カサネは足元に置いていたアコースティックギターを手に取る。

 これは北沢の私物で、今まで仕事の合間の空き時間に教えて貰った事もあった。

 バンドを始めたばかりの頃、ギターも覚えたくて少し練習していたのだが、アイドルになってからはダンスレッスンに時間を取られつい後回しになってしまっていた。それでもたまに触れて、感覚を忘れないように練習していた。

「前回の配信の時にリクエストがあったから1曲だけ歌いたいと思います。許可は後から取ります、洋楽のカバーです」

 無機質なカメラに向かって笑って見せる。亡くなった父親が好きだった古い曲だ。昔かなり人気があったアーティストの曲らしいから、カメラの向こうにいる若いファンでも知っている可能性は高い。北沢も「カサネ君のイメージにあった良い選曲だと思う」と後押ししてくれた。


 今日は昔話を沢山した。今まであらゆるインタビューでもほとんどしてこなかった話。

 カサネはミステリアスを売りにしていたから、最低限しか語る事の無かった過去。

 父の転勤で海外に住んでいたという話は嘘、但し母方に海外の血が流れているという噂は本当。子供の頃夏休みを丸々その親戚の家で過ごした事。教会で歌を歌った。友人の家でギターに初めて触れた日の事。習い事のピアノは3ヶ月で辞めた。高校の文化祭の話。ライブハウスで先輩の喧嘩を仲裁した夜について。同級生が海で溺れて亡くなった事。仕事で途中までしか出られなかった卒業式。アイドルになっていなければ理系の大学に行きたかった、という事。

 どれもこれも些細な事ではあったが、全てがカサネを作って来た出来事だ。

 むしろ今までは事務所の作った「嘘」を語る事もあった。

 自分はストーリー有りきのアイドル。

 カサネはアイドルグループのセンターではなく2番手。しかしセンターとは違ったタイプの、数は少ないが熱狂的なファンがつく立ち位置。少し物憂げに、伏し目がちにほほ笑むだけでその狭い範囲のファンは喜ぶ。メンバーカラーは決して赤ではない。

 アイドルになる前にバンドをやっていた、という経歴も、ダンス指向だった他のメンバーとは違う。

 しかし今はその自らの謎を解く時なのではないか、と考えたのだ。恐らくもう前と同じ場所には戻れない。それなら馬鹿正直にファンと向かい合う時があってもいい。 

 兎に角今は誰かと話していたかったし、繋がっていたかった。それが不特定多数の誰かでもいい。孤独は怖い。


 外には出られないが、ライブハウスのロビーから階段を上がって出入り口のドアまでは行く事が出来る。少し背伸びして小窓から外を覗いてみる。

 夜なので外が暗いのは仕方がないのだが、それでも酷い嵐は確認出来る。

 このライブハウス専用の出入口は事務所正面玄関の真横にあった。

 下手をすれば観測史上初とも言われている嵐は秒で首都機能を麻痺させた。ゆっくりと日本列島を蹂躙している。ここ最近の異常気象は人の生活を駄目にする。特に東京は弱い。カサネが生まれた頃よりは街作りも自治体の対応もましになっている、と北沢さんは言っているが、信じられない。その結果がセキュリティシステムが作動すると全く外に出られなくなるこの事務所なのだろうか。

 楽屋口の奥に非常階段があるのでそこから事務所の上階に行く事も不可能ではない。しかし一階のエントランスも封鎖されている。無駄な体力を使わないために上に行く事は控える事にした。むしろ今は行かない方が良いのを知っているから非常階段への扉は厳重に閉めたままだ。封鎖されたタイミングなのか、上階に残っているスタッフもほぼほぼいない。北沢さんが電話で確認した。

「むしろ連絡があるまで2人はしばらくそこに避難していて欲しい」

 最初に電話に出た社員はそう早口で言ったそうだ。

 六本木にそびえ立つビルにまだ数人の人間が取り残されている、らしい。しかしお互いの安否は正確に確認出来ない。怖い。すぐそこにいるのに。


 寝る前に配信に届いたコメントを確認する。カサネの事を心配する者も多いがネガティブなコメントも混じる。胸が痛むが、これはある程度覚悟の上での事だ。北沢さんは「そこまで生真面目に受け止めなくてもいいと思う、むしろコメントなんて今は見なくてもいいんじゃないかな」とフォローしてくれるが、今のカサネにはこの世界と向き合う事だけが自分を動かしていると思った。数少ない情報源でもある。

 今までも誹謗中傷に全く触れて来なかったわけではない。しかしこの配信は今までで最も個人的だ。故に全てのコメントが直球にカサネに向かって来るように見える。今までなら極力排除して来た物だ。しかしカサネは今、そこから目が離せなかった。今までメンバー4人で受け止めて来ていた物を、現在はカサネ1人で処理しなければならない。正直死ぬほど嫌だ。しかしこれは覚悟だ。覚悟を持ってここに立たないと、崩れ落ちてしまいそうだから。


 6月1日。

 カサネはその日の昼に渋谷のスタジオでグループでの撮影と取材があり、その後ウッドテラスでリハーサルの予定だった。

 渋谷から車で246に沿って六本木方面に向かう。事務所のキュベレーはミッドタウンのほぼはす向かいにある。5年前にそこにあった老朽化した雑居ビルの取り壊しに伴い、キュベレーが新たに新社屋を建てたのだ。地下に専用ライブハウスを持つ大きなビル。

 裏手の駐車場に車を止め、メンバーと連れ立って外に出る。エントランスで受付嬢が「皆様社長がお呼びです、リハーサルの前に社長室に寄るようにとの事です」と告げた。その人は受付の中で最も古株で、確か来年の春には秘書室に引き抜かれるのではないかという噂もある程の有能な女性だった。マキさんと呼ばれ、社内でも人気がある絵に描いたような才女。


 その後、社長室で起きた事はただの惨劇、としか言いようが無かった。

 

 社長室にいた来客により、カサネの目の前でマネージャーが撃たれ、メンバーも巻き添えを食らい、1番後ろにいたカサネだけが辛うじて魔の手を逃れてエレベーターに飛び乗る事が出来たのだった。それでも足は挫いたし着ていたシャツにはメンバーの血が跳ねていた。

 マネージャーがドアを開けた時、社長のうめき声が聞こえたが、何を言っているのかまではわからなかった。恐らく社長も何かしら暴行を受けたのだ。

 それはあろう事に六本木、飛行機墜落事故の10分前の出来事であった。


 ずっと地下室にいるからだろうか。時間の感覚がおかしくなってきているのがわかった。時計が頼りだ。途切れ途切れに入って来る外のニュースはカサネを疲弊させた。ツアーグッズの在庫が楽屋に少し残っていて着替えもない訳ではなかったし簡易シャワーもあったが不快感は増すばかりだった。


 まだ陽も昇らない早朝に内線電話が鳴った。寝ぼけた声で北沢さんが電話を取る。

「はい、ウッドテラスです」

 どうやらシステム解除の目途が立ち、午後には助けが来るらしい。荷物をまとめてライブハウスの入口の辺りで待機しているように、但し外には出ず、小窓から外を確認して合図があるまで待つように、との事だった。カサネも電話を代わって貰う。この声は憔悴しきっているが恐らくあの受付のマキさんだ。なら信用出来る。

 今日は何日かわかりますか。

 6月6日。マキさんははっきりそう言った。

 約1週間、ここに軟禁されていたのか。

 外に出たら恐らく、警察の事情聴取が始まるだろう。

 カサネは北沢に相談し、急いで最後の配信の準備を始めた。

 11時半からの緊急ライブ放送。


「皆、少し遅いけどおはよう。もしかしたらこの後俺も北沢さんも外に出られるかもしれないんだ、そうしたらしばらく配信とか出来なくなると思う。その後の事はどうなるかわからない。でも待っていて欲しい、また皆に会えますように」


 時間にして1分にも満たない配信。アーカイブを残し、カサネはステージから降り、北沢はパソコンから離れた。それが6月6日昼の配信。


 小窓の外を覗くと、白いミニバンが止まったのが見えた。助手席から降りてきた痩せた男が走り寄ってきてドアを叩いた。ハーフタイプのガスマスクをした迷彩服の男。自衛隊だろうか。

 車を降りて直ぐ、銃で何かを撃ってからこちらに向かって来た。しかし死角になっていて何を撃ったのかは良く見えなかった。

 カサネと北沢がドアを開けると、男は先ずカサネの腕を掴む。

「車のスペースの都合で先ず1人だけ保護します、後から直ぐにもう1台来ます」

 その言葉を聞いて北沢は「カサネ君の命の方が重い、先に行きな」と背中を押してくれた。

 急ぎ足の男に無理矢理後部座席にねじ込まれると、車は少し乱暴に動きだした。

「あや子さん、さっき言った通りの場所にお願いします」

 運転しているのは女だった。バックミラー越しに顔を確認する。


 この女、見覚えがある。


 不意にそう感じたが、誰だか思い出せない。ハンドルを握る彼女の手は微かに震えている。

「追手は?」

「大丈夫ですあや子さん、進んで下さい」


 追手?


「俺はこのまま外に出られるんですか?出たらどこに向かうんですか?」

 ニュースに寄れば六本木は汚染処理がまだ終わっていないはずなので、一先ず自衛隊の駐屯地か警察病院にでも連れて行かれるのではないかと踏んでいた。

 カサネの質問に男は「後で説明します、安心してください」と言った。

 救援にしてはこの女の服装はおかしい。それにやはりこの女の顔には見覚えがある。ファンのひとりだったかもしれない。心臓の辺りに違和感が噴き出してくる。

 車は躊躇わずに「何か」を轢いた。しかしスピードを落とさずに進み続ける。それがゾンビである事に気付いたのは車が走り出してから2分後だった。


こいつらは何者だ?

 そして今、外は一体どうなっているんだ?


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