5
私が、カサネをあの暗闇から助けださなければ。
だけど今、あなたのそばに行くために一体何が出来るんだろう。頑張ればそこに辿り着ける。私は彼のためならなんでも出来る。それはわかっているが、簡単なことではない。焼けつくようなこの感情をどうすればいいのだろう。
時に宗教ではないが宗教に良く似た空気のコミュニティが生まれる事がある。
例えばアイドルのファンなどがそれの代表格と言えるだろう。
カサネは4人組アイドルグループ、バタフライのメンバーだ。
男性アイドルが多数所属する大手事務所、キュベレーに所属している。あや子は彼らの大ファンで、1番の推しはカサネだった。
カサネは私の王子様。
中学生だったあや子のつまらない日常を変えてくれたのが2歳年上のアイドル、カサネだ。彼らのデビュー前、友達に連れられて行った地元の高校の文化祭。その時軽音部のライブで見掛けたのがカサネだった。デビューに辺り名前も髪型も変わってしまったが、あや子にはすぐ彼があの時の人だとわかった。
『行けばいいじゃん』
赤の他人から簡単にそういう事を言われても。今の状況でどうやってあの事務所に近づけばいいのかあや子にはわからない。
『行く方法、僕なら知ってますよ』
ネットの向こうの彼はそう答えた。
あや子の今週のバイト代は16万。風俗で稼いだ。元はと言えばカサネに会うために始めたバイト。どんなに頑張っても簡単にヤれないアイドルに会うためにその他大勢の男とヤッて金銭を得ている。どこか矛盾しているような気もするが、少しでもカサネの目に留まりたくて整形もしていたし服にも金を掛けている。チケット代だって安くはないのだ。金があって困る事はない。
『君のその今週のギャラを半分手渡してくれれば君を好きなところに連れていってあげる』
ネットの向こうにいる見知らぬ彼はそう言った。
その見知らぬ彼との待ち合わせ場所は代々木公園だった。
公園は今、小さなムラのようになりつつある。元々都内のそこかしこに散っていたホームレスや生活困窮者達が集まりテントを張り巡らせ、ボランティアやNPO団体による炊き出しや相談会等が頻繁に行われている。また、本来の貧困層だけではなく昔ヒッピーと呼ばれていたような連中までが住み着きホームレスとはまた違った独特のコミュニティを築いていた。決して治安のよい場所ではない。
時計の下で待っていて下さい。
例えそこでおかしな奴に絡まれても、武器を持っていればいい。少し武器をチラつかせて脅せばいい。ああいう奴らは口では平和をうたってはいるけれど案外気が弱い。そしてどうせ世捨て人ばかりだ、殺しても問題はないと思いませんか。
あや子はリュウのその言葉を真に受けて、カバンにひとつ違法に入手した武器を忍ばせていた。不思議と怖くは無かった。
服装は出来るだけ楽な格好で、と言われていたのでTシャツにデニム、スニーカーでやって来た。Tシャツはお気に入りのロリータブランドの物だ。袖口にフリルのあしらわれた薄いピンクの物。これは私に取って一番の武装。
ここ最近の東京はずっと荒天続きで、今朝になってようやく嵐が過ぎ去ったところだった。短い期間に続けて季節外れの台風が上陸し、しかも速度が遅く目一杯日本列島を蹂躙したのである。そしてその台風と台風の合間にあの飛行機事故だ。踏んだり蹴ったりもいいところだ。
待ち合わせ時間は11時45分。電車は間引きの上徐行運転ではあったが午前10時頃には再開していて、ギリギリで間に合った。
3分遅れで彼はやって来た。ハーフタイプのガスマスクをしているが、特徴的な目をしているのですぐわかる。彼はあや子を見つけると早足で近づいてきた。そして手に持っていた同じタイプのガスマスクをあや子の胸に押し付ける。
「こんにちわ、あや子さん」
「こんにちわ、リュウさん」
あや子は素早くガスマスクを受け取り、それと引き換えに彼に封筒を渡す。中身は金だ。1週間の給料の半分、とは言っていたが、実際は少し多めに包んでいた。それが礼儀だと思ったから。リュウはその中身をろくに確認せず、自分のリュックに突っ込む。
「まあ君がカサネのために嘘をつくとは思わないからね、SNSも全部確認させて貰ったし」
彼はそう言って歩き始めた。あや子は無言でその背中を追い掛ける。
ここから先はただひたすらリュウに従う事。仕事と大して変わらない。
リュウが用意していたミニバンはあっさりと検問を突破し、目的地に近づいて行く。偽造パスでも使っているのだろうか。しかしあや子に真相はわからない。検問を通り抜ける時、あや子は後部座席の床でタオルケットを被ってじっとしていたから。
リュウに「そろそろいいですよ」と声を掛けられてようやく席に座りシートベルトを締めた。車の中ではガスマスクは必要ない、と言われその通りにしていたが、不安でずっと膝の上に乗せていた。
「あや子さん、車の運転は出来ますか?」
「免許なら持ってますよ」
身分証を見せろと言われるのかと思ったが、そうではないようだ。
「単純に僕が疲れたら運転を変わって貰うかもしれません、というだけの確認です」
彼はほとんど笑わない。感情の無いロボット………というより、今日日ロボットの方が感情豊かなのではないだろうか。無論、厚化粧で普段人形のような服を着ているあや子には無機質なロボット人間をディスる権利などないのだが。
SNSで知り合ったリュウとリアルで会うのは今日が二回目だった。
1回目は昨日。あや子の働く店に突然客としてやってきた。新宿のファッションヘルス。風俗店にも関わらず彼はやる事をやらずに、雑談だけして金を払って帰って行った。
「本当にあや子さんに支払い能力があるのか知りたくて来ました。風俗店で働いてるのは本当だし、外のパネル見る限りで言えばランキング上位ですね。ある程度身元や性格も知っておきたかったし。ネットだけじゃわからないこともありますから」
「………本当に何もしなくていいの?」
あや子はリュウの腕に絡みつき胸を押し付ける。これもカサネの目に止まりたくて整形した体。リュウは口元だけに静かに笑みを称え、あや子を優しく突き放す。
「いいんですよ、セックスしたいわけじゃない」
何もしなくても良いという客はたまにいる。それを楽だなと思う時もあれば空っぽだなと感じてしまう日もある。金さえ貰えればなんでもいいどころか楽なのに、あや子はたまに自分で自分の感情がわからない。
「………あなたは何故私なんかに協力してくれるの?」
あや子がそう問い掛けるとリュウは少し間を置いてから答えた。
「僕も六本木に大事な忘れ物があって取りに行きたいんです。そのための車とか面倒なあれこれは僕が準備します。それには少し手間が掛かるからあや子さんにはお金を払って欲しい。ちょっと高いタクシー代だと思ってくれれば」
違法な白タクと割り切れば良い。罪悪感など欠片も無い。
色白で細身の彼は、店に来た時は作業着のようなボロボロのつなぎだったのだが、今日は迷彩服を着こなしていた。ハンドルを握る骨ばった手は荒れている。
リュウの運転する車は途中で何人かのアンデッド………ゾンビを轢いた。
しかしリュウもあや子もそれを全く気にしなかった。弾け飛ぶ死人はただの土人形にしか見えない。ゾンビを見ても然程感情を動かされない。窓の外の風景はテレビやインターネットの世界と大して変わらない。そういう意味であや子とリュウは気が合うのかもしれない。口には出さないけれども。
「封鎖地域でおかしな病気が流行り始めてるらしいんだけど、何を見ても驚かないで欲しい」
車に乗り込んですぐ、リュウはそう言った。あや子は直ぐに目の前の物を受け入れた。
飛行機事故の段階でパンデミックの可能性は既に噂されていた。一応風俗嬢だって暇つぶしにネットニュースくらいは定期的に目を通している。どこまで真実かはわからないが、飛行機事故に関して全くの無関心というわけでは無い。
恐らくリュウは清掃の下請けのようなことをやっているのではないか、とあや子は想像した。
だから封鎖区域内部の事を知っているのだろう。
自衛隊だけでなく建設関連やゴミ処理業者等インフラに関わる民間企業も幾つか現場に呼ばれていると客が言っていた。事故だけでなく台風もあったのだから、手が足りなければ応援を頼む。おかしな話ではない。
何より検問を通り抜けるため床にはいつくばった時、塩素系漂白剤の匂いが微かにした。
今はただカサネが無事である事を祈るばかりだ。
あや子はスマホでスローチューブを見つめている。
車内は無言のまま、車がゾンビを跳ねる音ばかりが響く。
しかしこのリュウという男は運転が上手い。ゾンビを跳ねようとなんだろうと、シームレスだ。
ふと車が減速し、あや子は顔を上げる。若干血糊に塗れたフロントガラスの向こうに、見慣れたビルが見えて来た。
「とりあえずここで作戦タイムにしましょうか」
リュウは路肩に車を止めてラジオをつけた。ノイズ、人の声、ノイズ。
「盗聴出来るようにしてあるんです、以前あのビルに仕事で入った事があって、興味本位で取り付けてある」
そんな事をしれっと言うリュウの声を聞きながら、ヤバい奴なんだなと改めて思った。無論あや子もをそれを怒れる程まともではないのをわかっている。やはり気が合いそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます