11

 あや子とカサネも病院で検査を受けた。

 カサネはその立場や状況も有り、個室に収容された。怪我をしてはいるが大したことはなく、体調不良とは言えゾンビウイルスには感染していない。それはあや子も同じだが、あや子は早い段階で退院が決まり、カサネはしばらく病院にいる事となった。

 世間の騒ぎを考えたらある程度それは想定出来る事だ。

 まだ六本木は封鎖されている。

 ゾンビワクチンの輸入が決まり、それさえ無事に日本に入ってくれば状況は落ち着くだろうがキュベレー事務所は今まともに機能していない。

 社長も死んだ、筆頭稼ぎ頭だったバタフライのメンバーは1名死亡、2名重症で入院中、マネージャーも亡き人だ。カサネだけが最もまともな状態で病院にいる。残された社員は後処理にてんてこ舞いで、定期的にカサネの病室を訪れてはいるものの相当混乱している様子が伺えた。


 あや子はリュウの荷物からくすねた盗聴器をひとつ、こっそりカサネの病室に仕掛けていた。

 リュウの車で後部座席に隠れた時、下に落ちていたのだ。検索スマホからも操作出来る、新作の盗聴器。カサネは有名人だと言うのに、最初の夜は混乱で警備が手薄だったから病室に仕掛けるのは簡単だった。友達のお見舞いだよ、と言い張って3分だけカサネに会った。彼はとても嫌な顔を見せたが、あや子を追い払う元気も無いようだった。ただ顔を見られるだけで嬉しかった。


 意外と最初の1歩さえ踏み出してしまえば、むしろ踏み外してしまえばカサネに近づくのは不可能な事ではない。それがよくわかった。嬉しい。


 6月1日。キュベレー事務所の社長室に通されていた来客はあや子だった。

 受付の女には「取材です」と伝えた。実際、風俗店の客のコネを利用して事前に「社長に経済紙からの取材をしたい」という嘘のアポイントを取っていたのだった。

 目的は脅迫。

 リュウ、こと京田は脅迫の意志はなく興味本位で盗聴を繰り返していたと言うが、それはあや子には理解出来なかった。人の弱みを握ったら、それは自分の武器になるんだよ。目的を果たすためなら私はなんだって出来る。

 普段滅多に着ないスーツを着て、就活生が持つような地味な黒いカバンを持ち、メイクも薄く、髪の毛は結ぶ。それだけでそこそこ真面目な出版社員に見えた。本職は風俗嬢なのに。今までОLのコスプレなんて店の中でしかした事がない。しかも偽の名刺まで作った。本格的だ。


 私はお宅のタレントに暴力を振るわれました。証拠の写真も動画もあります。私は風俗嬢ですが、店内での合意の上でのプレイではありません。何人かの友人と行ったクラブでトラブルになりました。証拠は友人が複数撮影してくれましたし、病院の診断書もあります。

 相手はバタフライのリーダー、ジンです。


 社長は眉を顰め、静かな声で「あなたの要求は?」と聞いて来た。

「ジンの解雇。そしてカサネをセンターにする事」

 あや子の震える声を聞いた社長は受付に電話を掛け、マネージャーが戻って来たら直ぐに社長室に来るように伝言を残した。最初はマネージャーに直接電話を掛けたが運転中らしく繋がらなかった。

「ただ大沢あや子さん………と言ったかな、実は弊社の方からもあなたに一度お話がしたかったんですよ」


 あなた、カサネのストーカーしているでしょ。


 カサネ本人はまだあなたの存在にはっきりと気付いていないが、マネージャーから素行の気になるファンがいるという報告を受けています、と社長は言った。


 あや子は舌打ちした。あの男。マネージャーだからって調子に乗りやがって。いつもいつも私とカサネの邪魔をする。前々から気に食わなかった。タレントの管理も下手糞な癖して。

「あなたの病院代は払いましょう、ジンに話を聞いてそれが事実なら謹慎くらいさせてもいい。ただしあなたが今後我が社のタレントに近づく事は一切禁止、としたい」

 あや子ははらわたが煮えくり返りそうだったが、少し考えさせて欲しい、と答えた。その時社長秘書がお茶を持って来た。

 遅えよ。秘書の癖に。

 心の中で毒付きながらティーカップに手を伸ばす。秘書は直ぐに部屋を出て行く。そのピンとした背筋さえ気に食わない。

 社長はにこやかに笑いながらあや子の動向を観察しているのがわかった。しばしの腹を探り合うような沈黙の後、あや子はカバンから銃を取り出す。

「話が通じないならもう駄目だわ」

 1発目は外した。至近距離なのに。2発目はジジイの足に当たった。社長のうめき声が響く中、社長室のドアが開いた。

 丁度そこにあの忌まわしきマネージャーとジンの顔が見えた。躊躇わずに撃った。 

 ビギナーズラックだろうか、見事に当たった。

 あや子はその後ろにいたキリヤとユウジに対しても威嚇のつもりで足元に向かって発砲した。その合間から、驚いたカサネが踵を返して逃げていくのが見えた。追い掛けようと思ったが、慣れない新品のパンプスを履いていたためそれは叶わず、ゆっくりとドアに向かって歩く事しか出来なかった。

 足を怪我したと思われるキリヤとユウジは腰を抜かして立てなくなっている。ただ怖れに満ちた目であや子を見上げていた。手を伸ばしてカバンを手に取ると、その2人を見下ろして「通報したければどうぞ、スマホ位持ってるでしょ」と言ってその場を立ち去った。苛ついてカバンで数発2人を殴った記憶があるが、どこまで強くやったかは覚えていない。社長室の異常に気付いて駆け付けた秘書の叫び声が響いたが、その時あや子はもうその場から立ち去っていた。


 直ぐに防犯カメラから身元が割れて捕まるだろうし、それならその前にジンの悪行をネットに全部晒して死んでやろうかと思っていた。しかし例の飛行機事故のせいで六本木は大混乱に陥り、キュベレーも独自の強固な防犯システムが作動してしまい陸の孤島と化した。追われるように六本木を脱出したあや子は直ぐに渋谷にあるアパートに戻った。小さな私のお城だ。


 せめてカサネだけはなんとかあそこから救出出来ないものだろうか。

 そう考えたあや子はスマホを開いた。そこに現れたのがリュウ………京田だったのだ。


 友達だか同僚だかなんだか知らないけれど、あっさりあの大男の説教に説き伏せられて京田は警察に出頭する事となった。

 今のあや子には友情なんてものがわからない。あるのはカサネへの愛だけだ。

 私はカサネを攫って、なんなら京田を殺して車を奪ってどこかに逃げるつもりだった。そのためにあいつに渡した金を取り返すタイミングをずっと伺っていたのに、邪魔が入った。しかもあのミニバンがあんなおんぼろであっさり駄目になったのも想定外だった。

 だから今度こそ上手くやってみせる。3度目の正直、と行きたいところだ。


 カサネの退院日は6月14日。あや子は待ち伏せは嫌いではない。むしろ大得意だ。


 思ってたのと違う。あの封鎖区域の中で巴にキツい言葉で突っかかるカサネはあや子の好きなカサネではなかった。

 配信の時から少し違和感はあった。

 知りたくもない昔の事をペラペラと喋るカサネは自分の立場をわかっていないと思った。

 これ以上、彼に余計な口を聞いて欲しくない。

 なら私の手で本当に終わらせるしか無い。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る