影の部分
「ミッキ、もう来てたのか」
「おぉ! 庄屋さん、ハハッ、今日も暑いですねぇ」
待ち合わせ場所に行けば、五分前だというのに既にミッキはいた。まるで昨日の失態を反省するようだった。
「昨日はよく眠れましたか?」
「なんとか。隣の人に恵まれたというか」
木のベッド、気候の違いなどの慣れない環境で熟睡できたわけではないが、大体の疲れは取ることができた。
目を覚ました時、隣からの喧騒が聞こえてきたが、「仲の良い夫婦だ」と不思議と嫌な気持ちにはならない。深夜に騒ぐような人たちでは無かったし、ボロボロのアパートで過ごす俺にとって、不幸中の幸いといったところか。
「今日はクァーラン王国を紹介してくれるんだったか?」
「はい、絶品の料理に、観光名所を見てまわりましょう。それじゃあついて来てください。まずは朝ご飯を食べに行きましょうか」
カバンの中に、財布と水の入った容器。
今日は一段と暑く感じる。日光のせいだろう、蒸し暑いという感じではない。ただ、聞いてみるとどうやら湿度が上がる日も珍しくないらしい。今日みたいな湿度の低い日は、この国の人たちにとっては丁度良いんだとか。
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「こちらが私のおすすめする屋台です。引きの強い、もっちりとしたパンに、ひよこ豆のカレー煮込みがかかっているんです」
「この国ではスパイス料理が中心なのか?」
「そうですね。それに激辛料理も有名ですね。湿度が高い日も多いですし、激辛料理はここの国民の健康を維持するのに役立っています。あとこれは、後払いなのでもう食べても良いですよ」
ナンのようなパン──もはやナンといっても良い──に、このカレーがよく合う。美味しい。カレーなんて久しぶりだった。
向こうのカレーは高価で、俺の貯金は
さらに三枚ほど購入し、完食した。
「会計お願いします」
「はいよ。んじゃ合わせて400円ね。そこの人の分も一緒にするかい?」
「あ、お願いします」
「……あっ! いいんですか?」
「別にいいよ。今日案内してくれることへの前払いってことで」
店主にお金を渡す。「まいどぉ!」と少し大きい声で返される。
しかし、さっきミッキはじっと値段を見ていた。どうしたのだろうか。何か気になったことでもあったのだろうか?
「では、任せてください。次は、遺跡の方へ向かいましょうか」
ボーッとすることは誰だってあるだろう。きっと気のせいだ。
そう思い、彼の背中を追う。しかし、やはり何か考えているようで、道中にある屋台の張り出されていた値段を、何度も確認していたのだった。
そんな姿を見ながら歩き続けると、やがて大通りに出る。
「ここが大通りですね」
「おぉ、なんかすごいな」
大通りの、語彙力がなくなってしまうほど圧倒的な光景に驚いた。大通りは、蹄の音と馬車の車輪の音が響き、多くの人で溢れていた。
それに沿って、屋台や店が並び、活気のあふれた場所であった。
「この通りは王宮の方へ向かうようにできていますね」
「歩道とかはないんだな」
「馬車が優先で、みんなそれを避けるように歩いていますね。はぐれないように気をつけてください」
そう言って歩き出すミッキの後を追いかける。周りを見れば、人、人、人で、ミッキについていくのに苦労する。
ちょうど、横断するように歩くため、何度も他の歩行者にあたってしまう。目の前を馬車が通り、ついにミッキの姿は無くなってしまった。
(こっちの方へ進んでいたはず……!)
向かっていた方向を思い出し、大通りを進むと、上り坂になっている細い道を登っていくミッキの姿を見つけることができた。
しかし、ミッキは止まるそぶりを見せない。何かに夢中になっているようで、俺の存在すら忘れているようだった。
「ミッキ! 待ってくれ!」
そう大きな声を出しても、周りの騒音にかき消され、ミッキの耳に届くことはなかった。さらに、予想もしないことが起こる。
「ちょっ、危な、なんですかいきなり!」
突然、誰かに肩を押された。そのせいでよろめき細い道を見失う。人が多く誰がやったか分からないが、明らかに故意に押されたようだった。
──その後、二度も同じように押されて、結局、どこか分からない道へ出てしまった。
ミッキとはぐれたことに焦りはある。ただ、それ以上に、先ほどの出来事が頭に残っていた。神経質すぎるのかもしれないが、どこか差別的とも思える行為であった。
(一度だけなら分からなかったが、三回も同じことがあったと考えれば……)
十中八九そうなのであろう。思えば昨日の通行人の視線だって、怪しいものであった。体験したことのない感覚に襲われながらも、ここがどこなのか周りを見る。
大通りと比べれば道幅は狭いが、それでも十分な広さがあるこの道でも、いくつかの店と屋台が見える。
振り返ってみると、先ほどいた大通りがあるが、人の流れは勢いを増しており、土地勘がまだない俺がもう一度飛び込むのはバカというものだろう。
もしかしたらこの通りに、ミッキが入っていった細い道につながっているかもしれない。ひとまずこの通りを歩き始めた。
しばらく歩くと、先が上り坂にのようになっている道を見つける。少し長いが、おそらくこの道を進めばミッキと出会えるかもしれない。
この道を歩いてみようと、そう思った時だった。
「──キミぃ一人かい?」
近くのオープンカフェから声をかけられた。
見ればそこには、黄色のネクタイをつけ、紫のコートを着る一人の男性が紅茶を飲みながら座っていた。病的に白い肌で、座る姿勢は良く、顔はどこか退屈そうな表情をしている。
「えっ、俺ですか?」
「そうだよ、キミだよキミ」
どうやら本当に俺で間違いないようだった。
「……何の用ですか」
「そんな訝しんで貰っちゃぁ困るよ」
そう言って男は、その黒髪の中の、耳にかかった一本の金のメッシュをイジる。その間も目を逸らすことなく俺の目を見つめるその姿に、威圧感を感じてしまう。
(なんだコイツ!? 普通の人間なのか?)
この世界でも数回しか味わったことのない強者のオーラ。いつの時も相手は人外か人を超越した者。その男もそのオーラと全く同じだった。
その男の様子に、俺は自然と体全体に力が入っていた。
トントン、と男はテーブルを手で鳴らす。
(座れということか?)
ガーデンパラソルの下、向かい側の席に座る。
「……キミは理解が早いねぇ。ボクの執事はいちいち言わないと動かないどうしようもない指示待ち人間さ。呆れるよねぇ? 腹立たしくなって、思わず耳を引きちぎってしまったよ」
「……………」
「それに、ボクの料理長はボクが嫌いな野菜を使った料理を作りやがった! あぁッ! あぁ! 家族もろとも丸焼きにしちゃった……なんて、ジョークさ!」
歪んだ笑顔のまま男は悪趣味なジョークを言う。それを聞かされたこっちの身にもなってほしい。そのまま黙っていると、男はまた退屈そうな顔をする。
「キミも何か話してほしいなぁ。似た者同士寂しいじゃないか」
(……どこが似た者同士なんだよ)
「まさか会話がしたいだけですか?」
「フフッ、そうさ。だから力を抜いておくれよ。ええっと、キミは、キミの名前は……」
「庄屋です」
「そうそう! そうさ、キミはショーヤ! 思い出したよ!」
「違う庄屋です」
「ショーヤね」
「庄屋です」
「う〜ん゛! ショーヤね!!」
「コイツ面倒くさ」なんて思いながらも、その男に疑問を持つ。まるで俺と知り合いであるかのような発言が気になった。
「ん? あなたと昔に会ったことありましたっけ?」
「おおっと、失礼。その質問に答える前にボクの名前を。メフガ・ジャンビシキシ。ボクはあのジャンビシキシ家の者さ。メフガ、と呼んでも良いよ」
「すみませんが、ジャンビシキシ家は知らないです。ここに来たばかりで。有名なのですか?」
「自分で言うのもアレだけど、名家、貴族なのさ。そのつてを頼ってキミのことを知ったんだ。『街の人』、なんだよねぇ?」
ニヤリと、鋭い八重歯を剥き出して笑うメフガ・ジャンビシキシに、どこか気味悪さを覚える。
「その街の人ってだけで、随分と変なアプローチをするんですね。ここの文化ですか?」
「ムフフ、違うよ違う、まぁったく違うよぉ。アプローチでなければ文化でもない。そして街の人っていうのはそこまで大切じゃないよ。大切なのは──キミが初めての人ってことさ」
「……………」
気持ちが悪い。低音の吐息ボイスがキモさを増す。
これが純粋なキモさならばまだマシだったのだろう。彼の、メフガ・ジャンビシキシの言葉には、嫌悪を超えた悪意があるような気がした。
反応を楽しむように見つめる彼の目は、どこか酷く濁っている。紙に描いて顔に貼り付けたような笑顔は醜いながらもどこかで見たことのあるモノだった。
「それじゃあ、楽しかったよショーヤ」
メフガ・ジャンビシキシは席を立って、近くにいた店員に声をかける。
「この人につけておいてくれよ」
「かしこまりました」
「あっ、おい、待て!」
颯爽と去っていくメフガ・ジャンビシキシを捕まえることはできず、結局俺はそいつの分の紅茶代を払うことになった。何気に高い紅茶を頼んでいたことに腹を立てる。いつか必ず請求してやる。
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「……あっ、いたいた。すみませんミッキ。はぐれてしまって」
「こちらこそ気づかずに進んでしまいました……本当にすみません」
なんとかミッキと再会することに成功した。しかし、かなり時間が経ってしまいもう夕方だ。遺跡の方へ観光しに行くことはできないだろう。
先程の出来事は災難であったと思うしかない。貴族らしいし恩返しの可能性も……ないか。
ミッキはどうやら考え事をしていて、俺がはぐれたことを気づかずにいたという。どこかおかしな様子であった。そういえば、朝ご飯を食べたあの屋台の時からおかしかった。
「どうしたんだ? なんというか上の空という感じだが」
「えぇ、少し気になることがありますが……気にしないでください」
ここで首を突っ込むと何かに巻き込まれそうで。良くない気はする。ただ、ミッキがこのままの状態でいたら、また同じようなことが起こってしまうかもしれない。
俺は少し考えてみて、ある質問をした。
「質問をしていいか?」
「え、はい。構いませんが」
「ここに来る前、俺はエルモから『クァーラン王国は物価が安い』と聞いた。ただ、ミッキと会ったカフェで出される料理はどれも高かった。観光客用の値段だと思ったが、クァーラン王国は観光立国とかではないんだよな?」
「……えぇ、一年あたりの観光客数は他の国と比べて明らかに少ないですし、年々減少しています」
「んじゃあ、あの値段は何だ? それに『黄金族の大移動』ってこの国で何が起こってるんだ?」
もう既に屋台は少なく、大通りにも人はあまりいなくなった。ここだって人はいない。閑散としたその光景に、昼間のような姿は信じられない。夕焼け空とその光が足の砂をオレンジ色に染めた。
質問後、ミッキは少しの間何も言わなかった。しかし、下唇を噛む表情からは何か言いたそうな雰囲気を出しており、並々ならぬ不満を抱えているようだった。
「……この国に来て間もないあなたでも、この国では香辛料が使われている料理が多いと気づいておりますね」
「どんな料理でも使われているな。あらゆる種類のスパイスが」
「そうです。この国にとってそれは水よりも大切なものです。しかし、今、それはとある家が独占し、値段を決めています。そのせいで──」
──ミッキは何か話そうとして、口は開いたまま何も発さなくなった。
理由はすぐに分かった。周囲から複数の人の気配を感じ、それらの視線が俺らの方へ向いていた。
先ほどまで人はいなかったはずなのに、この明るく輝くこの場所にふさわしくない全身黒の服装で、ただこちらを見ていた。俺らを、囲むように。
その目、人の目とは言えない。
誰もが瞼を開けたまま、血眼になってこちらを見つめる。数秒の時が経っても、目を閉じない。一歩も動かず、指先も動かず、ただ俺達を見ていた。
何を思っているのか分からない。表情筋の死んだその顔は、本当に人のモノなのか。
──ミッキの呼吸音が大きくなる。異様すぎるその光景に俺も絶句していた。しかし、恐怖しつつも本能が勝った。
ミッキの腕を掴み走り出した。
「ッ、庄屋さん!?」
「ここは逃げるぞッ! アイツらの目、人の目じゃねぇ!! 本気で人を殺す瞬間の、キチガイの目だッ!!」
振り向くと彼らは追ってくる。その手にナニカを持って。彼らの目は、やはり恐ろしかった。
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