セペフルとシャンギヤン

 ターリークの王都アルダーグの外れに、小さな屋敷がある。屋敷はターリークの武官ギヴのもので、ギヴには八つになる二人の息子がいた。セペフルとシャンギヤンである。セペフルの方はギヴの実子だが、シャンギヤンは拾い子だ。かつて、ギヴがオルホジャの草原へ遠征に出掛けたときに、茂みに幼いシャンギヤンが一人でいるのを見つけたので、連れ帰り、セペフルと共に育てた。

 ギヴと妻は二人の子どもを平等に育てたが、シャンギヤンはセペフルに対して一歩引いて、セペフルを将来の主人とし、屋敷で庭師の真似事をしていた。その様子があまりに分別があったから、もっと子どもらしくてもよいのにとギヴは思っていた。子どもらしくないといえば、シャンギヤンの髪はジャスミンのような白であった。

 シャンギヤンは白い頭を垂れて、庭の雑草を抜いている。そして、庭の隅に薄紅の花が咲いているのを目ざとく見つけて、それも引き抜こうとした。

「待って」

 後ろからセペフルが走ってくる音がした。

「シャンギヤン、それも抜いてしまうの。きれいな花なのに」

 シャンギヤンは花弁に指をかけると、セペフルに花を向ける。

「坊ちゃん、仰る通り美しい花です。ペグナーズといいます。花弁の下に二つ棘がありますね。それが特徴です。ペグナーズの姿を好む方は多いですが、根が強く、増えやすいので、放っておくと手が付けられなくなります。だから、アルダーグの庭師はどんなに怠け者でも、この花だけは抜くのですよ」

 そう言って、シャンギヤンは薄紅の花を根ごと引き抜いた。シャンギヤンの手の花は、後ろにいたセペフルにも香るほどだった。セペフルは香りにあてられ、背中を何かが這い上がる心地がしたので、思わず目を逸らす。なんとなく、シャンギヤンをここから連れ出したかった。

「ねえ、シャンギヤン、外に遊びに行こう。港を見に行こうよ」

「坊ちゃんは港がお好きですね」

 シャンギヤンは立ち上がって、死につつある花を枯草置き場に放った。シャンギヤンが手の土を払っていると、セペフルはシャンギヤンに手を差し出した。シャンギヤンは幾分ためらってから、セペフルの手を取る。二人は手を繋いだまま屋敷の門から出て小道を走り、やがて大通りに出る。

 ターリークの王都アルダーグは、砂金が降り注ぐかのような栄華の最中にある。その最も繁華な大通りをセペフルとシャンギヤンは駆ける。立ち並ぶ住居は象牙の白さ、かしこにある装飾はターコイズを溶かしたような青さだった。通りに面して、職人や商人たちの店が軒を連ねている。鍛冶屋は象嵌師と共に一振りの宝刀を作り、隣の商人は瑪瑙と青玉を量るのに忙しい。異国からの商隊は駱駝を連ね、店の果実は砂漠のものから熱帯のものまで、この世の美味なるもので揃えていないものはなかった。

 人々はみな、上質な綿か絹を着て、布地にはゆとりがあり、刺繡されていた。あそこの店で錦の生地を肩にかけているのは、きっと未来の花嫁。その錦で彼女の花嫁装束は整えられ、彼女と花婿の祝宴は盛大に、それからの生活は甘やかに続くだろう。通りに誰が零したのか、翡翠の小さな珠が散らばっている。だが、よほど幼い子どもが戯れに拾ってみせるほか、道行く人の誰も手を伸ばそうとすらしなかった。どこからか、爛漫を迎えたジャスミンの花弁が吹き散らされて、儚く舞いながら通りを過っていった。

 大通りから南に外れてしばらく行けば、蒼い海が広がる。水平線の彼方から荷を運んでやって来る船もあれば、荷を積んで港を出る船もある。遥か南方の肌の黒い商人も、西方の肌の白い商人もいた。

 セペフルは巨大な船を見ながら潮風を吸い込む。もともとはシャンギヤンを連れ出したくてここに来たのだが、いざ来ると興奮してしまい、小さな胸は空想と夢ではちきれそうだった。太陽の下、セペフルはシャンギヤンを見て光るように笑う。

「ねえ、シャンギヤンは将来どこへ行きたい? 一緒に南方へ香料を商いに行こうか、それとも西方から木を仕入れようか」

 すっかり貿易商になるつもりのセペフルにシャンギヤンは苦笑した。「私は……」と言葉を濁すシャンギヤンの手をセペフルは握り締める。

「嫌だよ、シャンギヤンが来てくれないと。僕寂しくて死んじゃうよ」

「寂しくて死ぬ人は船乗りに向いていないのではないでしょうか」

「そんなことはないよ。船乗りはみんな寂しがり屋だって、父さんが言ってた。それにシャンギヤンさえ来てくれれば、僕は平気だよ」

 シャンギヤンはセペフルを眩しく見る。血の繋がらないこの双子の弟は、まるで実の兄弟であるかのようにシャンギヤンを慕ってくれていた。このおのれ風情を。シャンギヤンは諦めたように笑った。

「船に乗れるほどに私たちが育ったのなら、そのときにまた考えましょう」

 風に巻き上がる白い髪を手でおさえながら、少年はそう言った。


 日が暮れれば、二人は家に帰った。母と久し振りに帰って来た父と、二人の子どもで夕飯を食べた。父のギヴは二人に昼間はどうしていたのか尋ね、港に行ったと答えれば驚いていた。武官の務めで家を空けがちな父は、息子たちがそこまで育っていることを知らなかったようだった。母は、もう随分と前からですよと笑っている。実際、二人は港に何度行ったかわからなかった。

 そうして夜が更けて、二人きりの寝室で明かりを消した後、セペフルはいつまでも寝返りを打っていた。港はもう数え切れないほど見ているはずなのに、海と船から空想を刺激されて、興奮が冷めなかった。

「眠れませんか」

「うん、眠れない。朝まで起きてそう」

「それは困りましたね」

 セペフルは自分の寝台で寝具に包まりながら、シャンギヤンがいるはずの向こうの寝台に顔を向けた。今日は月明かりもなく、部屋は真の暗闇に包まれて、ほんの少し先も見えない。互いの声と呼吸だけで互いがいることを確かめていた。

「ねえ、シャンギヤン、お話してよ」

「ふふ、お話ですか。私は面白い話はできませんよ」

「いいんだ、眠るためのお話なんだから」

 しばらくの沈黙の後、向こうの寝台から吐息が漏れて、寝台から降りてこちらへ歩いてくる足音がした。

「シャンギヤン?」

 シャンギヤンはセペフルの寝台を背にして床に座ったようだった。

「一つ、物語をいたしましょう」


 ターリークの都アルダーグから北東、大草原オルホジャから南西にアガダ山という高い山があります。アガダ山の麓を営地とする遊牧民に一人の子どもが生まれました。子どもは他の子どもと変わらず、母の中から泣きながらこの世に生まれ出ましたが、唯一他の子どもと違っていたのは、髪がまるでアガダ山の万年雪のように白いことでした。

 営地の大人は赤子を巡って相談しました。ある者は吉兆であると言い、ある者は凶兆であると言いました。不吉であるから殺せと言う者の方が多いようでした。しかし、長老の大婆は、母親を憐れんで、吉兆であるから、その白髪の子どもを大切に育てるようにと言いました。大婆の言うことなので、皆従いました。大婆はその言葉を自分では信じていなかったのですが。

 白髪の子どもが大切に守り育てられて三つになった年のことです。アガダ山の麓に別の部族が攻めてきました。大人たちは皆優れた馬の乗り手ですが、次々と死んでいきました。

 白髪の子どもは母親の手でまぐさの山に隠されました。誰かが迎えに来るまで、決してまぐさから出てはならないと言われました。子どもはまぐさの中にずっと隠れていました。何が聞こえようともそこからは出ませんでした。母親に似た声の、聞いたこともない悲鳴が上がった時も、天幕が燃える音がした時も出ませんでした。太陽と月が三度廻ったでしょうか。辺りは随分と静かになりました。誰も迎えに来ませんでしたが、子どもがまぐさから出ると、焼け残った天幕と死体ばかりがありました。

 子どものすぐ近くに一つ死体がありました。顔がそぎ落とされていたので、顔からは誰だかわかりませんでしたが、千切れた服の切れ端で母親だとわかりました。人も馬も含めて、生きている者は誰もいませんでした。空から黒雲のようにハゲタカが集まってきていました。子どもは全てが屍肉鳥に啄まれ食われていくのをじっと見ていました。やがて、死肉を食らったハゲタカがまだ生きている子どもまで狙いはじめたので、子どもは営地から逃げて行きました。

 子どもは行く当てもなく野山を彷徨いました。子どもには自分が食べるものを見つける力さえありませんでした。やがて飢えて倒れた子どもの側を一匹の山犬が通りかかって、「哀れ人の子」と言うと、彼女の子どもが待つ巣穴に白髪の子どもを連れ帰り、仔犬たちが子どもを餌にしようとしなかったので、仔犬と共に子どもを養うことに決めました。

 子どもは山犬の母親のもとに二年はいたでしょうか。子どもは仔犬たちほどうまく動物は狩れませんでしたが、母犬に野山の草花のことを沢山教えてもらいました。

 ある日のことです。狩りに出掛けた母犬が遠くでギャンと悲鳴を上げました。それを聞いて仔犬たちは一目散に母犬の方に走って行きました。子どもも走りましたが、仔犬のように速くは走れませんでした。

 ようやく子どもが仔犬たちに追い付くと、母犬も仔犬も茂みの中で全て斬り殺されていました。傍らに一人、都の武人が立っていて、子どもを見つけると大変驚いたようでした。子どもに何事かを言いましたが、都の言葉だったので、子どもにはわかりませんでした。武人は子どもの手を優しく引くと、もっと人が多いところに子どもを連れて行きました。子どもが振り返ると、向こうで母犬と子犬の死体は随分と小さくなっていました。

 子どもは今度は都の武人に育てられるようになりました。そう時も経たず、都の言葉も覚えました。皆がその白髪の子どもに優しくします。アガダ山の麓で大人たちがそうしたように、母犬と仔犬がそうしたように。それを見て、子どもはずっと怯えています。白髪で生まれた己がいつかの大人たちが言ったように凶兆としか思えないのです。慎ましく暮らせば、天も彼と周りの人々を見逃してくれるかと、子どもはあらゆる楽しみと喜びを避けようとしてきました。しかし――。

「しかし、子どもはこの頃楽しいのです」

 そこでシャンギヤンの語りは途絶えた。セペフルは寝台の上で悲しく恐ろしい心地がしていた。彼は寝台の上から、その血の繋がらない双子の兄の首を抱く。

「それは君の話か、シャンギヤン」

 シャンギヤンはしばらく黙ると、自分を抱くセペフルの柔らかな手を愛しく撫でた。

「これは、物語にございますよ、坊ちゃん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る