妾部シェンとシャドゥカスウォン





 それはエルモと庄屋が通話をする少し前のことである。






 デヴァステーションは今日も様子であった。




 当然、学校でも普段——以前の戦いの前——と変わらなかった。



 それは戦いの疲弊が回復したからというよりは、庄屋という存在をほとんどの生徒が忘れたからである。クラスにあるその空席も見慣れてしまった。


 また、一か月ほど前の『お茶会騒動』についても忘れた人も多い。エル・クロモンド・ハーツェルとフォロイ・クリスティーの両名ともに、普段と変わらない様子で生活している。




 庄屋の話をすると、そのフォロイ・クリスティーも悲しそうに顔を変えるが……。










 そんな普段と変わらない生活の中で、とある二人は変われないまま過ごしていた。




 一人は庄屋がいたクラスの、隣のクラスにいる。

 

 その名も——。




「——妾部さん? 妾部シェンさぁん!?」



「は、はい! はい? なんでしょう!?」



 返事はするが、その一瞬でクラス中の視線が集まる。

 

 寝ていたわけではない。しかし、教科書を見ることも、先生の話を聞くこともなく、ただ何も考えずに教室の隅を見つめていた。






「大丈夫ですかぁ? 今日も早退しますぅ?」



「い、いえ、大丈夫ですわ」




 数学の教師兼このクラスの女性担任は、今日も様子のおかしい妾部シェンの心配をしていた。

 以前から、何度か早退をしていた。数学教師はその理由に心当たりがあった。妾部シェンとはプライベートでも会話をすることがあったからである。




「妾部様、大丈夫ですか?」


「えぇ、心配かけましたわね。大丈夫ですわ」




 隣の席のフォロイ・クリスティーが顔を覗き、声をかける。そのことに申し訳なく思い、再び前を向きなおす。



 そんな妾部シェンをフォロイ・クリスティーは心配そうに見つめていた。


 

 










 授業が終わり、フォロイ・クリスティーはすぐ隣の席へ声をかけた。


 

「本当に……大丈夫ですか? 少しの間、学校を休んでも誰も責めませんよ」




「え、ええ、わかっていますわ。ただ……」





 何か言おうとして、ため息をついた。


 強がっても意味がないことは分かっている。実際、今の自分はまともに授業を受けることができないのだから。何かしらの精神異常の可能性もある。それを知るのは怖いから医者に行ってはいないが。



 アカラエ・ロッドスターのラボで流した涙。

 庄屋の死は覚悟していた、それは本当である。



 彼は立派であった。名前は歴史の教科書に載らないかもしれないが、デヴァステーションに与えた影響は大きい。彼がいなければ治安は今よりもひどいものだっただろうし、知り合いも何人か死んでいたかもしれない。






「妾部様……数週間、いや数日でよいです。休んではいかがでしょう。学校に言えばば単位に影響はないはずですし」



「そう、ですわね。帰ったら、考えてみますわ」




 そうは言うものの、家の立場的にはみっともない姿をさらしたくないという感情があった。


 だから、帰ってから考える、という妾部シェンの言葉は嘘に近い。

 休むということは最初から選択肢になかった。 











============







 もう一人は違う学年にいた。


 一つ上の学年、十八歳で、銀髪と黄色のツノが特徴的な龍族の少女、シャドゥカスウォンであった。学校生活では何ら問題はない。



 ただ、帰宅後、動きやすい服装に着替え、階段を降り、玄関で学校に行く用の靴ではなく運動靴を履いた。




「あら、今日もまたどっかに行くの」



「ああ」




 靴ひもを結んでいると、割烹着姿の顔にしわがある人、有光クネ——みんなからはおばちゃんと呼ばれている——が玄関横の食堂に繋がる扉を開けてやってきた。




「今日は比較的暇だからいいけど、今日もお手伝い、よろしくね? うちはドゥカちゃん目的で来る人も多いから」



「そうか」




 住んでいるところ、それは普通の家ではない。

 街の中心から少し外れた商店街近くの「青空食堂」の二階に住んでいた。夜の部もあるこの食堂では、仕事終わりのサラリーマンや塾終わりの学生もよく来ている。


 シャドゥカスウォンはこの食堂のおばちゃんとおじちゃんに拾われ、店の手伝いをすることと引き換えに寝る場所と三食をもらっていた。




 シャドゥカスウォンは無愛想で無表情であるが、二人には感謝しているし、二人も家族のように接していた。




 



 ただ、有光クネはドゥカの返事にがないことになんとなく気付いていた。


 

「今日もそれが終わったら一杯ご飯用意してあるからね?」


「うん」




「ほら、大根の煮物とか好きでしょ? お米もたくさん用意してあるから」


「そうか、じゃあ行ってくる」




 そう言って立ち上がったシャドゥカスウォンに、なんて声をかけてあげればよいのかわからなかった。


 




 ただ、扉に手をかけた時に何とか声が出た。それは純粋に心配する気持ちだった。



「ドゥカちゃん、その……悩み事があったらいつでも言ってちょうだいね?」


「……わかった」

 




 そして扉を開けると一瞬でその姿が消え、直後、風が来る。


 先ほどまで、声を出せなかったのはシャドゥカスウォンの持つ雰囲気に少し驚いていたからであった。






 日に日に強くなるその雰囲気、実は学校でもあふれることがある。

 しかし、顔の表情はいつも通り変わっていない、問題行動もない。なのにあふれ出す凄みが話題になっていた。



 所詮、人の気持ちを理解しない龍族だから——という声もあった。






 しかし、シャドゥカスウォンを知る有光クネは、一切そうだと思わなかった。




「おかしいわね……何かあったのかしら……」






「どうしたクネ、そんなところに突っ立っていて」


「まさるさん、やっぱりドゥカちゃん、おかしいわよ。最近ずっと帰ってきては外に出てる」



 食堂に繋がる扉から顔を出して、有光クネに話しかけたのは、旦那の有光まさる。こちらもかなり年を取っていて、白髪と白い眉が目立つ。

 常連や二人の昔からの幼馴染に冗談で「おじちゃん」なんて呼ばれている。



「……、そうだな」



 少し考えてそう答える。


 最初は有光クネだけが異変に気づいていた。有光まさるは「いつもと変わらん」と言っていたが、ここ数日でようやく気付き、シャドゥカスウォンが寝てから二人で話していた。




「直接聞いてみる方がいいんでしょうかねぇ……」





「それは、やめておけ」



 有光クネのその言葉に、低く重い声で即答する。






「そうですか?」




「万が一がある」



 「万が一」とは何か。それに気づいて有光クネは少し暗い顔をした。


 ——もしその悩みが、人の死に関わることだったら……。


 その治せない孤独感も癒えない悲しみも有光クネは知っている。一か月前にあった戦いで亡くなったのだとしたら、シャドゥカスウォンの持つ感情はいつかの自分と一緒である。




「悲しみは時間が解決するものだ。今は黙っておいた方がいい」

 

「ええ、そうですね」



「ワシらにできることは、帰ってきたらおいしいメシを食わせてやることしかできん。今日は手伝いをさせず、ドゥカを休ませておけ」

 



 そう言って、食堂に繋がる扉を閉めて有光まさるは厨房へ戻った。





「そうですね……思い出します、お兄さん」





 客に暗い顔は見せられない。軽く頬をたたいて、自身も食堂へ向かった。













============




 デヴァステーションの地区では、駅を降りると別荘や豪邸が並んでいるところがある。そこにある家の多くは社長レベルの人が住んでおり、普通の人は住むことなんてできないだろう。


 



 そこの、とある豪邸といっても過言ではない家の表札には「妾部」と書かれていた。




 その家のカーテンがしまった一室。

 中には制服のまま体育座りをした少女がいた。涙を流しながら、うつむいていた。机の上には、以前購入したスカートの入った紙袋が置かれてある。あの時から取り出していない。



 時間が止まっていると言えばよいのだろうか。部屋の中の時計は秒針の音を立てているのだが。

 

 


 少しくらい暗い方がよい。カーテンを閉めたのはそのためであった。






「——お嬢様、お客様がお待ちしております」



 扉の外からノックと声が聞こえる。親の代わりをしてくれた執事長である「爺や」だろう。


 涙を拭き、声を整えて返事をする。





「……爺や、今日は誰も呼んでいないはずですわ」


「どうせまだ制服なんでしょう? お着替えになった方が良いかと」




 子供のころから面倒を見てくれただけに、今の状況を理解しているのだろう。扉を挟んでいるのに、制服姿であることをあてられた。

 


「それよりもどなたですの? ……さすがに私の知っている人でしょうね?」



「シャドゥカスウォン様でございます。『話がある』、と」



「そう」




 ゆっくりと立ち上がって、制服を脱いでいく。


 下着姿になると、クローゼット前まで移動し、適当に服をとった。




「呼んでくださいませ、爺や。お菓子も、例のお菓子も持ってきてください」



「いいのですか? あのお菓子は……」




「いいのです。あげる相手がいなければ、持っていたってですわ」




 きっとこの部屋に飛び込むようにやってくるだろう。すぐに涙のあとを隠しておかなければ。


 そう思いながら机の上の紙袋はベッドの下に隠した。









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