バーチャル配信者・狂宮みるくはやっている

吉所敷

狂宮みるくはやっている

 ちょっと年季の入ったディスプレイが明滅し、私の目の前にある箱から慣れ親しんだマネージャーの声が聞こえる。

 年齢は二十五、疲れたような様子を見せないバリキャリって感じに勝気な声だ。


『はい。じゃあ今回の打ち合わせはこれでおしまいです。狂宮さんから何かありますか?』

「あーっと、いやあ。特にないですね。今度やる案件配信の台本ってすぐ貰えるんですよね」


 バーチャルライバー事務所サンクチュアリ所属二期生、狂宮 くるみやみるく。

 それがこの春まで大学生として、卒論を必死に書いて大卒という肩書を得て私の就いた職だ。

 Vなどという略称で親しまれるそれは動画サイトで可愛らしい美少女などのイラストをアバターにし、ゲームプレイする様子を配信したり同僚と遊んだり、はたまた変わり種ではとある学問や運動、職能について特化した知識を持ち合わせていたりする配信者を意味する。

  運よくこれから成長するだろう新進気鋭のライバー事務所、サンクチュアリに拾われた私は偉大な一期生の先輩を見様見真似で必死こいて配信業に従事しており、そのアバターの名こそが狂宮みるくであった。


 私はまだまだデビューして五か月だが、来た案件に恥じないよう頑張る決意を固めた、そんな日の打ち合わせである。


『滞りなく進めば』

「了解です。んじゃー、今日はこのくらいでー」

『いえ』


 そんな日の打ち合わせで……マネージャーの声が酷く冷たくなったような気がした。


『今日はこのまま、少し”おしゃべり”いたしませんか?』

「アッハイ」


 脳裏を走るあれやこれや。もしかして昨日、別の事務所に所属している雨降地子ちゃんとのコラボ配信の件だろうか……!?

 いやでも普段は清廉潔白品行方正優等生! 皆の心の同級生、狂宮みるくです!(挨拶)で通している私に、怒られるようなことはない筈! 決して!

  

『ではまず昨日地子ちゃんとキスした件ですが』

「待って待って待って待って」


 どろりと背骨が解けていくかのように、確固たる自分を保てなくなるような”焦り”が背筋を伝う。

 緊張でこわばっているにもかかわらず自分を支えることが出来なくなりそうで、口が勝手に言葉を紡いだ。


「いやいやいやキスなんてする訳ないじゃないですかだいたい他事務所の子ですよ売れっ子ですよそんな! ねえマネージャーさんお願いしますよ勘違い勘違いッ★ みるく困っちゃうなあ!」

『ほう』

「ひん」


 声つめて~~~~!?

 もうなんの抑揚もないじゃん、サイエンスフィクションで人類支配してる系AIの方がもうちょっと人間味あるでしょ。

 通話アプリのアイコンが明滅し、可愛らしい社員証のマークから長い溜息が流れてくる。


『あくまでしていないと、そう仰る』

「ももももももちもち」

『では、昨日はどんな配信だったか復唱できますか?』

「あっす」


 変な声出た。

 ええと、昨日。昨日の配信かあ。


「ええと、そうですね。昨日は最近出たゲームで、その、パーティーゲームほら。アレ。作中の設定が一心同体の双子って設定だから、協力プレイが前提のやつをね、やりましたね。オフで」

『オフでやってましたね。ええ、昨日はうちの後輩が見てたんですが』

「アッハイ。してましたよ二人の間に壁作って」

『壁?』

「段ボールで、壁……壁をね……だから接触はね、身体的接触はしてないかなって、えへへ」

『……』

「……うそです。普通にやってました。私服可愛かったです」

『どうして無意味な嘘吐くんですか』


 わざとじゃない。わざとじゃないんだ。


「いやほらなんか疑われてるなえへへって、へへっ。でもほら私無実ですよそんなねえ、相手現役ですよ手なんか出す訳ないじゃないですか。いくら私が美少女(24歳大卒)だからって」

『ア゛?』

「黙りますぅ」


『……では、その配信を振り返ってみましょう。まず、あなたは相方と二人で一つのコントローラーを使うステージで故意に接触していましたね?』

「誤解、誤解ですぅ。そんな近付いたらうっかり肩とか触れるに決まってるじゃないですか嫌だなマネージャーったら」


 その時、通話アプリにリアクションがつく。

 投げられた文字列はまるで、私たちの動画を切り抜いて作られた名シーン集かのようだった。

 うわ仕事はっや。切り抜き職人さんいつもあざっす!


『見ろ』

「うっす」

 

 逆らえね~~~。

 

『この、開始から一分二十二秒のところから、再生してください』

「ええ……こんなの見なくても私の無実は証明できあっ、すいません。やります、やります」


 開いた動画から流れてくる音声。ヘッドホンをつけていないので、私のPCから再生されるそれが、まるで昨日のことのように……いや本当に昨日のことなんだけど。

 その思い出を想起させる。


『ちこちゃーんっ、ダメだよォ~っ押しちゃダメダメ~』

『押してるのお前だろッ、オイッ! こらっ、触るなバカ! どこ触ってんだ! ひゃぁんっ♥』

『ァ゛ッ、さーせん!』


 だらだらと流れる汗が私の身体を冷やし、思考がぐるぐると高速で回転する。

 ダメ無理詰んだ。


「……しました」

『どこ……触ったんですか』


 声がつめてえんだ。さっきからずっとヒエッヒエ。

 マネさんが声かけたらビールキンキンに冷えないかなあ。

 昨日のコラボ配信で発せられた、私の媚びたような甘ったるい声が部屋を満たす。


「太ももにね……その、うっかり……」

『そう、ですか。うっかり』

「っす」

『わかりました、少々納得いきませんが反射的に謝っているようですし、信じましょう。今度からは本当に気を付けてくださいよ』


 心臓がばっくばく! よかったー! 死なずにすんだ!

 ワンチャン声で殺されるかと思ったわ! 怖い!


「へへっ、さーせん……あの、ってことはこれでお話はおわ」

『まだに決まってるでしょ』

「あっ、ですよね」


 再び心臓が高鳴り、今のが刑罰執行に対する猶予ではなく、判決を読み上げる時間であったと知る。

 齢二十四にして胸の下へと流れ込む大量の冷や汗が、こんなにも不快指数を跳ね上げることあるんだと初めて知った。


『じゃあ次、二分五秒』

「っす」

『これなんですか』

「いや。別に何もしてないですよ、本当本当。信じてくださいよマネージャー全然普通に私このあとコラボ配信して楽しくおしゃべりしてゲームしただけじゃないですかなんで黙ってるんですか怖いから喋ってくれませんか、ねえ!」

『再生』

「っす」



『え~、ちこちゃんずっとかわいいんですよ皆さん! 視聴者~、いま目の前の美少女堪能できるの私だけなんだぞ~もっと私を褒めないとちこちゃんのボリュームさげちゃおっかな~!』

『なにアタシでマウントしてんだ! オラァ!』

『えー。でもちこちゃんはかわいいよ?』


『いやだから』『ちこちゃんはかわいい』『えっ』『かわいい』『いやその』『かわいいっ♥』『……じっと、見んなっ』


 動画を停止させる。

 耐えきれなくなったからだ。

 昨日の自分が行った暴挙そのものに、耐えられない。


『なんでコラボ中に他ハコのタレント口説いてんだって聞いていいですか?』

「……やですぅ」

『なんでコラボ中に他ハコのタレント口説いてんですか』

「嫌って言ったじゃん!」


 ちなみにハコっていうのはグループとかって意味だよ。

 可愛い言い方だよね。私好き。

 ハコ推しでもいいから推してくださいっ、清廉潔白品行方正優等生! 皆の心の同級生、狂宮みるくです!


『コラボ中に相手口説いてましたよね? よりにもよってオフコラボ中に』

「してな」

『かわいい』

「しましたぁ。口説きましたぁ……だってすっげえかわいいんだもん! ちこちゃん大好きなんだもん!」

『はぁ~~~~……とうとうゲロりましたね……』


 もう私に見せるとかしないじゃん。なんで音声ファイル保存して投げつけてくれてんだよマネージャー。

 私がキーボードに突っ伏すと、マネージャーはどこから出てくるのかわからないぐらい深い、深いため息を吐いた。

 凄い肺活量ですね。スポーツやってた?(現実逃避)

 と、その瞬間である。


 もぞもぞと背後で何かが動く気配がして、振り返ろうとした。

 だがしかし、私の動きは心地よい重みで制限され、急に押し黙った私に対してマネージャーが疑問の声を挙げようとするよりも早く、未だ夢見心地でこそあるが特徴的なハスキーボイスが耳を打つ。


「ン……みるくさん、だれがらいすきぃ、らって……」

「ァっ」

「ぁく、アンタ、ほんと、ちょーしのいーことばっか、言って……ふふ。まぁ、あたしも、ぁんたのこ……んん……」


 ずっしりと背中に載せられた少女の身体は柔らかく、私の心をつかんで離さない。

 しかし掴んで離さないのは何も私の心だけではないようで、マネージャーの震え声が明滅するアイコンから発せられた。


『……狂宮さん』

「はい」

『手、出しましたよね?』

「ダシテナイデス」


 もはや垂れる冷や汗も枯れた私は、からっからの喉を必死に震わせた。

 ありがとうボイトレの先生。貴女のお陰で私は今も生きています、今度デート行きましょうね。


『……出しましたよね!?』

「出してないよォ~……お泊り、これはお泊りです。ただのお泊り、じょーしーかーい! ちょっとヤンチャしてそうな元ヤン爆乳美少女と仲良くなったからお泊りしてっただけなんです本当本当大体証拠がどこにあるってんですか面白い推理しますね探偵さん小説家にでもなれるんじゃないですか」


 冷や汗というかもう、脂汗みたいな出ちゃいけないものが出てきている気がする。

 沈黙が怖い。

 何か喋ってくれマネージャー。


『……』

「……ホントだよ」

『……ええ、まあ証拠もありませんしね。というか、マジで手ェ出してたら懲戒、いや自首が見えてきますので。お気を付けください』

「っす」


 やれやれ冷や冷やさせやがるぜ。


『で、キスしましたよね?』

「ひん」


 怖いよお。


『で。この動画の十二分五十三秒から雨降地子さんが立ち上がってお茶を取りに行くシーンからの切り抜きですが』

「もうこっちに再生する自由も与えてくれないじゃないですか」

『黙っててください容疑者』

「この人怖いよ……助けてちこちゃん……」 


 そうして、画面共有機能で無理矢理見せつけに来たマネージャーの画面を見れば、そこには首を傾げたまま固まった美少女のイラストがあった。

 我々バーチャルライバーは現実の肉体の代わりにバーチャルアバターを使って配信をするのだが、そのアバターを現実の肉体の動きに同期させるためのソフトが存在する。

 このソフトは外部のカメラなどとリンクさせて、現実の肉体の動きに追従させる形でアバターを表示させるのだが、その状態で現実の肉体の方がカメラの範囲外に行くとその直前の状態でアバターが固定されてしまうのだ。

 だからこそいま、地子ちゃんはお茶を取りに行こうと体を傾けた状態のまま、画面に映っており……そして私もまた、アバターはしっかりと停止している。

 

 つまり、映っているのは「カメラの前にどちらもいない」状態であり、室内で何が起きているかは音声以外で推し量ることも出来ないのだ。

 衣擦れの音と小さく、押し殺したような声が動画から流れてくる。


『あっ、ちょっ、ダメだってみるくさん……っ』

『いいじゃない♥ 地子ちゃんせーぶん補充したいなあ』

『ったくアンタほんと、しょうがないなっ♥ んっ♥』

『……ふふ♥ 地子ちゃん本当にかわいい♥ だいすき♥』

『ほら、もう戻るぞ。配信中なんだからな、バカっ』

『はーい♥』


『キスしてますよね』

「し、してな、してなま……っ」

『昨日からこの件のネットニュースでトレンドが持ち切りなんですが、お気付きでしたか?』

「うそぉ」

『もろ聞こえなんですよ。マイクの性能良すぎるんですかね……』


 マジですかぁ?

 うっわマジじゃん。みんな好きだね、こういう話題……あーあー、めちゃくちゃ拡散されてるじゃん。

 ああ、でも正直、”ほっと”した部分がある。

 良かった、この程度か。


「気の所為ですよ。気の所為。ちょっと、ぎゅっと、ね。スキンシップしただけです、ねえ」

『そうですか。気の所為ですか』

「ええ、それはもう。凄く気の所為。気の所為オーバードーズ」

『なんて?』

「忘れて。とにかくこれに関しては事実ではありませんから、ほんと。マネさんだって同級生とかといちゃいちゃしたことぐらいあるじゃないですか。女子どうしなんだから普通ですよ普通」

『いえ。私は勉強しかしてこなかったもので』

「えっあっ、はい……友達とかって」

『いませんが?』

「はい」


 私は未だどくどくと高鳴りながらも、徐々に落ち着きを取り戻す胸を押さえる。

 見開いた眼球は緊張から瞬きを忘れた瞼の所為で乾いているし、やはり喉の渇きと逃避したい感情でがんじがらめでこそあるものの、この調子ならいけると確信した。


 そうだ物的証拠なんて何もないんだから私がこんなに気を揉まなくても、ずっと否定し続けていれば事足りるハズである。

 こんな簡単なことに気付けずにいるなんて、私もきっとどうかしていたんだろう。きっとそうだ。


『……まあ、信用することにします。流石に妹がたぶらかされたと考えて、冷静ではなかったのかもしれません』

「いやははははは、わかってくれればそれ妹」

『ええ。雨降地子は私の実妹です。最近独り暮らしをするからと出ていったんですが、まさかライバル企業の売れっ子ライバーになるとは思ってもみませんでしたね。元気にしているようで何よりです』

「ァっす」


 枯れたと思った冷や汗はどうやら、隠れ潜んでいただけらしい。

 唐突にぶち込まれた爆弾情報についていくことが出来ず、脳が情報の処理を拒んでいる。

 妹、sister、妹御。姉上。


「あの、ところでお義姉さん」

『貴女のような妹を持った覚えはありませんが……』

「いやあのね、あの、私はそのうわ」


 私の背中でもぞもぞとしていた寝坊助、雨降地子が私の肩に両手をついて、ぐっとパソコンのモニターを覗き込んでくる。

 どうやらとうとう起床したようで、片手を右肩から剥がして目をこする。あ、それやめろって言ったのに。


「あれ? 姉ちゃん……?」

『ええそうですよ。久しぶり、今は地子ちゃんって呼んだ方がいいかしら』

「へへ。そうだよー」


 うわかっわい。私ごしに話す寝坊助元ヤン爆乳美少女ってこんなに可愛いんだ。

 私という障害を介することで私が無限の可愛さを摂取できる、私はノーベル賞モノの発見をしたことに常軌を逸した心臓の高鳴りを感じる。

 何故、こんなに私は焦っているんでしょう。なんだか今すぐ地子ちゃんの口をふさいだ方がいい気がするのに、どうしよう。可愛さで動けない。

 益体のないそんな思考を振り切るように、私が地子ちゃんを振り払い言葉を紡げないようにキッスするよりも早く、地子ちゃんはこの場を引き裂く最適解を寝ぼけまなこで打ち込んだ。


「なに。姉ちゃん狂宮さんと知り合い? すごい奇遇っ」

『ええ本当に』

「今度、実家帰るときにも一緒につれてくからよろしくね!」

『……なぜ、一緒に連れてくるのかしら。ちょっとお姉ちゃんに教えてもらえる?』


「うん? アタシら付き合ってるからっ! へへ、狂宮さん凄い優しいんだ! へへへっ、姉ちゃんの彼女さんにも負けないぞ! よろしくね! ……ってもうこんな時間じゃん、それじゃアタシ晩飯の買い物行かなきゃ! そんじゃ、狂宮さんは大人しく待ってろよっ、今日はこないだみたいな失敗しないからお腹空かせてろよ!」


 嵐のように、私の恋人が過ぎ去っていく。

 彼女と寝る為に買ったでっかいクイーンサイズのベッドには、地子ちゃんの匂いと重さで残ったしわが波打ち、たったいま起きた現実を暗示しているかのようだった。

 振り返れば、あわただしく駆けていく地子ちゃんの足音が遠ざかり、現実の冷ややかさを、刃物のような沈黙を私に突き立てる。


『なるほど、仲睦まじいようで何よりです』

「……っす」

『まあ、もう付き合ってますよね? とか、同棲してますよね? とか、色々聞きたいことはあるんですが、ここから先は私人としてご確認させていただきたいのですが』

「ハイ」


 この声の冷たさが、私の将来を暗示しているかのようだった。

 ベッドの中に入ればあんなに可愛いのに、マネージャーの声は私の心臓を止めるには充分すぎるぐらい鋭い。


『私たち、付き合ってますよね?』


「はい」


 余談だが、後に私と地子ちゃんは「ちこみる」として百合営業(営業じゃない)を行いながら一廉の配信者として、それなりに楽しくやっていくことが出来た。

 ただし、時折振られる異様な無茶ブリや、地獄のように難易度の高い企画にも、狂宮みるくは”逆らうことが出来ない”かのように挑戦し続け、身体を張り続けることでまるで何かの贖罪をしているかのように……まさにその名の通り、狂ったライバーとして周知されていくこととなったのである。


 どっとはらい。

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バーチャル配信者・狂宮みるくはやっている 吉所敷 @klein14

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