ハボック刑事

フジノハラ

第1話 ハボック刑事の手に余る事件


 時は20世紀半ば、街の人々を震撼せしめる猟奇的殺人事件が多く存在するこの場所で一つの事件を紹介しよう。


 刑事のハボック・テイラーが彼女を見たのは五人目の遺体が発見され連続殺人事件として捜査を開始していた時の事だ。

彼女は被害者と深い関係ではないものの共通の知人であったため、事情聴取を行っていた中の一人だった、彼女の最初の印象は虫も殺せない様な物静でおとなしい雰囲気の無機質な女性だった。


 だが、何か、不思議な影のある女だ。



 そして、調査の末、彼女に辿り着いてしまった……

彼女、ジェニー・カローナは人付き合いに感心を持たない浮いた人間で、周りの人々は彼女についての印象をおとなしいとか人畜無害だとかそんな評価が大半で、捜査の対象にはならないような人物像だったのだが、被害者が増えるにつれて彼女との共通点は稀薄になるものの、消える事がなかった……

念のため彼女の警護も兼ねて張り込みをしていた、レックスが車で待機し、ハボックがジェニーの後をつける。

そんな具合に警護にあたっていた時に彼女の不可解な行動を目にする。



 彼女は一人、夜の街を歩き回り知人でも見つけたのか声をかけ人気の無い場所へと誘い込むのであった。

ハボックとレックスは互いに顔を見合せた、いくら彼女の交友関係が希薄でも知人が何人も被害に合っているのにわざわざ外出するものか?

そして男を誘い込むなんて彼女の人物像にはあまりにも合わない……

これは怪しいと踏んだ二人はハボックがジェニーの後を追い様子を窺う、レックスが車で待機し、万一に備えハボックが戻って来ない場合い応援を呼び現場へ向かう手筈になっている。


 ハボックはジェニーを追って向かった先は人気の無い静まりかえった路地裏、街頭の届かない場所だった。ハボックは手に持っていたライトで辺りを照らす。


「おいっそこで何をしている!?」


 ライトに照らし出されたのは、返り血を浴びた彼女、ジェニー・カローナとその後にはたった今、殺されたであろう男が喉を裂かれ今もなお溢れ出る血の海に横たわっていた。

外にも外傷あるようだが致命傷は喉の傷で間違いないだろう、ハボックは刑事ではあるがまだ警察官になってまもないそのため犯行現場の生々しさに顔色を変えジェニーを見つめる表情は険しいものとなっていたことだろう。

だが、対するジェニー彼女はこの場所に居る誰よりも生き生きとしているのだ。彼女はまるで別人の様に、無機質であった表情が柔和になり、顔を綻ばせ顔色は紅潮とし、その瞳は此処ではないどこかを映しながらも不思議な魅力を感じさせる光を宿していた。


「何故、こんな……」


 ハボックは彼女が犯人だという確信までは持っていなかったそして、それに足る理由も見つける事が出来なかった……この場にいても尚、彼女が犯人である事を受け入れられないでいた。

刑事としての勘を否定して来たが…

これはもう、否定も弁解の余地もなく事実なのだ。



「聞いてくれるの?刑事さん、私ね人を殺す時にだけ、ちゃんと自分が人間なんだってかんじるのよ」


 そう言って小さく笑うジェニーはハボックの言葉を履き違え、うっとりとしながら話し始める。


「私、ずっと、ずう~っと自分は人間じゃないんじゃないか?自分には感情が無いんじゃないかってそう思っていたの。だから本を読んだわ、沢山、感情をね、知りたくて……

本を読んでいる間私は感情を理解して少しだけ感じることもできた…

でも、人との関わりでは全く、なにも感じなかったの」


 ジェニーは話しながらコロコロと表情を変え、無邪気にさえ見える程明るく話していく。


「だが、それは人を殺す理由にはならない」


 静かに、はっきりとハボックはジェニーの言葉を否定する。ハボックは彼女が殺人を犯す核心が何であるのかが知りたかったのだ。彼女の理性が音を立てて崩れ落ちたであろう核心が


「そんなことないわ、初めて私が人を殺したのは事故だったの…だけど、それは 運命的な事故だった…」


 もう一種の寒気さえ感じる空間で、刑事のハボックは顔面蒼白になり、何も語る事のない無惨な死体、そして、恍惚と喋り続ける彼女だけが一人この場所で息をしているようだ。


「人をね、殺すとき始めて 死と生が そこに同居するのよ、私は初めて人を殺した時にその奇跡を見て……もう…どれだけ救われた事か……」


「あぁ、私はちゃんと生きている、生きていたんだって…私にも感情はあった…て」



 そして彼女はおもむろに先程殺したであろう死体に近づき恭しく死体を滑るようになでていく

腕から肘へ肘から肩へ肩から首へ更に首のパックリと裂けている傷口を撫でまだ乾いていない血がドロリと、その手にまとわりつき、そのまま頬へと手を伸ばしていく。


「私がね、人を殺すとき皆死への恐怖を感じているの、でもまだ生きているの、死へと 向かおうとしているの、その時がいいの、そのときが 一番……生も、死もそこにあるのよ、すごい事だと思うでしょう?」

「……君は、キリスト教徒だろう?地獄が怖くはないのか?」


 ハボックが苦心してだすことのできた言葉は皮肉にも自分自身信じていない神にすがることだった。

ジェニーは敬虔なキリスト信者として知られていた事もあったからだ。


「神を信じてるんだろう?ジェニー?」

「ええ、信じているわ、きっと私は死んだら煉獄に、そして地獄へ落ちるでしょ?そうしたら私は今、この瞬間より生きてるって実感を得る事ができるのよ、何千、何万と死を体験して……だから…私は神様を信じてるの…」

「こんな何も無い世界で、生きる術を教えてくれた神様を」


 そう言ってまるで今触れている死体が神だとでもいうようにその死体の頬に口づけを落とすと、いと惜し気に死体を見つめてからハボックへと向き直る。


「私はもう人を殺さないと生きてはいけない……だからね、私が生きている間は殺し続けるのよ…そうしなければ、私はひとりきり、あの、瞬間だけが総ての認識が合一するの」

「じゃぁ…俺がここであんたを殺してやるよ……」


 ハボックは持っていた拳銃をジェニーに向け狙いを定める。


(もう、彼女を止められないのか?)

「どうだ?今度は、あんたが殺される番だ今まであんたがしてきた事があんた自身に降りかかるんだ、何かいう事はあるか?」

「聞いてやるぞ」


 ジェニーが少しでも犠牲者が味わったであろう苦しみが解るよう尊大にできるだけ不条理に彼女の目の前に死をちらつかせた。


「そうね、刑事さんに捕まったら もう、死ぬのと同じ………」


 ジェニーは少し俯き思案した後、それからハボックへと顔を向けるジェニーの瞳は先程までの恍惚としたどこか遠い所を見る瞳でをなく、

"暗いギラツキを帯"その瞳は新たな獲物を見出した様にもみえる。

その視線を受け思わずたじろぐハボック、汗ばんだ手で拳銃を握りなおす。

肌にまとわりつく脂汗が不快感と奇妙な不安を募らせる。


「ねぇ、刑事さんの方こそどう?今の気持ち、生と死をその手に握って、どう?」


 ジェニーは少しずつハボックへ近づいて行く彼女にもハボックの手に握られている拳銃が見えているはずだがそれを気にせず一歩一歩近づいて来るのだ。


「楽しい?怖い?嬉しい?辛い?」


 嗜虐的な笑みを浮かべながら手を伸ばし、近づいて来る、一歩また一歩と。


「私はね、全部だったの。楽しくも、嬉しくも、辛くもない ただ、怖いだけのこの世界で、私は殺す時だけ感情を手に入れる事が出来たけど…………刑事さんはどうかしら?私を殺したら楽しいのかしら?辛いのかしら?だから刑事さん、決して目を背けないで…………私の生と死を見ていて、私に見せて」



 彼女は心底楽しそうに狂喜に満ちた瞳でハボックを見つめ顔を背けられないようにジェニーの手はハボックの頬を包みベタリと血が頬に付着するのを感じた。右手はハボックの腕から拳銃を撫でスッと身を引いて自ら拳銃の前へと移動し更にハボックの拳銃に添えている手で拳銃を自分の胸の真ん前にその向きを変え、そして、惑わすように、誘うように、囁くように、ゆっくりと低く呟く。


「さぁ、刑事さん 撃って」


 もうハボックは自分の意志で体を動かす事は出来ず拳銃を持っている手に力が入る。

理性はそれを止めているはずだがゆっくりと確実に指へと力が入っていく。


「ハッ………………ッ」


 声を出したくても喉は痛いほど干上がり、辛うじて喉から零れるのは荒い息ばかりで、静けさをより強調し

沈黙も引き金を絞る時間すら長く感じさせ、ハボックを追い詰める。


(ダメだっ、何で俺は動けない?どうしてこの女の言う事を聞いている?)


 思考はグルグルとグルグルと混乱をきたすが、ハボックの意志に反して終いに指は引き金を絞った。

    "パァーーーン"

 甲高い音が辺りに響き渡り、目の前の狂喜は鈍い音を立て、崩れ落ちる。




 狂喜は去り暗闇に一人取り残されたハボックは深い安堵を感じたのだった。

だが、次の瞬間には自分が行ったこと、安堵した事にすら驚愕を覚え、ハボックの中でカチリと乾いた心に響いた様な不思議な愉快さを感じ


「ハハハッはは、ハハハ……………ーーー」


 暗闇の中乾いた笑いだけが、いつまでも響くのだった。




 相棒のレックスがハボックの元に辿り着いたのは、もう全てが終わって仕舞った後。


 暗闇の中、二つの死体の前に立つハボック、銃を持つ腕をだらりと下げ、一人壊れたように笑い続けていた。


「おいっハボック大丈夫か?」


 ハボックはレックスに気づきそちらに向き直るが目の焦点が合っておらず、フラフラとレックスの方へ歩み寄り


「おっ俺はっ人を殺した‼殺しちまった!」

「殺しちまったんだ!」

 顔を真っ青にして、ハボックは眉を潜め、口の端を歪め泣いてしまいそうな、笑っているようなどちらにも見える。レックスはその表情を目にして困惑しながらもハボックに同情の念を抱かずには居れない。


「俺、殺しちまったとき安心しちまったんだよ、変だろ?」


(これは………こいつ狂っちまったんじゃないか?)


 レックスは周りの状況とハボックを見て取り、正当防衛と言えなくもないと判断を下す。


「…………なあ、ハボック、仕方がなかったんだろ?そうだろ?」

「だって相手は連続殺人犯だ、いくら女だろうが、どうしてお前を責められるんだ………な?」


 ハボックに言い聞かせるようにして、同時に自分にも言い聞かせる。


「でもっでも、なぁ………もしかして 俺は、あいつと同じなのか?」


 ハボックは必死だった、レックスにすがるように問いかける、自分自身が否定する事ができない事を否定して欲しくて。



「同じ訳があるか、お前は正しい………………」


    「………正しいよ…………」

(少し道を間違っちまっただけさ…………)


 宵闇の中、他の警察官達がこちらえ向う足音が、騒がしく、どこか遠く別の場所へ続いているようなきがした。








  そうしてこの事件は幕を下ろす。


 ハボック刑事の被疑者殺害の件は正当防衛として処分され、始末書の提出と一か月のカウンセリングを受けることで片が付いた。



 だが、この一件でハボック自身が背負った狂喜は未だ彼の身の内に潜んでいる………………


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