした肌。黒い紋付きの着物に白袴を着用し、ブーツを履いている。高身長で、着物からは厚い胸板が覗いていた。

 彼は着物の懐に手を入れながら、堂々と沖田さんを見据えている。


「まっこと、情けないにゃァ。おなごを脅して連れ去るらァ、男のすることじゃないぜよ」

「あ? テメェに説教される筋合いねェんだよ――坂本さかもと


 乱暴にあたしを突き飛ばした沖田さんが、刀を抜いた。

 町の人々が悲鳴を上げ、クモの子を散らしたように逃げていく。


 バランスを崩し、地面に倒れ込んだあたしの元に、高杉さんが駆け寄ってきた。

「ケガはしちょらんか?」

「はい、大丈夫です」


 高杉さんを見つめ、心配を掛けないようにしっかりと頷いたあたしは、立ち上がりながら顔を上げた。


 殺意を向けられているにも関わらず、青年に動じる様子はない。むしろ、どこか軽蔑したような眼差しを注いでいる。


「……斬り合いゆうがは、アホのすることじゃ。おんしを相手にしゆう暇はないき、コイツを使わせてもらうぜよ」


 青年は、手を突っ込んでいた懐からピストルを取り出し、余裕のある笑みを見せた。

 沖田さんが悔しそうに歯軋りし、観念したように刀を納める。


「良かったな、萌華。そうやって男にまもられてる内は、まだ安全なんじゃねェか?」

 吐き捨てるように言って、沖田さんが走り去っていく。


 そんな沖田さんを追い駆けることはなく、ピストルを懐にしまった青年は、優しい笑みであたしを見下ろしてきた。


「大丈夫かえ?」

「はい、それより……助けてくださって、本当にありがとうございました」


 突き飛ばされた時に、少し手をり剥いたくらいだ。これくらい何ともないし、助けてもらったことへのお礼の方が重要だ。


 それにしても、沖田さんには気をつけなきゃいけないな。あたしのことを狙っているようだし、あんな力の強い人には敵わない。


 沖田さんはまるで、あたしが知らない重要な何かを、知っているようだった。

 けれどあたしの目標は、できるだけ早く現代の染岡病院に戻ることだ。冥王界の事情に、首を突っ込むつもりはない。


かまんぜよ。ワシの名は、坂本さかもとりょうじゃ」


 坂本龍馬!? この人が!? 薩長同盟とか大政奉還を成し遂げた、あの土佐脱藩浪士!?


「龍馬さん……あたしは、織田原萌華といいます」

「萌華ゆうがか。い名前じゃにゃァ!」


 かの有名な坂本龍馬と話しているなんて、やっぱり夢なんじゃないかと思うけど、何だかとても親しみやすそうだし、信頼できそうな人だ。


「ちっくとここで、休憩していくかえ」

 茶屋の中へと入っていった龍馬さんが、布製の財布らしきものを取り出しながら、若女将さんに桜餅を頼む。


 やがて届いた桜餅を、お茶と共にモグモグと頬張りながら、龍馬さんがあたしを見つめてきた。


「オマン、変わった着物を着ゆうにゃァ。身分の高い姫様かえ?」


 今はこれしか持っていない為、止むを得ずルームウェアを着たまま出歩いている。


「いえ……実は、昨日この世界に来たばかりで……。身分も全然高くないです」


 縁台に腰かけたあたしは、食べかけていた桜餅を2つに切り分ける。

 その内の片方を口に運びながら、隣に座っている龍馬さんを見上げた。


「そうかえ、けんどそのままやったら目立つぜよ。ワシが後で、オマンに着物をうちゃるき」


「えッ!?」

 突然の提案に、あたしは思わず声を上げる。


 確かに龍馬さんが言う通り、着物を着ているのが普通のこの世界で、洋服の人が居たら目立つだろう。

 だけど、いくら龍馬さんが優しい人だったとしても、初対面の彼に高価な着物を買ってもらうわけにはいかない。


「で、でも……初対面の男の人に、そんな……! それに、あたしも一応お金は持ってるので、大丈夫です」

 龍馬さんの好意を無下にすることに、少しだけ罪悪感を覚えながらも、あたしは断ろうとする。


 遮那王くんから貰ったお金があるのに買ってもらうなんて、そんなことはできない。

 いつになったら現代に戻れるのか、そもそも戻れるかどうかすら判らないけれど、その間ずっと誰かの世話になって生活するつもりはない。


「萌華、歳は幾つじゃ?」

「16です」

 あたしが答えると、龍馬さんが相槌を打った。


「確かにオマンは、年齢の割にしっかりしちゅうように見えるぜよ。けんど……急に知らん世界に飛ばされて、不安も大きいがじゃないがか?」


 不安? そんなもの、ないに等しい。

 大人たちに頼って生きなければならないほど、あたしは弱くない。姉として、弟と妹を護ると決めたから――弱さなんて捨てている。


「そんな――……」

 彼の言葉を否定しようとしたけれど、どうしても声が小さくなってしまう。


 俯くあたしの頭を、龍馬さんがポンポンと撫でた。

 大きな手が載せられる感触に、胸の内に温かいものが広がる。


「……図星じゃろう? ワシは初対面のおなごに、金を貸したこともあるがじゃ。遠慮は要らんぜよ」


 ……今は、龍馬さんに頼らせてもらおうか? そしてこの恩は、いつか必ず返そう。


「じゃあ、お願いします……!」

 あたしが頭を下げると、龍馬さんはニッコリ笑った。


「ワシに任せや!」






【第3話の用語解説】


❀歴史的用語❀

・薩長同盟…幕末に、薩摩藩と長州藩が結んだ同盟。

・大政奉還…徳川慶喜が、天皇に政治をする権利を返した出来事。

・土佐…現在の高知県。


❀オリジナル用語❀

・神鬼狼…織田信長と彼に味方する者たちの組織。

・冥王界…源平、戦国、幕末の歴史上人物が集う異世界で、本作の舞台。

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