アクジャバⅠ

 アルダーグから北東に進んだターリークの辺境に、オルホジャの名で知られる広大な草原がある。夏になれば青々と生えた草が光の波をつくり、遊牧民たちが馬で駆け巡り、羊を飼い、敵に遭えば血で血を洗う戦いをする。

 そこにはターリークの直接的な統治は及ばない。ターリークの文書では、この大草原もターリークの一部であるということになっているが、オルホジャで暮らす人々の意識としては必ずしもそうではない。公的にはターリークの一部として扱われているのだという認識はありながらも、ターリークと言えば、それはオルホジャ以外の領域を指すのだと思っている。

 或いは、かつてバイダルガン・ハンというハンが没した後、ターリークに征服された歴史がそう思わせるのかもしれない。それに、征服したターリークとて、遊牧民の彼らを直接統治するのは骨が折れることを知っていた。だから建前としては、この草原はオルホジャに住まう者たちが自ら治める地ということになっている。こういう、王都アルダーグにいる普通の青年に説明しても、にわかには腑に落ちないであろう複雑さが、この土地にはある。

 オルホジャを割拠する九つの部はターリークから貿易証を得て、時にその恩恵を受けながら、時に奸計を用いられながら、草原の中で互いに争い続けている。直接統治されていないとはいえ、ターリークの指先一つで食らい合い、決して大きな勢力が出てこないという意味では、その支配下にあるも同然だった。

 オルホジャの草原のほぼ中央にあるなだらかな丘陵。アクジャバ・バクシはその上に立って、眼下で展開される戦闘の推移を見ている。丘の下では、百騎ほどの騎馬が互いに斬りあい、射かけあい、繰り返し近付いては離れ、彼我の数を減らしている。味方側はシルメン部、敵側はビヤラ部といい、共にオルホジャで暮らす遊牧民だった。

 戦いは味方のシルメン部が優勢だった。指揮を執るタスハリという男が、まるで敵がその先どう動くか見えているとしか思えない指示を出して、数では優勢だったビヤラ部を次第に追い詰めていく。アクジャバはそれを見るたびに、やはりタスハリには天賦の才があるのだと思う。

 辺境の草原に暮らす弱小のシルメン部で長にならなければ、どこかの大軍を率いるような立場にいれば、間違いなくこの世の歴史を変えてしまえる人だったのに。そう考えると、戦を好まない心穏やかな文筆の徒であるアクジャバでも些かの無念さを感じないではなかった。

 太陽が少しく西に傾きだしたところで、シルメン部とビヤラ部の戦いは終わった。シルメン部は撤退するビヤラ部を深追いしなかった。血気にはやる部衆が追おうとするのをタスハリが固く止めたからだ。

 アクジャバが丘から降りると、シルメン部の男たちが死体から刀とよろいを剥いでいた。その中から、タスハリがアクジャバの側にやって来る。タスハリには細かな傷はあるものの、大事はなさそうだった。二人並んで戦いが終わった後の草原を黙って見てから、タスハリが口を開いた。

「味方が八人死んで、敵を三十七殺した。後で数えるが、戦果は恐らく刀が十八、甲が十三、馬が十二といったところではないか」

 タスハリは遠い目をしながら「勝ち戦ですね」と言う。

「勝ち戦ではあるが、こうも頻繁だとこちらの身が持たない」

 アクジャバは頷いた。シルメン部とビヤラ部の抗争はこの二年ほど続いている。その前は別の部と、さらにその前はまた別の部と抗争していた。九つある部同士が骨肉相食む戦いを続けている。それは少なくともアクジャバとタスハリが物心つく前から続いていた。

 そもそも、オルホジャの草原は、草原で暮らしている者すべてを養えるほど豊かではなかった。だから、それぞれの部は飢え、掠奪しあう。掠奪するには頭数がいるから子どもを産む。そうしてまた飢える。さらに、部の間の抗争にはターリークも密かに手を出しているから終わりようがない。こうして草原の中で相争っている状況は、ターリークにとって都合がいい。

「もともと、ビヤラ部と我らシルメン部は同胞ではないか。なのに禽獣のように互いに争って、消耗するばかり。これではいつまで経っても部衆を死なせ続け、貧しく弱いままだ」

「仰る通りですが……」

 それはほとんどオルホジャの人間なら誰でも考えていることだった。だが、一朝、シルメン部とビヤラ部を含む他の部が手を結ぶなどということはあり得ないし、シルメン部が他の部すべてを武力で平らげられるほど、彼我の武力の差はなかった。

「アクジャバ、なぜ他の部は我らシルメン部に帰服しないのだと思う」

「理由がないからです」

 そう、何も理由がなかった。シルメン部は単にオルホジャの野を駆ける九つの部の一つでしかない。タスハリは深く頷いた。

「応とも、それだ。アクジャバ、お前は理由を作れ」

 タスハリは迷いなくそう言ったが、アクジャバは咄嗟にその意味を掴みかねた。

「私が理由を作るとは……?」

「理屈は簡単なことよ。我らシルメン部がオルホジャ全体を率いるにふさわしいのだと、この野すべてに告げ知らせるような物語ジュレンをこしらえよ」

 アクジャバは考え込む。タスハリは簡単に言い放ったが、実際には途方もなく難しい相談だった。物語なのだから、事実である必要はない。うそごとでよい。だが、退屈する部衆のなぐさみに語って聞かせるような物語とはわけが違うのだ。虚構を組み立ててよいのだとしても、物語でそこまで人を動かせるだろうか。

 例えば、シルメン部が、かつてオルホジャの草原一帯を手に入れたバイダルガン・ハンの一族などであれば、容易に理由は作れた。或いはタスハリがバイダルガン・ハンの一族に後継者として認められていれば、物語は非常に単純なものでもよい。しかし、実際には、バイダルガン・ハンの末裔たちは、草原の南西にある営地でひっそりと暮らしていたところ、三年前にビヤラ部に滅ぼされたという。恐らく生き残りはいない。

 アクジャバは考え込みながら、どうにか活路を見出そうと、タスハリに尋ねる。

「そういえばタスハリ、生まれを聞いていませんでした。あなたの生まれ次第では理由を作れましょう」

 それを聞いてタスハリは苦笑してみせた。

「俺は俺の生まれを知らない。物心ついた時には、この草原に一人で立っていた。育ての親がシルメン部の長だったのだが、俺の生みの親ではないそうだ。俺は拾われ子で、由緒がわからない。どうせどこかの部が食っていけずに捨てたのだろう」

 アクジャバは深々とため息をついた。どうも物語に使えそうなところがない。やはり相当の難事と言えた。タスハリは草原の方を見ている。敵も味方も骸を晒している、血に濡れた草原を。

「アクジャバ、お前が物語を作れば、俺はそれを真実としてオルホジャの覇者となろう。まずはお前にかかっているのだ」

 アクジャバも草原を見つめた。物語を使って覇をとなえるというのは妙な考えにも思えるが、実際のところ多くの王朝は虚構でもって「正統」を作り上げている。

 たとえば、ターリークであれば、初代君主の事績はほどんど神話である。母の中から三年を経て生まれて来て、虎を投げ飛ばし、南方の象を素手で倒すほどの怪力だったと言うが、その実、生まれ年や父親の本名もわからなければ、二十半ばまで実際には何をしていたのかもわからない。だが、彼の事績は余すところなく神話的な言葉と物語で美々しく飾られている。他の国も概ねそういうものである。

 それは王都アルダーグで学問を修めてきたアクジャバにはよくわかることであり、できるかできないかをさておくならば、確かに未だ覇を唱えていない自分たちにこそ、何らかの物語が必要なのかもしれなかった。


 三日後、アクジャバ・バクシは天幕の中で頭を抱えていた。この三日というもの、紙片は無垢で、一文字も書かれていなかった。アクジャバ・バクシ――博士バクシという称号まで持つ彼が、一つの文章を前にここまで悩むのは珍しかった。

 アクジャバは少年の頃、このオルホジャの草原からターリークの王都アルダーグに行き、彼がそこで学べる限りのことを学んだ。無論、そこには学びの基礎としてターリークの言葉での読み書きも含まれる。

 ターリークとオルホジャでは話される言葉が異なる。ターリークの西部にはまた別の言葉を話す豪族たちがいるから、厳密には、ターリークの王都アルダーグを中心に話される言葉とオルホジャで話される言葉は異なると言った方がよいかもしれない。

 ターリークには文字があるが、オルホジャには文字がない。だが、ターリークからの文書は半ば当然ながら、全てターリークの文字で書かれる。アルダーグからの使者もそれは承知しているから、オルホジャの言葉で肝心なところを喋ってくれるが、文書を読めないのはいかに言っても不便だ。だから、それぞれの部は最低でも一人、ターリークの文字が読める人間を欲しがった。

 アクジャバは生まれて間もない頃から部衆に賢さを認められ、ターリークからの使者が時折話すアルダーグの言葉にも早いうちから慣れたので、アクジャバが育ったウルフマ部の部衆は相談して、帰って行く使者に付き従わせて、アクジャバをアルダーグへ行かせることにした。それは部としての願いであり、アクジャバの意思は全く聞かなかった。

 使者は一応は王の信任を受けた官吏なので、オルホジャの人間に個人としてめったなことはしないが、それでもアクジャバが無事にアルダーグに連れて行かれるかは賭けだった。だが幸いにも、結果として使者とアクジャバは二月ふたつきの旅の末、無事にアルダーグに辿り着いた。

 使者が困ったのは、アクジャバを連れて来たのはよいものの、どのように扱えばよいのかわからないことだった。なにしろ彼は一介の役人に過ぎない。そこで上役に相談し、それが上り上って大臣へ届き、さすがにそこで処遇が決まるはずであったけれども、大臣がほんの小話としてオルホジャから来た少年の話をファルザードにしたので、アクジャバのことが国王の耳にも及ぶことになった。ファルザードは一言、「日に銀貨一枚を取らせて国学に入れよ」と言った。

 国学はアルダーグの最高学府である。無論、辺境の草原からやって来た少年に破格の待遇であることは間違いない。アクジャバはすでにターリークとオルホジャの複雑な関係がわかるようになっていたが、オルホジャに対して狡猾な支配をするターリークの国王ながら、ファルザードのことは優れた君主だと思った。

 国学に入ると、さすがに学生も年長の者だけで、草原から出てきたばかりの少年アクジャバは教授される学問にまるで付いて行けなかった。だが、それも最初の頃だけだった。アクジャバは国学に所蔵される万巻の書を読み、年長の者たちと変わらぬ五年で学問を修め、アルダーグを後にした。

 そういうわけだから、アクジャバはターリークの物語を多く知っている。無論、オルホジャで口承される物語も知っている。だから、どう書けばよいかはわかる。だが、何を書けばよいのかわからない。自ら物語を作ったことはなかったし、いきなりシルメン部が草原に覇をとなえる物語を作れというのは、いかにも無茶な注文だった。

 そもそも、アクジャバは書状のやり取りをするほか、ターリークの人間が来れば通訳をし、諸々記録を取るのが務めである。物語を作るのは全く彼の職掌ではない。もっとも、それを明らかな職掌とする人間など、この草原にいはしないのだが。

 結局アクジャバは三日間一文字も書けず、ほとんど眠ることもできない有様で、目の下は黒々と曇り、時折、秋の風になびく枯草のように関係のない思考の欠片が入って来ては消えて行った。朧気になる意識の中ではまともな文章さえ思いつかなかった。疲弊のあまり眠ることもできず、視界は昏々と暗く淀んでいる。

 お書きなさいな。あなたになら書けます。そう、女の声がしたような気がした。

 書けないから困っているのだ。

 書けると思えば、書けるものですよ。

 アクジャバは苦く笑った。この、己の頭に響く声は、まるでタスハリのように無茶を言うのだなと思った。

 アクジャバが青年の入口にさしかかり、アルダーグからオルホジャの草原に帰って来た日のことだ。ウルフマ部に帰ろうとするその帰り道で、アクジャバは、遠く一頭の馬が駆けるのを見た。燦燦と陽の光が降り注ぐ輝かしい夏の日だった。馬とその乗り手は草原の風に透き通るようで、頭上に光の輪を戴いて駆けているように見えた。過去も未来もすべての透明な時を率いて、一騎が駆ける。アクジャバが立ち尽くしていると、向こうから馬と乗り手が近付いてきた。

「何を見ている」

 乗り手の青年は馬上からアクジャバにそう聞いた。それは久し振りに聞くオルホジャの言葉だった。アクジャバは、ひとしきりためらってから、彼が生まれ育った地の言葉で、彼の胸中を青年に告げた。

「あなたを見ていた。美しかった」

 青年は眉を上げると、快活に笑った。

「面白いことを言う。では付いて来るがいい。お前がそう望むのならば」

 アクジャバはそれを聞いて、「この人は王者なのだな」と直感した。アクジャバはバクシとしてウルフマ部に戻らなければならなかった。そこには父母も兄弟もいた。彼らは、そもそもアクジャバが生きているかどうかすら知らないだろう。だが、アクジャバは彼らに何も告げ知らせず、自分が生まれた部を捨てることにした。流れ流されてここまで来た人生だった。学問は楽しかったけれども、少年のアクジャバがアルダーグへ送られたのも、もとはといえば周囲の望みであり、彼の望みではなかった。

 その日、アクジャバの目の前に、はじめて自らの手で選び取れる道があった。もうこんな出会いはこの先ないと確信していた。そして、自分が見た光景の美しさを信じられるほどにアクジャバは若かった。アクジャバは青年に付いて行くことにした。その青年がタスハリだった。

 呆けるアクジャバに女の声が語りかける。

 あなたの中にはもう十分に欠片があるのです。あとはそれを繋ぐだけ。草原の智者よ、恐れる必要はありません。

 アクジャバはその場に仰向けに倒れた。天幕の入口から風が入って来て、汗に濡れたアクジャバの髪をそよがせた。その風はあの夏の日に繋がっている。そして、これから先にも。それを感覚しながら、若いバクシは息を吐く。

 書けてしまうな、と思った。


 草原に馬と言葉が駆ける。それはオルホジャの言葉で一つの物語を語っていた。

 オルホジャの南西、アガダ山の麓は、バイダルガン・ハンの子孫が住まう地。タスハリ・ハンはそこにお生まれになって、大切に慈しみ養われて、父母から血の繋がりのわからぬ者に至るまで、「身の尽きるまでここにおられるように」とタスハリ・ハンに言った。タスハリ・ハンはそれに答えられて、「私がどこにも行かずに永久に家を守っているのは天の定めではない。天が私に告げて言うには、私はいずれこの草原のハンとなる身であるから」と仰り、アガダ山の麓から発った。時にハンは齢十であった。

 タスハリ・ハンは北東へ歩き、シルメン川の流れるところで、草を編み、己の座としていらっしゃった。シルメン部の長であった男が一人馬で通りかかって、タスハリ・ハンにお伺いしたことには、「あなたはここで何をしていらっしゃるのですか」と。

 タスハリ・ハンは答えられた。「時の定めを見ています。天の定めに応えるには、時機というものがあります。私は時の中に己が命を使い果たせる場所を探しているのです」

 男は子どもであったタスハリ・ハンの答を異とし、タスハリ・ハンのお姿を改めて見た。すると、タスハリ・ハンの頭上に光輪がかかっているのが見えたので、恐懼し、この子どもは徒歩で歩かせてよい子どもではないと、己の馬にタスハリ・ハンを乗せ、己は馬を引いてシルメン部の営地にハンを連れ帰った。

 男はタスハリ・ハンを養い育て、長の座を譲った上で、身が尽きた。ゆえに、このよくわきまえた人の魂は天上に昇った。タスハリ・ハンは大いに嘆き、養父を弔った上で、オルホジャの野をハンの馬で駆けた。

 タスハリ・ハンの行く先、野の向こうに一人の老人が立っていた。ハンが異とされて馬を止められると、老人は「十歳ととせ後に来るものは何か」とハンに聞いた。タスハリ・ハンは「すべての人間に平等な老いでございましょう」と答えられた。老人は首を振り、「この草原に来るものは何か」と言う。すると、タスハリ・ハンはお笑いになって、「ありません。なぜなら私がもう来ておりますから。光より顕わな者で、この草原を出て行く者はあっても来る者はございません」と仰った。ハンの頭上には光輪がかかり、風がハンを言祝いだ。「ならば心安い。お前に託して私はやっと眠れる」そう言って老人はタスハリ・ハンに印璽を渡すと、霞のように消えた。印璽を手に空を仰げば、オルホジャの風に雲が流れていた。その流れを見て、タスハリ・ハンはついに天の定めに応える時が来たのだと悟られた。


「これがその印璽です」

 アクジャバ・バクシはタスハリに一顆の四角い翡翠でできた印璽を渡した。底面には二種の文字が彫られている。

「一つはターリークの文字だな。俺には読めんが」

「〝バイダルガン・ハン〟と書いてあります」

 タスハリが顔を見てきたので、アクジャバは頷いた。

「あなたは草原で祖先のバイダルガン・ハンの亡霊と出会ったのです。問答によってバイダルガン・ハンの御霊を安堵させたので、印璽を引き受けることになりました」

 タスハリは翡翠の印璽を上から下まで眺めている。そして、また底面を上に向けた。

「では、このもう一つの文字は何だ」

「それはバイダルガン・ハンの御代にごく内々に使われていた文字です」

「そんなものがあったのか」

「ありませんよ。私が作ったんです。その印璽も私が彫りました。適当な大きさの翡翠を見つけるのが一番大変でした」

 タスハリは呆気に取られて、そしてアクジャバの背中を叩きながら大笑いした。

「どうした、アクジャバ、大胆なことをするではないか。お前らしくもない」

「どうせ嘘をつくなら大きな嘘をつかなければならないでしょう。どうせ全部嘘なんですから。それに、人の口で語るばかりが物語ではありません」

「然り、然り」そうタスハリは笑いを嚙み殺しながら頷いた。

「ではこの印璽どうすればいいのだ。四六時中俺が大事に持っていればいいのか?」

「概ねそうです。ですが、戦のときには私が預かりますよ。或いはあなたの子どもが育ったら、子どもに預ければいい」

 タスハリは頷くと懐のうちに印璽を入れた。

「ここからは俺の仕事だな。お前の物語を使いながらこの草原に覇を唱えよう」

「それで思ったのですが、仮に他の部はよいとしても、いずれターリークの介入を招きましょう。それはいかがするおつもりで」

「速やかに事を成すよりほかはあるまい。ターリークが手出しをする前に、部をある程度の大きさにしてしまう。それにあちらの監察官は手懐けてある。しばらくは報告を上げまいて」

 いつの間に、とアクジャバは息を呑んだ。もっとも、こういうことができる人間だから、皆従っているのだが。とにかく、考えなしに戦うだけが能ではないことをタスハリは示している。アクジャバはタスハリの目から見て、自分が作った物語がどう映ったのか気になった。

「あの物語はどうでしたか、率直に」

「文句のつけようがあるものか。お前が作ったのだ。それに――」

「それに?」

「妙なところが当たっていた」

 アクジャバは訝る。あの物語は全て虚構であるはずだった。現実を踏まえはしても、表面的には全て虚構として作った。そう思うアクジャバの前で、タスハリは大きな手の平を右目の瞼に乗せる。

「今まで黙っていたのだが……行く末が見えると言ったらどう思う、アクジャバ」

 アクジャバは咄嗟に言葉が出てこなかった。だが、思い当たる節はあった。戦のときの、まだ見ぬその先が見えているとしか思えない戦いぶりは、アクジャバも何度見たかわからない。

「どの程度見えるので?」

「欠片のようなものよ。直前になってああそうかと思うくらいのものだ。だが、はっきりと見ているものが三つある。草原中に響くかと思われるような大歓呼。そして、どこかの都を包む火獄のような炎。俺はその炎を止めようとするのだが、止まりようもない」

「……もう一つは何ですか」

 タスハリはアクジャバの肩に手を置いた。

「お前が俺の死体を見ているところだ。それがいつの頃かはわからないのだが」

 アクジャバは鉛を飲んだような心地になった。無論、どちらかは先に死ぬのである。戦に出る分、タスハリが先に死ぬ方が余程ありうることだった。しかし。けれども。

「お前にはすまないことをするな」

 アクジャバは心の波をそのままに、強いて首を振った。

「最期までお供できるなら光栄ですよ」

 アクジャバの目には、あの夏の光景が焼き付いている。草原を一騎で駆けるタスハリの姿が。あの時出会わなければ、こんな激しい悲しみにも向き合わずに済んだのだろうか。しかし、自分は出会ったし、選んだのだ。そして、それでもこの道に来てよかったと思っている。アクジャバはタスハリに寂しく笑った。

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