家族
その日、セレスはこっそりと使用人寮を抜け出した。
「……どうして、この事が」
彼女の手には自身のプライベート用の端末があった。
連絡先なんて自身の家族やプライベートでの付き合いがある友人程度しか知らないのにも関わらず、その端末は通知を伝えた。
そして、連絡を送ってきたのは家族ではなかった。
知らない人間からの、自身の雇用主にすら伝えていない秘密と時間、場所の指定が書かれたメッセージ。
それを見たセレスはメルにはトイレに行ってくるとだけ告げて使用人寮を抜け出し、その場所へと向かったのだった。
向かった先でセレスを待っていたのは、知らない男だった。
――いや、違う。決闘場で少し見た。
彼は、ホーキンス家の。
「セレス・ブランシュだな?」
「……そうだけど」
相手からの言葉には不愛想に言葉を返す。
そして、懐に手を忍ばせ、拳銃を握る。
何かあれば、撃つ。殺したって何か適当に相手の罪をでっち上げれば問題ない。
「貴様、自身の雇用主であるビアード家にも言っていない秘密があるようだな?」
「……それがどうしたの? 何かしようものなら」
「おっと、怖い事を言うな。こちらはただ交渉に来ただけだ」
「交渉……?」
「そうだ」
拳銃を握る手に力が入る。
何を言ったとしても、絶対にこっちに不利益が来るはずだ。
だから、ここで――
「お前が――――」
そして、その言葉を聞いて。
セレスの拳銃を握る手の力が、抜けた。
「…………信じられない」
「それほどまでに彼は怒りを覚えている、ということだ。それに、この程度ホーキンス家からしてみれば少しの負担にもなりやしない」
「信じられるか! お前らに従うくらいなら、お前をここで殺して!」
「だが、今の生活を続けていれば、いずれ……」
「ッ……!!」
「こちらに付く方が可能性はあると思わないか?」
罠であることは分かっている。
あのクズが、そんな都合よく約束を守るなんて。
でも。
もしも、守ってくれるのなら。
「…………アタシ、は」
悪魔にだって、魂を。
****
翌日からというもの、カタリナは教室でよく絡まれるようになった。
と、言うのも、だ。
あのウェイドに真正面から喧嘩を売った事。そして、決闘を申し出て、完膚なきまでにホーキンスを叩きのめしたこと。
どうやら女子生徒だけではなく男子生徒からもウェイドはかなり目障りに見えていたらしく、そのホーキンスが反則をしたうえで手も足も出ずにボコボコにされたという事実は相当スカッとしたらしい。
そんな事実を広められたウェイドはと言うと、なんとあの決闘の直後、学院長室に呼び出されて停学となっていた。
彼は決闘を汚したこと。そして、自ら人を殺めようとしたこと。中立の審判を脅迫したこと。
あの決闘における様々な事を理由に彼は一年間の停学を申し付けられ、その日にはホーキンス領に強制送還されていた。
勿論彼は権力を盾に抵抗しようとしたらしいが、そんな物は通用しなかった。
終いには暴れようとした結果、念の為にと控えていた警備員に取り押さえられ、強制連行されたのだという。
次に彼がここにくるのは一年後。後輩たちが入学してきてから、後輩たちと一緒の教室で授業を受けることとなる。
しかも、留年の原因が既に貴族社会に広まっている状態で、だ。
それほどまでに、決闘という制度を汚した罪は重かった。
退学にならなかっただけ温情というレベルだ。
もっとも、彼の実家がこの件を受け止め彼に対してどのような事をするのかは分からないが。
もしかしたらほとほと愛想も尽きて家から勘当されるかもしれない。
だが、そこはもうレイト達には関係のない事だ。
「へぇ、そんな事があったんですね。まぁ、いいんじゃないですか? あのいけ好かないクズが学校に来なくなったのなら」
「そうですね。それに、この一件はホーキンス家の当主にも伝わったはずです。彼ももう家の威光を翳して好き勝手にはできないでしょう」
その事をレイト達もカタリナ自身から聞いてスカッとした気分になっていた。
侯爵家という権力を振りかざして好き勝手やろうとしていたバチが当たったのだ。
幸いにも、彼の毒牙にかかった女子生徒はまだいなかった。あの一件が、無理矢理にでも女子生徒を手籠めにしようとした最初の一件だったらしい。
本当にホッとした。
声をかけられた女子生徒は彼の手で恐怖は感じてしまっただろうが、今頃はそれ以上にスカッと爽やかな気分になった筈だ。
なっていて、ほしい。
それぐらいには、彼の事をボッコボコにしたつもりだ。
「それよりも、あなたの機体……ホワイトビルスターでしたか? アレをオーバーホールするから、と整備に出していましたが、大丈夫なのですか? この間に決闘が起これば……」
「大丈夫ですよ。メカニックさん達には予備の機体としてブレイクイーグルを借りましたから。それに、僕は機体が違うから、なんて理由で負けませんよ」
どうやら、メカニック達はかなり仕事が早いらしい。
もしかしたらこの王都にティファがもう到着しているのかもしれないが……
とにかく、彼女ならこちらの想像を超える仕事をしてくれると信じている。
「まぁ、ともかくですよ。これで今年の新入生の中で圧倒的な問題児はいなくなった。カタリナお嬢様も同級生の方に囲まれて、お友達もできるかもしれない。僕の仕事も、これで終了ですかね」
「あっ、そっか。レイトってランドマンさんが来るまでの代理だから……」
「あと2か月後、お嬢様が一旦帰省するタイミングでランドマンさんとバトンタッチです」
ランドマンもこの時代においては最強の一角だ。
サラという才能の原石には負けるが、それでもこの学院に居るどの護衛よりも強い事は間違いない。
それに、ランドマンにはネームバリューもある。
彼が居れば決闘を挑まれるなんて事も早々ないだろう。
そうなれば、カタリナのこの学院での生活は安泰だ。
「……そっか、寂しくなるね」
セレスはレイトから視線を逸らしながらそう呟いた。
メルもそうですね、と頷く。
そこまで言われるんなら十分に仕事ができたかな、とレイトは少し満たされた気分になる。が、やはり少し寂しくなる。
ここまで仲が良くなるなんて思ってもいなかったから。
「……そ、それじゃあアタシ、お嬢様の部屋を整えてくるから」
「セレス、私も」
「いいよいいよ、偶にはメルも休みが必要だし!」
セレスはそう言うと、一人で走って行ってしまった。
それを見送り、レイトとメルは視線を合わせた。
「……なんかセレスさん、ちょっと様子が変でしたね?」
「……心当たりがない、と言えば噓にはなりますが」
「何か知っているんですか?」
「えぇ。セレスは隠しているつもりですが……端的に言うと、彼女のご両親。いえ、母君の事です」
それを聞き、レイトは続けてくれ、と続きを促す。
「セレスの母君は、セレスが産まれてからとある難病を患っているそうです。その治療には膨大な治療費が必要で、延命治療をするだけでもかなりの金額が必要だそうです」
「それは……ナノマシンとかでどうにかならないんですか?」
「その根幹治療に使うナノマシンの用意にそれだけの金額がかかる、という事です。今は何とか延命治療で命を繋いでいますが……それもあまり長くないかもしれないらしいのです」
「そう、ですか……」
「セレスはそれを隠して明るく振舞っていますが、休みの日はいつも母君の元へと向かっているみたいです。彼女の父君も働いて治療費を稼いでいるみたいですが……こればかりはビアード家が手出しをできる問題でもありませんから。一応、延命治療に必要な設備やナノマシンは優先的に回すように、と少しビアード家の方で圧をかけてはいますが、その程度ですね」
もちろん、そんな些細な手助けも、セレスは気付いていないが。
セレスが雇われた際、怪しい者を雇うわけにはいかないと彼女の身辺調査は最優先で行われ、メルもそれに参加した。
その結果、セレスの家族のことが判明し、セレスは母の為に実入りのいい今の仕事に就いたのだ。
「もしかしたら、昨日、彼女の母君の病床が悪化したという連絡でもあったのかもしれませんね。昨日、セレスは思いつめた表情で部屋を出ていきましたから」
「……セレスさんを一旦帰すことって」
「できません。彼女もそれを承知の上でここに来ているのです。身内に何かあった際も、帰れるのはお嬢様の帰省のタイミングのみになってしまう、という事を」
彼女はそれに承知した。
少しでも実入りがいい仕事をしたいから。
そこに口を挟むのは、得策ではない。
だが、やはりレイトは気にかかる。
本当にそれだけか? 本当にそれだけがセレスの表情が曇った原因なのか?
あの表情は家族の事を心配するような表情には見えなかった。
「……メルさん。セレスさん、本当に大丈夫でしょうか?」
「…………何とも言えないですね。こればかりは」
どうやらそう感じていたのはレイトだけではなかったらしい。
メルはレイトの言葉に頷くが、打てる手は無く、歯噛みするだけ。
「……とりあえず、何があってもいいように備えてはおきましょう。僕も、そのために動いていますから」
「そうですね……私も、最悪を想定して動きましょう。可能な限り、私達の今後がいい方向へと向かうように」
「はい。僕達も、そして、セレスさんも」
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