第3話 ジェニー・カローナ狂気へと沈む


 ハボックの手によって命を落した、連続殺人犯ジェニー・カローナ

彼女も始めから殺人者であったわけではない、ジェニー・カローナについて語るにあたって、彼女を突き動かす衝動の種火となった"運命的な事故"について遡らなければならない


 それがなければ、彼女はただ、感情の起伏が少ないどこにでもいる寡黙な女性であったのだ。



 淡々と日々をやり過ごし、沈黙の中で苦しみ続け、その苦しみを内包しながらもそれを育んでいたがゆえに、その事故が彼女の抱え続けていた闇を開花させるに至ったのである。


 あの日、感情を表に出すことをしないジェニー・カローナを良い獲物だと狙う者がいたのだ。虎視眈々とその機会を窺い、遂にそれを実行に移す……

ジェニーがいつものように家に帰る道すがら、それは突然起きた。

建物の陰からいきなり腕が伸び、彼女は暗がりへと引っ張られ、口元を抑えられ、身動きを封じられながら、直ぐ側の空き家へと連れていかれた。

その間彼女は抵抗らしい抵抗もせず、いつものようにただ、その光景を見ていただけ、彼女にとってわが身に起きることも、彼女の眼に映るものも全て彼女にとってはただの景色でしかない

 だから、見ていた、その男が一体、人形以下の私に何をしようとゆうのだろう?


 男は最初こそジェニーの動きや声を封じるために抑えつけていた腕を次第に緩めていった。

想像以上にジェニーが抵抗を見せなかったため、、それを了承ととり彼女を抑えていた腕を放し、そして、その行為に専念する。

 野犬を連想させる動きで男はジェニーの衣服を剥ぎ取り、舌舐めずりして貪る様に露になったジェニーの乳房へと食らいつく、

そんな不快な筈のそれすらも、ジェニーにとって取るに足らないどうでもいいことだった。

それどころか、彼女は不思議に思う、男が自分自身の何処に欲情しているのか?

(いつまでこの男は私に興味を持ったままでいるのかしら?…まぁ、別にどうだっていい、興味を持っていても、いなくても、私には関係ない。)


 ジェニーの思考は何時だって真っ暗な泥の中に沈んでいて、たまに思考が現実を繋げたとしてもそれは一瞬の出来事でしかなく、一瞬なんてジェニーの認識すら危ういものである。

 ジェニーの身体に舌を這わせる男の手は次第にジェニーの太股から尻を撫で付けていく

その間、ジェニーの体は男に押し潰されんばかりに密着して、押し付けられるようにあてがわれた男のそれは、もうすでに勃起しており

先走りで溢れた精によってジェニーと男の間で卑猥な音をたてる。


 遂に、男は目的であった行為に到達する。

彼自身が彼女の中に浸入していった。


「―ッ!?あっあああ―−ッ!!」


 彼女の中に何かが入ってくる、その圧迫感からなのか、それとも、何の予告も準備もなしにいれられた予想だにしない痛みのためか、彼女、ジェニーは初めて泣き叫ぶ

そんな彼女は先ず、自分自身に混乱していた。

(!?、っ!?!?!?、何これ!?何これ!?分からない!分からない!!)


 ジェニーは自分自身の初めての感情に混乱し、理解できず更には混乱した自分自身にさえどうしようもない程の不安をそれは目の前の男に対しても同じく得体の知れない感情を感じ…

不安と恐怖で彼女の頭の中は逃げ出すことしか頭になかった。彼女はこの状況から逃れようと必死に腰を引こうとする。それは無情にも引き戻され、ジェニーは辺りを見渡そうと身体を弓なりにし、暗闇の中を震える手を延ばし視界の端に映った黒い影を掴み、それを渾身の力で男めがけて叩きつけた。

暗闇の中で、男が低く唸り声を上げジェニーの上に崩れ落ちる。彼女の恐怖とゆう名の衝動は止まらず好機とばかりに2回、3回と叩きつけた、すると彼の体は痙攣をおこし始め、思考が混乱しているジェニーはガタガタと痙攣する男がジェニーにとって一段と不気味であり、それをとめるために彼女は更に男の上に移り男の首を締めつけ、自身の体重を全て掛け手に力を込め続ける。


「ハァッ、ハァッ、―ッ―ッ」

(まだっ?まだっ!?止まって!とまってよっ早く!!)

『――ゴポッ、ガゴッ――』


 泡を吹き始めた男はジェニーの手によって終に命尽き果てた。



 暗闇のなかで異変が止まり彼女の息遣いだけが聞こえる。暫く茫然と、男の首を抑えたままの体制で彼女の頭は目の前で起きた景色を何度も何べんも繰り返し繰り返し、色濃く刻まれたその景色に彼女は衝撃を覚えた。ジェニーの頭に張り付いて離れなかった景色、それは、男の死の瞬間だった。

男の苦しみ悶える姿が彼女を惹き付けて止まない

彼の首を締めている間、ジェニーは確かに恐怖を感じ、それを消し去るために動いた筈だったが、意識の外ではその苦悶の表情に見いられていたのだ、そして、彼女の中にある彼が死の間際に襲われた痙攣が“死の徴候”更には狂おしいばかりの生の煌めきを彼女は感じ取ったのである。

彼女は見いられた神秘の余韻を本当に我が身に起きた事なのか?と、考えて仕舞うほど鮮明に色付いていた。

 彼女はやはり先程までの彩られた出来事は勘違いだったのだろうと、のっそりと立ち上がる。だが、“ズルリ”という音とともに彼女から離れたのは

すっかり萎えた肉であった。


 ジェニーは視界に入ったそれを凝視し、あの瞬間は夢ではなかった事を知り……

 今までの一生の中で考えられない位笑った

心から、そう、心から彼女は初めて笑ったのだ。

心底愉しくて、愉快な心持ちだった。生まれて始めての安らぎを味わい

ひとしきり笑い終えると、死に絶えた彼に始めて特別な感情を感じ、これまた始めて感謝を込め包容を

体温を失いつつある彼の肉体を抱きしめた。頭部から流れた血も少し剥がれた頭皮から覗く頭蓋骨も気になりはしなかった、更に好奇心によって彼の肉体を触り撫で回す。

彼が生きていた時とは違い、何の反応も示さない、まるで人の形を呈したウォーターベッドかなにかの様な、自分とはまるで違うそれがどうしようもなく面白かった。

指先の伝う肉の感触は彼の死を色濃くし、彼女の記憶の彼の生が鮮明になっていく、鮮明になった世界で、辺りに漂う血と、男の吹き出した泡、胃酸や唾液を孕んだ鼻につく臭い、更に男が最後に発散した雄の臭いと相まって、醜悪な筈のそれはまるで違う、鮮やかな色の様に感じられた。


 こうして彼女はあの瞬間を現実のものとし……

彼女の思考はまたいつも通りの闇にのまれ、感情を面に出す事なく我が家に帰宅する。誰一人として、彼女に何かしらの変化があったことなどついぞ思いはしないであろう、だが、ほんの少し、いつも何も見ていなかった瞳が、此処ではない何かを見ていた。

 彼女、ジェニー・カローナは死に否、死と生に見いられたのだ。死と生を同時に感じる事でジェニーは今まで感じた事のない感情の濁流に呑み込まれ、獲り憑かれ、心酔した。


 数ヶ月の間ジェニーはあの出来事を

神が起こしたもうた奇跡として、彼女の人生に於いて重要かつ大切なものとして彼女の生きていく糧となっていた。

だが、何度も浮上する意識の中で次第に彼女はその奇跡をもう一度と、渇望するようになる。

(…あぁ、あの奇跡が欲しい……でもダメだ、あんなこと…殺したとしてもまたあのときのような気持ちを手に入れられるとは限らないじゃない………あぁ、でも………)


(…どうして、今までの私はどうやって、生きていたというの?偽り、嘘や、欺瞞ばかりの世の中…全てに目を瞑っていた?……)


(…ああ、でも、死は、生は、全て疑うことなき真実っ、それこそが偽り無い生き物の本質だ、死の瞬間にこそ、人間の醜さと生に対する力強い輝きが……そこに、そこに、宿る。なんていうことだろう…なんてことだろう・・うつくしい…)


 ジェニーは自らの良心との葛藤で天秤は揺れ動く、感情を知る前の彼女ならこんな事で躊躇も興味もない筈で。それが崩れ彼女は死と生によって早期した目映いばかりの感情を生きる輝きを感じたい、そう、考えるだけで彼女の感情は高鳴りそれを求めずにはいられないのだ。

そうして終に彼女は自らの意志で人を殺し…確信を得る。


(ああっ、やっぱりだ!私は感情を感じられる…私も人間だっ……でも、こんな事をしなければ私は人間らしくなれない……それでも私は何にもない世界に取り残されたまま、生きては居たくない…せっかく手にいれた、皆と同じ感情を……)


 彼女自身にとって、死と生は無くては生(な)らないもの

人が呼吸しなければ生きられないように、彼女は人を殺す事によってのみ、


  “ ジェニー・カローナ”

  と、いう、一個の人間に生れるのだ、ということ。


 ジェニーは自ら人を殺めてから少しずつ殺しの間隔を狭めていく

それは麻薬のように殺めれば殺める程もう一度、もう一度と、殺さなければジェニーは不安で自分自身を保つことが出来なかった。

一時感情を手にし、またそれは離れていく、感情の起伏を繰り返していくうちに感情が乏しい間が無性に恐ろしく何度となく生と死を手にしまるで、一瞬の白昼夢を視るために生きているのか

そうやって自身と死が馴染み始めた矢先だったのだ。


 ジェニー・カローナが、刑事であるハボックに会ったのは……。

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