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 鉄パイプを右手に握りしめたまま、巴は夕方の六本木を走った。

 視界が少しづつ薄暗くなっていく。夜が近づいている、というよりは雨が近づいて来ている。

 息切れして擦り傷を作りゾンビを5体叩きのめして手に入れた目的の品物は、玩具のように小さなUSBメモリだった。

 近年のデータ保存はクラウドが主流だ。

 しかし「もしも」に備えて。

 日本人は恐らくそう考える人間が多いのだろう。やはり少し前にメジャーだったこのような外付けガジェットも完全には廃れていない。それなりの容量のメモリだ。この小さな体の中にどれだけの秘密が詰まっているのだろうか。ここで巴が嘘をついて「見つからなかった、既にロッカーの中身は撤去されていた」と言ってこっそり破棄してしまってもいいし、むしろ奪ってしまっても良い。これは金になる玩具だ。しかしそんな嘘を一生昭夫にばれずにつき通せる自信が無い。自分の性格は自分がよくわかっている。

 巴は来た道を高速で戻った。まだ走れるんだ、自分は。


 さっき、カサネと2人で車の確認に外に降りた時。

「足はちょっと挫いてるみたいだけどあの京田さん程酷くはなさそうじゃん、なんでひとりで逃げないの?走れるでしょそれくらいなら」

 なんの悪気もなくそうカサネに聞いた。カサネはしばらく不機嫌な顔を見せていたが、巴の「なんでなんで」攻撃に負けて口を開いた。

「あのフリル女の方を逃がしたくない、あいつは悪い事をしたから俺の手で警察に突き出したいんだよ」

 物騒だね、何があったの?と続けると、カサネは「もうこの話は終わり、兎に角あの女はヤバいから目を離すなよ。変な行動してたら俺にすぐ言えよ。いいな?キャバクラ」と釘を刺された。

 カサネを平手打ちした元キャバ嬢という酷い立ち位置ではあるが、多分昭夫よりは巴の方が少し話しやすいと踏んで話してくれたように感じた。

 でもあの女の子、服装はあれだけど大人しそうだしそんなヤバい子には一見見えないけどな、と呟くと、カサネは「人は見た目じゃない」と吐き捨てた。誰よりも美しい男にそう言われるのはなんだか癪な気がしたが、これ以上機嫌を損ねるのも面倒だと思い「わかった、わかったすいませんね」と返事をした。

 なんとなく、あのフリルの子はカサネに怯えているような気がする。好きな人を目の前にした時、案外人は無力なのだ。


「巴がいない間に話し合ったんだけど、素直に検問の自衛隊の所まで行く事にした。ここからだと渋谷側の検問が1番大きいかな。ほぼほぼ俺達の来た道を戻るだけだからわかりやすい」

 昭夫が京田を説得したのだろう、カサネもあや子も昭夫の判断に従うとの事だった。

「でももう雨が降りそうだけど、どうすんの」

窓の外は薄暗い。仄かに雨の匂いがしていた。しかしここで一晩過ごすつもりはない。

「自転車なら渋谷まで直ぐだよ」

 京田は言った。


 裏口に数台止めてあった錆び着いた自転車はパートの清掃員が使う事もあったのだが、余りにもおんぼろになったため近い内に処分する予定だったのだと言う。その中で使える自転車は丁度5台。


「でもうちらは兎も角京田さんは怪我してるじゃん、大丈夫なの?」

 巴が聞くと京田は「あとは左の足首にテーピングしてもらえればここから渋谷位までの距離ならなんとかなると思う」と答えた。巴はちらりとカサネの方を見て「そこのイケメンも足挫いてるのどうする?テーピングしてやってもいいけど?」と聞くと、彼は苦虫を噛み潰したような顔で「頼む」と答えた。

「そこはお願いしますだろ」

 そう強気に出ると、キレ気味に「おねがいします」と返された。それでいいんだよ、顔が良いからって調子に乗るなよ。人間は見た目じゃないと言ったのはカサネだ。なら中身で勝負しろ。

 あや子はずっと俯いたまま。そしてとても小さな声で「なんか思ってたのと違う」と呟いたのを巴は聞き逃がさなかったが、意味がよくわからなかった。


 1番前を昭夫が、1番後ろを巴と京田が順番を入れ替えながら走った。


 世には走るタイプのゾンビとゆっくりとしたゾンビがいる、とあや子が教えてくれた。

 今この街にいるのは見る限りその中間のゾンビ、らしい。走るのが遅いと追いつかれるレベルだが、自転車なら振り切れる位のスピード。まさにその通りだった。


 人のほとんどいない、車もない、むしろゾンビしかいない東京は空虚の塊だ。

 煌びやかなビルも、看板も、何もかも無意味に見えた。


 墓地のそばを通過し、昭夫と巴が外に出て来たマンホールが近づいてくる。


「この道を真っ直ぐ行くと国連大学、確かそこの辺りが検問になってる」

 皆素直に昭夫の言葉に従った。京田とあや子も最初車でその検問を通過したのだと言う。認可された産廃業者だと言い張って。

 昭夫が身分証を見せながら検問の自衛官に近づいて行く。

「全員ゾンビ化はしていません、俺はオオクラ工務店の沢村です。水道管と関連会社の損壊チェックのために中にいましたが、その際にビルに取り残されていた人達を発見、保護しました」

 巴と昭夫が地下水路から検問を擦り抜けた事について怒られるのはわかっていた。それでもその先は社長を呼んで下さいの一点張りで通した。社長は許可取りを忘れた、と言い、会社は厳重注意と3日間の業務停止となった。だが社長は飄々としていた。

 京田だけは警察病院に移送され、社長は溜息をつきながら彼を解雇した。巴と昭夫も病院で検査を受けたが直ぐに帰された。カサネとあや子の行方はそこからわからなくなった。カサネも病院に運ばれたはずだが、検問に着いた後皆それぞれ別室に通されそこから会えていない。


 半月後、オオクラ工務店に正式採用となった巴は事務所の掃除をしていた。一応4階に小さいながら食堂兼休憩所があり、そこのテレビを食堂のおばちゃんがつけた。昼のニュース。

 そこに映っていたのは警察に連行されるあや子だった。そしてカサネが重症の怪我を負い、命は取り止めたが病院に運ばれた事が報じられた。


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