ファストフード店のファン


「ありゃ、鮎ちゃんが飛んだっぽい」

 スマホでSNSを開いた久美は目の前に座るナミちゃんにそう言った。ナミちゃんは昼ご飯を食べていないらしく、もう午後4時を過ぎているというのにハンバーガーのセットを頼み貪るように齧りついていた。昼と言うには遅いし夕飯と言うには早すぎる。

「失踪ってことですか、鮎さん昨日ふっつーにSNS投稿してたのにねえ」

 最後の一口を飲み込んだナミちゃんは紙ナプキンで唇を拭く。まるでその口調は近所のおばちゃんのようであった。ナミちゃんは確か久美のひとつ下のはずだ。まだおばちゃんになるには早い。

「うん、今リーダーが呟いている」

 久美はそう答えて手元のコーヒーに手を伸ばす。ナミちゃんはポテトを齧りながら「じゃあ今日のライブはキャンセルですかね?」と聞いて来る。

「いや、今日は代わりにリーダーが歌うってよ。まあ鮎ちゃんが加入する前に何度かリーダーが歌ったライブあったし出来ないわけじゃないんだろうけど」

 たいのかしらは1年ちょっと前、短い期間ではあるがボーカル不在のライブをしていた事があった。折角決まっているライブを全てキャンセルにするのも勿体ないから、という事でイレギュラーな形でのライブを数回こなした後、鮎太郎という新しいボーカリストがやって来たのだ。メンバーのひとつ下、背が高い鮎太郎は見た目も良くボーカルとしても上手い。喋り下手且つ少しコミュ症の傾向はあったが傍目には上手くやれているように見えた。

 しかしただひとつだけ問題があったのをファンも関係者も皆知っている。

「メンヘラが悪化しちゃったんすかねえ」

 ナミちゃんは小さな声でそう呟くと少しだけ俯いた。

 鮎太郎は夏でも極力長袖を着ていた。せいぜい7分丈。余りの暑さに半袖だった時でもサポーターやアクセサリー、コンシーラー等で目立たないように気をつけてはいたのだが、でもその左腕に複数の傷跡が目視出来るレベルで残っているのをファンも関係者も皆知っていた。大半が大昔のものと思われる薄い傷ではあったとはいえ、少し気を使ってしまうような数だった。

「そういえば久美さん昨日の停電大丈夫でした?」

 ナミちゃんがふと思い出したように聞いて来る。

 昨夜から今朝に掛けて大きな台風が東京を蹂躙し、珍しく都内各所で停電が発生していた。今日のライブが決行されることに驚いたが、都内交通機関は多少の間引きはあれど昼には復旧していたし問題無しとの判断だったのだろう。

「市ヶ谷の方は比較的早く復旧したんだよ、でも懐中電灯の灯りだけでハーゲンダッツを食べてる間は物凄く孤独を感じた」

 ラジオなんか持ってないしスマホもバッテリー食うの怖くて何も出来なくてさ、と答える。家族は離れて暮らしているし、恋人も先月別れたばかりだ。近所に頼れる友達や同僚も少なく、部屋でただじっとしているしか出来なかった。

「中野は停電の復旧早かったんですけど、うちはおじいちゃんが車椅子だから避難になったら大変だなあって思って家族で大騒ぎですよ」

 なにはなくともお互い無事で良かった。

「しかも今日地震もあったよね、ほんと怖いわ」

「ああ、しかも2回ありましたよね?」

 ナミちゃんの言葉に久美は驚く。

「え、昼頃のちょっと大きい奴だけじゃなくて?」

「午前中にも小さいのがありましたよ。外歩いてたり寝てたりしたら気付かないくらいの奴ですけど」

 日本がそういう国だとわかっていても、準備がいつも万全とは限らない。

「そういや鮎ちゃんて吉祥寺だか三鷹だかの病院で清掃員やってるって前にMCで馬鹿正直に話してましたよね、病院で停電とかでかい地震あったらめちゃめちゃ大変でしょうね」

 ナミちゃんの言葉を聞いて久美はふと思い出す。

「確かM病院だったと思う」

 名前だけは知っているが一度も行った事はない。この沿線では大きめの、まあまあ有名な病院だと仕事場で聞いた記憶がある。ナミちゃんはコーラを飲みながら苦い顔を見せた。

「……あそこならめっちゃ心霊スポットで有名なとこじゃないですか」

「そうなの?」

「少し前にそれこそおじいちゃんが入院してたんで。目の前にある公園含めてあの辺一体地元民にはあんまり評判良くないらしいんですよ。病院自体はいい病院なんですけど、如何せんやたら古いんですよね」


 深夜2時に公園内、公衆トイレの横にあるゴミ箱にゴミを捨てるとその中に吸い込まれる。昔この公園で殺された女の人の呪い。体の大きな男は皆その女の霊に引き込まれる。そんな小学生が喜びそうなありがちな怪談話もあれば、病院で働くスタッフが夜勤中に院内で失踪した、その他何かと怖い目にあった、という真偽不明の噂話まで枚挙に暇がない。と、いうのがナミちゃんの話の全てであった。スマホで検索掛けるとすぐ出て来ますよ、と軽いノリで彼女は言った。


 ライブの前にちょっとコンビニ寄ってこ、と言うと、ナミちゃんは「うぃーす」と気の抜けた返事でついてきた。二人の直ぐ近くを救急車が通り過ぎていく。久美は職場の同僚からの連絡に返信するため先にコンビニを出てナミちゃんを待つ。それはいつもの日常だった。

「すいません、遅くなっちゃいました」

 好物の板チョコを剥き出しで握り締めたままナミちゃんが出て来た。

「久美さん、ミズエさんて覚えてます?今コンビニの中にいましたよ。偶然会った」

 気付かなかった。たいのかしらが前のボーカルだった頃によく対バンしていたバンドの客だった年上の人だ。メンバーの友達だと言っていたが、彼女は恐らくあのバンドのドラムの恋人だったのではないかと久美は睨んでいる。しかし周りと特にトラブルを起こすタイプではなく、いつも飄々と現れては去っていくさっぱりした人だった。そのバンドが解散した後も色々な現場で偶然会う事があったが、そういえばここ何ヶ月かはどこでも見掛けなかった気がする。確か鮎太郎の事も前に在籍していたバンドの頃から知っていると言っていた記憶がある。

「彼女は今日この後別のライブハウスに用があるって」

 久美は振り返りコンビニの中を覗き込む。見覚えのある背の高い黒髪の女性がこちらに気付いて笑顔で小さく手を振る。久美も笑い返し手を振り返す。


 午後2時現在、M病院は救急搬送の受け入れ拒否。一切の連絡が取れません。


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