バツイチの俺が家政婦に恋をした

神楽堂

バツイチの俺が家政婦に恋をした

 俺は離婚した。

 厳密に言うと、妻が離婚届を置いて出ていったのだが。


 なぜ離婚したのかって?


 原因は妻、佳乃よしのの浪費癖にある。


 佳乃は多額の借金を抱えていた。

 気が付かなかった俺にも責任はあるとは思う。

 しかし、積もりに積もった借金額は、到底、許せる金額ではなかった。


 金銭感覚が合わないというのは、離婚の大きな原因になると思う。


 では、佳乃は一体、何にカネを使ったのか。


 俺たちには息子が一人いる。

 朝、俺が出勤した後、妻は幼稚園の送迎バスを待つ。

 バスを待っている間のママ友たちとの会話は、妻にとっては一日の中で相当大きいイベントだったらしい。

 簡単に言えば、「見栄の張り合い」だ。


 服やアクセサリー、ハンドバッグや腕時計……

 ママ友たちとの自慢合戦に負けまいと、佳乃は無理して高価なブランド品を買い続けていたのだった。


 消費者金融は無制限にカネを貸してくれるわけではない。

 やがて、限度額に到達した。


 ある日、佳乃が処分し忘れた督促状を俺は見つけてしまう。

 問い詰めると、佳乃は全部白状したのだった。


 佳乃は実家に相談した。

 佳乃の父は既に他界している。

 そこで、佳乃の母は持っていた資産を売却し、借金を立て替えてくれた。

 これで解決したかに思えたが……


 借金返済が終わった頃に、佳乃の母が倒れた。

 心労が原因だろう。


 そして、あっという間に亡くなってしまったのだった。


 佳乃は、自分が不甲斐ないから母が死んでしまったのだと思い、落ち込んだ。

 それはある意味、当たっているとも思えた。


 葬儀には、俺の両親も参列した。

 そこで、俺の母はこんなことを言ってしまう。


「私も嫁に殺されてしまうのかしら」


 俺の母は遠い地に住んでいて、年に数回しか会っていない。

 しかし、いずれは同居する時が来るかもしれない。

 嫁姑問題の深刻化は必須だった。


 いや、俺の母のことはいい。

 まだ同居していないのだから。


 それよりも、俺自身が佳乃のことを許せなかった。

 息子の教育資金にと思って積み立てていたお金も、すべて佳乃に使い込まれていたからだ。

 こんな妻に、大事な息子を育てられるのだろうか。


 俺は佳乃に離婚を要求した。


 佳乃は離婚を拒否していた。

 もう一度やり直したいと言ってきた。


 しかし、俺は許せなかった。

 俺の頑なな態度が伝わったのか、ある日、佳乃はどこかに行ってしまった。


* * *


 食卓の上には、押印済みの離婚届が置かれていた。


 俺と息子の和哉かずやは、佳乃の帰りを1ヶ月待ってみた。

 しかし、佳乃からは何の連絡もなかった。

 失踪したのだった。

 佳乃は、和哉も捨てたということだ。


 俺は離婚届を提出し、バツイチになった。


 父子家庭としての日々は大変だった。


 和哉は小学校に入学した。

 仕事をしながらの子育てはきつかった。

 児童会館に預けていた息子を引き取る時刻になると、俺は職場から抜けさせてもらい、迎えに行く。

 その後、和哉を預ける場所がないので、自分の会社に連れて行く。


 空いている応接セットに和哉を座らせて、読書やお絵描きをさせて時間を潰させた。


 会社に理解があって助かった。

 しかし、和哉は一人で時間を潰しているだけ。

 構ってあげることができないのが、父としてもどかしかった。


 離婚して思ったことは、妻のありがたみだ。

 今にして思えば、佳乃の家事は完璧だったのだ。

 やってくれて当たり前のように感じていたが、いざ自分が家事をする番になると、佳乃がいかに優秀だったのかが、今頃になって理解できた。


 俺と和哉の生活では、食事は毎食コンビニやスーパーのお弁当ばかり。

 洗濯をし忘れて着る服がなかったり、トイレや洗面台がどんどん汚れていったり……


 生活は荒れていった。


 息子の学校のことも負担が大きかった。


 連絡帳で、「持ち物に名前を書いてください」と担任から連絡があったので、いったい何に名前を書くのかと思ったら……

 学校に持っていく物、すべてだった。


 なので、算数ブロックやおはじきのケースに名前を書いてあげた。

 しかし、翌日に戻されてしまう。


「1つ1つに名前を書いてください」


とのこと。


 え?

 おはじきやブロックの1つ1つ?

 いったい何十個あると思っているんだ。

 しかも、おはじきやブロックはとても小さい。


 極細の油性ペンで書くのが速いのか、超小型の名前シールを印刷して貼る方が速いのか。

 どちらにせよ、名前書きはかなりの手間がかかった。


 和哉からは毎日のように、


「これ、名前ないからおうちの人に書いてもらって、って先生に言われた」


と、いろんなものを出された。

 他にも、宿題の丸付けをしてください……音読を聞いてカードにサインをしてください……


 もう、学校のことは学校でなんとかしてくれよ! とも思ったが、そうもいかない。


 妻に離婚を要求し、自ら父子家庭になったのだ。

 愚痴を言っても始まらない。

 やるしかないのだが……


 図工や算数で、たくさんの空き箱が必要なので持たせてください。

 そんなことがお便りに書いてあった気がするが、なんとかなるだろうとあまり気にしていなかった。

 いざ、持っていく日になると、数個しかないことに気がついた。

 前からコツコツ取っておけばよかった……


 学校から帰ってきた和哉が言うには、お友達はたくさん箱を持ってきていたとのこと。

 なんだか申し訳ない……


 俺は父親、失格なのだろうか。

 息子にはやはり、母親が必要なのだろうか。


 再婚も考えたが、毎日仕事が忙しく、婚活する暇があるのなら和哉や家事のために時間を使いたい。

 それに、仮に相手ができても、和哉と仲良くやれるかどうかの保証もない。


 考えた挙げ句、家事代行サービス、いわゆる家政婦を雇うことにした。

 家政婦なら、金銭による契約関係なので気が楽だ。

 息子との相性が悪ければ交代もできる。



 さっそく、家政婦の派遣会社に申し込んでみた。

 家政婦への要望を次のように出してみた。


 息子が学校から帰る時間に家に来てもらい、前から行きたがっていた習い事への送迎をしてもらう。

 掃除、洗濯、そして夕食の用意や食器洗い。

 俺は毎日帰りが遅いので、和哉と一緒に夕食を食べていてもらう(俺の分は夜食程度に残しておいてもらえればいい)。

 あと、和哉の宿題も見てもらう。

 俺が帰宅したら、家政婦には帰ってもらう。


 こういう条件を出して、家政婦を探してもらった。


 しばらくすると、派遣会社の方から連絡があった。

 引き受けてくれる家政婦さんが決まったとのことで、お試しで数日間、来てもらうことになった。


「はじめまして。家政婦の丸山まるやまです。条件はうかがっております。よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします。ほら、和哉、家政婦さんにご挨拶しなさい」


「こんばんは。ねえ、パパ、この人が新しいママになるの?」


 俺と丸山さんは、思わず顔を見合わせてしまう。


「ちがうよ。家政婦さんだよ。おうちのお仕事をいろいろやってくれるんだ」


「ふ~ん」


 家政婦は一般的には子育てを終えた主婦が登録していることが多いので、年上の人が来るのかと思っていたのだが、意外にも俺と歳が近そうな若い家政婦がやってきた。

 年齢や家庭事情を聞いたら失礼に当たるかもしれないので、あまり立ち入った質問はできないのだが。


 何はともあれ、こうして家政婦がいる暮らしが始まった。


* * *


 和哉は学校が終わると、児童会館ではなく、家に直帰した。

 憧れのサッカー教室にも入れた。

 宿題も見てもらえて嬉しそうだった。


 以前は学用品に名前がないとか、図工の材料が足りないとか、そんな指摘を学校からされることも多かったが、家政婦が来てからは、学校からのお便りをちゃんと読んでくれているようで、持ち物の準備も万全だった。


 和哉とうまくやっていけるのか、それが最大の関心事だったが、丸山さんは和哉といい関係を築けている。

 それが何より嬉しかった。

 和哉は、寝るときもずっと一緒にいてほしいなんて言って、丸山さんを困らせているくらいだ。


 こんなにうまくいくのなら、家政婦、もっと早くに雇っておけばよかった。


* * *


 家政婦が来て喜んだのは、和哉だけではない。

 仕事を終えて帰宅すると、家には和哉と丸山さんが待ってくれている。

 疲れていても、帰宅すれば丸山さんに会えると思うと、なんだか元気が出てきた。


 俺が帰宅すると、丸山さんは最低限の引き継ぎ事項を俺に話し、すぐに家を出る。

 変なことが起きないよう、契約を遵守するように会社から言われているに違いない。

 それはそれでよい。

 そういう契約なのだから。


 掃除された部屋。

 畳まれた洗濯物。

 ベッドのシーツもピンと張られている。


 俺も和哉も、丸山さんのおかげで毎日を快適に過ごすことができた。


* * *


 そんな生活が続いていた。

 俺が丸山さんと会うのは、一日の中でのわずかな時間に過ぎない。


 丸山さんは恥ずかしがり屋なのか、引き継ぎの時でも必要以上の会話をしない。

 俺はもっと、丸山さんと世間話をしたいと思ってしまうのだが、丸山さんはすぐに帰ってしまう。

 まぁ、家政婦なのでそういうものだろう。


 一方、息子の和哉とは、かなりおしゃべりをしてくれているようだった。

 和哉は話し相手がいてとても嬉しそうだ。


 俺は和哉に聞く。


「今日はどうだったか?」


「うん。ママがね、おもしろいこと言ったの!」


 ママ?


 和哉は家政婦のことをママと呼んでいるのか?

 それはいかん。


「ママなんて言うんじゃない。丸山さんと言いなさい!」


 和哉はしょんぼりしてしまう。


 大人の事情で和哉には母のいない生活をさせてしまっている。

 その罪悪感が、俺にのしかかってくる。



 丸山さんか……


 息子の面倒もよく見てくれて、料理も洗濯も掃除も、とても上手。

 渡してあるお金も計画的に使ってくれている。

 丸山さんが俺の妻になってくれたら……


 俺はいつの間にか、丸山さんのことを好きになっていた。


 いや。いかんいかん。

 家事は俺に対して好意でしてくれているのではない。

 契約でしてくれているんだ。


 俺は恋心を打ち消そうと試みた。

 しかし、それは逆効果だった。

 ますます、丸山さんへの思いを募らせてしまうこととなった。


 感情を隠すことができていると思っていても、何かしらの態度で相手に伝わってしまっているのだろう。

 丸山さんは、俺の好意に気づいているような気がする。

 考えすぎだろうか……

 でも……


* * *


 さらに月日が流れた。


 俺の心は決まった。

 今日、丸山さんに告白する。


 こんなことをすれば契約違反となるだろう。

 家政婦が交代することになったら、俺は諦めがついても、和哉は……

 そう考えると、やはり思いとどまった方がよいのかもしれない。


 しかし……


 このままの状態でいることに耐えることは、もはやできそうにもなかった。


 仕事を終えて帰ろうとする丸山さんに、俺は言う。


「あ、あの……、この後、お話があるのですが……」


 丸山さんは、俺が何を言おうとしているのか、分かっているようだった。


 和哉にはしばらく一人で留守番するように言い、俺は丸山さんと共に、近所のファミレスに向かう。

 人目のあるところの方が、丸山さんも安心するだろう。


 丸山さんは、元から無口な方だが、今夜はさらに無口だった。


 レストランで向かい合って座る。


「俺が何の話をするのか、だいたい想像はついている?」


「えぇ……」


「じゃあ、単刀直入に言わせてもらう」


「……はい……」


「尻尾が見えているよ」


「は?」


「うまく化けたつもりだったんだろ? 俺もはじめは全然気が付かなかったからな」


「尻尾って、何ですか?」


「まだとぼけるのか」


 俺の言葉に、丸山さんは息を呑んだ。


「おまえなんだろ。佳乃よしの


 丸山さん、いや、俺の元妻、佳乃は目を見開いた。


「整形にいくらかけたんだか。まったく……金遣いの荒さは変わってないな。声まで変えるなんてよっぽどだな」


「え、いや、その……声は、喉の病気で声帯を手術したら、声の高さが変わっちゃって……」


「じゃあ、顔はなぜ整形した?」


「……それは……新しい自分になりたくて……手術で声が変わったのをきっかけに、顔も変えて、得意の家事を生かして新しい人生を送ってみようと思ったの……そしたら、あなたからの派遣依頼があることに気づいて、名前は社長さんに事情を話して、偽名にして派遣してもらったの……」


「ふ~ん、なるほど。で、どうして、わざわざ俺の家を選んだ?」


「だって…………」



 佳乃はうつむき、ハンカチで涙をぬぐった。

 それから顔を上げ、俺を見据えると、こう言った。



「私は和哉のだから」



 その言葉に、力強さを感じた。

 もう、昔の浪費癖のある佳乃ではない気がした。



「和哉は、おまえのこと、かなり早い段階で気づいていたみたいだったな」


 佳乃は微笑む。


「あら、お父さんにはナイショ、って言っておいたのに」


「ふふ。和哉はおまえのことを話す時、思わずママって言ってしまったことがあったぞ」


「そうだったのね」


 お互いに笑い合った。



「では、俺の本心を聞いてくれ」


 俺が姿勢を正すと、佳乃も真剣な面持ちで俺の目を見つめた。


「佳乃。俺たち、もう一度やり直さないか」


「……はい……こんな私でよければ……」



 俺と佳乃と和哉。

 これからも三人で、お互いに支え合って生きていけるに違いない。



「佳乃のカレーライスは世界一おいしいよ。掃除や洗濯、ここまで完璧にできる妻は、他にはいないだろうな」


「ふふふ。あなたから褒められると、やっぱり嬉しい!!」




< 了 >


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