第2話 ハボック刑事と拮抗する理性と狂気
ハボックを狂喜に陥れたあの事件から早くも一週間が経った。
「おい、レックスちょっと来い」
そうレックスを呼ぶのは、所長のブルックナー警部である。
レックスは散らかったデスクを避けながらブルックナーの側まで歩み寄った。
「なんでありましょうか、警部」
「お前から見て、アイツの様子はどうだ?」
言いながら警部は顎で、向こうの廊下まで来ていたハボックを指す。
「私から見てですか……精神的に不安定だとは思いますが、仕事には支障がないと思います。
それに何よりアイツは、この前の事件を忘れる時間が必要だとも思います。」
「………う〜む……そうか」
警部は沈黙の後それだけ言ってその場を後にする。
一人残ったレックスは自分のデスク辺りまで来ていたハボックのもとに向かう。
「ふぅ……さてと、オーイハボック!初のカウンセリングはどうだったよ?」
「どうもこうもあるもんかあんなのの何処がカウンセリングなんだぁ?どうでも良いような事ばかり聞いてきやがって、時間の無駄だっての」
レックスの問いにハボックは悪態をつきながら自分のデスクの椅子にドッシリと座っておもいっきり背もたれに寄りかかり伸びをする。
「ハハッ、良い薬になったんじゃないか?ところで相棒、仕事の話しなんだが良いか?」
「それを早く言えっての、で?今回の山は?」
椅子に寄りかかっていたハボックは椅子ごとレックスに向き直りさっきまでのダラケタ顔が何処か安堵しているようではあるが、先程から目線が合わない……
ハボックは気づいていないようだが事件の後から話す相手の目を見ないようにしている、目線が合うとすぐに視線を逸らすようになったのだ。
「今回は街道での通り魔事件なんだが、今のところ同一と思われる被害者は3名だ、だが判別されていないものもあるだろうから被害はもう少し多いかもしれない………」
「通り魔か…物取りの線は考えられないのか?」
「金品を取られた死体は他にもあったらしいんだが、この3件は金品を盗られた様子がないそうなんだ………で、今回の捜査はチームでやることになった」
「チーム?誰と組む事になったんだ?」
「同じ部署のヘンリーとサマンサ、捜査課のローランドとスチュワート、班長は部長補佐のカトナーで捜査班が組まれたんだ、あとヘンリー達は死体安置所で家族に本人確認と事情聴取、捜査課の2人は事件現場周辺の聴き込みに行ってる。
夕方までには報告に戻らなきゃならないし、俺たちはどうする?」
「そうだな、取り敢えず死体安置所に行って検死官に話を聴いて、ヘンリー達に聴取の具合を聴きに行こう」
ハボックは言いながら立ち上がり目的の場所へ向かう。
死体安置所は警察署から直ぐ側にあるのだが、死体ばかりが集まる場所だからか、何処か薄暗く、辺りの木々は鬱蒼としている。
「ここ来るの俺嫌なんだよな、なんかこう…背筋が寒くなるっていうか」
「そうか?気のせいだろ?建物が冷えてるからそう感じるんだよ」
レックスの言葉をあっさりとハボックが否定する。
(俺はデリケートなんだよっお前と違って)
レックスは内心ハボックに悪態を吐くのであった。
ハボックとレックスは死体安置所で被害者3人の検死を行ったスーザン女史に話を聞く事にした。
「それで、スーザン死体に不審な点は何かなかったか?些細なものでいい、何かあれば言って欲しい」
「そう言われてもねぇ、報告書に全部書いたつもりなんだけど……………」
「俺が聞きたいのは報告書に書く必要が無い位の些細なものなんだ、何かないか?」
「そうゆう事なら無くもないけど、死後の外傷なんて気にする?乞食や追剥だってウロウロしてる街道なのよ」
「それが聞きたいんだ」
「そう?それなら良いけど、少し長くなるわよ、まず、一人目の被害者は死体が街道にあるせいもあって小石による掠り傷―――…………………………………」
スーザンの延々と続くかに思えた外傷内容は事細かすぎて一つ一つ整理するのがやっとの内容ではあったが、ハボックは何か掴んでいるようであった。
「ありがとうスーザン、参考になったよ、被害者の身元引き受け人は何か言っていたか?」
「ん?ああ、そう言えば身に付けていた筈のペンダントは無かったかとか訊かれたくらいかな?」
「どんな物かとかは解るか?」
「エェ~、そんな事まで解んないわよっ興味ないし、確かヘンリー達が被害者家族の聴取してるから、あっちに聞きに行けば?」
「ああ、判ったありがとうスーザン」
二人はヘンリー達の許へ向かおうと部屋を出て廊下を進んでいるとヘンリーとサマンサが丁度部屋から出て被害者家族と別れようとしていたところだった。
ハボックとレックスは少し離れた所から用事が済むのを待つ事にする。
被害者家族と別れたヘンリーとサマンサはハボックとレックスに気づいてこっちに向ってくる。
「ようハボック、今日は遂にカウンセリングの日だったんだろ?どうだった?ママンが恋しくなったんじゃないか?」
「ヘンリー、そうゆう事言わないの、ハボックだって大変だったんだから」
ヘンリーは署内では結構な皮肉屋でその皮肉をサマンサがブレーキをかける、見事に飴と鞭を再現して被疑者を自供にもっていくのだ。
「いやあ、サマンサは優しいなぁ、流石、我が署の紅一点!」
すかさずレックスがサマンサを持ち上げる。下心がみえるようだ。
「サマンサとは今度ゆっくり話がしたいなぁ、どう?今度この一件が落ちついたら一緒に食事でも行かない?」
「え?私あの……」
困惑し返答に詰まるサマンサだが、これはいつものことで、普段は明るく優しいサマンサだがこういったあからさまな誘いになると途端にどぎまぎとするのだ。
「おい、レックスそろそろ諦めたらどうだ?サマンサは押した分だけ退いてるの気付いてんだろ?」
「んっ、だってさぁ相棒、解っていても抑えられない気持ちってのがあるだろう」
「解らなくもないけどなぁ…でも、サマンサは仲間だろ?俺はレックスのせいでサマンサに距離を措かれたくはないんだが…」
「おい、お前らこんな所までサマンサを口説きに来たわけじゃぁないだろ?そんな与太話しにきたんなら俺は先戻るぞ、あと、サマンサの事よろしくな」
言うが早いと踵を返しヘンリーはスタスタと歩き出して行くのを慌てて引き留める。
「待った待ったっヘンリーちょと待って、話し聞かせてくれ」
「俺はお前らみたいに暇じゃないんだよ、さっさと、話して、貰えますか」
ヘンリーの冷笑を湛えた皮肉を交えハボックを見るがハボックは出来るだけ目線が合わないようにヘンリーに用件を伝える。
「あっああ、聞きたいのは――被害者が所持していた筈のペンダントについてなんだ、それを見つけられれば大部犯人に近づけると思う」
「へぇ、何でそう思うんだ?」
「あぁ、今回の件は物取りじゃないって話しだが、犯人は殺害する相手の何かを採っていると考えてる、例えば犯人にとっては戦利品だと考えているとか……そして、所持品一つ程度なら争った形跡がない限り気付かれない、だからそのペンダントを探してみようと思っている」
「仕方ない教えてやるか…………」
「勿体ぶってないで教えてあげればいいのに」
「サマンサよろしくな」
ヘンリーは顎でサマンサを促す。
(絶対っ覚えてなかったな)と、そのやり取りを見ていたハボックとレックスは思った。
「え?私?えっと、被害者の所持していた筈の物は家族の写真を入れたペンダントです。ペンダントの表には聖母を象っていて、裏は十字架が描かれているものです」
「そうか、助かるよサマンサ。取り敢えずこのまま今日は会議室に行くか?ハボック」
「ん~そうだなぁ、報告まで時間もそれほどないしな……そうするか」
「ヘンリーにサマンサもこのまま向かうのか?」
「お前らと一緒にするな、一旦戻って聴取の報告まとめるから暇じゃないんだ」
「そんな事言って…取った聴取は此処にあるから後は書き写すだけじゃない」
ヘンリー達と別れハボックとレックスはいち早く会議室に向かった。
今回の事件には会議室を一室使用していて、その部屋には今のところ被害者と思われている案件の資料など、事件の解決に必要と思われる資料等々が会議室にまとめて広げて置いてあるのだ。
ハボックとレックスはその資料の山から自分達の推察と何か関係のありそうな資料を探して行く。
そして、夕方には今回のチーム全員が集まった 。最後に入室したカトナーが号令をして、それぞれの情報を報告して行く、ヘンリー達の報告内容は、被害者が最後に見かけられた時間と、死亡推定時刻とされる時間の確認などと、先程話をしたペンダントの件に関して触れてくれた。
捜査課のローランドとスチュワートの報告の内容は発見された状況の確認と巡回警察官の状況報告に周辺の浮浪者への聞き込み、犯罪者の有無などだ。
現場周辺は街道であるため、犯罪者も多いが、その場合、物取りが生業の犯罪者が多く、こんな意味の無い犯罪は起こさない、そのため犯罪者の線が消えた。
次に浮浪者の聞き込みは実りが有った。
今回被害者は3人とされていたが、身ぐるみを剥がされていなかった死体が他にもあったようだ。
浮浪者達はその死体から金品を物色しそれらを何店かの骨董品店に売った事が解った。
被害者の所持品全て解るわけではないが、発見されていない被害者はまだいるだろうということ、そして、今回の犯人像を見直すこととなった。
そこで、ハボックとレックスはヘンリー達に話した話しと、探し出した資料を合わせ、更に、スチュワート達の報告のおかげで依り確信を持った状態で報告をする事が出来。 話しは大体まとまり、犯人確定には至らないが、数人に絞り出した。
その数人は、街の骨董品店を構える店主2名。
そして、巡回警察官1名。それぞれ別れ、聴取、聞き込み、張り込み、調査、怪しければ彼らの裏を取る事となり。解散、それぞれの担当する被疑者の張り込みに向かう。
ハボックとレックスは骨董品店の店主、ロニー・クロックの調査に向かう事になった。
警察署を出、車で移動していた。
レックスが運転をしているあいだ、ハボックは暇の為か、走る車から、外の街並みに眼をやる、街を歩く人はかわるがわる見えなくなっては新たな人が姿を現す、女、男、学生や子供、老人、姿形の違う人々をぼんやりと見ながらある詩を思い出すと、口からついてでる。
「(*1)残忍は人間の心
嫉妬は人間の顔
恐怖は人間の崇高な姿態
神秘は人間の衣服
人間の衣服は鍛え上げた鉄
人間の姿態は烈火の鍛冶工場
人間の顔は封印された熔鉱炉
人間の心はむさぼりくらう口
慈愛は人間の心
哀れみは人間の顔
情愛は人間の崇高な姿態
平和は人間の衣服
……か、よくいったもんだよな」
(たとえ服装や姿形が違くとも、良くも悪くも人は人でしかなく、魂も然りなのだろう。)
「おいおい、折角読むんなら、もっと可愛い詩にしてくれよ、隣にいる此方の身に少しはなってくれても良いんだぜ、相棒」
「何言ってんだよ、いい歳の刑事が可愛い詩なんて読んでも逆に怖いだけだろ」
「相棒がそんな詩読んでたら、俺が面白いだろ」
「お前なぁ」
「おっ、そうだじゃぁ、この詩はどうよ?」
そう言ってレックスは詩を詠いだす。
――(*2)虎よ、虎よ、輝き燃える夜の森の中で。
如何なる不滅の手、あるいは眼が汝の恐ろしい均整を作り得たのか。
如何なる遠い深海か大空で汝の眼の火が燃えていたのか、
如何なる翼にのって彼は高く上ろうとしたのか、如何なる手でその火を捉えようとしたのか。
意識して聴いていた訳ではないのだが、ハボックの脳裏に先週のあの事件の出来事が過る。
――そして如何なる肩、如何なる技が汝の心臓の筋肉を捩りえたのか、そして汝の心臓が鼓動を始めたとき如何なる恐ろしい手が、如何なる恐ろしい足が
点滅信号のようにフラッシュバックし続ける、彼女の最後の姿、そして、あの瞳が………
―――如何なる鎚が、如何なる鎖が、如何なる熔鉱炉に汝の脳があったのか。
如何なる鉄床が、如何なる恐ろしい把握がその致命的な恐怖を握りえたのか。星たちがその槍を投げ下ろし
ジェニー・カローナの狂喜が、あの瞳に映る自分の狂喜が―――
「やめてくれっ!……頼む、レックス」
振り絞るようなその声に、驚いたレックスがハボックの様子を伺い見ると、ハボックは顔を真っ青にして
息を荒げている。
「…すまん」
車内はなんともいえない沈黙で充たされ、なんとか目的のロニー・クロックの店へと着く。店の中に入って行ったハボックとレックスはロニー・クロックを探す。
店内には多様な物が所狭しと並べられており、店の入り口には置物や花瓶、少し奥には人形など、更に奥にはネックレスやイヤリングなどの装飾品、カウンターには腕時計や懐中時計、壁には壁掛け時計が飾られていた。
「ロニー・クロックは居るか?」
暫くするとカウンターの扉の向こうから年輩の男が出てきた。
「はい、ロニー・クロックは私ですが、何の用でございますか?」
「あんたが、ロニー・クロックか、俺は刑事のハボックで、隣は相棒のレックスだ」
「今日来たのは最近多発している通り魔殺人事件の事で、聞きたい事があるんです」
ハボックは手短にロニー・クロックから聴取を取り、店を後にし
車に戻ると、ロニー・クロックに怪しい動きがないか張り込みを続けることになった。
「相棒、あれは白だな」
「ああ」と、ため息をつくようにハボックも同意する。ロニー・クロックの聴取では怪しい点も無く、店主自身も至ってまともな人間だった。
レックスとハボックの見立てはロニー・クロックは事件に関与していないという推察に至ったのだが、それはそれとして、最低でもあと数日は張り込みを続ける必要があるのだ。
「俺は白に飯代賭ける」
「おい、待てよ、それじゃあ、賭けにならないだろうが」
「早い者勝ちで、俺が白、相棒が黒だろっ」
レックスはそう言って楽し気に勝手に賭けを決める。「ハァ」と、ため息を吐くハボックもレックスの性格を解ってるからそれ以上は言うだけ無駄だ。 それから3日間ロニー・クロックを張り込んだが睨んだとおり何の動きもなかった。
その間、他の組はどうだったかというと、巡回警官の調査も特に問題は無く、スチュワート達はいつまでも同じ警察官を調べる訳にもいかず他の調査へと移った。
ヘンリー達はもう一人の容疑者、事件現場から程近い骨董品店の店主デニス・マルケスの調査を行っていた。ハボックやスチュワート達が調査していた容疑者は白でほぼ決まっていたので、あとはヘンリー達の見張っているデニスが尻尾を出すのを待つばかりになり、5日経ち遂にデニスが行動を起こし、夜の街道で通行者にナイフを突き立てていた所を現行犯でヘンリーが取り押さえて容疑者を確保し、被害者はなんとか一命を取り留めた。
逮捕したデニスの聴取を取る事になったレックスとハボックは、取調室でデニスから殺害動機等の聞き取りを行う。
レックスがデニスの前に座りその隣にハボックが座る。
「デニス・マルケス、あんたが犯行を行った経緯、動機等を伺いたい」
ハボックは差し障りがないようにデニスに聴取を取ろうとした。
だが、デニス・マルケスは何処か虚ろな眼でハボックを見ていた、その瞳は遠い何処かを恋い焦がれる様に焦点があっていないようだ。
「(*3) 一粒の砂にも世界を
一輪の野の花にも天国を見る
掌に無限を
一瞬(ひととき)の間に永遠を握る」
「私の様な人間は、人を殺すさいこの、叡智とも呼べる瞬間を手に入れる事が出来るのです。
彼らの姿に天国を見、この手で殺める瞬間、無限と永遠を手に入れ、彼らの大切な物が私に世界を見せる。それがえに言われぬ至福の悦びなのです。貴女なら解るんじゃないですか?」
デニスは明らかにハボックに向って同意を求めるのだ。
同類でも見つけたように嬉々としている。
「!?っ、いくらお前が高尚に言葉を飾ったところで、お前のやった事を正当化する事は出来ないんだっ、そんな事も解んないのか!」
捲し立てるレックスの言葉はハボックにグサリと突き刺さる。
(俺は………)
ハボックはあの事件、ジェニーを殺めた事を
忘れようとしていた。
だが、忘れられない、拭うことが出来ない……
それは間違いだったのだ、レックスがそう言っているではないか。
そうだ、どんなに正当化しても人を殺めた罪は決して消える事はない、何故気付かなかった、いや、気付かない振りをしていた。
レックスがデニスに向かって言っている言葉は全てハボックに反ってくる。
そして、忘れようとしていた、あの瞬間がハボックを襲う。
ジェニーに銃口を向け引き金を弾いたあの瞬間。
彼女の歪んだ笑顔、その瞳に映る自分の姿が、彼女と同じ様に笑っていた………
あの瞬間、何故自分は笑っていたのだ?
逃げられない己を嘲っていたのか?
それとも、彼女から解放されるのを歓んでいたのか?
それとも、命をその手に握って悦んでいたのか?
それとも、彼女の狂喜に見入られたのか………
あの、黒光りする闇に目を奪われ笑みを浮かべたのか?
どれも何かが違う
モヤモヤとしていて、まるで底無し沼にでも嵌まって空を掴もうとしているみたいだ………
ハボックは核心を持てぬまま思考を切り止める。フラフラとした意識の中で無意識に痛いほど握っていた拳を開く。すると、じくじくと血がかよいはじめる。
冷え切った手の温度は変わらず冷たいまま、それでも膝に力を入れてゆっくりと視線を上げる。
レックスはデニスの胸ぐらを掴み上げ今にも殴り掛かりそうだった。それをデニスが嘲笑うように揶揄していた。
ハボックは恐る恐るデニスに視線を向ける。
(ああ、やっぱりだ…………やっぱり、こいつも俺と同じ狂喜を持っている……)
ハボックの視線に気付いたデニスがハボックに向って歪んだ笑顔を向ける。
その瞬間心臓の奥でゾワリと冷たい焔が揺れた。
ハボックはなんとか自らを奮い立たせ、デニスの胸ぐらを掴んでいるレックスの手をハボックが掴みその手を退け、デニスの瞳を見る。
「どうしました?刑事さん顔色が悪いですよ?」
デニスが歪んだ笑顔で問い掛ける。ハボックは目を反らしてしまいそうになるのを必死に堪えデニスを見る。
彼の狂喜を通してハボック自身の身の内に潜む狂喜を見定める為に、ハボックは彼の狂喜に向き合おうとする。
絡み合う視線、彼の瞳に映る自分の姿、その奥にある闇はやはりジェニーとは違った、黒さを保持していた。
こいつの狂喜と俺の狂喜は、一体何が違う?
…こいつは殺人で全てを手に入れた気になっている。
彼女の狂喜は殺人によって生を歓喜を手に入れていた。
…じゃあ、俺は何に捕らわれているんだ?
次第に思考は闇の奥へ…
………狂喜そのものに、捕らわれたのか?
……狂喜が起因した歓喜に捕らわれたのか?
…狂喜の根源たる死が俺を捕らえたのか?
黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒、黒……………
黒々とした
暗い、暗い、暗い、暗い暗い、暗い暗い、暗い暗い暗い、暗い暗い暗い、暗い、暗いっ
暗い闇がっっ
輝き燃える夜の森の中
その全てを魅力する眼の火が燃えているっ
悪がっ、悪がっ、悪がっ、悪が悪が、悪が、悪が、悪が
悪が悪が悪がっ
その、美しい悪が!
闇が、闇が、闇が、闇が、闇が、闇が、闇が、闇が、闇が、闇が、闇が………
滑らかな
ジットリとした
べたりとした
ひんやりとした
黒光りした
悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪、悪………
黒い艶の在る滑らかな
暗いジットリとした
ひんやりとした闇
黒光りした……
美しい…
あの恍惚とした
きらびやかな闇
それは、すべてを覆い尽くす
…………――ぉぃ
遠くで声がする
……――どうしたんだ
また、声がする、こんどは更に近くから
ハボックは気が付くと取調室に居た
「おいっハボック!止めろ!!それ以上続けると死んぢまう!!」
怒鳴り続けるレックスの言葉にハボックは目の前のデニスを見る。
ハボックはデニスの頸を絞めていた。デニスは頸を絞められてなお涎を垂らしながら、ハボックを視て笑っていたのだ。
思わずハボックは手を放し後ずさる。デニスは前のめりになりながら自分の頸を擦るように抑える、まだ意識はあるようで、苦しい筈が、それなのに噎せるように笑いだすのだ。
「ぐはっ、ガァはっ、っっっ、くははっハハハっハハハハハ――ー」
「ハハハッ良いねぇ刑事さん、あなた相当キてる」
レックスはデニスとハボックを引き離しハボックには部屋から出るよう怒鳴りつける。
「お前なぁ!何にしたか分かってんのか?
なあ、一体どうしちまったんだよ相棒…
ハァ、今はいい、取り合えずお前は部屋から出ろ」
取調室から出たハボックは茫然と自分の手を見詰めた。
さっきまで何も感じなかった手が、しっかりとデニスの頸を締めた感触を残している。
「あれ?ハボックどうしたの?取調してるって聞いてたけど、もう終わったの?」
「いや、まだ終わってない……
問題を起こして追い出されたんだ」
ハボックは動揺を隠し切れず、サマンサにしどろもどろに答える。
「そう……あっ、さっき報告があったんだけど、デニスの家の奥から被害者の所持品と思われる物と、被害者の一部が見つかったの。それで、取調の進展を聞きたくてきたの」
「取調はあまり進んでいないんだ。すまない、急ぎならレックスの方の様子を見てきたらどうだ?」
「そうね」サマンサがそう言って、取調室に入ろうとしたとき、それより先に扉が開いた。「あれ?」
取調室の前でレックス、デニス、サマンサ、ハボックの4人鉢合わせる形になり棒立ちになる。
「あのぅ、サマンサ?そこ、通して」
「あ、ごめんなさい」
レックスはサマンサとハボックの前を通り、デニスの身柄を他の警官に引き渡し、サマンサ、ハボックと会議室に向かいながらサマンサと情報を共有する。
「デニスの自宅から被害者の所持品と被害者の一部が見つかったから、後はデニスから確証を得られる情報があれば極刑は間逃れないってことか…」
「ええ、それで、どうだった?何か掴めた?」
「いいや、全っ然っ聞き出せなかったから、今日は取り止めたんだ」
「そう」
「…なぁ、少し考えてたんだけど、デニスの言っていた事だけどデニスの使っていたあの詩はアイツの動機なんじゃないか?」
「詩?あの詩がか?」
「アイツが言っていた、一粒の砂にも世界をってのは、被害者の所持品によってアイツは世界を見ているきになっているんじゃないか?」
「って、事はあの詩に当てはめてけばいいのか……
じゃあ、一輪の野の花にも天国をってのは何の事を言ってるんだ?
一瞬の間に永遠ってのは殺人の瞬間だろ?
…あと、掌の間に無限?」
「一輪の野の花にも天国をってのは、被害者の一部だと思う
…あと、掌の間の無限は被害者の…命、の事じゃないか?」
「ん~、それが本当に動機になりうるのか?」
「でも、しっかり当てはまるよね」
「確かに、当てはまってもこれが動機になるかは何とも言えないか………」
「でも、聞く限りだと凄く核心に近いきがするわ」
三人は足を止め、それぞれ考え始める。
「………」
「ねぇ、それなら…その仮説でデニスを誘導するのはどう?」
「おぉ、それ多分食いつくと思う。
でも、アイツに合わせて話す役は誰がする?」
「?二人の内どちらかじゃないの?」
現状から言ってその役回りは、現場捜査を行っているスチュワートや、情報処理を行うサマンサではなく、ハボックかレックスのどちらかがやるのが当然なのだが、先程までの取調の状態を鑑みてベストな人選ではない事をレックスは暗に言っているのだが、取調べでの事をサマンサに話したのだが、サマンサは気付かないようだ。
「……ごめん、まず第一に俺はアイツに合わせて話してられる程人間が出来てない。
それに、ハボックはアイツと関わるのは無理だと思う」
「…すまん」
レックスの言い分はもっともで、ハボック自身あのときデニスの首を絞めていたのか判らないでいるのに、不用意に近づくのは避けるべきだし。先程までの取調室で自分達のデニスに対する態度が180度変われば余程の馬鹿でないかぎり気付くだろう。
「ん~、それもそうよね。じゃあ、私とヘンリーが取り調べを担当できるようにカトナー補佐官に進言してみましょうか」
そこでようやくレックスの言っている意味に気付いたサマンサが妥協案を提示する。
「ああ、よろしく頼む」
「じゃっ、さっさと話つけに行きますか」
レックスの掛け声で三人は会議室へ向かう。
ハボックとレックス、サマンサは会議室でカトナー達にデニス・マルケスの取調べの進展がなかったこと、そして次に打ち出す聴取方法についての提案と、人選の再検討を願い出た。
カトナーは成果らしい報告を提示出来なかったハボックとレックスに対して憤慨していたが、現段階で成果の見込めないハボックとレックスに任せるよりはサマンサとヘンリーに任せる方が見込みがあるとゆうことをカトナーも、理解してくれたようで、デニス・マルケスの担当者はサマンサとヘンリーに変った。
会議が終わりハボックはレックス達と別れカウンセリングを受けに向かいレックスはカトナーにまだ報告があるといって、その場に残った。
たぶん取調室でデニスの頸を自分が絞めていたことについてだろう。
最初カウンセリングを馬鹿にしていたハボックではあるが、今、自分自身でさえ分からない物を抱え込んで自分が自分ではないような不安がグルグルと渦巻いていてカウンセリングも無いよりはましかもしれないと思わなくも無いと、考えを改めた。
そうして考えを改めたハボックだったが、カウンセリングはハボックの不安を取り除きはしなかった。やっとカウンセリングが終わり、ため息を吐いた所で、何時から待っていたのか後ろからレックスが声を掛けてきた。
「やっと終わったのか?相棒、待ってたんだぜ、この前の賭け、覚えてるだろ?飯、奢れよな」
当然とばかりに言うレックスにハボックは呆れるよりも安堵した。
嬉しかったのだ。自分で自分が分からないハボックを気遣って、レックスはあえていつも通りに接している。あんな事があった後だレックスはハボックに対して怒っていてもおかしくはない筈だった。
「……仕方ないな」
ハボックは嬉しくて、ポツリとそれだけ言った。
「よっし!そうと決まればさっさと行こうぜ、いつものバーで良いよな?」
「ああ」
「ナイスな娘、いるといいな」
「…そっちが狙いか」
「出会いは大事だぜ?相棒、どんなときだって」
そんなくだらない話をしながら、ハボックとレックスは夜の街へと繰り出していく。
今日の出来事を、バーボンでも飲めば笑って話す事が出来るだろう。
そして、誰かいい娘でもいれば、少しは気が晴れるだろう。
(*1)ウィリアム・ブレイクの『崇高な姿』(ジョルジュ・バタイユ 文学と悪を参照)
(*2)ウィリアム・ブレイクの『虎』(松島正一 孤高の芸術家ウィリアム・ブレイクを参照)
(*3)ウイリアム・ブレイクの『無垢の占い』(*2 の著書を参照)
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