カニバリズム
「ジャンビシキシ様、以前行った領地の貧困層への支援の件で、いくつか感謝状が届いております」
三日月の印象的な夜。クァーラン王国の中心から少し離れ、切り離されたこの町は、動物の遠吠え一つすらも聞こえない静かな場所である。
周りの石造りの家が群がるところに、場違いな程立派に造られた洋館の一室。長机の近くに設置された椅子に座る男に向けて、その執事は何枚かの便箋を差し出す。
それらを手に取り一枚一枚差出人を確認するその男、ジャンビシキシは笑みを浮かべながら答えた。
「そうかぁい……それは良かった良かった。まぁボクも民が苦しむのは好きじゃ無いからねぇ」
「本当に心優しいお方ですね」
「まぁねぇ……」
それを聞いて悪くなかったのかさらに頬を緩ませる。彼にとってこの時間は至福の時であった。感謝されることは人は誰だって嬉しいのだ。
善行と思ってやったことが感謝されるなんて、最高だろう。
執事は真顔のままジャンビシキシに問う。
「以前メイドが話していた件ですが、どのようにいたしましょう」
「あぁ、忘れていたよ。確か彼女はよくボクに話しかけてくれた女だよね。こんなボクにも目と目を合わせて会話してくれた子だったなぁ……」
「はい。まるで恋する乙女のようにアナタを見ていましたね」
「そうそうそう、そしてよく家族のことについて聞いてきた。そうだネェ……、お土産にはそのことについて話してきてくれよ。そうすれば心置きなく終わらせることができる」
「かしこまりました」
執事はそう言って部屋から出ようとするが、タキシードをジャンビシキシに掴まれる。
「ッ、どうなさいましたか?」
「
「……おそらく4丁目の花屋と、崖の近くの赤い色の石の家が出していないかと」
「なんだい。知っていたのかい?」
「すでに手配しておりましたので言う必要は無いものと──」
「ダ〜メダメ、しっかり言って欲しいねぇ。ま、今日はキミに任せることにするよ」
執事は、ジャンビシキシに一礼をし、部屋を去る。
ジャンビシキシはその姿を一瞥すると、手を叩き、数名の影を呼ぶ。
そして彼らに呟くように何かを伝えると、彼らは音を立てずに夜の街へ消える。ジャンビシキシは願っていた。早くあの鐘が鳴るのを。
夜空は三日月だけが輝く一人舞台であった。
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家に無事帰ってこれたという安心感、一体彼らは何者だったのかという恐怖。疲れがどっと溢れてくる。
(一体何者だったんだ? あんな目をする人、初めて見た……)
俺らを追いかける時だって様子が変だった。血眼になって、死に物狂いで追いかけるような姿。追い詰められた人間のようだった。
しかし、あそこで追いかけてこなかったのは謎である。その様子なら徹底的に追いかけるはず。
もしかしたら今、外にいるのかもしれない。泳がせて、俺らの住んでいる場所を特定するためか?
(まさか、な。俺が帰る時、警戒していたが誰もいなかった)
考えてみても答えは出ない。無駄だとわかっていながら、どこか心のうちにある恐怖が常に意識するよう強制する。
一応、枕元にタグラグル・スケッチを置いておく。寝込みを襲われる万が一のため。
そういえば、あれからエルディアとは一回も通信していない。
履歴が残らないから、向こうが接続しようとしていたのか分からないが、一言「無事来れました」とでも伝えようか。
もっとも、エルディアが通信したいと願っているのかは分からない。「面倒くせー男」とか「通信してくるんじゃない」とか思っている可能性も……。
(ダメだ。疲れているからか思考がグチャグチャだ。エルディアを恋愛対象として見ている俺がいる)
以前まではなかった感情がある。思えば、シンデン・ミミレの件からどうも女性不信でそういう目で見られなかった。
でも、今は違う。心の余裕なのかもしれない。それとも欲求不満なのか。
(これは好きという感情なのか? どうなんだ? もしかしたらただ性欲の向かう先なだけなのかもしれない……)
そう考えれば腑に落ちるところはある。例えば、同じ感情を他の女性にも向けている時がある。だが、それはつまり罠の感情。
エルディアの信用を裏切りかねない。所詮ビジネスライクの可能性だって……。
(ここで通話すれば隣の迷惑になるな。どこか人通りのある公園で通話するか)
今日のことがあったからあまり外には出たくないが、それ以上に「話したい」という感情が上回ったのであった。
ふとあの顔を思い出すとそんな感情が湧き出る。
この感情、今は徒に刺激してはいけないモノなのかもしれない。
「まさか人生二度目だっていうのに、一度目よりヘタレなのか……」
そういえば一度目の人生は、不都合や不条理、孤独に貧困を味わったが、どこか満たされていたことを思い出す。
今回でいえば性欲は風俗に行けばどうにかなった。しかし、二度目の人生はそう簡単に行けない立場にあり続けた。
社会的な立場という窮屈な状態にあることで、初めて人間らしい悩みを得るのだろうか。
木のベッドに体を預け、目を瞑っていると夜の静けさを感じることができる。今日のお隣さんは静かだった。
俺は疲労感を感じながら、今までの記憶を思い出す。
何度も泣いて、何度も怪我をして、何度も殺して、何度も死にかけて……今ここにいる。
もし、「あの街を救う」ということが、俺がこの世界に来た理由なら、明日にでも死ぬのではないか。
そうだとしたら、少し悲しい。だけど、黙って受け入れようか。
(そうなったら……みんな、かなしんでくれるだろうか)
徐々に失われる意識の中で、最後に考えたのはそのことであった。
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次の日、気温が高くなったことを肌で感じ、目を覚ます。今日着る服は半袖にした。
慣れない気候にストレスを感じてきているのか、よく眠れなかった。ただ、外に出て朝の日の光を浴びれば体が起きるような感覚がする。
「あら……」
「ん、あ、おはようございます」
ふと横を見ると、小太りのおばさんがいたことに気づく。おそらくこの方は隣の部屋に住む人だろう。
「最近引っ越した人? ゴメンねぇ、ウチんところうるさいでしょ?」
「いえいえ、仲睦まじくて良いじゃないですか」
「やだねぇ! それじゃ聞こえているってことじゃないかい」
「あ、すみません。別に聞こうとしていたわけでは……」
聞くことを意識していたような発言をしてしまって、少し決まりが悪かった。
「責められるのでは」と、俺がそう思っているのに気がついたのか、おばさんは豪快に笑いながら俺の肩を叩いた。
「あっはっは!! そんな身構えても怒りはしないさね」
一ヶ月ここに住むので、隣人トラブルで悩むことに心配していたが、隣人の人が竹を割ったような性格で良かった。
今まで隣人トラブルは何回も経験してきたからな。
杞憂に終わったことに安堵し、それから数分お互いのことについて話した。
おばさんの名前はフッチャルといい、数週間前にここに引っ越してきたらしい。最初は隣の部屋から聞こえる騒音に頭を抱えていたらしいが、「慣れ」というものはすごいもので、しばらくしたら全く気にならなくなったらしい
俺が今住んでいるところに引っ越してきたことが何度かあるらしい。ただ、みんな一週間もすれば姿を消した。この八面荘の欠陥にやられたという。
「それに、ここは時々犯罪が起こるからね。アンタも気をつけなさいよ。つい先日空き巣でここら辺ギスギスしとったけん」
「しかし、どうしてこんなところに?」
「んま、色々あるさね。それは言えんよ……あんまり、気持ちの良い話では無いからね」
そう言って、どこか暗い顔を背けた。そのフッチャルさんの姿に引っ掛かるようなものを覚えたが追求しないようにした。
「アンタはなんでこんなところに来たんさ? むこうの街の方が色々と便利じゃないかい?」
「えぇ、まぁ……旅行みたいなものですよ」
「旅行だっていうならもっと良い国がありそうだけどねぇ。それに今はあまり国内の情勢もよく無いしさ。この国の王様のせいでね」
フッチャルさんの諦めたような言葉には、彼女の人生が詰まっているような気がした。
それから二言程度の別れの挨拶をして、俺は近くの公園へと向かう。少し気味の悪い生暖かい風が通り過ぎた。
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