ライブ

「そういう事で今日は皆さんありがとうございました」

 今日はトリのバンドがある程度人気あるバンドなこともあってか、売り切れまでは行かなくとも8割程度は人が入っていた。その前でリーダーはリーダーとして頭を下げた。

「頑張れ」

 深々と頭を下げた由理夫の頭に向かってそう声が掛けられる。多分この声は前の方にいた客と関係者だ。優しさと憐れみの拍手と共にその声が狭いライブハウスに響いた。

 由理男が投げやりな声で最後の曲、と言うと、孝之のドラムのカウントが響いた。2分程度で終わる、ちょっと昔の曲のカバーだった。


 鮎太郎とは上手くやれるのではないかと思っていたのに。


 お前は昔からすぐ人を信用するとこあるじゃん、それは良くないかもしれんよ。


 楽屋で友達のバンドマンにそう言われて尚更項垂れてしまう。


 手早く片付けを終え、ドリンクカウンターのそばでトリのバンドのライブをぼんやり見てみようかと楽屋を出る。有名なゲーム音楽をサンプリングしたSEと共にステージにメンバーが登場すると客席はそれだけで沸き立つ。

 このバンドは5年以上同じメンバーでやってて人気もあってトラブルも少ないって聞くし羨ましいな、と考える。トラブルは見えないだけかもしれない。でも今まで何度か対バンした事があり、いつも気さくに挨拶をしてくれるし楽器のメンテナンスのアドバイスをしてくてたこともある。最近事務所もついたと聞いた。ライブハウスの裏口でスタッフや厄介そうなファンとちょっと怖い顔で話し合っている姿は何度か見た事があるが、メンバーが犯罪を犯したとかライブ当日に飛んだとかうちのような大きなトラブルは聞いた事がない。

 正直羨ましい。

 不意に右腕を叩かれ顔を向けると、昔からよく来ているファンの女の子がのど飴を袋ごと渡してくれた。聴こえないがその唇は「おつかれさま」と動いていた。小さく会釈すると彼女はライブフロアの人混みの中に消えた。

 由理男は袋を開け、ひと粒口に放り込む。恐らくライブ前にでもすぐそばのコンビニで買って来てくれたのだろう。

 2曲目まで聴いたところで少し外の空気を吸いたくなってライブフロアから出入り口に繋がる階段へのドアを開ける。

 外に続く階段の途中の踊り場で、ついさっきのど飴をくれたファンと神尾、そして由理男の先輩、浅尾さんが肩を寄せ合って話をしていた。ファンの子は確か久美、という名前だった。明るい場所で顔を改めて確認する。

「ゆりさんお疲れさま」

 彼女に改めてそう声を掛けられ、手に持ったままの飴の袋を見せて「ありがと」と返す。

「大変だったな」

 浅尾さんは苦笑いで由理男の腕をポンポンと叩く。

 そもそも鮎太郎をバンドに紹介してくれたのは浅尾さんなのだった。

 浅尾さんは元バンドマンで、今は映像制作の会社で音楽や音響の仕事を請け負っている。

 やはり以前バンドをやっていた頃に色々ないざこざに疲れ、今はたまに誘われて年に一度か二度、友達のバンドでピアノを弾く事がある程度の活動しかしていない。プレイヤーとしても上手い人で、優しく、音楽の専門学校を出ている事もあってか人脈も広い人だ。今日は仕事で渋谷に用があり、そのまま直帰という形でここに寄ってくれたようだ。

「移動の電車でSNS見て驚いてさ、心配になって飛んで来たんだわ。当日券あって良かった」

「ぶっちゃけて浅尾さんはなんも聞いてないですか」

 そう聞くと、彼は綺麗な顔を横に振る。知っていれば教えるよ、と。むしろ今日ライブがある、というのを浅尾さんは鮎太郎本人から直接聞いていたのだそうだ。

「最近はメンタルも落ち着いてて仕事も続いてるって嬉しそうに話してたからなあ、先週連絡した時にはね」

 それは由理男も神尾もそう思っていた。恐らく孝之も。

 数日前のリハーサルスタジオの時の彼は余りにもいつも通りで、帰り際に何度も由理男に集合時間の確認をしてきた程だったから。むしろ由理男がその場で鮎太郎のスマホを借り、スケジュールアプリに集合時間・集合場所を直接入力してやった程なのだから。ライブハウスは今まで何度も出演しているハコだ。前のバンドの時にも何度か出演していると言っていた。少し駅から歩くとは言え今更迷子も糞もないだろう。

「もし浅尾さんに連絡あったら俺でも神尾でも孝之でもいいんで教えて下さい、俺、あいつの衣装とか私物少し預かってるし……」

 由理男が頭を下げると、浅尾さんも久美も「ゆりさんがあたまさげることじゃない」と言ってくれた。神尾も項垂れてしゃがみこむ。

「ていうか久美ちゃん今日ひとり?」

 立ち上がる気力もなさそうな神尾が小柄な彼女を見上げると「ナミちゃんと来たんだけどナミちゃんは最後のバンドも観たいからって」と答える。多分久美とよく一緒にいる髪の毛も服装もやたらカラフルな女の子だ。ついさっき、フロアで擦れ違った気がする。

 聞けばこの後久美とナミは駅前に新しく出来たラーメン屋に寄って帰る予定だと言う。神尾と浅尾さんは「あそこ気になってんだよ、いいな」と笑う。しかしその笑顔は疲れ切った笑顔だ。元気出して、と久美は神尾の顔を覗き込む。

 ここだけ切り取ればいつものライブ後の風景だ。

 鮎太郎がいないことだけを除けば。


 突然鬱が悪化して最悪の事態になっているとか。それが怖かった。

 それなら深雪さんもなかなか返事をくれないのもわからなくはない。しかし鮎太郎へのメッセージも深雪さんへのメッセージもどちらも既読マークすらつかないなんて。

 これは何かの有事なのかもしれない。それこそ鮎太郎のメンタルとは全く関係のない、不意の事故や事件といった類の。


 大荷物を持ってライブハウスの外に出る。夏の終わりの静かな暑さが肌を撫でる。

 由理男は物販スタッフやセッティングを手伝ってくれているスタッフの雄介と話しながら駅に向かって歩く。その後ろを神尾と孝之、浅尾さんが続いて歩いて来る。

 ライブハウスが微妙に遠い場所の時は神尾が車を出してくれる事もある。通勤でも私用でも使っているという中古のハイエース。しかし今日はメンバー全員の家から比較的近いライブハウスだったため、全員電車乃至徒歩でライブハウス前に集合した。

 由理男はまさに高円寺、孝之と浅尾さんは中野、神尾と雄介、鮎太郎の三人は偶然にも全員吉祥寺だ。


 駅に近いうどん屋で横並びで飯を食う。男五人で。

「そういえば今日のライブ、サイコさん来てたな」

 浅尾さんが水を飲み干してぼそりとそう呟いた。由理男と神尾と孝之は箸やら水に伸ばしかけていた手が止まる。雄介だけがきょとんとしている。

「誰ですかそれ、厄介客ですか?初耳なんすけど」

 雄介のその問い掛けに隣に座っている孝之が「鮎太郎の元嫁だよ」と答えると、雄介はぐえ、と踏まれた蛙のような声を出した。

「別にうちでもよそでも特に出禁にはしてはいないんですけどね」

 そう口にした由理男はそれでも動揺して手が震えた。というか来るはずがない、と今まで思っていたし、実際鮎太郎がバンドに加入してからは一度も会った事がない。

「でも今更どの面下げて今更ライブに来るのよ、結構大変だったって噂でしょ離婚。鮎はあんまり話したがらないから実際の事は誰も知らないけどさ」

 孝之が溜息をついた所でうどんが男たちの前にずらりと並べられる。

「なんか俺と同じ位のタイミングで来て、でもたいのかしらが終わる前に外に出ていくの見たよ。人も多かったし気付いた人ほとんどいないんじゃないのかな」

 浅尾さんはそう言って七味を手にする。


 鮎太郎の嫁はその昔、よそのバンドの厄介客だったと噂される女だ。本名は知らない。ただ彼女を知る人は皆彼女をサイコと呼んでいた。本人も否定している様子が無かったので恐らく自らそう名乗っていたのだろう。

 我々のバンドにはほぼ関わりがなかったが、知り合いのバンドの常連客で何度かもめ事を起こしていたと聞いている。昔何度か対バンの時に見掛けた事があるが、一見普通の美人にしか見えなかった。長い茶髪で派手なメイク、ただ気が強そうな女だな、という印象はあった。

 彼女が鮎太郎の元嫁だと聞いたのは鮎太郎がバンドに加入してからだ。しかし離婚以来、界隈では彼女を見掛ける人はほぼいなくなった。遠くの親戚の家に身を寄せている、というのが鮎太郎の言い分であった。彼はそれ以上何も話さなかった。ただ自分の鬱と彼女のやりたい事、それの折り合いがつかなかっただけですとだけ聞いた。


「もしかしたらサイコさんもあいつの事探してんのかな……」

 何気ない孝之のその言葉に由理男の腕に鳥肌が走る。

「少し前にファンの子に聞いたけど本職占い師とか言ってたらしいじゃない、サイコさん」

 浅尾曰くファンの噂話だから真に受けてはいなかったが、謎の行動から察するにそれも満更嘘ではなさそうな気がした。

 うどん屋では珍しく有線放送ではなくラジオが流れていた。まだ台風の爪痕が各所に残っている。都内でも海や一級河川の沿岸では浸水が酷く、停電がなかなか復旧しない地域もあるようだ。浅尾さんが「夜中にあの雨の状態でも救急車の音めちゃめちゃしたわ、頭上がんないよなああいう仕事してる人達には」と言い、由理男は頷くしか出来なかった。

 もしかしたら病院で働いている深雪さんに何かあって鮎太郎は身動きが取れなくなっているのかもしれない。その可能性もある。鮎太郎に取って深雪さんは命の恩人だと聞いた事がある。色々危なかった時に同窓会に誘ってくれたのが彼女で、同窓会には結局行けなかったけど彼女のお陰で古い友達と再会出来て、仕事も紹介して貰えて、感謝してもしきれないと何度も言っていた。しかし依存しすぎないように鮎太郎なりに頑張っているように見えた。

 ふとテーブルの隅に置いた由利男のスマホが震える。慌てて取ると知り合いのバンドマンだった。今日は高円寺の別のライブハウスに出演していたようで、こちらの話を誰かに聞いて連絡して来たようだ。案外世界とは狭い物だ。由理男は食べ掛けのうどんを置いて一旦外に出る。伸びてしまうが仕方がない。店内はやはりライブハウス同様騒がしく、電話をするのは憚られた。

「はい、ほんと連絡つかなくて困ってるんですよ。あいつ病気もあるから最悪の場合もありそうで怖くて……鮎は吉祥寺住みです、もしなんかわかったら連絡下さい、はい、はい……」

 由理男は電話をしながら目の前を歩いていく女から目が離せなかった。


 サイコだ。


 彼女はこちらなど見向きもせず、相変わらずキャバ嬢のような派手なワンピースを着て、小さなスーツケースを転がして駅に向かって歩いて行く。その手には何故か長い数珠をぶら下げていた。

 怖くてその後を追う事が出来なかった。いや、追えば良かったのかもしれないが、その時は足がすくんで何も出来なかった。


「はい、じゃあとりあえず今日は解散で……また来週のスタジオで」

 駅前で由理男がそう力なく声を出すと、全員由理男の肩を軽く叩いて改札に向かって行った。自分には最早これ以上の声は出せず、去り行く仲間達の背中に向かって力なく手を振る事しか出来なかった。それだけのヒットポイントしか残っていない。スマホのバッテリー残量も残り3%になっていた。こんな時に限って慌てて家を出て来てモバイルバッテリーや充電器を忘れてしまったのだ。どうせ近所のライブハウスだからいいだろう、と高を括っていたが、まさか今日に限ってなかなかスマホを手放せない日になるとは思ってもいなかった。


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