かみのながいおんなとむかしばなし

 昔から知り合いだった若いバンドマンがちょっとメンヘラというかどこか不安定な所がある子だった。若い頃の私はその彼がとても才ある人なのを判ってたからどうか長生きしてくれカートコバーンより早く死なないでくれ30までに死なないでくれ、と今思えばずっと残酷なことを本人に向かって言っていた。

 でも今となっては本当はその年齢までに死にたかったのはミズエ自身なんだよな、ということに自分が30歳を過ぎてから気付いてしまった。

 その人が突然失踪したと、偶然高円寺のコンビニで会った昔の友人に聞いて困り果てている。

 彼が前にやっていたバンドを辞め、離婚してしばらく引きこもってから新しいバンドに加入した事までは知っていた。なんなら最初のライブも観た。

 しかしその後、今度はミズエが体調を崩して何も出来なくなってしまった。昔からの子宮の病気の悪化だった。

 しばらくの通院生活の後に最近ようやく復職が出来て趣味に目を向ける余裕が出来た。久しぶりに同棲している恋人のライブに行くために高円寺に行くと、そこで偶然会った友人に彼が今日突然飛んだ事を知らされた。

「そういや鮎太郎が飛んじゃったんすよ、今日これからライブなのに」

 少し久々に会ったナミという若い女の子は笑いながらそう言って、今日のボーカル不在ライブがどんなもんか今から久美さんと観て来ますわ、と手を振ってコンビニを出て行った。コンビニの外にはやはり見知った顔の女の子がいた。

 ミズエが通院していた病院で鮎太郎が清掃員として働いていたのは知っている。

ロビーで何度か見掛けた事がある。髪型が少し変わっていたが、あの身長だ。遠目に見てもすぐにわかる。しかし仕事中に話し掛けるのも躊躇われたし、その頃のミズエは知り合いや友達に積極的に話し掛ける気力がなかった。だから顔を見られないようにマスクをして俯いて気付かれないように息を潜めていた。例えフィジカルの病気でもメンタルに影響を及ぼしてしまうものだ。

 今となっては一言か二言言葉を交わしておけばよかったと思う。

 いつだって後悔と空虚は嫌なタイミングでやって来る。


「ねえリキヤ、あんた鮎太郎君って覚えてる?昔Yってバンドにいて去年位にたいのかしらってパンクバンドに加入した子」

 ライブが始まる前、ライブハウスのフロアで恋人リキヤを捕まえてそう問い掛ける。年明けには結婚する事が決まっている同じ年の男だ。客のいる前で軽々しく恋人のバンドマンに話し掛けるのは気が引けたが、今日ばかりはどうしても鮎太郎の事が引っかかってしまい話し掛けずにはいられなかった。

「あー覚えてる覚えてる。あのバツイチの天才な」

 最初、鮎太郎のライブを観て「あいつは売れる、組むバンドと女選びさえ間違えなければ」と言い出したのはミズエではなく恋人のリキヤの方だった。確か5~6年程前だったか。場所は新宿辺りの小さなライブハウス。まだハタチになるかならないかの頃の鮎太郎が人生で初めて組んだバンドで行った初めてのライブ、リキヤはそれを共演者として偶然観てそう言ったのだった。リキヤの周囲のバンドマン達も概ね同意見だったのではないだろうか。嫉妬なのか余り良い顔をしない人間もちらほらいたのも事実だが。どちらにせよ兎に角鮎太郎は昔から本人の意思に関係なく目立つバンドマンだった。

 その後の鮎太郎は何故かド変人と噂される派手な女と付き合い結婚、離婚を経てその後の事は近しい人間なら皆知っている通りだ。我々はまさに女で失敗した、という認識でいる。確か離婚の前後に前のバンドも辞めたと聞いている。理由はメンタルとも聞いているし仕事の都合とも聞いているし、実際のところはよくわからない。人の噂とはいつもいい加減な物だ。皆自分の信じたい事だけを信じる。

「なんか今日高円寺の別のライブハウスでライブだったらしいんだけど飛んだんだって」

「マジか、ライブ終わってからそっち行って間に合うかな」

 リキヤはまだ自分のバンドの出番も始まってすらいない癖に腕時計を見て唐突にそう言い出す。そしてライブハウスの受付にいるスタッフに歩み寄って「今日他のライブハウスの出演者誰かわかります?」と聞く。確かH…だよ、と横から口を出す。

「H…だったら……」と、ライブハウススタッフは置いてあった近隣ライブハウスのスケジュールチラシを見ながらすらすらと答えてくれた。聞けばなかなか良いメンツのイベントだった。

 この辺りはライブハウス密集地域なのもあってか、たまに箱を間違えてやってくる客もゼロではない。その対応に他の箱の状況を把握するため、他のライブハウスのスケジュール表も受付の近くに置いている。

 ミズエはそれらのチラシやスケジュールを眺めながらふと昔の事を思い出していた。

 多分場所はここだ。鮎太郎がたいのかしらの前のバンドにいた頃。

 あの頃のそのバンドはもう高円寺の小さなハコなんて脱していい位には客がついていた。あと少しで大きなイベントに呼ばれる、位のところまで来ていたと思う。終演後にライブハウス内で軽い打ち上げをした。その頃の鮎太郎は結婚したばかりで、珍しく酒を飲んでいた。十代の頃から自分はメンタルが不安定だから酒には気を付けている、と言っていたのを覚えていたから「珍しいね、大丈夫なの?」と聞いたら、鮎太郎は頷いた。

「なんか今日は怖くて。なんか心臓が痛い」

 怖い?体調ヤバいならお酒辞めた方がいいよ、と彼の持っていたプラスチックのコップを半ば無理矢理奪い取った。多分その時のミズエも寄っていたから気が大きくなっていたのだと思う。三センチだけ残っていたビールを代わりに飲み干した。しんどいなら早く帰んな、奥さん待ってんでしょ、とぶっきらぼうに言うと、鮎太郎は頷いた。ミズエに小さく手を振って、それから10分後にはもう姿を消していたと記憶している。

 その翌日に少し大きな地震があった。 

 占い師と噂の元嫁の事はミズエも良く知っていた。あの女と結婚して、鮎太郎にも不思議な力が目覚めたのかと思った。それまでは特にオカルトなどは信じない性質だったが、あれから鮎太郎が少しだけ怖くなった。


「俺さ、この後あっちのライブハウスにちょっと顔出してみたいんだけどミズエどうする?」

 ライブが終わった後、リキヤはミズエにそう声を掛けて来る。正直この時間だったらもうあちらも終わっている頃だろう。無駄足になるのではないか。

「一応誰かに連絡してみたら?由理男君とかさ。こないだ連絡先交換したって言ってたじゃん」

 とりあえず並んで駅まで歩きながらリキヤが電話を掛けるのを横で聞いていた。どうやらあちらももう終わっているようだ。短い電話を終えると、仕方ねえ帰るか、とリキヤは言い、地元着いたらファミレスで夕飯食べよ、と返す。

 電車に乗り込んでふとホームに目を向けると、派手な服の女が目についた。大きなスーツケースが邪魔でこの電車に乗りそびれたようだ。見覚えのあるあの顔。メイクは大分薄くなっていたが、あれは知っている顔だ。ほんの一瞬だったが、しかしその一瞬でも知っている人間というのは案外判別出来る物だ。多分、サイコだ。


「ねえ、そういえばなんでたいのかしらの前のボーカルって辞めたの?私知らないんだよね、誰に聞いても濁されてさ」

 ファミレスのメニュー表を開きながらリキヤに質問する。リキヤは「あー……」と困った顔を見せる。

「そんなヤバい奴だったの?あんまり話した事ないけど遠目にはそう悪い人には見えなかったけど」

 夜遅いから暴飲暴食は避けたいが、しかしとてつもなくお腹が空いている。悩みに悩んでうどんすきに決める。

「家族へのDV」

 リキヤはとても言いにくそうに、少し声を抑えて短くそう言った。いつもは鬱陶しい位に声がでかい癖に、思わず聞き返しそうになるような小さな声だった。

「え、結婚してたのあの人?」

「いや、DVって言っても奥さんとか彼女じゃなくて妹さんって話。その場合家庭内暴力って言う方が正しいのかもしれんけど。相当酷い事したらしくて警察沙汰になったんだってさ。家庭内の事だと警察の動きも鈍い場合もあるみたいだけど、相当酷い事したんだろ。俺も詳しくは知らねえ、もうその話は無しな」

 心底それを憎むような声で彼はそう一気に言って、店員の呼び出しボタンを押した。

「多分鮎がいなくなったのもまたそういう面倒なトラブルかもしれないから由理君もしんどいんだろうな」

 あいつ見た目は絵に描いたようなパンクスのくせにめっちゃ真面目でさ、なのにやたら面倒に巻き込まれるんだよな。まだ厄年には早いはずなのに。可哀想っちゃ可哀想だよ。たまにいる、本人の意図せぬところでトラブルに巻き込まれてしまう不幸体質の人間。

 その話は無し、と言いながら、堰を切ったように言葉が止まらなくなってしまったリキヤにミズエは「そうか、そうなんだね」と相槌を挟む事しか出来なかった。

皆、何か重い感情を持って生きている。それは外からは見えにくい。

 どうか鮎太郎は無事でいて欲しいものだ。


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