第2話 ~華麗なる者~
「……遮那王……?」
遮那王といえば、
これほどまでに麗しい少年を、あたしは見たことがなかった。女顔で、とても男には見えない。性別という概念を疑ってしまうほどだ。
あれ? でも源義経って、美少年説とそうじゃない説があったよね? 平家物語ではブスとか散々書かれてるけど、やっぱりあれは平家側の人間が言った悪口だったんだ。
「えっと……遮那王くんって呼ばせてもらうね」
絶世の美少年・遮那王くんは頷き、横笛を大事そうに着物の懐にしまう。
「ある人から、貴方の名が朝露の君だって聞いてたんだけど……」
「……それは……先ほどのような追手から逃れる必要もあるし、あまり人に言えぬ仕事をしている故」
「じゃあ、本名は遮那王なんだ」
あたしの言葉に、彼は無言で頷く。
どんな仕事をしているのか気になったけど、人に言えない仕事なら聞くわけにはいかない。けれど、偽名を使わなければならないほど、大変な生活を送っているんだということは、察しが付いた。
「どうしてあたしを助けてくれたの?」
「僕が見つけた時、萌華殿は倒れていた。助けぬわけにはいかぬ」
病院で意識を失ってから、遮那王くんに出会うまでの記憶は全くない。まだ信じられないけど、多分その間に冥王界に転移したんだろう。
遮那王くんの美しい
桜の花弁は風に踊り、遮那王くんの周りをヒラヒラと舞いながら落ちていく。
その時、後ろから誰かが近付いてきたかと思うと、首元に
「……ッ!?」
抜き身の刀なんて、初めて見る。少しでも触れたら簡単に切れてしまいそうなほどに、鋭利な
驚きよりも恐怖が勝り、足が
視線を上げると、青年があたしを見下ろしていた。
首の後ろで無造作に
新撰組とは、幕末に京都の治安維持に務めていた、武装警察集団のことだ。ダンダラ羽織と呼ばれる、浅葱色の着物の裾に白い三角が沢山描かれた着物が特徴的だ。
「テメェが萌華か……」
青年はぞんざいな口調でそう呟きながら、値踏みするかのようにあたしを見てくる。
表情に乏しい遮那王くんが、ハッと目を見開いた。
「……貴方は?」
あたしが尋ねると、琥珀色の髪の青年は更に口の端を吊り上げてみせた。
長い前髪から覗く切れ長の目が、獣のように怪しい光を放つ。
「――新撰組一番隊組長・
お、沖田総司!?
かなり目立った服装とはいえ、今日ここに来たばかりのあたしの名前を知っているなんて、ゼッタイにおかしい。何より、命を狙われる道理はないはずだ。
よりによって、何で新撰組随一の天才剣士に……!?
あたしは心臓病が悪化して入院するまで、ずっと剣道をやっていた。沖田さんでもなければ、少しは上手く立ち回ることもできたかもしれない。
「どうして、あたしのことを……?」
「……今は言えねェな。こっちにも、事情ってモンがあんだからよ」
軽く流した沖田さんが、あたしの胸元に視線を移動させた。
「つーかテメェ、チビの癖に案外デケェ胸じゃねェか。今からオレと共に、新選組の屯所に来い。従わねェってんなら、オレの
淡々と喋っているだけなのに、その唇が紡ぐ言葉はあまりにも過激で――激しくなった心臓の鼓動が、彼に聞こえてしまうんじゃないかと思うほどだった。
薄い唇を真一文字に引き結んだあたしは、沖田さんに鋭い視線を投げる。
怖くないわけではない。かと言って、この人に従おうという気も、あたしにはなかった。
何とか、この状況を打破してみせる……!
「……なるほどな、気の強い女はキライじゃねェ。だがな、オレをナメて貰っちゃ――」
キィン……!!
頭上からの金属音が、耳を
音のした方を見上げると――抜刀して一気に間合いを詰め、あたしの背を越えるほどの見事な跳躍を披露した遮那王くんと、彼の
「なかなかやるじゃねェか。まずはテメェを殺してからってのも、悪くねェな」
沖田さんがそう言いながら、ニヤリと口角を上げた。
刹那、光の筋が走ったかと思うと、僅かな赤が沖田さんの刀の切っ先を染めた。
攻撃を
フワリと着地したのは、欄干の上。
「……チッ」
眉を
橋の欄干に立つ遮那王くんを追い掛けた彼は、刀身を真横にして切っ先を遮那王くんに向け、半身に構えた。
その様子を臆することなく見据え、遮那王くんは二枚歯の下駄で、欄干に立ち続けている。
しばらく睨み合った後、沖田さんが何の前触れもなく、素早い突きを繰り出した。
危ない……!
血の飛沫が舞うことを予測し、あたしは思わず顔を背けた。
「何ッ!?」
驚いたような沖田さんの声が聞こえ、恐る恐る顔を上げると――有り得ない光景がそこにあった。
突き付けられた刀の上に、美少年が立っている。その胸元は血に濡れておらず、全くの無傷だ。
あの状況でよけるなんて、どうやっても不可能なはずだった。なのによけただけでなく、その刀の上に立つという離れ業を、遮那王くんは披露した。
遮那王くんの身体能力の高さは、常軌を逸していると言っても過言ではない。
満月をバックにした彼の長く美しい黒髪が、フワリと
桜は雨の如く降り注ぎ、橋の上へ舞い落ちたり川に落ちて浮かんだりしていた。
沖田さんが悔しそうに歯を食いしばり、刀を横に払う。
ヒュンッと
後ろへと跳躍した遮那王くんは、反対側の橋の欄干に立つ。
「調子乗ってんじゃねェぞ……!!」
叫ぶと同時に振り返った沖田さんが、遮那王くん目掛けて刀を振り下ろす。
けれど、その
間髪入れず、沖田さんが刀を振り被ろうとした、その
ズガァン!!
どこからか銃声が鳴り響いたかと思うと、弾が沖田さんの左肩を貫通した。
「ぐ……ッ!?」
背後から撃たれた沖田さんが目を見開いて呻き、その場に崩れ落ちる。
「
と、楽しそうな声と共に青年が現れた。
端正な顔に、右目を隠す眼帯、高らかに結い上げられた藍色の髪が特徴的な青年だ。その手に握られたピストルからは、煙が立ち上っていた。
「テメェ――ッケホ……コホッゴホッ!! ゲホゲホッゴホッ……ガ……ッ!!」
口元を押さえて、沖田さんが咳き込み始める。
「ゴフッ……ぐッ……ガハ……ッ!!」
――
鮮やかな紅き雫。
沖田さんは、紅く染まった自分の手を見つめている。
「……ゴホッゴホッ……チクショォ……ッ」
口からも肩からも、ボタボタと血が零れていた。
激痛に顔を歪めながら、沖田さんはゆっくりと立ち上がる。
「ハハッ、まだ動けんのかよ」
そう言って楽しそうに笑いながら、眼帯を着けた青年は沖田さんを見据えた。
沖田さんが、忌々しげに青年を睨みつけながら、口を開く。
「……テメェ……その眼帯、まさか……」
「まさか、このオレを知らねェヤツが居るとはな。……ま、知らねェなら教えてやる――オレは、
伊達政宗と名乗った男は、尚も楽しそうに笑みを浮かべている。
「オイ総司、何してやがる」
声がした方を見ると、1人の青年が居た。焦げ茶色の髪をポニーテールにし、沖田さんと同じダンダラ羽織を着ている。
「……
「全く……何やってんだよ。
土方と呼ばれた青年が、沖田さんの元に歩み寄る。
労咳とは現代で言う肺結核のことで、長らく不治の病として恐れられてきた病気だ。歴史が得意で良かったなと、我ながら思う。
政宗さんがあたしの所に来て、耳元で囁いた。
「後はオレに任せて、遮那王と逃げろ。あの男……新撰組副長の
土方歳三――新撰組の副長で、『鬼』と恐れられるほどの冷酷さを持つ、色男だったはずだ。俳句が趣味だけどあまり上手くなくて、沖田さんにからかわれていたというエピソードを思い出す。
政宗さんと遮那王くんが視線を交わし、互いに頷き合った。
倒れていたあたしを助けてくれたようだし、今のあたしが1番信頼できるのは、遮那王くんだ。彼が一緒に逃げてくれるのは、本当に心強い。
「あの茶色い髪のチビが――織田原萌華ッスよ」
「……あの女が? 総司が好きそうな女じゃねェか」
フッと鼻で笑った土方さんが、やがて笑みを消してあたしを見据える。
あたしの心臓が、ドクンとイヤな音を立てた。沖田さんの時とは違う緊張感が、全身を駆け巡る。
その時、遮那王くんに肩を叩かれ、あたしは我に返った。
ボーッとしてちゃダメだ。今は遮那王くんと一緒に、この場から逃げないと……!
「オマエ……確か、萌華っていったか? 知ってるとは思うが、ここは
「はい、ありがとうございます」
政宗さんに頭を下げたあたしは、
美しく舞い落ちる桜の中に――ほんの一瞬だけ、黒い桜の花弁を見たような気がした。
【第2話の用語解説】
※『涙色の
❀歴史的用語❀
・新撰組…幕末の京を中心に活動していた、浪士集団。冥王界でも、武装警察集団として活動している。
・ダンダラ羽織…新撰組隊士が身に付けていた羽織。
・独眼龍…伊達政宗の二つ名。
・平家物語…鎌倉時代に成立した、源平合戦を描いた軍記物。
・源義経…史実の遮那王の元服後の名前。
・労咳…現在でいう肺結核。
❀オリジナル用語❀
・神鬼狼…織田信長と彼に味方する者達の組織。
・乱桜華…織田信長に反発する者達の組織。
・冥王界…平安、戦国、幕末の歴史上人物が集う異世界で、本作の舞台。
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